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〈ポイ〉その3

創作の思い出

またしても書きかけ。

鳳凰は名探偵たちの夢をみる

 

0.Have a nice dream

 彼は、夢をみるのが好きだった。

 夜、ベッドに潜り込んで目を瞑れば、それだけで現実ではない違う世界へ行くことができる。なりたい自分になることができる。

 だから、彼は朝、目が覚める瞬間が一番嫌いだった。目を開けた途端、それまで確かに存在していた〈世界〉は簡単に消え去ってしまう。まるで、淹れたての紅茶の底に沈んだ角砂糖のように、簡単に崩れ去ってしまう。

――なんだ、夢か。

 そう何度つぶやいたことだろう。

 夢が現実なら……夢の中の自分が本当の自分なら、どんなに良かったことだろう。夢の中での自分は、聡明できらきらと輝いていて何者にも臆することはなかった。……それに比べて現実の自分は……。

――夢が現実になればいいのに。

 そう、何度願ったことか。

 しかし、それも幼い頃だけのこと。

 大人になり、五十の峠もとうに越えてしまった彼は、もうそんなことは考えなくなった。

 そのかわり、こんなことを考えるようになった。

――起きたまま、夢をみればいいんだ。

 

 そうすれば、目が覚めることは一生ない。夢の終わりは全ての終わりだ。すべてが終われば、夢のあとの世界を生きなくても済む。目が覚めてがっかりすることなく、〈夢の中の自分〉のままでいることができる。

 そのためにもまず、夢を見始めないといけない。そして、そのためには――……

「現実を夢にしようと思うんだ」

 彼、こと鳳凰がそんなことを口走ったのは、十月上旬のある日のこと。夏の香りはすっかり消え失せ、秋風の中には冬の気配が早くも漂っていた。

 鳳凰は書斎の椅子に腰かけ、窓の外を眺めていた。手には、淹れたてのミルクティーの入ったカップ。甘い香りが、絶えず鼻をくすぐってくるのが心地よかった。

 鳳凰は、年齢はつい先日、五十九歳になったばかり。齢のせいか身体や顔の輪郭はやや丸みを帯びているが、二重瞼のどこか眠たげな目は好奇心旺盛な幼子のように無邪気な光を帯びていた。黒々とした髪は頭部をまんべんなく覆い、彼が動くたびに、ふわりふわりと軽く揺れた。黒いシャツに黒いスラックスといういでたちなので、背後から見れば影法師のように見えたかもしれない。

 夕暮れ時。窓の外の世界は、朱色の海にとっぷり沈んでしまっている。

「なにか、良い夢でも見られたのですか?」

 鳳凰の背後に、書斎机を挟んで立っている男が訊ねた。声は合成音のように単調で感情のこもっていない、しかし聞き取りやすいものだった。

 年齢は鳳凰と変わらないぐらいだろう。だが、その立ち姿はまるで研ぎ澄まされた刀のように真っ直ぐで、年齢を感じさせなかった。いくらか白いものが混じった髪を、後ろになでつけている。着ているスーツには、皺の一つも見当たらない。

 喋る時にも口以外はピクリとも動かさないため、その男はスーツと一体化したマネキンのようにも見えた。

 鳳凰は窓の外に顔を向けたまま、「うん?」と首を傾げる。

「いいや、ここ最近は、特別良い夢はみていないよ。言ってみれば、夜の夢は全て〈良い夢〉だからね」

 そう言って「クツクツ」と喉を鳴らした。機嫌の良いときの鳳凰の癖だ。機嫌の良いときに喉を鳴らすのは、遺伝なのだろうか、と男はふと思った。その疑問は、口には出さなかったが。

「玄野くん、きみ、なにか勘違いしているだろう?」

「勘違い、ですか」

「そうさ。ひょっとして、僕が『夢を現実にする』と言っている、……と思っているんじゃないのかい」

「違うのですか」

「違うよ。『現実を夢にする』んだ。ところで玄野くん、その堅苦しい話し方、どうにかならない? もっとこう、砕けていこう、ね?」

 なぜか、玄野の顔色を窺うようにしながら提案する鳳凰。それに対し、玄野は表情ひとつ変えず、

「私は、貴方様の秘書ですので。砕けた態度になるわけには参りません」

「でも、それ以前に友達だと思わないかい」

「思いませんね」

「そこは、気のひとつでも利かせてさ、『思うよ』って言ってくれても良くないかな……。リップサービスってのも、必要だと思うなあ」

リップサービスで『友達です』なんて言われて、鳳凰は嬉しいですか?」

「……嬉しくない……かも……」

 鳳凰はカップをわざわざ書斎机の上に置くと、椅子の上で丸まるように体育座りをしてみせた。

「なんだい、もうちょっと優しくたっていいのに……まあ、気持ちもわかるけど……僕はまだ、ちゃんとした〈鳳凰〉ではないし……」

 その言葉に玄野はぴくりと眉を動かした。しかし、顔全体の表情は変わらない。

「……あなたは、鳳凰ですよ」

 一瞬、躊躇いがあった。

「ありがとう」

 けどね。鳳凰は体育座りのまま、話し続ける。その声には、拗ねた子供のようなところがあった。

「僕はまだ、途中だ……僕は、完全な鳳凰になるために、夢をみなくちゃいけない。そのために、〈四(し)神(じん)祭(さい)〉を開こうと思うんだ」

「え?」

 今度は玄野の顔に、あからさまな動揺の色が表れていた。声も少し上ずっている。

「別に変なことじゃないだろう。次は〈鳳凰〉の番だっていうのは、わかっていたんだから。それこそ、三十年前に既に分かっていたんだから。〈四神祭〉なら、現実を夢にすることができる。〈四神祭〉じゃないとダメなんだ」

 鳳凰は椅子から立ち上がると、浮かれたように話し続けた。そのとき、左耳につけた小さな青色のピアスが、夕陽を受けてきらりと光った。ピアスの青い光を見て玄野は、まぶしそうに目を細めた。……たまに、目の前の男が誰なのか、わからなくなる。蜃気楼かなにかと話しているような、あるいは夢の中で知り合いと話しているような、ふわふわとした感覚に襲われる。

「それでは、日取りはいつ……」

「来月の連休にしようと思ってる。ほら、あるだろ、三日間連続で休みのところが。別に三日間とも行うつもりはないけどね。余裕があった方が良いだろうし。他の〈四神〉に連絡を取ってくれるかい」

「かしこまりました」

「会場はここ。僕の家だ。玄野くん、お迎えを頼んでもいいかい? 駅からは離れていて不便だからね」

「はい」

 鳳凰は満足気に頷くと、書斎机の隣に視線を落とした。

 そこには古びた木の椅子があり、大きなクマのぬいぐるみが座らされていた。高さは一メートルほどあるだろうか。クリーム色のクマと視線が合うように屈みこむと、鳳凰はその鼻先に軽く唇を当てた。

「今夜は良い夢が見れそうだよ」

 

1.応龍

「〈シジンサン〉や、椿、〈シジンサン〉へ行け!」

 二年ぶりにかかってきた電話の第一声がこれだったものだから、僕は最初、ついにウチのジイサンにも呆けが来たか、と思ってしまったものだ。

 さあ、困ったぞ、よりによって僕のスマートフォンにかけてくるなんてなあ、あれ、僕、ジイチャンにスマートフォンの番号、教えてたっけ……いや、それはさておき、どう対応したものかな……などと下宿の部屋の布団の上で胡坐をかいて考えていたら。

「椿! 聞いとるンか!」

 耳をつんざくような第二声。僕はスマートフォンを耳から少し離しつつ、ジイチャンにも良く聞こえるよう大きな声で言葉を返す。

「聞いてるよ! 突然どうしたの、ジイチャン。僕の電話番号、教えたっけ」

「お前のお母さんから教えて貰ったんや」

 生まれたときから京都に住んでいるジイチャンは、いつもどぎつい関西弁で喋る。京都弁(京ことば、と言ったほうが良いのか)というより、大阪のしゃべくり漫才みたいだ。僕は東京生まれの東京育ちなので、関西弁は一切喋れない。ちなみに、今は東京の大学に、下宿しながら通っている。僕の大学入学と同時に、両親は仕事の都合で広島に引っ越してしまったので実家から通うわけにはいかなくなったのだ。

「どうしたの、急に。〈シジンサン〉とか……ポエマーのこと?」

「〈シジンサイ〉や! お前が言うんとるんは〈詩人〉やろう! この、どあほ!」

 一文字一文字区切るようにして喚くジイチャン。……シジンサイ、って何だ? さっきから、意味不明なことしか口走っていない。バアチャンが十年前に亡くなってから、ちょっとは意気消沈しつつ、それでも一人で元気に暮らしていると思っていたけど……今年で八十七歳。こうなるのは時間の問題だっただろう。

「ええと、ジイチャン、とりあえず落ち着いてよ。その……外に出ないでね、言いにくいけど、ジイチャン、認知症っぽいから」

「誰が認知症や! 生意気言いよって!」

 それまでも十分に大きかった声のボリュームが、一段階アップした。スピーカーモードにもしていないのに、床に置いていてもジイチャンの声がはっきりと聞こえてくる。隣近所の迷惑にならなければいいけど。

「いや、だからさ……」

「話を聞かんかい、お前は!」

 それはこっちのセリフだ。

 しかし、言い争って勝てる相手ではない。僕はおとなしく、ジイチャンの話を聞くことにした。

「ええか、〈シジンサイ〉や。四つの神様の祭りで〈四神祭〉」

「はぁ」

「なんや、その間の抜けた返事は……椿には話したこと、あらへんかったか?」

「ないよ」

 少なくとも、記憶の限りでは、ない。ジイチャンの話は、いつも精神を強くするためにはどうしたらいい、だとか、家を守るにはどうしたらいい、みたいな古臭くて面白くないモノばかりだから無意識のうちに記憶から消去してしまっただけかもしれないけど、それを言うと話がややこしくなるので黙っておく。

 ジイチャンが「ふん!」と鼻を鳴らすのが電話越しに聞こえた。

「お前のお母さんには話したんやけどな。まぁ、ええ。最初から全部、説明した方が良さそうやな」

「それ、長い?」

「なんや、嫌なんか」

「……ううん、嫌じゃない」

 嫌だと言ったって、ジイチャンは無理やりにでも話を聞かそうとするだろう。

 今日は日曜日。授業があると言っても通用しない。バイトもないし……そもそも「授業がある」「バイトがある」と言ったところで、「そうか」と納得してくれる相手とは思えないし。

 今日は一日、ダラダラとしていようと思ったんだけどなあ……時計を見ると正午を回っている。どれくらいかかる話なんだろう……。

「ええか、〈四神祭〉っていうンは、うちとあと三つの家が一緒になって、昔から続けて来たお祭りのことや。〈四神祭〉では、四つの家それぞれの代表が〈四神〉の名を名乗って知恵比べをする。うちは〈応(おう)龍(りゅう)〉を名乗ってる。ちなみに、ほかは〈麒麟(きりん)〉〈霊(れい)亀(き)〉〈鳳凰〉」

 言っている単語の意味がちんぷんかんぷんだったので、僕は「ふんふん」と適当に相槌を打ちながら、小型のノートパソコンを引き寄せた。スリープモードだったのを解除して、「四神」をインターネット検索。そこでやっと〈応龍〉や〈麒麟〉の漢字を知ることが出来た。〈霊亀〉なんて変な亀もいるものだ。

「〈四神祭〉は互いに問題を出し合って、知恵比べをする。一人が問題を出し、他の三人がそれを当てるんや。言うとくけどな、簡単なナゾナゾちゃうで。ちゃんとした〈謎〉や。今風に言うとあれか、ミステリってやつか。論理的に推理することが求められるわけやな。

 昔は、月に一回は欠かさず〈四神祭〉をやっていたモンや。持ち回りで出題者を担ってな」

「最近は、やってなかったの?」

「もう三十年くらい、やっとらんかったのとちゃうかな。〈鳳凰〉のやつが、ぱったり連絡してこんくなったんや。次の担当は鳳凰やて、本人もわかっとったハズやのに……」

「順番、飛ばせばよかったんじゃないの。問題が思いつかなかったのかもよ」

「あかんのや、それは。順番はキチッと守らなあかん。それが、〈四神祭〉の取り決めやからな」

 四神だの鳳凰だの、やけに立派な言葉を使っているけど、結局のところクイズ大会みたいなものじゃないか。たかだか、知恵比べのお遊びに、そんなに真剣にならなくたって……と、その時の僕はこう考えていたのだった。もちろん、口に出せば百倍になって返ってくるのは火を見るより明らかだったので「ふうん」と相槌を打つにとどめておいたけど。

「ということは、三十年ぶりに、その鳳凰さんから連絡があったの?」

「そうや。まぁ、厳密には鳳凰の秘書からやったけど。ついさっき、ウチに電話が掛かって来てな。来月の連休、〈四神祭〉をやるから来てくれ、と」

「良かったじゃない」

「なんや、他人事みたいな言い方しおって。三十年ぶりに〈四神祭〉があるんやから、当然、うちからも代表者を出さなアカン。せやから、椿、行ってこい」

「え、どこに」

「話、聞いとったんか、お前は! 〈四神祭〉に決まっとるやろ、お前が〈応龍〉として〈四神祭〉に出るんや」

 これには面食らってしまった。いくらなんでも、滅茶苦茶すぎる。そもそも〈四神祭〉だって、今聞いた話だけでは完全には理解できていないし、ジイチャンの妄言である可能性だってゼロではないのだ。

