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少年・少女(プロローグ・第1章)

現在進行形で書いている小説。

もっときれいにまとまると思っていたのに、なんだかダラダラ続いている。

発表するアテもないので、ここにちょっとずつ出していく。

 

少年・少女

 

「ねえ」

 お嬢さんが、

 グレーの瞳が、迫って来る。

 ああ。

 この瞳は、あのときの。

 問いかけたいのに声がでない。はあ、ふうと息が漏れるばかりである。

 この瞳は、あのときの。

 ああ。

 グレーの瞳が、すぐそこに。

 お嬢さんが、

 お嬢さんが、生き返った――

 

   1

 その事件が起こったのは、十二歳になる直前の春の日のことだった。今からもう五十年近く前の一九七十年の三月。京の底冷えとはいったものだが、三月になっても京都の街にはキンと冷えた空気が滞っていた。

 私はそのころ、京都市左京区の岩倉という地に、両親と共に三人で住んでいた。実家は父の曾祖父から続く呉服屋で、今思えばそれなりに良い暮らしをしていたように思う。

 しかし、子どもの頃の私は、実家での暮らしに息苦しさのようなものを覚えていた。将来、必要になるからと両親は学校が終わってからも私に勉強をさせようとした。珠算や書道なんかも母から仕込まれた。当時はどうしてこんなことをせねばならないのか分からなかったが、将来の跡取りとして必要な能力を身につけるためのことだったのだろう。

 当時の私は、いわば〈悪ガキ〉であった。両親の目を盗んでは、山の中を駆け巡って遊んだ。服も顔も泥だらけになって帰宅しては、こっぴどく怒られたものだ。呉服屋だけあって母はいつも、いかにも高価そうな服を私に着せたがったが、私はそれよりも動きやすさを重視した半袖シャツと半ズボンを好んで着ていた。髪も優等生ぶった髪型は気に入らず、自分の手で勝手に切っていたから、傍目から見ればずいぶん変な子に映ったに違いない。

 両親は私の〈悪ガキ〉ぶりに手を焼いていたようで、父などは「そんなことばかりしとると、いつか罰が当たるで!」と怒鳴ることも多々あった。

そのたび私が「罰なんか当たらへん。俺、なンも悪いことしとらんし」と嘯くものだから、父は余計に怒り狂って時に私をぶったりもした。それでも反省しようとしなかったのだから、私も相当図太かったとしかいいようがない。のちに母から、この子はうちの子ではないのではないか、病院でよその子を間違って持って帰ってきてしまったのではないか、と真剣に悩んだものだ、と聞かされたときは苦笑せざるをえなかったが、それほどに酷かったということだろう。

そんな〈悪ガキ〉だった私だが、中学校に入るころにはそれは立派な〈優等生〉へと変貌を遂げていた。

その契機となったのが、十一歳の春に遭遇したあの事件である。

正確な日付は覚えていないが、三月の中ごろのことだったように思う。私は家の自室で一人、そろばんの珠を弾いていた。母から出された課題で今日中に終わらなければ夕飯は抜き、と宣告されていたため、しぶしぶ勉強机に向かっていたのである。

問題数は全部で百問。すべて和算ばかりだったので、難しいわけではなかったのだが、それでも五十問もすぎると嫌気がさしてきた。

時計を見ると午後二時をまわっていた。表の方から両親の話声が聞こえる。二人で店先に立っているようだった。そっと耳を澄ましてみると、どうやら常連客と談笑しているらしい。今日はいつも以上に多く客が来ていて、両親は朝から忙しそうだった。

閉店まで両親は店先から戻ってこないだろう。よほど暇でないかぎり、昼休憩をのぞけば、開店時間中に両親が店先を離れることは殆どなかった。

ようし、ちょっと遊びに行くか。私はそう考えて、立ち上がった。午後六時の閉店時間まで、両親が私の様子を見に来ることはあるまい。なら、ちょっとくらい息抜きに出かけたって良いではないか、とこう考えたのである。

