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ある死体に関する一考察(書きかけポイ!

ある死体に関する一考察

 

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 草木も眠る丑三つ時、と言う言葉とは裏腹に、真夜中の森林は賑やかだった。

 夜行性の動物たちの鳴き声。風に吹かれてザワザワと揺れる草や木々。昨夜の雨のせいだろう、植物の葉の上では水の玉が月の光を受けてキラキラと光っていた。

 昼間の蒸し暑さからは考えられない、ひんやりとした風を受けながら、タオは石の階段を登っていた。踝まである黒のロングコートを羽織った彼の姿は、遠目には大きな影法師のように見えたかもしれない。

 百段ほどの階段を登り終えると、そこには赤レンガの洋館が待ち構えていた。壁の半分ほどが蔦に覆われ、昔は鮮やかな赤だったのだろうレンガも、すっかり薄汚れてしまっている。

 

 タオは迷うことなく玄関のチャイムを押した。ひび割れた音が鳴り響く。しかし、待てども待てども、返事はなかった。耳を澄ませてみるが、誰かが館の中にいるような気配もない。

 はて、まだ帰ってきていないのだろうか。しかし、ぴったり二時に約束していたはずだったのだが。

 どうしたものか、と玄関の前に立って悩んでいると。

「ひゃあ、ごめんなさーい、待たせちゃいましたかあ?」

 階段の下の方から、呑気な声が聞こえて来た。顔を下に向けると、見覚えのある顔がこちらを見上げている。カラーボールをめちゃめちゃにぶつけられたようなシャツにジーンズ、そしてなぜかバンダナをベルトとズボンの間に挟んだ男。タオが訪れた洋館の主である八集だった。

「すみませーん、コンビニに行ってたんですう。茶葉を切らしちゃってたから、ペットボトルの紅茶を」

 そう言って八集は、手に持った白いビニール袋を掲げて見せる。

 タオは八集の言葉を遮るようにして訊ねた。

「お前。それはなんだ?」

「えーと、ミルクティーとレモンティーでーす。無糖のストレートティーもあったんですけど、甘い方が良いかなーって」

「そっちじゃない。お前の足元に転がっているのは、なんだと言っているんだ」

 八集の足元に転がっているもの。それは、明らかに人の形をしていた。ベージュのコートを着た人間が、うつ伏せになって倒れていた。

「ああ、こっちですか?」

 八集はクツクツ、と喉を鳴らした。機嫌が良いとき、八集はクツクツと喉を鳴らす癖があった。

「そこで拾ってきたんです。運ぶの、手伝ってもらえませんか?」

 

   ***

 

 八集が拾ってきたもの。それは、大柄な男の死体だった。

 タオは運ぶのを手伝うため、階段を下る。死体のそばに立つと、それを頭のてっぺんからつま先まで、なめるように観察した。

 拾った場所から引きずってきたのだろう、男の死体は泥でひどく汚れていた。特にズボンの尻から下、脚の裏側は泥のせいですっかり真っ黒になっている。

 ずいぶんひどい扱いだと思ったが、死体と八集の体格差を考えれば、それも仕方のないことといえる。死体の男はうつぶせの状態のため、正確な身長はわからないが恐らく百九十センチ近い。対して八集は、百六十センチ弱ほどしかない。抱きかかえて来いというのは、とうてい無理な話だった。

「おい、これ、本当に上まで運ぶのか?」

「はい」

 八集は首に巻いていたバンダナを広げて、頭にかぶり直した。

「はいって……これ、俺より大きいぞ」

 タオの身長は百七十センチ強だった。

 そもそも〈死体を運び込む〉という行為自体、あまり積極的にしようとは思えないのに、何が悲しくてこんな真夜中に自分より大柄な男の死体を運び上げなければならないのか。

 しかし、八集の方はけろりと、

「二人で協力すれば大丈夫ですよ。僕が脚を持ちますから、タオさんは上の方、お願いします」

「待て、待て。これ、死体だよな? 本物の死体?」

「ええ。人形に見えますか?」

「……見えない」

「でしょ? ほら、そっち持って。せーの、で持ち上げますからね、せーのッ」

 これではまるで、タンスか何かを新居に運び込む引っ越し業者だ。

 躓かないよう気を付けながら石段を一段、一段、慎重に上っていく。

 その最中、ふと八集の顔を見ると、そこに浮かんでいるのは笑顔だった。遊びに夢中になっている子供のように無邪気な、この世で一番タチの悪い笑顔。

―こいつ、なにか企んでるな……。

 八月の夜、決して気温は低くないはずなのに、タオはぶるりと身を震わせた。

―嫌な予感、がする。

 

