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ポイポイポイ

創作の思い出 雑記

またも書きかけの原稿を見つけたので、削除前にポイ。

ブログのデザインって変更できるんだね。

これ、とても可愛い。

 

どこにでもありそうな怪談

 

 

   1

 ガサリ、という物音に驚いて振り返ると、壁に貼られたポスターが風に吹かれて揺れていた。

 画びょうを誰かが持って行ってしまったか、あるいは何かの拍子に外れてしまったのだろう、ポスターは左上の一点のみで壁になんとかぶら下がっている状態だった。

「クソッ」

 驚かしやがって。

 近藤は忌々し気に唾を廊下に吐き捨てた。教頭が見ていれば、また小言の一つでも言われたかもしれないが構うまい。奴は隣の校舎の職員室にいる。そこの窓からこちらの様子を見ようと思えば見えるだろうが、だからといってまさか、近藤の一挙一動を監視しているとは思えなかった。

 念のため職員室のほうを見ると、教頭は窓際の自分の机で黙々と仕事をしている。ほかに人の姿はない。今日、残業しているのは近藤と教頭の二人だけだった。

 腕時計を見ると午後八時をまわっている。忘れ物が見つかったら、さっさと帰ろうと思っていた。いい加減、疲れてしまったし、それに教頭に先に帰られては困る。近藤の勤める高校では、最後まで居残った教師が、帰る前に学校中の電気を消す決まりになっていた。真っ暗闇になった学校に一人なんて、考えただけでもゾッとする。

 夜の学校というのは、昼間の様子からは考えられない不気味さがあった。なにかが棲んでいそうな気がする。なにか、昼間には姿を現さなかったモノが姿を現しそうな……例えば、幽霊、とか……。

 幽霊。

 近藤はふと、ここ最近、耳にするようになったとある噂話を思い出した。いわゆる「怪談」というやつだ。

 夏が近いせいもあるのだろうか、今月に入ってから、生徒たちはよく自分たちの学校に纏わる怪談話を好んでするようになった。近藤が彼らの会話に加わってそれを聞いたわけではないが、授業中や部活動中に生徒たちの話している内容が耳に入ってくることがある。

 それは大したものではなく、なんでも「東校舎には、夜になると刀を持った幽霊が現れる」とかいう、どこにでも転がっていそうな無個性な代物だ。

 昼間に聞いた時には生徒の無駄口程度にしか思っていなかったが、今、こうやって実際に夜の校舎を歩いていると、いやにリアリティーを帯びてくるから不思議だ。そういえば、俺が今いるのは、まさにその東校舎じゃないか……そう思うと近藤は自分でも気づかぬうちに、駆け足になっていた。

目的地は三階だ。やっと階段にたどり着くと、二段飛ばしで上がっていく。

 三階まで上りきるのに、三分とかからなかった。息切れもしていない。これも、日ごろのトレーニングの賜物というものだろう。束の間、不気味さも忘れ一人、満足げに笑みを浮かべる。

 と、そのときだった。

 それまで、ジリジリと小さな音を立てながら廊下を照らし続けていた蛍光灯が、一斉に消えてしまったのだ。周囲が一瞬で闇に包まれる。

 なんだ、停電か?

ズボンのポケットからスマートフォンを取り出し、それを懐中電灯代わりにする。

 クソ、ツイてないな……とにかく、ここまで来たんだ、忘れ物だけでも……と思い、廊下を進もうとすると。

 まさに、彼の進行方向から、足音が近づいてきていることに気が付いた。タッタッタ……とリズミカルな足音。誰かがこちらに向かって、走ってきている。

 誰だ……?

 近藤のスマートフォンの光が足音の正体を捉えたときには、それはもう、すぐそこまで迫ってきていた。

 白い仮面に白いマントといういで立ち。それは銀色に光る棒状のものを、近藤に向かって今まさに、振り下ろそうとしていた。

「ぎゃああああああああああッ!」

 近藤は悲鳴をあげるとスマートフォンも放り捨て、転がるように職員室へと逃げ帰った……。

 

   2

「……というわけなんだ。なあ、引き受けてくれるか? あんた、心霊探偵なんだろ?」

 自分の体験した『心霊体験』を一通り話し終えた近藤は、色よい返事を期待して身を乗り出した。ついでに、目の前に置かれたコーヒーを飲む。ホットだったはずのコーヒーは、すっかり冷めてしまっていた。

 夜の学校で白装束の化物に襲われそうになったのが、一昨日のこと。

 転がるようにして職員室に逃げ帰った近藤を待っていたのは、狼狽した表情を浮かべた教頭だった。

 幸いというべきか、校内の電気が消えていたのは束の間のことで、いつ復旧したのかは定かではないが、近藤が職員室に戻ったときには校内の電気はどこも何事もなかったかのように白々しい光を取り戻していた。

 しかし、今は停電どころではない。近藤がさきほど東校舎で見たもののことを話そうとすると、教頭はそれを遮るように口を開いて、

「先生! ぼ、亡霊ですよ、亡霊がでました!」

 そう言うと教頭は、職員室にある棚―プリント用紙やプリンター用のインクがひとまとめにして置いてあった―のほうを見やり、

「書類を印刷しようとしたら、ちょうどインクが切れまして……そ、それでインクを取ろうと棚に手を伸ばした途端、停電、停電しましたよね? 何事かと思っていたら、プリント用紙の陰から血まみれの手首がにゅっと、出てきたんです! 驚いて飛びのいたら、プリント用紙の箱から、今度は目玉がゴロゴロと出てきたんですよ……!」

 普段は無口な教頭が、この時ばかりは恐怖の為か不自然なほどに饒舌だった。彼は近藤の机の方を指さすと、

「そいつらは職員室内をゴロゴロと転がりまわった後、ちょうど今、先生の机の手前のところでフッと消えたんです」

 それが限界だった。

 近藤は机の上の鞄をひっつかむと、教頭が何か言っているのにも構わず、家まで一目散に逃げ帰った。

 あの学校は呪われている!