幸い、外は冷え込んでこそいるものの雲一つない晴天。こんな天気の日に籠ってそろばんの珠を弾いているなど、それこそ愚の骨頂ではないか。それに、すでに五十問は解けたのだ。残り五十問は帰って来てからやることにしよう。

私は思いたつやいなや、上着を羽織り裏口から外へ出た。裏口には履き古した運動靴が常に置いてあった。それを履いて山の方へ向かう。

山が私のお気に入りの遊び場だった。私はいつも一人で遊んでいた。学友たちの多くは山ではなく手ごろな空き地などを見つけて遊んでいたが、当時の私はその輪に入れずにいた。のちに知ったことだが、私は学友たちからも〈変わった子〉と思われていたらしい。

さて、走って五分ほどで〈遊び場〉にたどりついた私は、手始めに木登りでもしようかと、手ごろな木の幹に手をかけた。

と、その時である。私の背中に「ねえ!」と高い声が投げかけられたのは。

周囲に誰もいないと思い込んでいた私は、少なからず驚いた。びくり、と身を震わせ振り返ると、いつの間に来たのだろう、ひとりの少女が立っているではないか。

胸のあたりまで伸ばした黒髪がふわりふわりと揺れている。フリルに飾られたワンピースの裾はひざ下まであった。山の木々や土の茶色のなか、ワンピースの白は眩しく目に突き刺さるようだった。頭にはつば広の白い帽子をちょこんとのせている。

声だけでは誰だかわからなかったが、彼女の顔や、いで立ちを見て、あ、と息が詰まりそうになった。ああ、この子は。

「ねえ!」

 私が黙ったままであることが不満だったのだろう、彼女は一歩、こちらに近寄った。やっと、彼女の顔をまともに見た私は再び、息の詰まる思いだった。

 色白の顔。桜色の唇。グレーの瞳が前髪の間からこちらを見つめている。アーモンド形の形の良い目を、長い睫毛が囲っていた。ああ、間違いない、この子は清凉寺の家の娘さんだ。清凉寺家といえば地元では知らない者のいない名家中の名家である。

 同じ学校に通っていて、私より一級上。口をきいたことはないけれど、何度かその姿を目にしたことがあった。なんと美しい子だろう、と遠目に彼女の姿を見るのが、私は好きだった。

「なに?」

 どぎまぎしながら、私はやっとのことで言葉を返した。

 彼女はにい、と笑うと、歌うようにいった。

「あーそびーましょーお」

 鈴を転がしたような愛らしい声。そういえば、私は今日、初めて彼女の声を聞いた。ああ、こんな声だったのか、と私の胸の高鳴りは増すばかりであった。

「遊ぶ? 遊ぶって……?」

「遊ぶって、遊ぶんよ」

「ええと、なに、して、遊ぶん……?」

 自分でも情けなくなるくらい、声はうわずり、言葉に詰まった。今、自分は清凉寺の娘さんと話している! 遠くから眺めるだけだった、あのお嬢さんと……その事実は私にはあまりにも現実味がなさすぎた。

 お嬢さん――名前は確か紫(ゆかり)さん、といったはずだ――は、うふふと笑って首を傾げた。

「人殺しごっこ」

「なんなん、それ……?」

 人殺し、なんて物騒な言葉、紫お嬢さんには似合わないと思った。ビスクドールのような彼女に似合うのは、もっと甘い……〈お菓子〉〈桃色〉〈夢〉……そんな可愛らしい言葉。