「来月の連休は、予定ないやろ。十一月二十一日から二十三日」

「ないけど」

 つい、本当の事を言ってしまった。

「なら、行け」

「ええ……」

 分かった、なんて一言も言っていないのに、むしろ抗議の声をあげたつもりだったのに、ジイチャンは勝手に僕が行くものと決めつけているらしかった。電話を掛けてくる前から、僕の都合なんてこれっぽっちも考えてはいなかったのだろう。

「二十一日の午前十一時にJRのC駅前で集合やそうや。秘書が車で迎えに行く言うとったわ。C駅、分かるやろ?」

「分かるけど……」

 そもそも、参加すると言っていない、と反論するより前にジイチャンは、

「ほなら、頼むで。うちの名誉が掛かっとるんや。頑張りいよ」

 と言いたいだけ言って、電話を切ってしまった。ツーツーツー、とむなしい音だけが残される。

 僕は呆然としている暇もなく、スマートフォンに内蔵されている電話帳を開いた。そこから、実家の――両親が住んでいる家の固定電話の番号を呼び出す。幸い、数回コールしただけで受話器を取ってもらえた。

「もしもし?」

 電話越しに母さんの声。

「あ、もしもし。椿だけど」

「おじいちゃんから、電話あった?」

「ああ、うん。よくわかったね」

「ちょっと前に、こっちにも連絡あったのよ。〈四神祭〉が云々、とか言って。椿に参加させるって、言いたいだけ言って切れちゃったのよね」

 なるほど、それなら話が早い。

「どうしたら良いと思う? 参加した方が良いのかなあ。いまいち、意味わからないんだけど」

「参加してちょうだい」

 即答だった。ちょっとは「行かなくたっていいわよ」って言葉を期待していたのに。

 母さんは弁明するように言葉を続ける。

「おじいちゃん、どうもその〈四神祭〉に並々ならぬ思い入れがあるみたいなのよね。昔から、自分の家系に誇りを持ってるみたいで、ことあるごとに『家の恥になることはするな』とか言っていたし……〈四神祭〉は家の誇りを守る大事な行事なんだって、昔からうるさくってね」

 ジイチャンらしい古臭いカビの生えたような考え方だ。動く古典籍資料じゃないんだから……。そんなナゾナゾ大会みたいなお祭りに今更、燃えなくたって……その、〈鳳凰〉って人も何十年も音信不通だったって言うけど、それくらい〈四神祭〉に対してのやる気が起きなかったってことじゃないだろうか。

「とにかく、〈四神祭〉の連絡が来たって、おじいちゃん、大喜びだったんだから。これで椿が行かないってなったら、がっくりしちゃう」

「それに行くの、別に僕じゃなくてもいいじゃん。それこそ、ジイチャンが行けば……」

 そうだ、そんなに〈四神祭〉が嬉しいんだったら、自分で行けばいいじゃないか。そう思ったのだけど、母さんは「そうね」とは言ってくれなかった。

「だめだめ。おじいちゃんだって、もういい歳なんだから、あまり無理しないようにしてもらわないと。それに、おじいちゃんによると、こういうのは家の跡継ぎが行かなくちゃいけないんだって。椿しかいないって」

 確かに、僕は一人っ子だし、親戚も高校生の女の子がひとりいるきりだけど……だからって僕に押し付けなくたっていいじゃないか。

「前々から思ってたけどジイチャンさ、考え方、古くない? 何十年もやっていなかったようなモノでしょ。わざわざ参加する必要性、ないと思うなあ」

「そんなこと言わないの。そうだ、行ってくれたら三万円あげる」

「本当!?」

 我ながらゲンキンなもので、〈三万円〉という単語につい食いついてしまった。

「本当。どう、行ってくれる?」

「……うん、それなら行ってもいいかな……」

 日給三万円の仕事……悪くない。いや、それどこか、こんな割のいいバイト、普通の情報サイトじゃ見つけられない。

「交通費は含まずだよね? 集合場所のC駅までの」

「はいはい。じゃあ、バイト代は振り込んでおくから絶対に行ってちょうだいよ」

「わかった」

 家の誇りのために一日潰すのは正直気が進まないけど、一日潰すだけで三万円も貰えるのなら進んで参加しようじゃないか。それに、ジイチャンの話を聞く限り、肉体労働ではなさそうだし。問題の出し合いっこなら、座ったままで出来る。今回の出題者は〈鳳凰〉とやららしいから、僕は問題を出す必要はないし……考えれば考えるほど、良いバイトのように思えてきた。

「それにしても、僕、これまで〈四神祭〉なんて聞いたこともなかったから、ジイチャンがついに認知症になっちゃったのかと思ったよ」

 すると母さんは可笑しそうにカラカラ笑って、

「そんなわけないじゃない。おじいちゃん、頭だけはしっかりしてるんだもん」

 じゃあ、よろしく頼んだわよ、と念押しして母さんは電話を切った。

 三万円……何を買おうか……美味いものでも食べに行こうかしらん……僕はこれから振り込まれるであろう三万円の使い道を考えて、貴重な休日をすごしたのだった。

〈四神祭〉のことは……これっぽっちも、頭の中には残っちゃいなかった。

 

 

2.鳳凰邸

 十一月二十一日。午前十時五十五分。

 僕は約束通りC駅に来ていた。

 改札は一か所、自動改札機が二つ設置してあるだけの小さな駅。駅自体とても小さいうえ、出入り口も一つしかなかったので、どこで待てばいいのだろうと迷うようなことはなかった。

 駅前には、僕とあと二人、それに鳩が一羽。一人は男の子で、もう一人は女の人だった。鳩が雄か雌かは知らない。

 男の子は僕より明らかに年下だった。中学生か高校生くらい。とても小柄で小学生でも通用しそうだった。何を考えているのか、駅の柱の周りをただひたすらぐるぐると回っている。話しかけようとは思えない。

 もう一人の女性も、男の子とは違った意味で話しかけにくかった。女の人は僕より恐らく年上。真っ赤なコートにジーンズ姿で、駅前に仁王立ちしている。背が高く、長い髪を風にたなびかせていて、その立ち姿は迫力がある。なんというか、強そう。迂闊に話しかけたら、痛い目にあいそうだ。

 鳩は……地面を規則正しいリズムで突き続けている。話しかけたら……ほかの二人に奇異の目で見られそうなので、話しかけない。

 鳩はともかく、この二人も〈四神祭〉へ行くのだろうか。ジイチャンの話に出て来た〈麒麟〉とかナントカの人たち? それとも、ひょっとしてお迎えに来てくれた人? 聞いてみた方が良いのかもしれないけど、やっぱり話しかけづらいしなあ……ていうか、〈応龍〉と、あとなんだっけ……〈麒麟〉がいたのは覚えてるけど……〈キリンビール〉の〈麒麟〉だなって思ったから……あと、なんだっけ……などと、記憶の糸を手繰りながら考え込んでいると。

 一台の黒い車が、駅前に滑り込んできた。ぴたりと止まったかと思うと、中から一人の男の人が姿を現した。

 車が黒なら、運転手の服も黒。真っ黒いスーツに身を包んだ、六十歳くらいの男の人だった。背はかなり高い。男の人は、見下ろすようにして僕と後の二人とを見、(鳩には目もくれなかった)

「〈応龍〉の龍美様、〈麒麟〉の麒麟寺様、〈霊亀〉の亀井様で間違いないでしょうか」

 一番に反応したのは、柱の周りをまわっていた男の子だった。回るのを急にやめたかと思うと、左手をぴんと頭の上に挙げて、

「ゼロは、〈麒麟〉ですよ!」

「〈麒麟〉の麒麟寺様ですね」

 わかった、という風に頷く男の人。

 続いて女の人が、

「〈霊亀〉の亀井芽衣です」

 男の人はまた頷くと、僕の方へ視線を移した。亀井、と名乗った女性もこちらを見てきている。本人には、そのつもりはないのかもしれないけど、目つきが鋭く睨まれているようで怖かった。

「〈応龍〉の龍美椿です」

「それでは、全員お揃いのようですね。私、〈鳳凰〉の秘書の緑野と申します。今から、〈四神祭〉の会場となる鳳凰の邸宅までお連れいたします。どうぞ、お乗りください。おひとりは助手席へ、お願いできますか」

「私が乗るわ」

 亀井は言うや否や、さっさと車の助手席へ乗り込んでしまった。その口調には、関西弁のイントネーションが感じられた。

「では、おふたりは後ろへ」

 緑野に言われるまま、僕と麒麟寺は後部座席に乗り込む。

「シートベルトを締めてくださいね」

「はぁい」

 良い返事をしながら、何故か僕のシートベルトに手を伸ばしてくる麒麟寺。僕は彼の手からシートベルトを奪い返すと、

「自分のを締めろよ」

「自分の? 僕用のシートベルトがあるんですか? 僕はこの車、初めて乗ったんですけど……」

 不思議そうに首を傾げて見せる。小柄で華奢なうえ顔だちも幼いので、そのしぐさ自体はとても可愛らしいのだけど、ちょっと腹立たしい。揚げ足をとられて、嫌な気分にならないわけがない。

「専用のシートベルトじゃないよ。そっち側にもシートベルトはあるだろ。ほら……お前、自分の尻の下に敷いちゃってるんだよ。腰を浮かせよ、取れないだろ」

「へぇ……?」

 こちらの言っていることを、なかなか理解しようとしないので、僕が締めてやるはめになってしまった。無事、麒麟寺のシートベルトが嵌ったところで、車がゆっくりと動き出した。どうやら、シートベルトを締めるのを待っていたらしい。

「ねえねえ」

 麒麟寺は落ち着かない様子で僕の肩を突いてくると、

「ゼロは、〈四神祭〉、楽しみなんですけど、応龍さんはどうですか」

 応龍さん、というのが僕の事を指していると気づくのに数秒かかった。

「いや……別に、そんなに楽しみじゃないかな」

 三万円のために来たようなものだし。

「そうですか。ゼロは、すごく楽しみですよ。モロミツと一緒に、毎日、〈四神祭〉のことばっかり考えてました」

 そう言うと、彼は背負っていたリュックサックから丸いペンギンのぬいぐるみを取り出した。大きさは縦横どちらも三十センチくらい。少々平べったいのでぬいぐるみというよりは、クッションに近い。

「それがモロミツ?」

「可愛いでしょ。名前は、小説に出て来るお侍さんから取ったんです」

「はぁ……」

 ぬいぐるみと〈お友達ごっこ〉をするには、麒麟寺はもう大きすぎる気がする。

麒麟寺くん、何歳?」

「十五歳ですよ」

「まだ、ぬいぐるみで遊んでるの?」

「そうですよ?」

 気を悪くした様子はなかった。無邪気に、ただ僕の言葉を肯定しただけのようだ。

「鳳凰さんは、どんな人なんでしょうね?」

「さあ……」

 首をかしげることしかできない。

「ゼロ、すごくワクワクします」

「……ところでさ、名前、ゼロっていうの?」

 緑野は彼のことを〈麒麟寺様〉と呼んでいるのに、彼自身は〈ゼロ〉と自称している。フルネームは〈麒麟寺ゼロ〉だったりするのかしらん、と思っていたら。

「ゼロの名前、長ったらしいから言うの面倒くさいです」

「そんなに長いの?」

「はい。寿限無ほどじゃないですけど」

寿限無ほどじゃないんなら、言ってみてよ」

 よほど名乗るのが面倒なのか、麒麟寺は渋るように「うぇ」と変な声を出したものの、言った方が早いと判断したのだろう。

「……麒麟寺(きりんじ)零(ぜろ)次郎(じろう)」

「へぇ……」

 見た目に似合わない厳めしい名前だ……と思いはしたけど、さすがに口には出さなかった。もしかすると、そのギャップを気にして言うのを渋った可能性もある。

 ふと、窓の外を見やると車はいつの間にか山道に入っていた。木が覆い茂り、自分たちが一体どこを走っているのか、皆目見当もつかない。道も整備されていないらしく、身体に不規則な振動が伝わってくる。皮膚越しに内臓をひっかきまわされているようで、気持ちのいいものではなかった。麒麟寺は振動が面白いのか、きゃっきゃと歓声をあげて喜んでいたけど。

〈目的地〉に到着したのは、山道をさらに数分走った後のことだった。

 それまで鬱蒼とした木々しか見えなかったのが、パッと視界が開けると同時に一軒の大きな洋館が姿を現した。

「さあ、着きましたよ」

 緑野に促されて車を降りる。

「うわ、すごい……」

 そんな言葉が思わず口からこぼれた。

 くすんだ色の赤いレンガ。黒い屋根。二階建てで二階部分の窓は四つ。等間隔に並んでいた。軒先には小さなランプがぶら下がっている。夕方になったら点けられるのだろう。

 しかし、僕の目を一番ひいたのはレンガでも、ランプでも、また館の持つ独特の厳かな雰囲気でもなかった。

 赤レンガと調和するどころか、コントラストにすらなっていない白い扉は引き戸だった。普通は重厚なこげ茶色の――木製の開き戸が一般的じゃないのか。それに玄関の扉と地面をつないでいるのは階段ではなくスロープ。

「鳳凰は、とってもおじいちゃんなんでしょうか」

 いつの間にか背後に立っていた麒麟寺が言う。さっきのペンギンのぬいぐるみはリュックサックに仕舞ったらしい。「とってもおじいちゃん」なんて言い方は変じゃないかと思ったけど、何も言わなかった。

「どうして?」

「皆さん、どうぞ、こちらへ」

 見ると、いつのまにやら緑野が玄関の扉を開けて立っていた。亀井は大股に館の中へ入っていく。

 麒麟寺は説明したげだったけど、緑野を待たせるわけにもいかない。それに、僕自身、なんとなく察しはついているので「あとで聞いてあげるから」と麒麟寺の腕を引っ張って館の中へと急いだ。