それも、ただ亡霊が出るだけならまだいい。だが、今日見た白装束の化物は、明らかに俺を殺そうとしてきたじゃないか。それに教頭の話によると、職員室にも気味の悪い手首や目玉が出たらしい。しかも、そいつらは、よりによって俺の机のそばで姿を消したときた。

そうだ、亡霊たちの狙いは自分なのだ。近藤は布団にくるまり震えあがった。

どうする? 学校を辞めるか? いいや、あの学校を辞めても、亡霊はつきまとってくるかもしれない。……クソッ、俺がいったい何をしたって言うんだ。

しばらく布団の中で考え込んだ後、近藤は近くに置いていたノートパソコンを起動させた。スマートフォンを学校に置いてきてしまったため、インターネットに繋ぐ手段が、今はこれしかなかったのだ。

少し悩んで、検索窓に「心霊探偵 タオ」と打ち込む。

先日参加した同窓会で聞いた噂話だった。なんでも、心霊現象専門の探偵がいるのだという。

どこかに事務所を構えているわけでもない。ホームページを開設しているわけでもない。その探偵は自らプロモーション活動を行うようなことは一切していないらしい。

だが、その存在は噂話やインターネットの掲示板を通して、確実に人々の間に広まりつつあった。

探偵の名は「タオ」。タオに仕事の依頼をするには、タオ宛てにメールを送れば良いとのことだった。

同窓会でこの話を聞いたときには、世の中にはおかしな話もあるもんだ、程度にしか思わなかった。だが、今の近藤は藁にもすがる思いで、タオのメールアドレスを知ろうとしていた。

検索してヒットしたサイトを、片っ端から開いていく。お目当てのものを見つけたのは、十三個目のサイトを開いたときだった。

心霊関係の噂話を話題にした、大手掲示板。

「心霊現象とかで困ってる人、この人に頼んだらどうですか。心霊探偵のタオって人、頼りになります。ちょっとお金はかかりますが」

 そういう文言とともに、メールアドレスが添えられていた。

 それをコピーして、フリーメールにログインする。メール作成を選んで、つい先ほど見つけたアドレスを宛先欄に貼り付けた。

「亡霊に襲われた。助けてくれ。 近藤隆

 それだけ打つのが精いっぱいだった。送信ボタンを押す。それでいくらか安心して気が緩んでしまったのだろう、自分でも知らないうちに眠ってしまっていた。

 目を覚ますと、朝。

 パソコンを確認すると、新着メールが一件、届いていた。届いたのは昨夜、日付が変わる数分前。

「わかりました。明後日の日曜日、午後二時、Ⅰ駅の傍にある喫茶店、エムでお会いしましょう。 タオ」

 

   3

 そして今。

 添付されていた地図に従い、近藤は時間通りに喫茶店エムへ足を運んだ。

 店内には客が一人。三十歳くらいの若い男だった。黙々とオムライスを頬張っている。

 男は近藤に気が付くと、スプーンを持ったまま椅子から立ち上がった。

近藤隆さんですね?」

「ああ、はあ」

「私がタオです」

 男は大きな影法師のようだった。黒い髪に黒いロングコート。今日の日中の最高気温は、六月中旬でありながら既に三十度に達する、と天気予報は言っていた。そんな日にコートなんて着て、暑くはないのだろうか。いくら店内は冷房が効いているとはいえ、そもそも室内でもコートを着たままというのは、少しおかしいだろう。

 額にかかる前髪、彫りの深い顔、黒い瞳に長い睫毛。そのすべてが彼を陰鬱に見せていた。手にスプーンを持っておらず、ついでに口元にケチャップをつけていなければ、とても不気味な存在に見えただろう。スプーンとケチャップのせいで、タオは「不気味な男」から一気に「間抜けな男」に転落してしまっていた。

 しかし、不気味だろうと間抜けだろうと、今は贅沢を言っているときではない。近藤は促されるままにタオの向かいの席に座ると、とりあえず店主にホットコーヒーを注文した。タオもカフェラテを追加注文する。

 それぞれに飲み物が運ばれてきてから、近藤は自身に起こった出来事の一部始終を、タオに話して聞かせたのだった。

 話が終わるころには、タオはオムライスを完食し、食後のカフェラテを楽しんでいた。口元のケチャップは、食べ終えたあと、ちゃんと拭ったらしい。

「あんた、聞いてるのか……?」

「聞いていますよ。いくつか質問をしてもいいですか」

「ああ……」

「あなたは手首やら、目玉やらは見なかったんですか?」

「ああ。そいつが出たのは、職員室だったからな」

「白装束だけで、そいつと手首や目玉が一緒に行動することはなかった、と」

「そうだ」

「そいつが刀を持っていたとおっしゃいましたね? それは汚れていたりしませんでしたか?」

 近藤は思い出すように、一瞬、目を泳がせて、

「わからないけど、汚れていなかったと思う……見たのは、ほんの一瞬だけだったし、やばいと思ってすぐ逃げたからな」

「そいつに襲われたのは、それが初めて?」

「初めてだ」

 そこでタオは黙り込んでしまった。カフェラテを飲むわけでもなく、カップを片手に、どこか遠くを見つめている。彼の視線の先には、エセ印象派とでも呼びたくなるような、平凡な風景画が飾られていた。