***

 

「えーと、そこに置きましょうか。そこ、食器棚の横」

 八集はそう言って部屋の一角を顎でしゃくった。

 死体をカーペットの上に置いてしまうと、身体がふっと軽くなった気がした。

「あー、重かった」

 思わずそんな言葉が口からこぼれる。

「いやあ、ありがとうございます。そこに座ってください。今、紅茶を淹れますから。ペットボトルの紅茶で申し訳ないんですけど」

 そう言うと、八集は食器棚からティーカップを二つ取り出した。タオは言われるまま、食堂の椅子に腰をおろす。

「警察に連絡はしたのか?」

「ケーサツ? なんでまた?」

 なぜその単語が出て来るのか、理解できていないようだった。

「なんで、じゃないよ。死体を拾ったんだろ? 拾ったって言い方もおかしなモンだが、とにかく、普通の人間は死体を見つけたら、警察に届けるものなの」

「へー、タオさんもそういう良い子みたいなこと、言うんですね。落とし物を拾ったら、おまわりさんに渡しましょう、ってやつですか」

「落とし物、なんてレベルじゃないぞ」

「そもそも僕、〈普通の人間〉じゃありませんもん」

 えへん、となぜか誇らしげに胸をはってみせる八集。ミルクティーを注いだカップを差し出しながら、

「タオさんも同じでしょ?」

「ああ、だが……あんなもの拾ってどうするんだ? まさか食べるわけじゃあるまい?」

「まっさかあ!」

 今夜の八集はやけに上機嫌だった。

「そんな化物みたいなこと、するわけないでしょ! あのね、タオさんが来るってわかってたから、拾ってきたんですよ」

「俺が?」

 カップを口元で傾けたまま、固まってしまった。

 タオは死体を一瞥したあと、

「死体を愛でるような趣味なんてないぞ、俺には」

「誰もプレゼントするなんて言ってませんよ。人の話、最後まで聞いてください。まったくもう」

「……ごめん」

「いいですよ。きちんと謝れるタオさんはえらいですね」

「……」

 いつものことだが、八集のわけのわからないペースにすっかり飲まれてしまっている。落ち着くためにミルクティーを一口、喉に流し込んだ。甘ったるい味が口の中全体に広がる。

「ねえ、タオさん、シャーロック・ホームズシリーズって読んだことあります?」

コナン・ドイルの?」

 昔、暇つぶしに一、二冊読んだ記憶があった。どんな話だったかなと思い出しつつ、タオは頷く。

「僕ね、この間、図書館に行ったんです。本を読みに。そいで、偶然読んだのがシャーロック・ホームズの『緋色の研究』だったんですけど、面白いですねえ、あれ!」

 八集はランランと目を輝かせて言った。タオは、ホームズの話が自分の背後にある死体とどう関係があるのか、見当もつかなかったが、とりあえず適当に相槌を打っておくことにした。

「僕ね、もう夢中になっちゃって全部読んじゃいました、ホームズシリーズ。ホームズみたいなお話のこと、なんて呼ぶか知ってます? ミステリって言うんですって。僕、このミステリっての、すっかり気に入っちゃって、図書館にあったアポロ……じゃなくてポワロとか、クイーンとか、あと漢字の名前を作家さんをいっぱい読みましてね、どれもこれも面白いんだなあ、これが」