 けれど紫お嬢さんはクツクツと喉を鳴らし「人殺しごっこ」と繰り返した。

「なにするん、それ?」と私。

「そのまんまやよ。あんたが、うちのこと殺すンよ」

「殺したらあかんやろ。殺人やん」

「せやから人殺しごっこ、いうてるやん。殺す、真似、すればええの」

 お嬢さんはぐい、と顔を私の鼻先に近寄せた。甘い香りに頭がくらり。

「うちのな、首をあんたが締めるのン。むぎゅーって。それから、そうや、池に落とすンよ。ぼちゃん、って」

「池なんか、あらへんで」

 見回しても見えるものといえば、木ばかりである。お嬢さんはちょっと肩を竦めると、

「向こうに池はあるんやけどね……遠いから、ええわ。ほうら、ねえ、ぎゅーってして」

 そういと、お嬢さんは顎をくい、とあげてみせた。黒髪を両手で後ろに流すと、細い喉があらわになった。

「ほおら」

 彼女の声に合わせて喉がひくり、と動く。

「ほおら、ねえ?」

 甘い声で囁かれ、気づけば私は彼女の首に指を添えていた。あたたかい。かすかに脈を感じることができた。

 どれくらいの間、そうしていただろう。

 ふいにお嬢さんが笑い出した。きゃたきゃたと小鳥の鳴き声のような笑い声で、私はハッと我に返った。彼女は我慢できなくなったように、愉快そうに身を仰け反らせ、笑っていた。

「意気地なし!」

 指を添えるだけで、いっこうにその手に力を込めようとしない私を、彼女は怖気ついていると思ったらしい。違うのに……私はただ、彼女の首に見惚れて……彼女の体温に夢心地になっていただけなのに。

 しかし彼女は可笑しそうに、今度は節をつけて「いーくじーなしーっ」とおいうと、ぱっと私から離れてしまった。まだ、くすくすと笑っている。

「あーおもしろ。もうええよ。うち、帰るわ。またね!」

 お嬢さんはくるんと踵を返すと、私に背を向けた。そのときにワンピースがふわりと膨らみ、それがまた、私の目をくぎ付けにした。――なにを見ているのだ。私は、かあっと顔が熱くなるのを感じた。

 きっと、顔が真っ赤になっていただろうから、お嬢さんが振り向かなかったのは幸いだったと思う。彼女はそのまま、ぱたぱたと駆けていってしまった。

 彼女の駆けて行く先には、赤い洋館が見えていた。清凉寺邸だ。

 その背中を見送りながら、私はぼうっと顔の火照りが冷めるのを待っていた。「またね」と彼女はいった。ということは、また会ってくれるのだろうか。遊んでくれるのだろうか。そのときは、もう少し上手くやりたいと思った。

 お嬢さんのことで頭がいっぱいになってしまった私は、木登りをする気も失せてしまい、結局そのまま家へ帰った。家にたどり着いたのは午後二時半すぎ。母に与えられた和算の問題の続きをしようにも、数字が頭に入って来ず、しまいには用紙に〈紫〉などと書き込む始末。

 お嬢さん、紫お嬢さん。

 ビスクドールのような風貌に、甘い声、甘い香り。思い出すだけで顔が火照ってしまう。

 目をつむれば彼女の顔がありありと浮かんでくるものだから、その夜、私は何時間もずっと布団の中で身悶えしなければならなかった。これは、ひょっとすると恋心というものだろうか、と思うたび、私は必死にそれを打ち消した。まさか、そんなことがあってはあるまい、と。

――そして、翌朝。

 寝不足で頭がぼうっとしている私に、父は衝撃的な事実を告げた。

「おい、清凉寺さんの娘さん、亡くなったらしいで」

 私は頬を思い切り平手打ちされたような、あるいは突然、冷水を浴びせられたような気持ちだった。にわかには父の言葉を信じることができなかった。いいや、信じるどころか、理解することすらできていなかった。

清凉寺の娘さんって、どの清凉寺の娘さん?」

 父も朝刊を読んで初めて知ったらしく、新聞に目を落としたまま、

清凉寺紫さん……やて。お前の一級上の」

「それ、ほんまなん?」

 そう訊ねたのは、私ではなく母だった。茶碗に白米をよそう手を止め、眉をひそめている。

「ああ、清凉寺御苑さんの娘の紫さんってあるさかい、あのお嬢さんやろう」

「左近のお坊ちゃんやのうて?」

「ちゃうって、紫さんて書いてあるんや」

「でも、どうして……」

 父は「ウン……」といい淀んだ。誰も聞き耳などたてているはずもないのに――たてていたとして、聞かれても問題なんてないだろうに、父は声をひそめて、いった。

「殺されたらしい」

「……エッ」

 私はすうっと全身の血が、足の方へと引いていくのを感じた。コロサレタラシイ?