 タオはその絵を見つめたまま、

「一度、あなたの学校に行ってみる必要がありますね。実際に目で見ないとわからないこともある……明日、行ってもいいですか?」

「ええと、じゃあ、仕事は引き受けてくれるんだよな?」

「ええ、もちろん。来るもの拒まず主義ですから。それで? 明日、大丈夫ですか?」

「も、もちろん。授業中というわけにはいかんだろうが、放課後……午後四時くらいなら」

「では、明日の夕方四時、行くことにしましょうかね」

 タオはカップを傾けると、一気にカフェラテを飲み干した。そして、風景画から近藤に視線を戻す。

「料金についてですが、こちらの言い分を払っていただきますよ。必要経費も含めてね」

「も、もちろん、わかってる」

 今は料金のことでどうこう言っている場合ではない。自分の命が懸かっているのだ。

「よろしい」

 タオは椅子から立ち上がると、テーブルの上の伝票を指さし、

「これも、必要経費です。ごちそうさま」

 と言い残し、颯爽と立ち去ってしまった。

 

   4

 翌日。

 授業を終えて帰宅しようとする生徒たちの流れに逆らいながら、タオは高校の敷地内に足を踏み入れた。近藤を校門のところまで迎えにこさせたので、学校内で迷子になるようなことはない。

「まずは、職員室からですね」

 タオに言われ、近藤は職員室のある方へ足を向ける。学校の校舎は「工」の字の形をしており、横棒の一つが西校舎、もう片方が東校舎と名付けられていた。短い縦棒は、渡り廊下にあたる。職員室は西校舎の一階にあった。

「ここが職員室だ」

 扉の傍に「職員室」と書かれたプラスチックのプレートが掛かっていた。職員室では教師らしい男女が、それぞれ机に向かって何やら忙しそうに事務作業に励んでいる。

「近藤先生、そちらの方は?」

 後ろから声をかけられ振り向くと、一人の男が立っていた。濃紺のスーツに身を包んだ小柄な男。タオも大柄ではないが、目の前の人物は彼よりずっと背が低かった。年齢は五十代後半といったところ。

 彼は怪訝そうにタオのことを見ていた。六月だというのに黒いロングコートを着込んでいるのが奇妙に感じられたのだろう。

「大学時代の友人ですよ。野球部の指導に、ちょっと来てもらっただけです」

 近藤の口調はぞんざいだった。

「はあ、そうですか。それはどうも……私は、この高校の教頭の五十嵐です。……お名前、伺っても」

「田尾道夫です」

 もちろん、偽名である。だが「タオ」という名前は、日本人の本名としては、なかなか受け入れてもらえないだろうし、そのせいで話をややこしいことにしたくはなかった。

「田尾さん、ですか。ああ、では、ご指導の方、よろしくお願いいたします。それから、近藤先生、金曜日にお願いしたお仕事なんですけど……」

「できているわけないでしょう! あんなことがあったんですから!」

 近藤のヒステリックな怒鳴り声に、職員室にいる教師たちの視線がいっせいにタオたちの方に集まった。近藤は気づかなかったようだが、「またか……」「無視、無視……」というような小さな話し声が聞こえてきた。

 それでタオはなんとなく、この高校における近藤の立ち位置を把握することができた。だいたい、初対面のタオに対して(恐らく、齢が近いからというだけの理由で)なれなれしい口の利き方をしてくる時点で、人間性には期待できない男なのだろう、ということは容易に察しがつく。タオにとっては、料金さえ払ってくれれば、相手の人間性などどうでも良いので気にかけなかったが。

 教頭は怒鳴り声にすっかり萎縮してしまったようで、

「そう、ですね。じゃあ、やっぱり私がやっておきます」

 とだけ言うと、タオの横をすり抜け、職員室へ入って行った。彼の背中を目で追うタオ。

「彼ですよね。もう一人の心霊現象の目撃者は」

「ああ」

 教頭は傍にいた若い男の教師になにやら話しかけていた。どうやら棚の上のコピー用紙を取ってくれるよう、頼んでいたらしい。コピー用紙の束を受け取ると、教頭はなんども頭をさげ礼を言っていた。彼は教頭という立場に似合わず、ずいぶん腰の低い人物のようだ。

 タオは彼から視線を逸らすと、

「次は東校舎に行きましょうか」

 