 館へ足を踏み入れた瞬間、まるで僕たちの背中を押すかのように一陣の風が吹き抜けた。

 

3.四神祭

 僕たちが通されたのは食堂だった。

 長方形のテーブルに椅子が四つ。一辺につき一つずつ置かれている。

「それでは、鳳凰を呼んでまいりますので、お掛けになってお待ちください」

 緑野はそう言うと、足早に食堂を出て行った。絨毯の上を歩いているわけでもないのに、足音のひとつもたてていない。

 入口に一番近い席に麒麟寺、その角を挟んで左隣に僕、麒麟寺の向かいに亀井。亀井は用心深く食堂内をじろじろ見まわしている。なにかに警戒しているようにも見える……なにか、不審なことでもあっただろうか。

 テーブルはごく普通の木。隅の方には、葡萄の葉を模したと思われるレリーフがデザインされていたけど、別に怪しいところはない。普通のテーブルより、少し低い気もするけど、いちいち怪しむほどのものでもないだろう。椅子も、恐らくテーブルとセットで買ったのだろう、似たようなデザインのもの。天井には、小さなシャンデリア。フランス窓越しに見えるのは木と山ばかり。

 一つ怪しむところがあるとすれば、食堂の扉が引き戸である、ということだろう。玄関と同じ、横にスライドさせるタイプの扉。でも、これも少し考えれば不思議でも何でもない。

「ねえねえ、鳳凰さん、とってもおじいちゃんでしょうか、それとも、とってもおばあちゃんでしょうか?」

 麒麟寺がぐい、と身を乗り出してきた。さっきの続きが話したくてたまらないらしい。

「なんで、おじいさんかおばあさんだって思うんだ?」

「だって、横に開けるタイプの扉でしょう。それに、スロープもあるのなら、車いすで生活しやすいおうちだなって、思うじゃないですか」

 ああ、やっぱり。

 彼も僕と同じ考えらしかった。引き戸にスロープ。どちらも〈バリアフリー〉の代表格だ。他の部屋も恐らく引き戸になっているのだろう。玄関から食堂まで、段差はなかった。靴を脱ぐところ――三和土ですら、床と一続きになっていたのだ。

 なぜ、このようにする必要があるのか。ここに住んでいる人間が、車椅子で生活しているから、もしくは体が不自由で開き戸や階段、段差があると苦痛だから。

 ここまできて麒麟寺は、「体が不自由=高齢者」と考えたに違いない。もっとも、身体が不自由なのは高齢者に限ったことでなく障害のある人だったり、病気を患っている可能性だってあるし、そもそもこの館に住んでいるのが鳳凰だけとは限らない。鳳凰自身は健康体で、彼の家族の誰かの身体が不自由、と考えることもできる。

 まあ、とにかく、この館に身体が不自由な人が住んでいることだけは、確実じゃないだろうか。

 ちらりと亀井を見やると、彼女はこちらには一切、関心を持っていないようだった。家の構造――扉の形については、大して疑問に思っていないのか。表情からそれを読み取ることは出来なかった。

「やあ、お待たせしたね!」

 男の声に顔を上げると、いつの間にか緑野が戻って来ていた。といっても、今のセリフは緑野ではなく、彼の隣に立っている中年男の発したものらしい。しゃがれてはいるけれど低くて安定した声だった。

 黒いシャツに黒いスラックス。黒い靴と黒づくめの恰好。小脇に抱えた本の装丁も黒とまっくろくろすけだ。スラックスを穿いた脚は真っ直ぐで、身体のどこかが悪そうには見えなかった。

「とってもおじいちゃん、ではありませんね」

 麒麟寺がぽつりと呟いたのを、男は聞き逃さなかったらしい。あはは、と愉快そうに笑うと、

「僕は、まだおじいちゃんじゃないよ。六十歳にもなってないんだからね」

「じゃあ、何歳なんですか?」

「五十九」

 なら、ほとんど六十歳じゃないか。けれど、彼のどこか浮ついた態度や、軽い身のこなしは無邪気なこどものようで、年齢相応とは言い難かった。

 男は一つだけ空いた椅子に腰かけると、僕らの顔を順に見回して、

「ちょっと〈四神祭〉をサボってたら、みーんな若くなっちゃって。どこも新しい人にかわっていってるんだねえ」

「なにがちょっとや」

 亀井が吐き捨てるように言った。

「ちょっとのつもりだったんだけどねえ」

 男の飄々とした態度が気に入らないのか、亀井の声はどんどんとげとげしくなっていく。

「せやから、全然ちょっとちゃうねん。何やっとったんや、あんたら〈鳳凰〉の家のモンは? 次は自分らが出題者やーいうことは、ようわかっとったはずやろう。今の今まで、ナニしとったんや」

 うちのジイチャンとよく似た話し方をする人だった。恐らく出身は関西だろう。

「いろいろ忙しくってさ。まぁ、そうカッカしないでよ。楽しくいこう、楽しく」

「楽しく!」

 同調するように万歳をしてみせる麒麟寺。それを見て、男は嬉しそうにほほ笑んだ。

「そうそう。まぁ、まずは自己紹介からといこうじゃないか。ああ、玄野くん、悪いけどお茶を淹れてくれないかい? 自己紹介のあと、昼ごはんにしよう」

「はい」

「ゼロはミルクティーが好きですー」

「かしこまりました」

 緑野は一礼すると、食堂の奥、おそらく台所へと姿を消した。食堂と台所を仕切るのは、やはり引き戸。

「さあて、それじゃあ、僕から自己紹介させていただこうかな。僕は〈鳳凰〉。本名は別にあるけど、別に言う必要はないだろう。〈四神祭〉の間は、それぞれの〈四神〉の名で呼び合うのがふつうだから、今回もお互い本名じゃなくて〈四神〉の名前で呼び合ってくれ。僕のことは〈鳳凰〉と呼んでくれればいい。ああ、それから」

 男――鳳凰はピンと左の人差し指をたてると、

「ひとつ、言っておかなくちゃならないことがある。〈鳳凰〉を名乗る人間は、恐らく僕で最後になると思う。僕が死んだら、〈四神祭〉にはもう二度と〈鳳凰〉は参加しない」

「跡継ぎがおらへんのか」

「ああ。僕は独身だし、他に親戚もいないし。僕が記念すべき、最後の〈鳳凰〉だ」

 鳳凰はそう言って、口角をあげてみせた。嬉しいのだろうか、跡継ぎがいないことが……?

 そのときちょうど、緑野が台所から戻って来た。彼の持っているお盆の上には、カップが四つと砂糖壺。麒麟がミルクティーで、あとの三人は紅茶だった。白い湯気がたっている。

「お砂糖、お砂糖!」

 麒麟は砂糖壺を引き寄せると、中から角砂糖を三つ、四つ、五つ、六つ……八つも入れた。いや、入れすぎだろう、どう考えても。甘すぎやしないだろうか。これには驚いたのか、鳳凰も麒麟の手元に視線が釘付けになっていた。

 他の三人は、角砂糖は一つずつ。それを見て麒麟は不思議そうに、

「一個じゃ甘くないですよ」

 なんて言っていたけど、誰も何も言わなかった。

「さあ、次はきみだよ」

 鳳凰は、手で亀井――霊亀を示した。

「〈霊亀〉や。本名は言わんでええな?」

「いいや。これに参加者の名前を記録しないといけないからね」

 これ、とは先ほど鳳凰が小脇に抱えていた黒い表紙の本。文庫本ほどの大きさだ。

「〈四神祭〉を行うごとに、参加した人の名前を書く必要がある。記録をするのは、出題者の役割だからね。僕は皆の名前を知らないから、聞かないと記録もできないだろう。苗字はわかってるから、大丈夫だけど……」

 鳳凰は胸ポケットからペンを取り出すと、本(ノート、と呼ぶべきか?)の半ばあたりのページを開いた。

「なるほどな」

 霊亀は納得したように頷くと、

「〈霊亀〉の亀井芽衣。めい、は麦芽のガに、衣」

「そこで麦芽をチョイスするセンス、嫌いじゃないよ」

「ばー、くー、が」と言いながら、字を記していく鳳凰。本当に〈麦芽〉と書いていないか心配になってしまう。

「はい、次」

 鳳凰がぱっと顔をあげる。正面に座っているため、まともに目があってしまった。二重瞼の大きな、どこか眠たげな目。その瞳の黒さに、僕はぞくりとしてしまった。どうしてかは、わからない。

「ええと〈応龍〉の龍美椿。木偏に春、で椿です」

「ふんふん、木偏に春、ね……椿事のチン、だね」

 咄嗟に漢字が思い浮かばず、「はあ」と間抜けな返事をしてしまった。〈椿事〉か。

「じゃ、次のきみ」

「ゼロです!」

 鳳凰に指名され、ぴんと右手を挙げる麒麟

「フルネームで答えて欲しいんだけどなあ……」

麒麟寺零次郎……」

 あからさまに面倒くさそうな表情だった。

「零って雨かんむりのやつ?」

「はい」

「次郎は次に廊下の中のやつ?」

「はい」

「カッコイイ名前だねえ」

「わかんないです」

 麒麟の言葉に、鳳凰は可笑しそうにふふふ、と笑った。

 やがて本を閉じると、

「さて、それでは〈四神祭〉を始めるとしようか。今回の問題はね……」

 そこでいったん言葉を区切ると、彼は舌をちろりと出して唇を舐めた。勿体ぶっているようだった。

「自分で考えてくれ」

 しんと食堂が静まり返った。霊亀と麒麟の二人は、鳳凰の言葉の意味を探るように鳳凰の顔に見入っているし、緑野は無表情のまま、マネキンのようにそこに突っ立っている。僕は……どうしたらいいかわからず、ぽかんとしているほかなかった。

 一番にその静寂を破ったのは霊亀だった。

「どういうことや」

「どういうことって、そのまんまだよ。自分で問題を考えて、それを解いてくれ」

「自分が何を言うとるのか、わかっとるんか? 今までの〈四神祭〉のやり方を知らんわけでもあるまいし……〈出題者〉が〈問題〉を出す、他のものがそれを解き、互いに知恵を、能力を比べあう……そういうものやったろう?」

「ああ。戦前の頃には、観客を呼んだりもしていたらしいんだけど、僕が参加するようになった頃にはもう、内輪だけのものになっちゃったね。そう思うと、〈四神祭〉も寂しくなったねぇ」

「話を逸らすな! 〈出題者〉である鳳凰が問題を出さなかったら、〈四神祭〉が成り立たへんやないか」

「だから、問題を作るところから〈問題〉は始まっているんだよ」

 これから説明するのが楽しくてたまらない、というように鳳凰はクツクツと喉を鳴らした。

「いいかい。これは、学校の試験じゃないんだ。僕は君たちに、試験を解く〈生徒〉じゃなくて、謎を解く〈探偵〉になって欲しいんだよ。そもそも、〈四神祭〉自体、ただのなぞなぞ大会じゃなくて、推理合戦のようなものなんだから。ねえ、そうだろう、霊亀くん?」

 無言で頷く霊亀。

「僕はね、つくづく思うんだよ。小説に出て来る探偵ってのは、なんて可愛いんだろうとね。だってそうだろ? 作者の用意してくれた、お膳立てされた謎を解いて喜んでるじゃないか。謎も、謎を解く手がかりも全部、作者に貰っておいてだよ。最初から、必要な手がかりが必要な分だけ過不足なく用意された謎なんて、子供向けの工作キットみたいでバカバカしいと思わないかい? 僕はそんな、オコチャマな探偵になって欲しいとは思わない。必要なものは全部、自分で調達できる、〈謎〉そのものすら、自分で見つけられる探偵になってもらいたくてね。だから、僕からの問題は〈この館の中から謎を見つけ、それを解き明かせ〉。以上だ。なにか、質問は?」

「その〈謎〉とやらは、なんでもええんか?」

「ああ、もちろん。魅力的なものであることを望むけどね」

 そこで鳳凰はウィンクを一つ。そのしぐさは、海外の俳優のように滑らかでなかなかサマになっていた。

「館の中なら、どこでも見て良いんですか?」

 と、これは麒麟の質問。

「もちろん。お好きなところを、お好きなだけ」

 すると、それまで黙っていた緑野が、

「私の部屋は、ご勘弁いただきたいですね。落ち着きませんから」

 鳳凰はやや不満そうだったけど、うん、と頷いた。

「じゃあ、二階の緑野くんの部屋はなし、ということで。〈謎〉と〈謎解き〉を披露してもらうのは、明日の昼ごはんのあとを予定してるから、それまでは好きなように動き回って貰えばいいよ。ご飯の時間は守って欲しいけど」