 お嬢さんの声が、耳元に蘇る。

――「人殺しごっこ」

「なあ、見せて」

 私は父の横から新聞紙を覗き込んだ。見なければならないと思った。

 様々なニュースと並んで、お嬢さんの死は報じられていた。亡くなったのは清凉寺紫さんであること、昨夜八時過ぎ、姿のみえない紫さんを心配して探していた使用人が彼女を見つけたこと、そのときにはもう、彼女はこときれていたこと、犯人はまだ見つかっていないことなどが要領よく書かれていた。

 お嬢さんの死因についても、書かれていた。それを読んだ私は、ぎゅう、と心臓を掴まれた思いだった。

――紫さんは首を絞められた上、池に突き落とされて殺害されたとみられている。

 ああ、ああ。お嬢さんは私になんていった? あのとき、彼女は、確か、首を絞めて、池に突き落として殺せ、といった。……でも、私はできなくて彼女は「いくじなし」といい捨てて、帰ってしまった。

 彼女はあの後、殺されたのだ。彼女のいったとおりに。

 そこまできて、私はある恐ろしい可能性に思い当たった。

 私には、容疑者として疑われる可能性があるのではないか?

 あのとき、私はお嬢さんの首を絞めた。実際には、指を添えただけだったが、例えば、そう。遠目に見れば、私がお嬢さんの首を絞めているようにも見えたのではないか。

 もしも、誰かが私たちの姿を見ていたら?

 その誰かが警察に「少年がお嬢さんの首を絞めていたのを見た」などと通報したりしたら?

 私はもう一度、記事の文字を頭から終わりまで、なめるように見直したが、今のところそのようなことは書かれていなかった。どうやら犯人像に関しては、皆目見当もついていないらしい。

 でも、私は安心することができなかった。ひょっとすると、まだ新聞社が情報を得ていないだけかもしれないじゃないか。私はお嬢さんを殺していない。でも、疑われるようなことをした。ただやっていません、といったところで、警察というのは信じてくれるのだろうか……?

 どうして……どうしてこんな恐ろしい思いをしなくてはならないのだろう。

「あんた、ぼうっとしてないで、ご飯食べなさいな。片付かへんわ」

 母にいわれ、私は自分の席に戻った。白米、味噌汁……あと、なにを食べただろう。味覚がまったく働いていなかった。

 ただ両親に悟られまいと、必死に平静を装いながら食べ物を喉の奥へ流し込んだ。そんな単調作業をしながらも、私の頭の中は恐怖でいっぱいだった。今になって思えば、よくもまあ、気づかれなかったものだと我ながら感心してしまう。わあっと泣きだしてもおかしくなかったような立場だったはずなのに。まだほんの子どもだったのだし……。

 しかし、当時の私は、泣き出す余裕すらなかったのかもしれない。

 どうして、どうして、嫌だ、殺人犯扱いなんて、お嬢さんはどうして、と考え続けた私は、突然はっとした。これは、罰ではなかろうか、と。

 両親のいうことも聞かず、生意気な〈悪ガキ〉だったから、天罰がくだったのではないだろうか。父のいったとおりに……。普通にしていれば良かったものを……良い子でいればよかったものを、そのすべてに反発するようなことしたものだから、天罰がくだった。だから、こんな恐ろしい思いをしなくてはならないのだ。きっと、そうだ。

 それからだ。私が、優等生となったのは。

 休みの間はずっと、家で勉強をした。自分で髪を切るのもやめ、母と一緒に美容院に通うようになった。洋服も母が用意する仕立ての良いものを着て、当然、山へ遊びに行くのもやめてしまった。

 両親や周りの大人は私の変わりぶりに驚きつつも、特段、疑うようなことはしなかった。むしろ、喜んでいたように思う。

 あれから数十年。幸い、警察は一度も私に嫌疑の目を向けないまま、事件は迷宮入りした。

お嬢さん殺しの犯人は、未だに見つかっていない。