 もうほとんどすべての学生が帰宅したのだろう、校舎には人の気配もなくシンと静まり返っていた。

「やけに静かですが、部活動はどこでやってるんです?」

「ああ、今日から試験一週間前だからな、部活動は野球部を除いて全て停止だ」

「へえ。野球部だけは特別ってことですか」

「試合が近いからな。身体がなまらんようにしないと」

「そういや、さっき野球部の指導に、とか言ってましたよね。ひょっとして、あなたが顧問なんですか」

「そうだ」

 三階に着いたところで、タオは立ち止まり、

「亡霊を見たのは、だいたいどのあたりですか?」

「ここ、階段のすぐそばだよ。上りきってすぐ、停電が起こって、亡霊が出たんだ」

「ですが、その日にこの地域で停電が起こったというような記録は残っていませんでしたよ」

「地域は問題じゃねえんだよ! この学校だ、この学校! 普通の停電じゃなくて、亡霊のせいに決まってんだろう!」

「ごもっとも。忘れ物を取りに行こうとしていた、と言ってましたよね? それは、どの教室に忘れていったものだったんです?」

 三階には三つの教室があった。一番手前が三年一組、その隣が三年二組、一番奥が三年三組の教室らしい。

「三年三組……一番奥の教室だ」

「ちなみに、なにを忘れたんです」

「煙草だよ、煙草。ないと落ち着かないんだ」

 近藤はズボンの尻ポケットから煙草の箱を取り出して見せた。

「いつも、そのポケットに?」

「そうだよ。それがどうかしたのか?」

 近藤は煙草の箱を尻ポケットに戻す。ポケットのサイズは小さく、煙草の箱が半分ほど顔をのぞかせていた。

「いえ……なくなったと気づいたのは、いつ?」

「残業中だ。あの教頭の野郎が、ややこしい書類作成の仕事を押し付けやがって……疲れたから外で一服しようと思ったところで、気づいたんだ」

「なるほどね。三年三組に忘れたというのは、どうしてわかったんです?」

「金曜日の六限目は、三年三組で保健の授業だったんだ。俺は保健体育担当だからな。六限目の前に一服して、そこから直接教室に向かったから、忘れたなら三組だと思ったんだ」

「ちゃんと教室にありましたか?」

「あったよ。教卓のところに置き忘れてた」

 近藤から教室のある方へ視線を移す。教室の前後に扉が一つずつ。どの教室も全く同じ間取りになっているらしい。

 続いて廊下の窓のそばへ近寄り、外を見降ろした。対面にある西校舎も、一階にある職員室以外は人の姿は見られない。

「どうだ、なにかわかったか? その……お祓いって言うのか、そういうの、できそうか?」

「そうですね……」

 タオは近藤の問いかけに振り返ると、言った。

「とりあえず、野球部の練習の方へ行きましょうか」

「は? 野球部がなにか、関係あるのか?」

「それはわかりませんが、私は野球部の指導に来たのでしょう? なら、形だけでも〈指導〉に行かないと」

 そう言うとタオは、さっさと階段をおりて行ってしまった。

 

   5

 掛け声を頼りに運動場へ向かう。野球部員らしい男子生徒たちが、ユニフォーム姿でランニングをしていた。

「おい、お前ら、集まれ!」

 近藤が声を投げかけると、ランニングの途中にも関わらず、彼らはそのまま駆け足で集まって来た。

 その顔に不満の色が浮かんでいるのを見て、この部員たちも顧問を慕っているわけではないらしいことを知る。

 先頭を走っていた男子生徒が一歩前に進み出た。

「先生、そちらの方は?」

「俺の大学時代の友人だ。今日は野球部の指導に来てもらった」

 そのとたん、部員たちの顔に浮かぶネガティブな感情は、ますます色濃いものになった。「近藤の友人」と言うだけで、これだけ嫌がられるとは。

 タオは「田尾道夫です」と軽く頭を下げ、

「では、混ぜてもらいましょうかね。近藤さん、あなたはどうします?」

「……俺は、見てるよ、向こうのほうでな」

 そう言って近藤は、グラウンドの片隅にあるベンチを顎でしゃくった。野球をやるような気分ではない、ということか。

「わかりました」

「あんた、わかってると思うけど、もともと頼んでいたことのほうも、ちゃんとやってくれよ」

「わかっていますよ。少しの間、待っていてください」

 近藤は不満顔のまま、それでも黙って踵を返し、ベンチの方へ歩いていった。タオはその背中を見送ると、部員たちの方へ向き直り、

「それでは、始めましょうか。ええと、責任者のような方は、いらっしゃいますかね」

「僕が部長の竹内ですけど」

 先ほど、タオについて訊ねた部員が言った。彼は値踏みでもするように、切れ長の目でタオを睨み付けてきた。

「そうですか。それでは、とりあえず、いつもの練習風景を見せてください」

「はい」

 竹内は部員たちに向かって、

「キャッチボールから始めるぞ! いつも通りの組み合わせで! ボールは一組一つずつ」

「ハイ!」

 部員たちはそれぞれペアを作ると、ボールとグローブを持って運動場のあちこちに散らばって行った。

「いつも通りの組み合わせ、とは?」

「キャッチボールをするときのペアを、あらかじめ決めてあるんですよ。同じ学年同士で固まってばかりいちゃ、部全体の結束力が弱まってしまいますから。縦の繋がりも大切にしないと」

 竹内はそばに立っている小柄な少年とペアのようだった。少年はまだ一年生なのだろう。ユニフォームも部活動用らしい運動靴も、まだ真新しい。一方、竹内はユニフォームも靴も砂に汚れ、それがまた貫録を感じさせる。

「じゃあ、お二人のキャッチボール、少し見せてもらいますね」

「どうぞ」

 鬱陶しそうな表情を隠そうともしない。初対面なのに、こうも嫌われるとは……「近藤の友人」というステータスは、マイナスにしか働かない随分やっかいな代物らしい。

 竹内のそばに立ち、彼らの間を行き来するボールを見守る。

「今、ちょっとお喋りできますか?」

「構いませんよ」

 竹内は正面の少年を見据えたまま素っ気なく、それでもちゃんと言葉を返してくれた。

「近藤さんについて、少々お訊ねしたいんですけどね」

 タオが野球部の練習を見学したいと言い出したのは、これが目的だった。近藤の前では「指導員と紹介されたのだから、恰好だけでも」と言いはしたが、本当のところ指導員のフリをする気などさらさらなかった。だいたい、野球とサッカーの区別もつかないのに、どうやって野球の指導をしろというのか。