「え!?」

 思わず、頓狂な声をあげてしまった。四人の視線が一斉にこちらに集まる。

「どうかした?」

「ええと、その……今日って泊まりなんですか……?」

「そうだよ。聞いていないのかい……?」

 鳳凰は訝し気に緑野の顔を見た。緑野の方は表情一つ変えず、口だけを動かして、

「お伝えしたはずですが」

「ゼロは知ってましたよ」

 なぜか偉そうに胸を張る麒麟。霊亀のほうを見ると彼女も、

「私も電話で聞いたわ。そこの緑野って人から」

 との返事。

 僕は鳳凰に向き直ると、軽く頭をさげながら、

「すみません。僕、〈四神祭〉の話を祖父から聞いたので、たぶん伝達ミスです。祖父が、泊りがけだって僕に伝えるのを忘れていたんだと思います」

 それで鳳凰はようやく納得したようだった。と、今度は心配顔になって、

「しかし、困ったね……泊りがけでも大丈夫かい? 明日は、なにか用事とか……」

「いえ、それは大丈夫です」

 連休はすっからかんだ。幸か不幸かはわからないけど。

「パジャマなんかは、良ければ僕のを貸そう。歯ブラシも新しいのがあるはずだし……。まあ、とにかく、昼ごはんのあとに僕の部屋においで」

「はい……すみません」

 初対面なのに気を使わせてしまって、なんだか恥ずかしい。まったく、あのジジイ、どうでもいいことはぺらぺら喋るくせに、肝心なところはすっぽかすんだから……。

「まあ、とりあえず昼ごはんにしよう。といっても、サンドイッチだけど。待っていてね」

 そう言うと鳳凰は台所の方へと姿を消した。緑野もそれに続く。

 彼らはすぐに、食堂の方へ戻ってきた。鳳凰はサンドイッチののった大皿を一つ、玄野のほうは同じくサンドイッチののった大皿と、大きめのティーポットを持っていた。

「はい、どうぞ。こっちがハムサンドで、こっちがタマゴサンドだよ」

 サンドイッチは五人で食べても余りそうなほどあった。

「ハムサンドは僕がつくったんだ。なかなか美味しそうだろう?」

 まるで、褒められるのを待っている子供のように無邪気な口調だった。年上の人をどう褒めて良いのか分からなかったので「美味しそうですね」としか言えなかったけど。

「ええと、緑野くんも、台所のほうから椅子を持って来たら?」

「いいえ、私はあとで結構ですので」

「いつもそうだね……」

 その時の鳳凰は、少し寂し気だった。光の当たり具合でそう見えただけかもしれない。

 昼食は賑やかに、とまではいかなくても、それなりに和やかな雰囲気の中、すごすことができた。

 案の定、サンドイッチがいくつか余ってしまったけど、鳳凰は「気にしなくていいよ」と言った。

「僕と緑野くんが食べるから」

「鳳凰、食べ過ぎはいけないと医者からも言われているでしょう」

「サンドイッチくらい、いいじゃない……」

 恐らく、日ごろから言われていることなのだろう、げんなりした表情を隠そうともしなかった。それから、気を取り直すように明るい口調になると、

「さて。それじゃあ、応龍くんは一緒に僕の部屋に行こうか。他の二人は、緑野くんに部屋を案内してもらうといい。そのあとは自由時間だから、好きにしてくれたらいいからね。ええと、それから……夕飯の時間はいつだったかな?」

「午後七時を予定しております」

「じゃあ、午後七時にここに集合だ。さあ、行こうか、応龍くん」

 鳳凰は手元の紅茶を飲み干すと、椅子から立ち上がった。僕も慌てて紅茶を流し込み、それにならう。

 それにしても……僕は頭の中の電卓をたたく。

 一日で三万円が、二日で三万円……ということは、日給は一万五千円か。ちえ……なんだか、損した気分だ。

 

4.知らない香り

 鳳凰の部屋は二階にあった。ついでに言えば、僕たちの泊まる客室も二階だったので、全員でぞろぞろと階段を登ったことになる。

 ダブルベッドにテーブル。本棚には文庫本やハードカバーがぎっしりと並んでいた。横倒しになって、本の上に寝かせるようにして置かれている本もある。本には詳しくなかったけど、タイトルから判断すると推理小説がほとんどのようだった。〈殺人〉とか〈事件〉という単語が散見される本棚というのは、なかなか物騒である。

広々としてはいるが、家具は少なくシンプル、というより寂しい部屋、という印象を受けた。

 鳳凰はクローゼットからパジャマを一組取り出すと、

「きみと僕、身長は同じくらいだから、これで大丈夫だと思うんだけど」

「ありがとうございます」

 僕と鳳凰は、体格もほとんど変わりないから、サイズがまったく合わない、ということはないだろう。鳳凰は衣類を僕に手渡すと、

「さあ、それじゃあ、きみの部屋に行こうか。……いやあ、お客さんを呼ぶなんて初めてだからね、ワクワクするよ」

「そうなんですか」

 その割には、食堂の椅子も四つあったし、カップも一そろい用意されているようだった。客室だってある。〈四神祭〉直前に用意したとも思えないし……特に客室は、作ろうと思って作れるものでもないだろう。これまで、客を呼ぶ機会に恵まれなかったんだろうか。

 聞いてみたい気もしたけど、失礼にあたりそうだったのでやめておいた。「友達がいない」なんて言われたら、どう返せばいいかわからないし……。相手はこんな山奥に住んでいる、独身の中年男だ。なにか、人には言えない事情を抱えている可能性もじゅうぶんありうる。

 それに、そんなことより気になることがあった。

「あの、ここには……この屋敷には、どなたがお住まいなんですか?」

「屋敷なんて大袈裟だね。この家に住んでるのは、僕とあの彼……緑野くんだけだけど……ああ、別に一緒に住んでるからって夫婦じゃないよ。友達」

 訊いていないことまで答えてくれた。緑野は「秘書」と自称していた気もするけど、まあいい。「友達」でも「秘書」でも、こっちにとっては大差ない。

「ええと、二人だけ、ですか?」

「そうだよ。どうして?」

 そう訊き返してくる鳳凰の顔は、笑っていた。僕がなにを思っているのか、なにを言いたいのか、全て分かっているような……そのための答えすら、用意されているような、そんな笑み。全部、全部知っている。そんな笑いかた。

 その笑みを見た途端、僕は自分が鳳凰の思い通りに動いている……いや、動かされているような気がして、怖くなった。訊かない方がいいかもしれない、とすら思った。

 けど、そんな内心とは裏腹に、口は勝手に動いていた。

「この家、バリアフリーになってるから……ほかに、体の不自由な人がいるかと思ったんです」

 鳳凰の部屋の扉も、引き戸だった。一階と二階を繋ぐ階段も、ちゃんと手すりが備え付けられていた。こちらへ来るとき、ちらりとしか見えなかったけど他の客室も全て引き戸だったのを確認している。

「ああ、扉とか、玄関のスロープのことだね? 一緒に住んでいた僕の父が、十年くらい前に亡くなったんだけど、齢をとるとどうも身体が不自由になっちゃってね。生活しやすいように、ああしたわけさ」

 まるで、あらかじめ用意されていたかのように、滑らかに答えが返って来た。いや、この程度の質問、返答に詰まる理由もないか。僕の考えすぎなのかもしれない。

「そうだったんですね」

「うん。さあ、きみの部屋へ行こうか」

 鳳凰に従って廊下に出る。

 この館の階段は、建物のほぼ中央に作られていて、二階は階段を中心に廊下が南北に伸びている。僕たちが行動しやすいようにするためか、部屋の扉にはそれぞれ木のプレートが掛けられていた。

 北側の部屋は二つ。一つは今、僕たちが出て来た部屋で扉のプレートには〈鳳凰〉。向かいの部屋の扉には〈書斎〉と書かれたプレートがぶら下がっていた。廊下の突き当りにも扉らしきものがあったけど、そこには何もプレートは掛かっていなかった。

「鳳凰さん、あの扉は何です?」

「エレベーターだよ。今はもう使えないから、扉で蓋してあるけど。父親、亡くなる前の頃はもう、階段を使うのもしんどそうだったからね、エレベーターをつけたんだ」

 個人の家にエレベーターなんてものがあるのか。館自体も立派なものだし、鳳凰はお金持ちなのかもしれない。こういうの、独身貴族って言うんだっけ。

「さ、きみの部屋はここ。お風呂やトイレは一番奥の左側ね。また、なにかわからないことがあったら、遠慮なく言ってよ」

「はい。ありがとうございます」

 僕の部屋は階段のすぐ横だった。〈応龍〉と書かれたプレートがぶら下がっている。

「このプレート、〈四神祭〉のためにわざわざ?」

「ああ、僕が作ったんだ。あちこち見て謎探ししなくちゃいけないのに、どこがどこだか分からなかったら、動きようがないだろ?」

「へえ……」

 プレートに書かれた文字は、やけに右上がりで特徴的な字だった。

 僕がプレートをしげしげと見ていたからだろうか、鳳凰は言い訳をするように、

「それでも、綺麗に書いたつもりだったんだよ。どうも、字を書くのは苦手でね……玄野くんに頼んでも良かったんだけど」

「いえ……十分、上手だと思います」

 鳳凰には、僕の言葉が意外だったらしい。目を大きく見開くと、何度か瞬きをして、それから微笑んでみせた。

「ありがとう。初めて言われたよ」

 それじゃあ、と鳳凰は階下へと降りて行った。彼を見送ってから、部屋の中へ入る。

 室内はシンプルなものだった。広さは鳳凰の部屋の半分以下だろう。シングルベッドに書き物用の小さなテーブル。その上には、ルーズリーフの束とボールペン。考える時に自由に使え、ということだろう。それに、小さなクローゼット。あとは、窓がひとつ、あるだけだった。窓からは、緑色の山並みが見える。何も、面白くない。

 本当はこのまま、〈謎〉とやらを探すために部屋の外に出た方が良いのおかもしれないけど、すぐに行動を起こす気にはなれなかった。

 急に〈謎〉を探して、〈謎解き〉しろ、なんて言われても、なあ。

 僕は探偵じゃないどころか、探偵の出て来る小説――いわゆるミステリ小説だって読んだことがないのだ。それなのに、突然そんな探偵の真似事なんて出来るわけがない。〈四神祭〉についても、よく知らないのに……ここに来るまで、割のいいバイト程度にしか思っていなかった。お祭りに出席すれば、三万円貰える簡単なシゴト。

 それがまさか泊りがけで、しかも、こんな面倒なことになるだなんて……やっぱり、損した気分だ。

 僕はベッドの上に仰向けに寝転がった。天井のシミでも数えてやろうかと思ったけど、綺麗なものでシミなんて一つも見つけられなかった。

 なんとなく、腕に抱えた服を顔に押し付けてみる。

 嗅いだことのない洗剤の香りがした。

 

 知らないうちに眠っていたらしい。

 目を開けると、部屋全体が真っ赤だった。

 窓から、夕陽が差し込んでいたのだ。あまりの眩しさに、カーテンをしめた。そのとたん、部屋全体が薄暗くなる。

 電気を点けてやっと、安心することが出来た。

 夕暮れ時は、あまり好きになれない。

 怖いわけではないけど、あの朱色の光を見ると何となく寂しい気分になってしまう。友達と遊んでいても、夕暮れがくれば別れなければいけない。どんなに楽しい遊びをしていても、だ。

 僕は一人っ子だったから、家に帰ると遊び相手がおらず暇でたまらなかった。父親は夜にならないと仕事から帰ってこなかったし、母親は家事に追われて忙しく、僕はいつも一人だった。

 夕暮れ時は終わりの時。だから、僕は夕暮れがあまり好きじゃない。

 スマートフォンで時間を確認すると、午後五時を少し過ぎたところ。夕飯まではまだ、時間がある。

 他の二人はどうしているだろう? 謎探しに精を出しているだろうか。それとも、〈謎〉は既に見つけてしまって〈謎解き〉を考えているとか?

 僕はしばらく逡巡したのち、思い切って部屋を出た。出た後、電気を点けっぱなしなのに気づいて、慌ててスイッチをオフにする。部屋の扉は、手を放すと勝手に閉まるタイプのものだった。音もたたないし、結構いいかもしれない。

 廊下には誰もいなかった。とりあえず、廊下の部屋を見て回ることにする。といっても、個室に勝手に入るのは気が引けたので、客室は外からプレートを見て回るだけにしたけれど。

 二階の階段をあがってすぐ横のところに、僕の部屋。隣が〈霊亀〉で正面は〈麒麟〉だった。〈霊亀〉の隣の部屋には〈緑野〉と書かれたプレート。その二つの部屋の向かいは、風呂場とトイレ。それぞれ別に扉があるから、ユニットバスではないらしい。トイレはきちんと、男女にわかれていた。客室といい、そこそこの広さの食堂といい、恐らく、建てた当初から人を泊めることが前提にあったのだろう。

二階の南側はこれで全てだった。

 北側は、書斎と鳳凰の部屋、それに今は使えないエレベーター。

 鳳凰の個室はさっき見たから、今度はこちらを見てみようと書斎の前に立ったのとほぼ同時に、中から人か出て来た。間一髪、ぶつかりそうになる。

「ああ、ごめん」

 出てきたのは霊亀だった。

「けが、せえへんかったか」

 霊亀は僕より数センチ高い(百七十五センチくらい、あると思う)ので、微妙に視線をあげなくてはならなかった。

「いえ、大丈夫です」

 来たときには下していた髪を、今はポニーテールにしている。そのせいでか、切れ長の目がよけいに鋭く見えた。

「なら、ええんやけど」

「霊亀さん、書斎を調べてたんですか?」

「せやで」

「なにか、見つかりましたか?」

「見つけても、言うわけあらへんやろ。共同作業やあらへんのやから」

 霊亀は苦笑いを浮かべると、

「これは、あくまで競争事やからな……今でこそ、こんな、なあなあなお遊び事になってもうとるけど、昔は財産をかけたりしとったらしいしな」

「それって、ギャンブルですか」

「ま、悪い言い方すれば、せやな。でも、そんなん、戦前の話や。あのおっさんも言っとったとおり、昔は観客を呼んだりな。〈四神祭〉は賭け事が当然やったし、庶民に対する見世物でもあった。皆でわいわいやるから〈祭〉ってついとるんやしな。けど、今はもう、賭け事もせえへん、客も呼ばん。ただ、昔からやっとることやからって、だらだら続けとるだけや。まあ、それにしても三十年も音沙汰なしっちゅうんは、やる気なさすぎやと思うけどな」

