死にたいと生きていたくないは一緒なのか、違うのか

朝起きたとき、ぼうっとしているとき、本を読んでいるとき、食事をしているとき、ゲームをしているとき……ふっと、胸のあたりが重くなる。心臓のあたりに穴があいたような気持になる。

「重い」のに「穴があいたよう」とは変な気もするが、実際、両方感じているのだから仕方がない。

この妙な感覚が何か、ずっと私には分からず、ただ不安で気持ちが悪くてたまらなかった。

でも、最近、その感覚が何かようやく分かった。

「死にたい」

たった一言、頭に思い浮かんだ瞬間、私はある意味すっきりした。ちっとも気持ちは晴れなかったけれど、「死にたい」という言葉は私のその妙な感覚にしっくりとくるものだった。

そうだ。私は死にたいのだ。

より正確に言うならば「生きていたくない」のだ。

もっともっと正確に言うならば「苦しみながら生きていたくない」。

身勝手だと人は思うだろうが、私だって何も無条件に「死にたい」わけでも「生きていたくないわけでもない」。あくまで、今の人生が余りにも苦しいものだから、こんな苦しみをあと何十年も感じて居なければならないのであれば、「死にたい」し「生きていたくない」のである。

私だってもし、話を否定せずに、またつまらなさそうにせずに話を聞いてくれる友人がいて、私を心底大切だと思ってくれている人がいて、就きたい職業について大成できるのであれば生きていたい。そりゃあ、大喜びして生きるさ。

もしかしたら、遠い未来、今の反吐が出るほどの苦しい日々を乗り越えれば、自分が望む人生が1秒くらいは体験できるかもしれない。けど、それじゃいやなのだ。とにもかくにも、今の苦しみから逃れたい。そして、今の苦しみはあと数日、数週間で消えてくれるようなものじゃない。下手をすればあと何十年、死ぬまで抱え続けなければならないかもしれないし、さらに、その苦しみはぐんぐんと成長し、今以上の勢いで私を攻撃してくるかもしれない。

未来が良くなる保障なんてない。未来がこれ以上悪くなるとも限らないが、とにかく今は最悪で、この「今」から抜け出す方法が私は「生きるのをやめる」以外に思いつかないのだ。

ああ、ばからしい。