 いわゆる心霊現象は、その現象が起こる場所だけでなく、その現象に遭遇する人間そのものにも原因がある場合がある。

 もちろん、本当に運悪く遭遇してしまっただけ、いわば無差別テロのような心霊現象もあるわけだが、それとは別に遭遇する本人に何らかの理由があるケースというのも数多く存在する。

 その可能性を探るためには、第三者による近藤の人物評は不可欠である。だが、それを正直に言えば、近藤は当然怒るだろう。なぜ、自分に非があるような言われ方をしなければならないのか、と。

 それは面倒くさい。だから、タオは「野球部の指導に来た」という近藤の嘘を利用して、野球部員たちに近づいたのだった。

「近藤さんって、あなた方から見て、どういう人なんでしょう?」

「どうって……。なんです、近藤先生から探りを入れるように言われたんですか? 僕たちがあの人をどう思っているか」

「違いますよ」

 まさか、そんな疑惑を持たれるとは思っていなかった。

「でも、アンタと近藤先生は友達でしょう」

「その設定、どうにかなりませんかね……」

 完全に足かせでしかない。

「ええとですね、友達っちゃ友達ですけど、うーん、何と言いますか、そう、私の妹があの男に惚れこんでしまいましてね。好きだ、結婚したいなんて抜かすんですが、まあ、兄としては心配でして。学生のころから感じの悪い男でね、もう何年も会っていないから、ちょっとはマシになっただろうか、さてどんな仕事ぶりだろうか、ちょっと調べてやろうと思って、指導員を装ってこちらに来た次第です」

 我ながら、なかなかの嘘を吐けたと感心してしまうタオ。一方、竹内の方もタオの言い分を特別怪しいと思った様子はなく、ふうん、と納得したように頷いた。

 リズミカルにボールを受けては投げ返す動作を繰り返しながら、

「妹さん、さっさと違う男と付き合ったほうが良いですよ。あれは、とんでもない屑野郎だから」

「ほう。じゃ、学生時代から変わっていないということかな。具体的にどんな感じなんです? 気に入らないことがあると、すぐ怒鳴るでしょう、彼」

「ええ。授業中でも部活動中でも、虫の居所が悪いとすぐに怒鳴り散らしますよ。特に、運動神経の悪い奴や、動作の遅い奴に対してはね。機嫌が良いときは良いときで、やっぱり出来ない奴や気に入らない奴をいびって楽しんでいますし」

「ふむ。あまり良い教師ではないようですね」

 人間としても良い奴ではないことは、短時間、行動を共にしただけでも嫌というほど分かった事実である。

「ええ、教師としても、人間としてもね。教え方も下手ですし。出来て当然という考え方で授業を進めていくから、ついていけない奴が大勢出て来るんですよ。部活もそうです。アイツが顧問になってから、うちの部はすっかり弱くなっちまった。アイツに辟易して、退部してしまった奴もいるくらいです」

 竹内の声には、隠しきれない憎しみが滲んでいた。

「アイツのせいで、レギュラー陣もガタガタです。部活どころか、学校に来れなくなったヤツもいるんです」

「相当ですね、そりゃあ。あの、近藤が顧問になってからって、彼はまだ、この学校に来てから日は浅いんですか?」

「今年の四月に赴任してきたばかりですよ。前の顧問が定年で退職したのと入れ替わりにね。あの野郎、たった数か月で野球部も学校も滅茶苦茶にしやがった……キャッチボール終了!」

 最後の言葉はグラウンド中に散らばっている部員たちに対して発せられたものだった。

 竹内は近くにいた同学年らしい部員に「少し離れるから、適当にやっていてくれ」と言うと、グローブとボールを置いてどこかへ去ってしまった。

 突然どうしたのだろう、と訝しく思いつつ、ふと、グラウンドの隅にあるベンチの方を見やると、そこで休んでいるはずの近藤の姿が見当たらなかった。

 

   6

 その後、他の部員にも近藤のことを訊ねて回ったが、その内容はおおむね竹内が言っていたことと同じだった。近藤のことを憎んでいそうな人間を割り出したかったのだが、これでは逆に憎んでいない人間を探す方がよほど楽かもしれない。タオとしては、面倒極まりない。憎しみの感情が心霊現象を呼び起こすことはあっても、ポジティブな感情が恐ろしい心霊現象を起こすことなど、ほとんどないのだから。

 キャッチボールを終えた部員たちは、今度はペアにはならず、個人個人でバットを振り回していた。素振り、というらしい。彼らが腕を振るたびに、銀色のバットが空を切って小気味よい音をたてる。

 竹内も二十分ほどで戻って来て、部員たちの指導に当たり始めた。ひとりひとりのフォームを見て、改善点を指摘して回る。

 その姿を眺めながら、タオはふと、ひとつの仮説を思いついた。近藤の話、野球部員たちの話。そして、この学校内で見聞きしたこと。それらのピースを組み合わせていくと、なかなか見栄えの良い仮説が出来上がった。