「三十年、何をしていたんでしょうね」

「さあな。うちの父親も、何度か手紙を書いたらしいねんけど、返事がきたのは一度だけ。ちょっと待ってくれ、いうことやったわ。今は忙しいからって。なんか、後ろめたいことでもあったんかもしれん」

 一瞬、霊亀の声が険しくなった。目つきに鋭さが増したように感じたのは、気のせいだっただろうか。なんとなく「後ろめたいことってなんですか?」と訊く気にはなれなかった。あえて、気にならなかったフリをして話を進めていく。

「なんで、そこまでして続いてるんでしょうね。だらだら続けてるだけなら、さっさとやめちゃえばいいのに」

 そうすれば、僕もこんな面倒なことに巻き込まれずに済んだのに。

「簡単に言ってくれるなあ」

 霊亀はまたも、苦笑いしてみせた。

「昔からずーっとやってきたことって言うんはな、簡単には終われへんねん。まあ、言うてみれば終わり時を見失ってしまったんや。不眠症と同じやな。眠りたくても眠れへんように終わりたくても終われへん。〈四神祭〉はきっと、ずーっと続く。〈鳳凰〉が欠けても、きっと続くと思うわ」

「〈鳳凰〉が欠けても」という言葉に、僕はどきりとしてしまった。〈鳳凰〉が欠けるとき。それはすなわち、あの鳳凰が死ぬときだ。僕には、それが想像出来なかった。〈人は死ぬ〉ということは知っていても。

「あの、霊亀さんは面倒じゃありませんでした? これに参加するの」

「面倒って、アンタなあ」

 霊亀はまたまた、苦笑い。さっきから、この人に苦笑させてばかりいる。頓珍漢なことばかり口走るバカになった気がして、少し恥ずかしかった。

 しかし、霊亀はすぐ、真面目な顔つきになると、

「私は、ちゃんと目的があって来とるから、面倒やあらへん」

 そう言って「じゃあ」と、向かいの部屋――鳳凰の個室へと、姿を消していった。

 

 書斎も、夕陽に包まれ赤く染まっていた。

手早く電気を点けて、カーテンをしめる。書斎の広さは、鳳凰の個室とほぼ同じくらいだった。

書斎を見回して、まず一番に目についたのはクマのぬいぐるみだった。

書斎机の隣の椅子に座らされている。見た目はテディベアのようなのだけど、かなり大きい。高さは一メートルくらい、あるんじゃないだろうか。

試しに持ち上げてみると、案外重い。それに固い。なにか、太い芯のようなものが入っているらしい。特に頭は、球体の何かが入れられているらしく、叩くと乾いた音がした。

これ、鳳凰のだろうか……まだ小奇麗で新しそうだから、子供の頃の思い出の品とは思えない。ぬいぐるみで遊ぶ趣味でもあるのかしらん……だとしたら、あの麒麟と気が合いそうだ。そうでなくても、変人同士、波長が合っているようだったし。

変わったものといえばそれくらいで、他にはこれといって目につくものはなかった。

書斎机の上にはペン立てと新書が数冊。背の高い本棚には、びっちりと本が並んでいた。個室の本棚と違うのは、小説本がほとんど見当たらない、というところか。芸術や哲学、数学とジャンルは多岐に渡っている。適当に手に取ってページをめくってみたけど、僕には難しすぎて本腰を入れて読む気にはなれなかった。

続いて、書斎机の引き出し。気が引けたけど、仕方がない。明日の昼までに〈謎〉を見つけて、それを解かなくちゃいけないんだ。それなのに、遠慮ばかりしていられない。

 好きなところを好きなだけ見て良い、という鳳凰の言葉を思い出しながら引き出しを一つずつ、順番に開けていく。

 引き出しは二つ。左側には、ハガキや封筒の束。上にひとから送られてきたものが、下の方にはまだ使われていない便箋や封筒が入っていた。

 右側には、黒い表紙の本。さっき、鳳凰が僕たちの名前を書き込んでいた、あの本だった。

 これなら見てもいいだろうと思い、そっと手に取ってページをめくっていく。かなり古いものらしく、ページはすっかり黄ばんでしまっていた。

 一番最初に記入されたのは、昭和三十年のことらしい。どうりで古いわけだ。

 最初の方は字が崩れていて(草書だか行書とかいうやつなんだろう)読めなかったけど、昭和の後半ごろになって来ると楷書で書かれたものが増えてきた。

 同じ苗字ばかりが並んでいる。〈龍美〉〈麒麟寺〉〈亀井〉そして……〈鳳〉。この四つの苗字の繰り返し。鳳凰の苗字は〈鳳〉というらしい。

 名前ばかりで大した発見もないので、自然とページをめくる手も早くなる。あっという間に、今日書き込まれたページにたどり着いてしまった。そこには、プレートに書かれたのと同じ、右上がりの字で僕たちの名前が記されていた。

 

〈霊亀:亀井芽衣〉

〈応龍:龍美椿〉

麒麟麒麟寺零次郎〉

 

 三人しか、名前はなかった。これを記入した鳳凰自身の名前が書かれていないのだ。どうしてだろう……忘れている、とか……?

 前のページ、つまり前回の〈四神祭〉の記録を見てみる。そこには、きちんと四人分の名前があった。

 

〈霊亀:亀井直〉

麒麟麒麟寺禮之助〉

〈鳳凰:鳳楓〉

〈応龍:龍美裕次郎(出題者)〉

 

 筆で書いたらしい、大きくて荒っぽい字。ジイチャンの字だった。〈龍美裕次郎〉はジイチャンの本名。これは、ジイチャンが書いたものらしい。三十年前は自分で出ていたのか……。ジイチャンは当時、五十歳くらい。まだ働いていただろうに、よく〈四神祭〉に参加しようと思ったものだ。それくらい、思い入れがあるのだろうか。

日付は三十年前の九月十日。鳳凰は今、五十九歳らしいから当時、二十九歳。参加していてもおかしくない。もし、これに参加していたのが今の鳳凰なら、彼の名前は〈鳳楓〉ということになる。ずいぶん、おしゃれな名前だ。

ページを遡っていく。当然、そこに記された日付はどんどん古くなっていく。三十年前までは、だいたい三か月に一回のペースで〈四神祭〉は行われていたらしかった。一回の〈四神祭〉につき、一ページずつ使われている。

 

麒麟麒麟寺禮之助〉

〈鳳凰:鳳楓〉

〈応龍:龍美裕次郎

〈霊亀:亀井衣世(出題者)〉

 

〈鳳凰:鳳楓〉

〈応龍:龍美裕次郎

〈霊亀:亀井衣世〉

麒麟麒麟寺禮之助(出題者)〉

 

〈応龍:龍美裕次郎

〈霊亀:亀井衣世〉

麒麟麒麟寺禮之助〉

〈鳳凰:鳳楓(出題者)〉

 

 そこで僕はおや、と手を止めた。三十年前の三月三十日。鳳凰が出題した回だ。つまり、これを記録したのは鳳凰――鳳楓ということ。

 ページをめくり、今日の記録を見返す。それからもう一度、三十年前の三月三十日の記録に戻る。その二つを比べて、僕は首を傾げずにはいられなかった。

 明らかに筆跡が違ったのだ。

 今日、記された文字はどれも右上がりで癖がある。丁寧に書いたというのは分かるが、特別うまいというわけではない。

 それに対し、三十年前に鳳凰によって記された文字は、端的に言ってとても上手だった。今日書かれた字とは比べ物にならないくらいに。書写の授業で使うお手本のような字、とでも言おうか。とても、同一人物によって書かれたものとは思えなかった。

 ということは、今の〈鳳凰〉と三十年前の〈鳳凰〉は別人物なのだろうか? だとしたら、今の〈鳳凰〉の本名は何と言うんだろう?

 ふと、壁時計を見るともうすぐ午後七時になろうとしていた。

 夕飯は七時を予定しているって言っていたっけ……そう思った途端、急にお腹が空いてきた。

 名前に関しては――まあ、あとで考えよう。〈謎〉になるかどうかもわからないし……。

 僕は本を閉じると、引き出しの中にそれを戻した。書斎を出るとき、あの例のクマのぬいぐるみが動いた気がしたのは、ただの目の錯覚だったろうか。

 

5.ディナータイム

 他の人たちは既に食堂に戻っていた。

 夕飯の準備はすっかりできてしまっていて、テーブルの上には料理の盛られた皿が並んでいた。ブラウンシチューの香りが食欲を刺激してくる。

 先ほど座っていたのと同じ席に鳳凰が座り、玄野はその後ろで待機している。その二人の視線は料理ではなく、窓辺の方へ注がれていた。僕が入って来た瞬間だけは、こちらに目を向けたものの、すぐに窓辺の方へ戻してしまう。

「やめてくださいよお! モロミツ、捨てないでくださいー!」

 窓の傍では、麒麟がベソをかきながら何やら訴えている。その隣では霊亀が窓の外に腕だけ出して何かを叩いているようだった。

「うるさいなあ。捨てへんて。埃まみれやから、はたいてるだけや。どこでなにしとったんや、こんなに埃まみれにしてしもて……よう見たら、あんたも埃まみれやな。どこで何しとったん?」

 霊亀の問いかけを聞いていないのか、それとも答えたくないのか、

「モロミツ、いじめないでくださいぃ」

 と喚くばかり。幼稚園の子どもみたいだ。

「いじめとるんとちゃうて。ほら。これ以上は、洗濯せんと無理やわ」

 霊亀からペンギンのぬいぐるみを受け取ると、麒麟はそれを胸に抱きしめテーブルの方へ駆け寄って来た。その様子を、鳳凰は可笑しそうにクスクス笑いながら見つめていた。

「さあ、シチューが冷めちゃうから、席に座って」

 鳳凰に促され、麒麟と霊亀が席に着く。

麒麟くん、ペンギンさん持ったままで食べにくくないかい」

 麒麟はぬいぐるみを膝の上に乗せて座っていた。

「大丈夫ですよ。いつものことです」

 こいつはいつも、ぬいぐるみを膝の上に乗せて食事をしているのか。ますます、十五歳とは思えない。精神年齢は五歳くらいで止まっているんじゃないだろうか。

 彼の膝の上に乗せられた〈モロミツ〉は、確かに汚れていた。特に、おなかの部分は白い分、汚れがよくわかる。これでも霊亀がはたいた分、マシになったのだろうが黒く汚れ、昼間とは大違いだった。ついでに、昼間より平べったくなっている気もする。ぬいぐるみでも、やつれて痩せることがある……って、それはないか。そんなの、ただのホラーだ。

 霊亀はやや呆れ口調で麒麟に向かって、

「食べ終わったら、お風呂入りや。ズボンの裾、埃でめっちゃ汚れてるし、ちゃんと着替えるんやで」

「僕ですか?」

「そらそうやろ」

 霊亀はハア、とため息を一つ。確かに彼女の言う通り、麒麟の服は袖や肘がは白く汚れていた。紺色の上着を着ているものだから、汚れがよけいに目立つのだ。せめて、麒麟と〈モロミツ〉で汚れ方が逆だったら、などとくだらないことを考えてしまった。

 鳳凰はそのやり取りを、目を細めて楽しそうに眺めていたけど、

「さあ、冷めないうちに食べようか」

 と言ってスプーンを手に取った。食べる前に「いただきます」と手を合わせるのも忘れない。

 夕飯はブラウンシチュー、生ハムとゆで卵のサラダ、お皿に盛られた白ご飯にオニオンスープ。お茶は、昼に飲んだのとは微妙に味の違うお茶。あとで教えてもらったけど、昼に飲んだのはダージリンで、夜のはカモミールだったらしい。

「皆、なにか収穫はあったかい? ねえ、応龍くん」

 突然話を振られ、危うくゆで卵を喉に詰まらせそうになった。

「いや……いえ……まあまあ、です」

 まさか、夕方まで眠ってました、とは言えず。

 鳳凰は僕の言葉をどう受け取ったのか、ふふ、と笑うと、

「良いね、期待してるよ」

 もしかして、勿体ぶっているとでも思われたのかもしれない。

麒麟くんは? なにか収穫は」

「いろいろです」

「そう、いろいろなの」

 今度はクツクツ、と喉を鳴らし始めた。

「霊亀くんは?」

「あっても言うわけないやろう」

「そう、そう。そうだねえ」

 クツクツ、クツクツ。その音が嫌なのか、霊亀は少し顔をしかめた。

 この場で上機嫌なのは、鳳凰だけだった。玄野は無表情のまま突っ立っているだけだし、麒麟は先ほど〈モロミツ〉を叩かれたことをまだ引きずっているらしい。霊亀は霊亀で、鳳凰に対してはつっけんどんな態度ばかりとるし、僕はと言えば、こんな雰囲気の中で陽気に振る舞えるほどの度胸は持ち合わせていなかった。

 鳳凰だけが、クツクツと喉を鳴らして笑っている。

 彼は紅茶を一口飲むと、

「良いね、良いねえ……やっぱり〈四神祭〉は良いよ。〈鳳凰〉は良い……」

 恐らく、独り言だったのだろう。誰も、返事をしなかったし、鳳凰もそれを気にする様子はなかった。

 ただ、彼の歌のような、譫言のような口調はふわふわと浮ついていて不気味だった。

 

6.アルバムの中の

 夕飯後、すぐに風呂に入る気はせず、かといって自室に戻っても何もすることのない僕は、今度は館の一階を散策することに決めた。

 入口に一番近いのは食堂。エントランスホールを真っ直ぐ突き進めば、食堂に足を踏み入れることになる。ちなみに食堂への入口は二つあり、一つはエントランスホールに面しており、もう一つは二階へと続く階段の傍にある。