「漢字の名前の作家……? 江戸川乱歩とか、そういうのか?」

「うん、そんな名前だった気がしますね。でも、今はそんなこたあ、どうでもいいんですよ」

「いいのかよ」

「はい。それでね、僕、実は名探偵を副業にしようかなあって思ってるんです」

 そら、来た。八集がおかしなことを言い出した時には、たいがい、なにかしらのとばっちりがこちらに飛び火してくるのだ。

「タオさんは、探偵業やってるでしょう?」

 八集がぐい、と身を乗り出してくる。

「探偵業って……そんな、推理小説の中に出て来る探偵みたいな、ご立派なことはしてねえよ。現実の探偵なんて、皆そうだ」

「そうかなあ。一人くらい、ホームズやポワロみたいな名探偵、いてもいいと思うんですけど」

「ヒーローは常に画面の向こうなんだよ。諦めろ」

 タオの言葉の意味が分からなかったらしく、八集はきょとんとした顔で首を傾げてみせた。

「とにかくね、僕は名探偵になろうと思って、けど一足飛びに名探偵にはなれないでしょう? まずは、ワトソン君みたいな助手から始めようかなと思って」

「ワトソンは万年助手だぞ。今や、助手の代名詞じゃないか」

「でも、他に良いたとえを思いつかなかったんですもん。とにかく、僕がワトソン役になるから、今日はタオさんがホームズ役をやってください」

「待て、待て、待て!」

 タオは慌ててストップをかけた。

「さっきからなんなんだ。話がよくわからん。今から、何をするつもりなんだ?」

「えーと、だからですね。僕がワトソンに、タオさんがホームズになって謎を解くんですよ」

 そう言って八集は、タオの背後、食器棚にもたれ掛かれさせている死体を指で示した。

「あの、死体の謎を」

 

   ***

 

「死体の謎? どういうことだ?」

「そのままの意味ですよ。あの死体、昨日、ううん、今朝まではありませんでした。それが今夜、僕がコンビニに行って戻って来てみたら、突然、雑木林の中に現れた。おかしいじゃありませんか」

「コンビニに行く前はなかったのか?」

「うーん……それは分からないです。行きと帰りでは、違う道を通ったので。ただ、僕、毎朝この雑木林の中を散歩するのが日課なんですけど、その時にはなかったですよ、あんなもの。散歩ついでにゴミ拾いもしているんで、朝は雑木林の中をくまなく歩きまわっていますから、朝、見落とした可能性はないと思います」

「じゃあ、あの死体……あの男は、今日、この雑木林にやって来たということか」

「ね、不思議でしょう? あの男の人、どうしてこんなところで死んでいたんでしょう? 首にロープなんか巻いちゃって」

「ロープ?」

 意外な言葉に驚き、タオがそれを復唱すると、

「あれ? 気づかなかったんですか? あの人、首にロープ巻いてますよ」

 八集に言われ、改めて死体に近づき見てみると、なるほど、その言葉の通り首に麻のロープが巻き付いていた。先ほどはあたりが暗かったのと、コートの襟が邪魔で見えなかったのだ。

「ねえ? これ、首つり自殺でしょうか?」

「お前が見つけたとき、こいつは首をつっていたのか?」

「いいえ。地上にいました、普通に」

「いや、死体になっている時点で〈普通〉じゃないんだけど……。まあ、いい。これ見てみろよ」

 タオはコートのポケットから折り畳み式のナイフを取り出すと、それでロープを切ってしまった。

「まずここに一本。索状痕があるだろう。これは索状痕といって、ロープなどの紐状のもので首をきつく絞めたあとだ。特に前の方がハッキリしているみたいだな……」

 続いてタオはその索状痕より、やや上の部分を指さした。

「ここにもう一本、あるだろう?」

 下のものよりやや太さのある、一本の線。

「索状痕、ですか?」

「そうだな。しかし、凶器は別物……それぞれ異なる道具が使われたらしい。下の索状痕はロープの模様がくっきりとついているのに対し、上の方はもっと幅のあるもの、肉に食い込みにくいものによって絞められた痕のようだ。例えば、ネクタイとか、若干幅のある布製のものだろう」

 そこまで話して、すっかり八集のペースに乗せられてしまっていることに気づくタオ。もうここまできてしまったら仕方がないと、口を動かし続ける。

「もし、この男が首つり自殺によって死亡したのなら、どうして索状痕が二種類あるのか? 一度首をつって死んだ人間が、もう一度首をつることなんて出来ないからな。

 それに、それ以前の問題として、この雑木林で首つり自殺は不可能だ。雑木林の中に住んでいるお前なら、良く知っていることだとは思うが、ここら一帯にある木はどれも枝が細い。小さな子どもでも、ぶら下がったら折れてしまいそうな細さだ。大の大人がぶら下がれるはずがない。よって、そもそも、この雑木林にある木で首つり自殺しようなんて、到底無理な話なんだ。恐らく、死ぬより前に枝が折れてしまうだろう」