 これはいけるかもしれない。あとは、この仮説を使ってどう動くか、だが……。

 タオはバットにぶつからないよう注意しながら竹内に駆け寄り、

「竹内さん、ちょっと」

「なんですか」

 竹内はぴたりと足を止めて振り返った。

「近藤さんがこの学校を辞めたら、嬉しいですか? もっと、まともな先生が顧問になってくれたら、なんて思ってます?」

「……そりゃあ、まあね。こっちは真面目に野球やってるんだから」

「野球部の皆さんは、皆、そう思ってるんでしょうか」

「思っていますよ、皆。あれを嫌う生徒は、野球部以外にも大勢いますから」

「じゃ、辞めさせればいいのに……校長あたりに訴えれば、どうにかならないんですか?」

「なりませんでしたよ」

「訴えたんですね」

「とっくにね。でもうちの校長はことなかれ主義ですから。やるだけ無駄でしたよ」

「ほう。じゃあ、どうしようもないわけだ」

 タオは赤い舌をちろりと出して、唇を湿らせた。それは竹内の目には、餌を目の前にして舌なめずりしている蛇のように見えた。

「近藤さんが自ら『辞める』って言ってくれればいいのにね」

「……あの男が言うと思いますか?」

「どうでしょうねえ。けど、こんなところに勤めたくないと思わせる方法は、あるんじゃないですか。例えば、お化け屋敷みたいな学校には、私は絶対勤めたくないなと思いますけど」

 その瞬間、竹内の顔色が変わったのを、タオは見逃さなかった。

「ところで竹内さん。近藤さん、見ませんでした?」

「さあ。見ませんでしたね」

 まったく、どこへ行ってしまったのか。依頼人が行方不明になってしまっては、タオも自由に行動できなくなってしまう。せっかく、仮説も思いついたというのに。

「ちょっと、探してきます」

 そう言うとタオは素振りに励む野球部員たちから離れ、校舎の方へ足を向けた。

 

「あれ、田尾さん、でしたっけ」

 職員室の前で呼び止められて振り向くと、数メートル離れたところに教頭が建っていた。

「どうも。近藤さん、見かけませんでした?」

「近藤先生ですか? いいえ……ご一緒じゃなかったんですか?」

「野球部の練習に参加していたら、いつの間にか姿を消していたんです。職員室にもいらっしゃいませんか?」

「ええ」

 教頭は間髪を入れずに頷いた後、

「ひょっとすると、校舎裏かもしれません」

「校舎裏?」

「はい。近藤先生、よく校舎裏で煙草を喫ってらっしゃるんです。学校内では生徒の目もありますから、やめてほしいと言っているんですが、なかなか聞いてもらえなくて」

「具体的に、どこらへんでしょう?」

「この廊下を突きあたって、右側の緑色の扉から出ていただいて、そこから左に曲がっていただくと、そこが校舎裏です」

 そこが校舎裏です、とは何とも不思議な日本語だったが、それ以外に言い方がなかったのだろう。

「わかりました」

「それじゃあ、私はこれで」

 そう言うと教頭は職員室の中へ姿を消した。そのとき、彼の靴に黒い土のようなものがついているのを、タオは見逃さなかった。

 教頭の態度も少し気になるが、今は近藤を見つけるのが先だ。そう考えたタオは、コートの裾を翻し、誰もいない廊下を突き進んだ。

 

   7

「それで? お前はこんなところで何をしていたんだ」

 職員室前で教頭と別れてから十数分後。タオは校舎裏で一人の若い男と対峙していた。 

 近藤ではない。

 黒のスーツに黒の革靴。どちらも新しいものではないらしく、ややくたびれている。百七十センチのタオより三十センチ近く高い身長にくわえ、つりあがった細い目に五分刈りという風貌が、その男にただならぬ迫力を与えていた。

 男の名は阿久将生。警視庁捜査一課巡査部長というのが彼の肩書だった。

「んー……いちおう、野球部の指導に来たってことになってる」

 タオは面倒がっている様子を隠そうともせず答えた。

「ほう。野球部って、この高校のか?」

「そうだ」

「お前、野球なんてできたのか? いや、やったことなんてあったのか?」

「プレイしたことはないが、野球ドームに素手でよじ登ったことならある。あれは疲れた」

「なにしてるんだよ……」

 阿久は「はあ」と聞こえよがしに大きなため息をついて、

「もういい。それについては、あとで詳しく聞く。とにかく、お前が第一発見者なんだな? この死体の」

〈この死体〉のところで彼は、自分の足元を顎でしゃくった。そこには、一人の男がうつ伏せになって倒れていた。

 後頭部がぱっくりと割れており、そこから鮮血が流れ出ている。出血はほとんど止まっており、血も固まり始めていた。

「そうだ。死体を見つけてすぐ、一一〇番通報した」

「ちょっと見ただけで、よく、すぐに死んでいると判断できましたね、声をかけて確認しようとは思わなかったんですか……と、お前じゃなけりゃ言ってるところなんだがな」

「生きている人間と死んでいる人間じゃ、身体の周辺に漂っている空気が全く違う。わかりやすく言えば、ヒラメとカレイみたいなものだな」

「ふーん……」

 ヒラメもカレイもマグロも魚という点では同じだろうという考えの持ち主である阿久には、タオの話はさっぱりわからなかった。

「この男は近藤隆。ここの学校の教師だ」

 タオが校舎裏にたどり着いたとき、近藤はすでに絶命していた。後頭部から溶岩流よろしく血を流れ出しながら。

 彼の死体を見つけたとき、タオは舌打ちをせずにはいられなかった。おいおい、まだ依頼料を貰っていないぞ、なのに勝手にあの世に逝きやがって、と。

 むしゃくしゃしながらも一一〇番に通報をして、駆け付けたのが警視庁捜査一課の刑事たち。担当になったのが友人の阿久が所属する班だったことは、タオにとって幸いだった。他の刑事たちからすれば、タオは怪しいことこの上ない存在だっただろう。