 エントランスホールから食堂へ行かず、左手にある廊下の方へ進むと、これまた階段前に出ることが出来る。

 一階には食堂の他には、部屋らしい部屋と言えば階段の奥に一つあるだけ。その扉には〈資料室〉と書かれたプレート。

 資料室の向かいにはトイレ。一階にあるのは、それで全てだった。もっとたくさんの部屋があるのかと思っていたから、なんだか拍子抜けしてしまう。

 トイレは二階のように男女に分かれてはおらず、その分スペースが広かった。中を見てみると洋式のトイレで壁には手すりがつけられている。恐らく、身体の悪かったという鳳凰のお父さんが使っていたのだろう。

 そして、突き当りの壁にはエレベーターの痕。周りの壁に似た色の板のようなもので蓋されている。

 階段の正面には窓。縦に長く、椅子に座っていても余裕で外の景色を眺めることが出来た。もっとも、今は外が真っ暗なせいで、反射して自分の姿が映るばかりだったけど。

 窓に映る僕の姿は、いつもの通り、大した特徴もなく、ちょっと間抜けで心の底から好きになれるものではなかった。別に、どうだっていいことなのだけど。

 こんなところで自分と見つめあっていても仕方がないと思い直し、僕は〈資料室〉へと足を向けた。あとはもう、ここくらいしか見るところがない。今のところ〈謎〉らしい〈謎〉を見つけられていないけど……明日の昼、僕はいったいどんな顔で椅子に座っているのだろうか。

 考えれば考えるほど、憂鬱でたまらなくなった。

 

 資料室は窓もなく、背の高い本棚が三つ壁いっぱいにたっていた。窓がないのではなく、本棚が窓を塞いでしまっているのかもしれない。

 資料室の本棚は、鳳凰の個室や書斎のそれとは、また一風変わったものだった。

 古ぼけた本は小説本・新書を問わず黄ばみ、ぼろぼろになっている。奥付をみると発行年が昭和初期のものはざらにあった。わら半紙を束ねてヒモで閉じただけの手造りの冊子もある。手に取るだけでボロボロと崩れてしまいそうなので、触れずにおくことにした。

 僕が手に取ったのは大学ノート。比較的新しいけど、それでも表紙はよれよれだし、背中の部分も何度も閉じたり開いたりしていたせいだろう、今にも半分に割れてしまいそうなほど弱っていた。

 ノートの表紙のデザインも見たことがないものだ。裏表紙を見ると〈S.49 5.3~〉の文字。〈S.49〉とは、恐らく「昭和四十九年」ということだろう。ということは、もう四十年も前のノートじゃないか。

表紙には〈四神祭〉だけ書かれている。その字に僕は見覚えがあった。書写のお手本のような整った字。

〈鳳楓〉の字だ。三十年前、確かに存在した〈鳳凰〉。

 表紙に〈四神祭〉と書かれているからには、〈四神祭〉に関することが書かれているに違いない。

 この〈鳳楓〉は何者なんだ……そうだ、さっき、鳳凰に訊いてみればよかった……どうしてそうしなかったんだろう……。

 ノートを傷つけないよう注意しながら、一ページ目を開いてみる。

 ノートは整然としていて、読みやすいものだった。

 

〈S49.5.3(人生初の四神祭)

 出題者:麒麟

 場所:麒麟寺の別荘

 内容:犯人当て(一番先に犯人を当てたものが勝ち)

 

 問題内容(麒麟寺の親族、使用人によって再現された。演技は上手くないものの、分かりやすい)

 被害者は麒麟寺禮之助(出題者)。別荘二階の自室で絞殺されているのを発見される。

部屋の窓はひとつ。扉もひとつ。そのどちらもが施錠されていた。窓の鍵は内側からしか掛けられない。扉の鍵は内側からも外側からも掛けられるものだが、外から掛けるための唯一の鍵は室内にあった。自殺でないのは確かである。いわゆる密室もの〉

 

事件の概要に続いて、関係者の証言も記述されている。そのあと、他の三人が披露した〈推理〉についてもこと細やかに記録されていた。それによると、ジイチャンは随分、頓珍漢な解答をしてみせたらしい。僕がその場にいたとして、解ける自信はないけど、孫として恥ずかしい……。

最後には、きちんと〈正解〉も記録されていた。推理小説のプロットを読まされた気分だ。

それにしても、随分、本格的なことをやっていたらしい。

 四神祭の記録は、読み物としてはとても面白いものだった。当時の〈麒麟〉が出題した〈密室殺人事件〉のほかにも、当時の〈応龍〉(僕のジイチャンだ)が出題した宝さがし風の問題や、当時の〈霊亀〉が出題した長ったらしい暗号(長いうえに暗号を解くとさらに暗号が出て来るという面倒くさい問題だった)など、暇なときに読めば最高の暇つぶしにもなっただろう。

 けど、今は暇つぶしをしている場合ではない。〈謎〉を探さなくてはいけない……。

〈謎〉とまでは呼べないけど、ついつい夢中になって読み進めていく中で引っかかることがあった。

 一回一回の記録の情報量の差だ。

 特に初回は、その時の問題の内容や様子が事細かに書き込まれている。その一方で、最後の記録――三十年前、つまり前回の〈四神祭〉の記録はかなり素っ気ないものだった。半ページほどで終わっている。

 二ページにも三ページにも渡って書かれている回もあれば、半ページ未満で終わってしまっている回もある。この差は何だろう……文字の形からして、書いたのは同一人物のはずだけど……。

 一九八五年に行われた前回の〈四神祭〉を最後に、ノートの記録は止まっている。前回の記録は、たったの半ページで終わっていた。あとは、いくらめくっても白紙ばかり。

 ノートを本棚に戻すと、他に参考になりそうなものはないか、順番に見て行くことにした。

 次に僕が手に取ったのはアルバムだった。

 これまた古ぼけた濃紺の表紙のアルバム。表紙には何も書かれていない。けど、ぱらぱらとめくってみると、どのページにも写真が入れられているようだった。

 一ページ目から、ゆっくりと見て行くことにする。

 少し古臭い色合いのカラー写真。一枚の絵画の前で、四人の男女が並んでいる。一番左端にいるのはジイチャンだった。ただし、今よりも四十歳ほど若い。昔の写真なんだから当たり前か。髪の毛も黒々としていて、なんだか違和感があった。

 その隣には、若い女性。ボリュームのあるショートカットヘアで、背もかなり高い。その鋭い目つきは、霊亀にそっくりだった。この人が、当時の〈霊亀〉だろう。

 その女性の隣には、若い小太りの男。陽気にカメラに向かってピースサインを送っている。目の細い、人の良さそうな顔だちだった。消去法でいくと、この人が当時の〈麒麟〉か。今の麒麟とは、あまり似ていなかった。

 そして一番右端の若い男。この男の顔に、僕は見覚えがあった。

 鳳凰だ。

 髪は長くて肩まであるし、今よりずっと若いけど、目つきや鼻の形、口元の雰囲気がそっくりそのまま。今の鳳凰を思わせるものがあった。彼もまた、楽しそうに笑みを浮かべ、カメラを見ている。よく見ると写真の片隅にボールペンで〈S49.5.3〉と日付が記されていた。恐らく、四神祭のときに撮影された写真だろう。ということは、鳳凰は四十年前から〈四神祭〉に参加していたことになる。

 つまり、〈鳳楓=今の鳳凰〉。けど……〈鳳楓〉と〈今の鳳凰〉では、書く字があまりにも違いすぎるのだ。時間をかけて上手くなったのなら、練習したのだろうとも思うけど、時間が経つと下手になる、なんてことがあり得るだろうか。

 もしかして兄弟とか? 〈鳳楓〉は鳳凰の兄か弟、という可能性だってある。だとしたら、この〈鳳楓〉は今、どこで何をしているんだろう?

 集合写真の下には、紐を首に巻き付けて床に倒れている男の上半身。うつ伏せなので顔は見えないが、体形からして恐らく麒麟だろう。

 次のページには鳳楓の横顔のアップ。右側から撮ったものらしい。髪を耳にかけている。なにか手元のものに集中しているらしく、カメラには気づいていないようだった。耳たぶに小さな青いピアスをつけているのが、はっきりとうつっていた。

 写真の片隅に記された日付を気にしながら、ページをめくっていく。写真は一日につき、だいたい十五枚前後ずつ。写真好きな人がいたのだろう。鳳楓は写真に撮られるのは好きな方だったのか、カメラに気づいていれば常に満面の笑みをこちらに向けてきていた。モデルのようにポーズを決めた写真もあれば、たまに照れたような表情を浮かべた写真もあった。

 アルバムに収められた写真は〈S60.7.30〉付けのもので終わっていた。まだページは余っているけど、何ページめくっても白紙、白紙、白紙。すぐに裏表紙にたどり着いてしまった。

 ほかにアルバムらしいものはない。おかしい。鳳凰の書斎で見た記録、そしてさっき見た鳳楓の残した記録によれば、四神祭は昭和六十年の十一月十日にも行われたはずなのだ。なのになぜ、そのときの写真は一枚も残っていないのだろう?

 ただ単に写真を撮らなかったから? それまでは、こんなにたくさん撮っていたのに、なぜ? カメラを忘れたから、だろうか。昭和時代なら、まだ、今のようにケータイで気軽に撮ることもできないだろうし。

 なんとなく引っかかりを覚えながら、僕はアルバムを本棚に片づけた。

 スマートフォンを見ると、午後九時を回っている。皆はもう、寝てしまったのだろうか。それとも、他の部屋を見て回っているのかしらん……。

 小学生じゃないから、九時には寝ようなんて思ってはいないけど、風呂にもまだ入っていないのは良くないだろう。

 それに喉も渇いた。食堂へ行けば、お茶くらいあるだろう。そう考えて僕は資料室をあとにした。

 

7.夜のティータイム

 食堂では鳳凰がひとり、椅子に座っていた。

 彼は、僕が扉を開けた途端、びくりと身を震わせこちらを見た。明らかに動揺していた。ひどく驚かせてしまったみたいだ。

 けど、それも一瞬の事で入って来たのが僕だとわかると、微笑を浮かべて、

「やあ、きみか」

 鳳凰は黒縁の眼鏡をかけていた。眼鏡姿の鳳凰を見るのは初めてだ。テーブルの上には新書が一冊。あの眼鏡は老眼鏡だろうか。ジイチャンも、近視ではないのだけど新聞紙を読むときには老眼鏡をかけている。老眼になると、手元のものが見にくくなるのだそうだ。鳳凰も読書中は老眼鏡をかける人間なのかしらん。

「どうしたの?」

 紅茶を淹れている最中だったらしく、鳳凰は砂糖壺を手に持っていた。

「ええと、喉が渇いちゃって……なにか飲もうかなと思ったんですけど」

「そう。悪いけど、自分でカップを持ってきてくれるかい。彼……緑野くんはもう、自分の部屋に戻っちゃったから……台所にあるの、どれでも使って良いよ」

 話しながらも、鳳凰は自分のカップに角砂糖を入れていく。一個、二個、三個……こっそり数えてみたら、九つも入れていた。まるで昼間の麒麟みたいだ。

 僕はテーブルの上のティーポットを指さし、

「お茶は、そこに入ってるの、いただいていいんですか?」

「うん。だから、カップを取っておいで」

「はい」

 台所の食器棚からカップを取って、食堂へ戻る。

「緑野さん、夜は早いんですね」

 僕が言うと、

「早寝早起きではあると思うけどね。彼は彼で、家事が終わると自分の部屋に引っ込んじゃうんだ」

「へえ」

「ちょっとくらい、お喋りしたっていいと思うんだけどねえ」

 鳳凰の表情はどこか寂し気だった。たった二人きりの生活。鳳凰としてはもっと構ってほしいのかもしれない。

「あんまり好かれてないのかなあ」

 そう呟く鳳凰に対し、僕は何も声をかけることができなかった。僕は緑野についても、鳳凰についても良く知らない。なのに、適当なことを慰めに言うのは無責任だと思ったからだ。

 その代わり、僕は全く違うことを話題に出した。話題を変えようと意識したわけではなく、自然と口から出て来たセリフだった。

「あの、鳳凰さん。僕、〈資料室〉にさっきまでいたんです」

「ああ、そうだったの。本ばかりで疲れちゃうでしょ? 面白かった?」

「ええ、その、本は読んでいないんですけど、ノートとアルバムを見ました」

 鳳凰の目つきが変わったのがわかった。

 眼鏡の向こうの目をきゅう、と細めて、こちらを見ている。何かを期待しているあの目。どこかで見たことがある……そうだ、昔、友達とナゾナゾの出し合いっこをして遊んでいたとき。僕が答えようとしているのを見ている友達の目と、今の鳳凰の目は良く似ていた。

 正解を言われることと、頓珍漢な答えを言われること。そのどちらをも、相手は期待しているのだ。

「ノートには、昔の〈四神祭〉の記録が残っていました。結構、面白かったです。宝探しなんてやってたんですね、うちのジイチャン」

「知らなかったのかい」

「ええ。ジイチャンには、年末年始と盆くらいにしか会いませんでしたから」

 答えながらも僕は、どう話を持って行こう、どうやって訊きたいことを訊こう……とそのことばかり考えていた。

「きみのおじいさんね、良い人だったよ」

「……まるで死んでるみたいな言い方しないでくださいよ」

「お元気?」

「ええ」

 電話口で喚いて、孫を辟易させるくらいには。

「ねえ、鳳凰さん。鳳凰さんにとって、今回の〈四神祭〉は初めてのものなんですか?」

「どうしてそう思うんだい?」

 鳳凰の眼鏡の奥の目が、ますます細くなる。それは不快がっているというより、面白がっているようだった。

「資料室で見た〈四神祭〉を記録したノートの筆跡です。三十年前の、つまり前回の〈四神祭〉の記録もありました。でも、文字の書き方というか形が、貴方のものとは全然違ったんです。だから、別の人が書いたのかな、と思って」

「上手かったでしょ」

「はい」

 つい、頷いてしまった。そのあとに、鳳凰の顔に面白くなさそうな表情が浮かんでいることに気が付いた。

「でも、アルバムには貴方そっくりの人が写ってて……もちろん、年齢は違いますけど。だから、どうなのかなって」

「そりゃあ、同じ家系の人間だもん。顔だって似るさ」

 そのとき、僕はようやく、鳳凰の左耳につけられたピアスに気づいた。青い小さなピアス。写真に写っていたのと同じものだ。右にも同じものをつけているのだろうか。僕の座っている位置からは確認できなかった。

「鳳凰さんの本名、教えて貰えないんですか?」

「どうして?」

「知りたいからです」

「なんて名前だと思う?」

「……鳳楓、さん、ではないと思います」

 そのとき鳳凰の顔に浮かんだ表情は、とても不思議なものだった。

 意外そうな、しかし、想定もしていた、というような、そんな顔。僕がその名前を出す可能性は考えてはいたけど、本当にくるとは思わなかった、というのが彼の考えに一番近いだろうか。

 続いて鳳凰はクツクツと喉を鳴らし始めた。笑っているのだ。僕は今まで、喉をクツクツと鳴らして笑う人を見たことがなかった。

「そうだね……僕は、鳳楓ではない。そうだ……僕は、鳳楓じゃあない。そうか、そこまで見ちゃったんなら、もう良いかな。書斎の引き出しに入ってた本、見たんだね?」

「すみません……」

 バレてしまった。〈鳳楓〉の名は、引き出しの中のあの本(ノート)の中にしかなかったのだから、鳳凰がピンときても変ではないけど。

 しかし鳳凰は怒ってはいないようだった。むしろ、面白がってさえいる。

「良いよ、良いよ。僕がどこでも見て良い、って言ったんだからね。〈鳳楓〉は僕の兄だよ」

「お兄さん、ですか」

 だから、顔が似ていたのか。いや、僕はまだ、鳳凰の若い頃の写真は見ていないけど、恐らくあれに似た顔だっただろうということは、想像がつく。

「兄が〈鳳凰〉だったんだ。自由気ままで、面白がりの悪戯好きで、そのくせ身体は弱いんだから迷惑もかけられっぱなしだよ」

「じゃあ、鳳凰さんの本名は、何なんですか?」

 鳳凰は少し躊躇った後、

「うたう」

「はい?」

「ゴンベンに寺、と書く〈詩〉の一文字で、うたう、って読ませるんだ。鳳詩。僕の本名」

「へえ……なんていうか、その」

「可愛らしい名前だろ。父親も変わった人だったんだよ」

 僕は「珍しい名前ですね」と言いたかったのだが、結局黙っておくことにした。僕自身、〈椿〉なんて花の名前を付けられて、不満に思っていた時期があるからだ。もう少し、かっこいい名前をつけてくれたっていいのに、と。

「お兄さんは、今どこに?」

 鳳凰はちょっと肩を竦めると、

「自由気ままな人だから」

 と言ったきり、口を噤んでしまった。放浪している、とかだろうか。鳳凰の表情から、これまでにもかなり迷惑をかけられてきたらしい、ということが読み取れた。

 僕の方もどう返したらよいのか分からず、沈黙を誤魔化すように紅茶をすすった。紅茶はすっかり冷めて、飲み込む瞬間喉が冷えた。

「なにか、面白い〈謎〉は見つかりそうかい?」

「頑張ってはいるんですけど。やっぱり難しいですね。こういうの、これまでやったことなかったんで……その、どこをどう見て、考えれば良いのか、サッパリわからないんです」

「苦労してるみたいだね。ねえ、きみ、ミステリ小説を読んだことはある?」

「いいえ。あの、ドラマなんかはたまに読んだりするんですけど」

 読書自体、ほとんどしない。マンガは人から薦められたものは読むけれど……活字の羅列は教科書とレポートのための参考資料だけでお腹いっぱいだ。

「そう。僕もたいして読んでいないけどね、ミステリと〈四神祭〉は似ていると思うんだ。最初に謎がある。ハッキリと明確に『こういう解答が欲しい』と主張しているような謎があって、探偵たちは……〈四神祭〉の場合は参加者たちということだけど、その探偵たちが、その謎の要求に沿った解答を導き出す。そうだろう? 例えば、どこかの会社の社長が殺されたのなら『誰が』『なぜ』殺したのか解答しなさい、ということになる。ときには『どうやって』殺したか、も要求される」

「ええ……」

 僕は一週間前に観た刑事ドラマを思い出しつつ、相槌を打つ。

「僕はね、そういうの面白くないと思うんだ。昼間も言った通り、そんなお膳たてされた事件ばかりじゃ飽きて来ないかい? そりゃあ、ミステリにサスペンスを求めるんならね、人がバタバタ殺されて、探偵が緊迫した表情で謎解きするってのもいいだろうさ。けど、探偵にしてみちゃ、なーんだ、またこのパターンかってならないのかな。このパターンなら、ここらへんの人が犯人だろうなあって」

 鳳凰は昼間よりずっと饒舌だった。眼鏡のせいもあるだろう、別の人間と話しているような気持ちになってくる。

「料理と同じだと思うんだよね。いつまでも、レシピの通りに作っていないでさ、たまには自己流で隠し味を入れたり、材料を変えたりしたくなるものじゃない? まったくのオリジナル・レシピを考案してみたり、さ」

「さあ……僕、ほとんど料理しないので」

 米を炊くことと、何かをフライパンで焼くことしかできない。あとは、大学の食堂やコンビニ弁当に頼り切りだ。

「うん、僕もほとんど料理ってしたことないんだけどさ」

 と、これは鳳凰。したことないのに、料理のたとえ話を出したのか、この人は……。

「とにかく、いつも通りじゃつまらないだろうから、今回は趣向を変えてみたんだ。この館の中にあるものなら、なんでも利用していい。そこから〈謎〉を見つけ出して……あるいは、作り出して、謎を解く。普通なら最初から用意されている謎も自分で準備しなくちゃいけないんだからね。結構、苦労するとは思うなあ」

「本当に苦労してますよ。どこをどうやったら、謎を見つけられるかも分かっていないんですから」

「いいね、いいね。苦労したまえよ。この館にあるものは、全てが謎で全てがなんでもないなにかだよ」

 クツクツ、クツクツ。鳳凰の喉を鳴らす音が、食堂に響き渡るようだった。腹の奥底をくすぐられているような、そんなむず痒い感じがした。

「ねえ、きみ。きみは、夢をみるかい?」

「夢? 夢って、寝るときの夢、ですか?」

「そうだよ」

 唐突な話題転換。さっきから、僕は鳳凰に振り回されているような気がする。深い霧の中を連れまわされているような、そんな感覚。場の主導権をすっかり握られてしまったことだけは明らかだ。

「うーん、まあ、みますね。みるときもあれば、みないときもあるって感じですね」

「ふうん。夢の内容は、覚えてる?」

「え……ううん、覚えてるときもあれば、夢をみたのは分かるんだけど、その内容までは覚えてないってこともありますね」

「へえ、そうか、そうか」

 どうして突然、夢の話になったのか、さっぱり見当もつかない。〈四神祭〉となにか関係があるのか、それとも、ただの雑談なのか……。

「ねえ、夢は好きかい?」

「へ……?」

 今度こそ、答えに窮してしまった。最初は「どんな夢が好き?」とか「これまで見た夢で良かった夢はどんな夢?」という意味かと思ったが、どうも違うようだった。恐らく彼は、どんな夢もすべてひっくるめたうえで「夢が好きかどうか」を訊ねてきているのだ。

 夢が、好きか、どうか……? 確かに眠ることは好きだ。そもそも、あまり真面目でない……だらだらとしていることが好きな僕は、当然のように眠ることも好きだった。そんなに頻繁に遊びに行けるような金もないので、暇な休日はたいがい、眠って過ごしていた。

 けど……だからといって、夢が好き、というわけではない。僕は夢をみるためではなく、身体を休めるために、あるいは時間をつぶすために眠っているのだ。夢をみるのは、その結果にすぎない。

 鳳凰は僕の顔をジッと見つめてきている。その瞳からは、彼の意図を読み取ることは出来なかった。

 僕はせいぜい考えあぐねたあと、

「わかりません」

 やっとのことで絞り出した答えだった。

「そうか」

 鳳凰は僕の顔を見つめたまま、頷いた。その口元には、うっすらと微笑が浮かんでいた。

「僕はね、好きだよ」

「夢が、ですか?」

「ああ。夢は僕にとってのユートピアなんだ。なんでもできるし、どこでも行ける。なにより、理想の自分を作り出せる。そうだろう?」

「そう、でしょうか……」

 僕は覚えている限りの夢の断片を集めて、少し首を傾げてしまった。確かに、そんな心地いい夢もみたかもしれない。けど、ときには単位を全部落とす夢や、犬に噛まれて泣く夢だってみた。それは、〈理想の自分〉とは言い難いだろう。現実で単位を全部落としたり、犬に噛まれて泣くなんて……絶対に嫌だ。

「おや? そうじゃないって顔、してるね」

「ええ、まあ」

「きっと、悪い夢を思い出してるんだろ?」

「はい……」

「ま、そういうのもあるよね」

 鳳凰はまた、クツクツと喉を鳴らした。

「眠ってみる夢は、コントロールの効かないところがあるからね。不可抗力ってやつだ。でも、楽しい夢は素敵だろう? 僕はどうやら、楽しい夢をみやすい体質らしいな、どうも」

「良いですね、それは」

 悪夢をみたあとの目覚めは最悪だ。ときには、現実なんだか夢なんだか、わからなくなって無性に不安になったりする。

「ねえ、きみ。良い夢をみたとしてね、その夢から目が覚めちゃったらガッカリしないかい?」

「ちょっとは、ガッカリしますね」

 つい最近、とある有名アーティストと仲良く食事をする夢をみたのを思い出した。一度だけライブも観に行ったことのある、格好いい中年の歌手。ご指導ヨロシクお願いします、なんて言った記憶がある。キミには素質があるよ、とその歌手に言われたりして。目を覚まして、バカな妄想をしてしまった気がして、猛烈に恥ずかしくなる一方で、なんだ夢か、とガッカリしてしまった。

 むろん、そのことは鳳凰には言わない。人に話すなんて、恥ずかしくて口が裂けてもできない。

「良い夢がずっと続けば良いと思わないかい?」

「そりゃあ、思いますけど。でも、寝続けるわけにもいかないでしょう」

「ありゃ、真面目だね。僕は夢のためなら、いつまでも眠り続けたいよ」

 鳳凰の語り口は、歌うように楽し気だった。浮ついている、というのだろうか。彼の口調には、不思議なメロディが隠れていそうだった。いつ、本当に歌い出してもおかしくない。

「でも、きみの言う通り、眠り続けることは出来ない。嫌でも目が開いちゃうんだ。そうすると、夢は消えていってしまう。だからね、逆転の発想ってやつだよ。いいかい? 現実を夢にしてしまえばいいんだ」

「現実を、夢に?」

 僕は確かめるように鳳凰の言葉を繰り返した。夢を現実にするのではなく――夢でみたことを現実で再現するのではなく、現実を夢にする?

「そうさ。〈四神祭〉は僕にとっての、夢なんだ。僕は〈四神祭〉の中で、夢の自分になれる……僕は〈鳳凰〉なんだ……〈鳳詩〉なんて要らない……うたうなんて要らない……僕は正真正銘の〈鳳凰〉なんだよ」

 鳳凰の目はもう、僕の事など見ていないようだった。まどろむような口調の中、彼の目だけはらんらんと輝いている。

 今、まさに、彼は夢を見ているのだと思った。僕には分からない夢を……。

 いいや、違う。僕も今、その夢の中にいるのだろう。さっき、鳳凰は〈四神祭〉が夢なのだと言った。ということは、〈四神祭〉に参加している僕も、その夢の中にいることになる。けど、僕には夢の中にいる自覚なんて、当然ながらない。

 とても、ややこしい。

 鳳凰がおかしなことを言っているといえば、それまでなんだけど。

 そんな切り捨て方は気が引けた。

 気が引けた、というより、もったいなく感じた。

 理解できないと思いながらも、一方で僕は羨ましかったのかもしれない。

 夢の中の、理想の自分になる、と言った鳳凰のことが。僕だって、なれるものなら〈理想の自分〉になってやりたい。……どんなものが〈理想の自分〉なのか、さっぱり見当もつかないけれど。

「だからね、きみも〈四神祭〉を楽しみたまえよ。ここは夢なんだ。僕は僕の理想の……僕の愛する〈鳳凰〉になる。それと同じで、きみも〈応龍〉の中に自分をつくればいい」

 内心を見抜かれたようで、どきりとしてしまった。こちらには鳳凰の思っていることなんて、ほんの欠片も分からないのに、向こうは全てお見通しなのか。いや、そんなはずない。人は人の内心を読むことなんて、出来ない。……たぶん。

「はい……」

 壁時計を見ると、十時を回っていた。

「僕、そろそろ寝ます」

 明日の朝、まともな〈謎〉やら〈謎解き〉やらを思いつく自信はない。けど、今は眠りたかった。お風呂に入って、早く寝よう。

「ああ、引き留めちゃって悪かったね。カップは洗っておくから、台所に置いておいてくれたらいいよ」

「いえ、これくらい自分で洗います」

 さすがに、泊めて貰っている先の家主に食器を洗わせるのは気が引けた。

 残りのお茶を飲み干すと、

「台所のスポンジと洗剤、使って良いやつですよね?」

「うん。ありがとう」

 洗剤は家で使っているのとは違う、けれど近所のスーパーでみかけたことのあるものだった。スポンジは水色の直方体。特別高級なスポンジ、なわけでもないだろう。こういうのを見ると、少し親近感が湧くのは僕が庶民ゆえだろうか。