「知ってるよ、そんなこと。持っていた財布に運転免許証が入ってたし、他の教員たちへも確認済みだ」

「仕事の早いことで」

「お前はこの近藤との面識は?」

「あるよ。仕事の依頼人だ」

「野球を教えてくれってか」

 タオは「あれは学校側に対する建前だ」と肩を竦めた。

「よくある学校の怪談ってやつだよ。学校で亡霊だか幽霊だかに襲われそうになった。怖くてたまらないから、調査してくれって頼まれたんだ」

「楽しそうだな」

「どこがだよ。こっちは依頼料も未払いのまま、あの世に逝かれて大損だ」

 タオの辞書に〈不謹慎〉という言葉は、どうやら載っていないらしい。

「家族か親戚に請求すりゃあ、いいじゃないか」

「無理無理。心霊現象なんてな、本当に体験した人間じゃないと信じようとしないの。他人が体験した心霊現象なんて、面白半分にしか聞こうとしないし、それを本当の出来事だとは思おうともしないんだよ、普通はな。ましてや、本人ではなく、まったく見ず知らずの第三者から、隆さんがオバケに襲われそうになりました、なんて言って信じてもらえるはずがない」

 そう言ってタオはぷい、とそっぽを向いてしまった。阿久はその頭を掴んで、無理やり自分の方を向かせると、

「拗ねるなよ。お前も事件の重要な関係者だかんな。色々と証言してもらわないと。あと、できることなら犯人もパパッと挙げてくれ」

 タオの〈心霊探偵〉としての実力は阿久にはよくわからないが、スタンダードな、推理小説の中に出て来る〈探偵〉としての実力は、阿久自身、これまでに何度も目の当たりにしてきた。タオとの出会いも、とある殺人事件がきっかけだった。

 そのころ阿久はまだ学生だったが、刑事相手に推理を披露するタオの姿を見て、世の中にはマンガみたいな人間も存在するんだな、と感心したものである。

「私は刑事じゃないぞ。犯人を捕まえるのは刑事の仕事だろうが」

「でも、お前、そういうの得意だろう。こっちは手っ取り早く、犯人を見つけたいんだよ」

 タオの顔には不満の色がありありと浮かんでいた。

 阿久はスーツの内ポケットから手帳とボールペンを取り出して、

「とりあえず、時系列に沿ってまとめていくか。この学校に到着してからのことを、順番に話してくれ」

「お前、私にばかり構っていて、大丈夫なのか」

「大丈夫。刑事は俺ひとりじゃない」

 死体の周りだけでも、十人近くの警察関係者が各々手に道具を持って忙しそうに動き回っていた。校舎の中では、他の刑事たちが当時学校内にいた人間を、順番に取り調べているはずだ。

「さあ、話せ」

 手で軽く促すと、タオは気だるげに証言を始めた。

「午後四時過ぎ、この高校に来た。もちろん、依頼された件の調査のためだ。近藤には、校門のところまで迎えに来てもらった。二人で、現象が起こったという二つの場所、職員室と東校舎を見て回った後、野球部の練習を見学しにグラウンドに向かった。他の教師には、私は野球部の指導に来たと説明していたから、ちょっとくらい顔を出さないとかっこうがつかないからな。それに、近藤の人となりを身近な人間から聞くという目的もあった」

「その身近な人間っていうのが、野球部の生徒たちだったのか?」

「ああ、そうだよ。他の生徒は試験一週間前だとかで、部活もせずにさっさと帰ってしまったから学校にいなかったし、ほかの教師たちも仕事で忙しそうだったからな。野球部員たちが、一番手っ取り早いと思ったんだ」

「聞けたのか?」

「ああ、それなりにね。私が野球部の練習を見学すると言ったら、近藤は自分は休んでいることにする、と言ってグラウンドの隅にあるベンチに座ってしまった。そっちのほうが、部員たちと話はしやすかったから、ありがたかったんだけどな。とにかく、近藤が離れたところにいる隙に、私は部員たち、主に部長の竹内って子から色々と話を聞いた」

「どうだった?」

「あまり良い感触じゃなかったな。はっきり言ってしまえば、近藤は嫌われ者のようだった」

「そうか」

 阿久はちらりと校舎の方を見た。そちらの方では竹内をはじめとする野球部員たちが、まだ取り調べを受けている最中のはずだ。

「それで、ふっとベンチの方を見ると、近藤の姿が見えなかった。そのときはトイレかと思って、さほど気に留めなかったんだが、なかなか戻ってこないから、探すことにした。そして、ここに来て、この死体を見つけたってわけだ」

「ここへ来る途中、怪しい奴とかは見なかったか? 服が血で汚れてる奴とか。かなりの出血量だからな。返り血を浴びている可能性もある」

「いや、返り血で汚れているような奴はいなかったな。職員室で教頭と話した後は、誰にも会わなかった。……死体を見る限り、死後間もないんだろう? そもそも、近藤が私の前から姿を消してから、一時間と経っていない」

 会話が途切れたので、タオは視線を死体の方へ移した。

「おい、死体のそばになんか重たそうなのが転がっていたはずだが、あれはどこへやった?」

「重たそうなの……? ひょっとして、鉄アレイのことか?」

 近藤の死体のそばには、血で汚れた鉄アレイが転がっていた。教職員たちの証言から、それが近藤の私物であることは確認済みである。

「ほう、あれは鉄アレイというのか。黒々としていて、妙に重たそうな代物だとは思ったが」

 妙に感心したような声を出すタオ。

「別に珍しいものでもないだろ。鑑識が持って行ったよ。証拠品として、どこかにまとめてあるはずだ」

「そうか。あとでじっくり見せて貰おうかな」

 そう言うとタオは死体の傍にかがみこみ、腕を持ち上げたり、傷口を様子を確かめたりし始めた。

「おい、ベタベタ触るなよ」

「大丈夫。手袋なら、ちゃんとしている」

 見ると、タオの手にはいつの間にか、白い絹の手袋がはめられていた。

「そういう意味じゃないんだけどな……」

「いいじゃないか、ちょっとぐらい……おい、これ、死体の下敷きになってたぞ」

 タオが死体の下から引っ張り出したのは、藍色の男性もののハンカチだった。

「A.Iって書いてある……たぶん、名まえのイニシャルだな。近藤のものじゃない」

 それからタオはぽつりと、こう付け足した。

「この持ち主が犯人ではないだろうが、な」

 

   8

「ああ、私のです」

 例のハンカチの持ち主は、予想以上にはやく見つかった。

 教頭の五十嵐明。イニシャルは「A.I」となるので、ハンカチに書かれていたものと一致する。

 事件当時、校内にいたとされる人たち、つまり残って仕事をしていた教職員たちと野球部員たちは全員、西校舎一階の空き教室に集められていた。そこを待機室にして、隣にある進路指導室を取調室として使っていたのだ。

 一通り取り調べも終わったところで、タオは彼らの前にハンカチを掲げ、誰のものか知らないか訊ねた。死体の下敷きになっていたことは伏せて、だ。そうして名乗り出たのが、教頭の五十嵐だった。

「探していたんです……どこにあったんですか?」

「死体の下、ですよ。ダジャレではなく」

 にこりともせずに言うタオ。阿久はちっとも面白くないと思ったが、なにも言わなかった。今はそれより、五十嵐の反応の方が気になった。

 五十嵐は目を二、三度、瞬かせたあと、

「どうして、そんなところにあったんでしょう?」

「あなたは、ご存じないのですか?」

「ええ……どうしてそんなところにあったんでしょうか?」

 タオに答えを求めているような口調だった。というよりも、求めている答えがあるかのように、阿久には聞こえた。

 タオはきゅう、と口角をあげて微笑むと、

「順番に説明していきましょう」

 歌うようにリズミカルに、彼は言葉を続ける。

「この事件の、全てをね」

 今や、室内にいるすべての人間の目が、タオに向けられていた。何十組もの目にはそれぞれ、不安だったり、敵意だったり、不信感だったりが浮かんでいる。

「あなた、刑事だったんですか?」

 もっともな質問を発したのは、窓際の席に座っている少年だった。あとで聞けば、彼が野球部の部長なのだという。彼の真新しいブルーの運動靴を見て、阿久はそういえば最後に靴を買い換えたのはいつだっけ、なんてどうでもいいことを考えてしまう。そういや、近所の靴屋がセール中だっけ、買いに行かなくちゃあ、でも面倒だなあ……。

「まあ、そんなものでしょう」

 全く〈そんなもの〉ではないのだが、阿久は何も言わなかった。幸い、この場には刑事は阿久一人しかいない。タオの言葉を疑う者は、誰もいないようだった。

「それでは、話を始めましょう。今回の事件、犯人を仮にXと呼ぶことにしますが、このXが何者かを知るにはどうすればいいか。簡単です。Xとなりうる条件を挙げ、それらすべてに当てはまる人間が犯人、逆に言えば、ひとつでも当てはまらなければ、その者から容疑者リストから削除していき、残った者が犯人です。

 まず、一つ目の条件。近藤さんが私の前から姿を消しただいたいの時刻、午後四時半以降に学校内にいた人物。当然ですね。そうでないと、近藤さんを殺すことは出来ませんから」

 タオは誰の返事も待たず、話を進めていく。

「二つ目。近藤さんを殺すだけの力量のある人物」

「それは条件と言えるのか? 手で絞殺したわけじゃあるまいし、殴り殺すだけなら、ある程度力があれば誰だって出来るんじゃないか?」

 阿久の言葉に室内にいる二、三人が「確かに」と声をあげた。しかし、タオは薄っすらと笑みを浮かべたまま、

「それがあるんだよ。場合によっちゃ、一番重要な条件と言ってもいいくらいだ」

 それ以上の説明はなかった。

「三つ目。あそこに足を踏み入れたことがあること。現場には引きずったようなあとはなかったし、死体にも特別あやしい点はなかった。つまり、あそこで殺されたということになります。よって、犯人もあそこに足を踏み入れなければならない」

 

以上。これはなんとなくオチは思い出せそうだけど、書かない。

チャゲアスのエピソードをもとにした小ネタをいれていたりして、痛い。

若いね。

 

……今日のミス、引きずりそう。これ、あとからダメージが来るパターンだもん。

今夜ぐらいが一番、落ち込んでいそう。

できればしばらくバイトしたくないんだけど。

なにもしたくない。