 洗って水気を拭きとったカップを棚に戻し、台所を後にする。

 鳳凰は椅子に座って、のんびりと本のページをめくっていた。まだ、眠るつもりはないらしい。

「それじゃあ、お先に失礼します」

「ああ、きみ、お風呂まだだろ? タオルなんかは全部、脱衣所のところにあるから好きに使って良いよ。ドライヤーもあるはずだから。あと、歯ブラシも玄野くんが用意してくれているはずだ」

「はい。ありがとうございます」

「いいえ、どういたしまして」

 鳳凰はまるで子守歌でも歌うような、囁くような口調で言った。

「おやすみなさい。良い夢を」

 

 階段をあがりきったところで、危うく誰かとぶつかりかけた。

「うわぁ!」

 先方が驚きの声をあげた。

「すみません」

「ああ、ええよ、別に」

 相手は、霊亀だった。廊下の電気は点けっぱなしなので、暗くて顔がわからない、なんてことはない。

 霊亀は動揺していた。顔を見なくとも、声だけでもそれがよくわかる。若干、うわずっていた。しかも、両手を後ろに回して、何かを隠しているようだった。

 今、彼女は鳳凰の個室から出て来たようだった。ぶつかりそうになって初めて相手に気づいたわけだけど、彼女の来た方向から大体の予想はつく。

「あの、なに持ってるんですか?」

「え? なにが?」

「霊亀さん、後ろになにか隠してるでしょう?」

「なんや、うるさいな。なんでもええやろ」

 なぜか、怒られてしまった。理不尽だ。

 気になったけど、わざわざ彼女の腕を掴んでまで確認しようとは思えない。というか、そんなことをしたら、僕が階段から突き落とされてしまいそうだ。

 なのでおとなしく、

「はあ。すみません」

 と謝っておくことにした。そのとき、ふと視線を下にやった際、大きな綿ぼこりが転がっているのが視界に入った。こんなデカイのなかなかお目にかかれないぞ……。どうでもいいけど。

 霊亀は「じゃあ、おやすみ」と言うと、器用に後ろに持っていたものを隠しながら、部屋へと戻って行った。

 彼女の隠し方は確かに器用だった。けど、いくら器用でも、その隠しているものは大きすぎた。彼女が部屋へと入っていく瞬間、その一瞬だけ僕はそれを見ることができた。

 それは……少し離れたところからだったから、確証はない……けど……僕の目がおかしくなければ……それは。

 人間の頭蓋骨だった。

 

 風呂場は広くて入り心地が良かった。豪奢というわけではない、大きめのバスタブとシャワーがあるだけなんだけど、少なくともうちのユニットバスよりずっと良い。そうだ、風呂とトイレが別々というだけで、入り心地は格段に違って来る。

 バスタブにお湯をはっている間に、シャワーで身体を洗う。バスタブで脚を伸ばすというのは、久しぶりだった。健康法に興味はないけど、半身浴というのもなかなか気持ちいい。

 あの頭蓋骨のことさえなければ、心の底から半身浴を楽しんでいただろう。うっかり、ウトウトくらいしていたかもしれない。

 あれは本当に頭蓋骨だったのだろうか? 白いボールだったり、しないかなあ……けど、ボールなら隠す理由がないし……そうだ。霊亀はなぜ、あれを僕に見せたがらなかったのだろう? 人に見せたくないのなら、鞄にでも入れればいいはずなのに――彼女は確かボストンバッグを持ってきていたはずだ――そうすることが出来なかったのか? 彼女はたぶん、あのとき、鳳凰の個室から出てきたのだろう。じゃあ、あれは、鳳凰の個室で見つけたもの? あの白い……あれはたぶん、頭蓋骨だ。しっかりと見たわけじゃないけど、電気がついていたから暗くて見間違えたわけでもない。それに、視力には自信がある。健康診断の視力検査では両目共に「A」以外は取ったことがない。目が悪くて勘違い、ということもない、きっと。たぶん。恐らく……。

 けど、なんで頭蓋骨……? 考えても考えても「なんで?」にたどり着くばかりで、気持ちが悪かった。ぐるぐると、同じところを回っているだけのよおうな感じ。

 いったいどれくらいのあいだ、考え込んでいただろう。なんの仮説も結論も出ないまま、気づけばお湯の水面は顎のあたりまで迫ってきていた。慌てて蛇口のノズルを捻る。指先を見ると、皮膚がだいぶふやけてしまっていた。

 このままじゃ、考え終えるより先に全身がふにゃふにゃにふやけてしまう。帰る前にもう一回くらい入りたいな、なんて思いつつ、バスタブを出る。

 脱衣所で身体を拭いて、下着を身につけ、それから鳳凰から借りた服を手に取った。

 黒のチェック柄のパジャマ。セットで売られていたものなのだろう、上下とも同じ柄だった。肌触りは悪くなく、サイズもちょうどよかった。

 ところで、脱衣所には洗面台も備え付けられていた。ここで髪を乾かしたり、梳かしたりするのだろう。棚の部分に、〈応龍様〉と書かれた紙が貼りつけられたカップも置いてあった。歯ブラシも一緒に置いてある。鳳凰が言っていたのは、これのことだろう。明日、きちんとお礼を言っておかないと。

鏡は風呂場より出入り口に近いおかげで、曇ることもなく、きちんとこちら側を映し出していた。

 そこに映った僕は、いつもと少し違って見えた。きっと、他人の服を着て、他人の家にいるせいだろう。きっと。

 

幕間

 鳳凰が自室に戻ったのは、午後十一時を回ってからだった。

 書斎に寄り、クマのぬいぐるみを抱きかかえて、自室に入る。眠るときは、いつも一緒だった。還暦も近いのに、なにを子供じみたことを……一般常識に照らし合わせれば、自分はきっとそう言われるのだろう。しかし、そんなことは一切、気にかからなかった。どうせ、自分はこれからも一般常識とはかけ離れた、この山奥に住み続けるのだ。世間一般が、社会がどう動こうが関係ない。自分には、この館が全てだった。

 部屋の電気を点けてみて、彼は「おや?」と首を傾げた。

 床に大きな綿ぼこりが二、三個、転がっているのに気づいたからだ。

 この部屋は、毎日自分で掃除している。自分は綺麗好きな方だと思っているし、こんな大きな綿ぼこりがあれば気づかないわけないだろう。確か、夕食後にいったん戻って来たときには、こんなものはなかったはずだ。

 これはどういうことだろう……たったの数時間で、こんなに大きな綿ぼこりが出来あがるとは思えないし、人の部屋にわざわざ埃を置きに来るいやがらせ、というのも考えにくいし……。

 鳳凰は少しの間、考え込むようにして部屋を見回していたが、本棚のところで目をとめると、納得したように頷いた。

 クマのぬいぐるみをベッドの上に座らせ、本棚の前に歩み寄る。

「誰もいなけりゃいいけど……」

 一番上の棚の板を掴むと、そのまま本棚を横へ動かした。ちょうど引き戸のように、ゆっくりと横へスライドする本棚。壁との間に、微妙に隙間が出来る。鳳凰はその間に、もう片方の手を差し込むと、本棚を一気に横へ押しやった。

 本棚の後ろには、ちょっとした空間があった。

 気の利いたものではない。むしろ、活用するには狭すぎるし、不便なつくりになっているため、ずっと放置していたものだった。窓もなければ電気もない。本当にただ、余ってしまっただけのようなスペースだった。むろん、設計上の誤りではなく、ここを建てる際、わざとこういう風にしたわけだが……。

 鳳凰は、この空間は好きではなかった。活用のしようもないため、掃除もしていない。なので、ここだけは埃で床はうっすらと白くなっていた。綿ぼこりも大きなものが、隅の方に固まっている。最近、誰か入ったらしく、床の埃に少し、えぐられたような跡があった。

 その空間には、埃以外には何もなかった。

 鳳凰はそれを確認すると、ふう、とため息をついて本棚を押さえていた手を離した。そのとたん、音もたてずに元の位置に戻る本棚。押さえていないと、この本棚は勝手に戻ってしまうのだ。

 鳳凰がこの空間を好きになれない、むしろ嫌っているのは、そこが原因だった。押さえていないと本棚は勝手に元の位置に戻る。そうすると、内側からはもう、開けることは出来ない。そうなると本棚の向こう側にいる人間は、閉じ込められることになる。外側からであれば、本棚の板を掴んで開けることができるが、内側からは手を掛けるようなところがどこにもないのだ。

 鳳凰はここに一度だけ、閉じ込められたことがあった。兄にしてやられたのだ。面白いものがあったから、一緒に見に行こうと誘われて――そして、自分だけが閉じ込められた。兄にしてみれば、はなから弟を閉じ込めるのが目的だったのである。当然、面白いものなどそこにはなかった。

 閉じ込められた理由は、そのときは分からなかったが、あとで訊いてみると前日のケンカを根に持ってのことだった。まったく、今思い出してもバカらしいし、忌々しい。

 突然真っ暗な空間に閉じ込められ、パニックになった鳳凰は、わあわあ泣きながら出してくれるよう懇願したのを覚えている。当時、二十歳。あのとき、館に兄弟二人しかいなかったのは、今にしてみれば幸いだったかもしれない。まさか、成人してから、号泣し、泣き疲れて眠るような日が来るなんて、思いもしなかった。そんな姿を第三者に見られたりしたら、恥ずかしくて二度と、表を歩けなかっただろう。

 気が付くと、彼はベッドの上に寝かされていて、兄が申し訳なさそうに、しかし、どこか満足気に顔を覗き込んできていた。出来ることなら、その顔をぶん殴ってやりたかったが、そんな元気は残っていなかった。泣くというのは、とても疲れることなんだと、実感した。

その一件以降、彼は本棚の向こうには足を踏み入れないと決めていた。兄には何度か、入ってみろ、意気地なし、などと煽られたりもしたが。閉じ込められるのは、もうごめんだ。

 当時の疲労感を思い出し、彼はベッドの上に仰向けに寝転がった。ふと、手を見ると黒く汚れている。本棚を押さえていたからだ。

「あーあ……洗ってこなくちゃ……」

 誰に言うとでもなくそう呟くと、彼はほう、とため息を吐いた。

 

8.応龍の推理

 気づいたら、朝だった。

 昨日の晩は、ベッドに入ってからも、あれこれ考えていて……知らないうちに、眠っていたらしい。

どれくらいのあいだ、眠っていたのだろう。スマートフォンで時間を確認すると、午前七時半を少し過ぎたところだった。アラームをかけていたわけでもないのに、普段より早起き出来てしまった。知らない家だと、自然と体も緊張してしまうのだろうか。

 いつ眠ってしまったのかはわからないけれど、何も考えがまとまらないまま、意識を失ったわけではないのはラッキーだった。

 今日の昼食後、発表する〈謎〉と〈謎解き〉。そのための、アイディアとでも呼ぶべきものは、なんとか思いつくことが出来た。問題は、それが鳳凰たちに受け入れられるかどうか、ということだ。

 とりあえず、パジャマを脱いで昨日着ていた服に着替える。

 借りたパジャマはきちんと洗ってから返すべきだろうか。けど、そうなると、これをいったん家に持ち帰らないといけない。日帰りのつもりできたから、このパジャマが入るような鞄なんて持ってきていない。持って帰るための袋を借りるのも、悪い気がするし……。

 考えあぐねた挙句、精いっぱい丁寧に畳んで返すことにした。汚したわけじゃないし、良いだろうと判断したのだ。下手に持って帰って、汚したり破ったりしたらそれこそ問題だし、というのは洗濯を面倒に思う自分の為の言い訳だったかもしれない。

 出来る限り丁寧に畳んだパジャマを抱えて、部屋を出る。廊下には誰もおらず、しんと静まり返っていた。

 皆、まだ眠っているのだろうか。それとも、とっくの昔に起きて食堂で朝食をとっているとか?

〈鳳凰〉の扉の前に立ち、二、三度ノックする。こん、こんと小気味いい感触が手の甲に返ってきた。

「はあい」

 返事とともに、扉が開いた。

「やあ、おはよう」

鳳凰は黒いハイネックのセーターに、スラックスといういでたち。髪もきちんと整えられていて、どうやら今の今まで寝ていた、ということはなさそうだった。昨夜かけていた眼鏡は、もうかけていなかった。今の方が、自然に感じられる。

「あの、パジャマ、返しにきました」

「やあ、わざわざありがとう」

「あ、あのう、洗った方がいいかなと思ったんですけど、鞄とかがなくて……そのう」

 言ってしまってから、なんて言い訳がましいんだろうと我ながら嫌になってしまった。でも、こういう時、なんて言えば良いんだろう? やっぱり、「洗ってからお返しするので、袋か何か貸していただけませんか」と言うのが、正解なのかな。僕、こういう場面でいつも間違いばかりしている気がする。

 ひょっとすると不愉快な思いをさせてしまったかもしれない、とちょっと不安になったのだけど、鳳凰は特に気にしていないのか、にこやかな表情のまま、

「ああ、いいよ、別に。たった一回着ただけで洗濯までしてもらったら、こっちのほうが申し訳ないからね。どう? 着心地は悪くはなかったかい?」

「ええ、良かったです」

「そりゃあ、そりゃあ」

 僕の言い方がおかしかったのだろうか、鳳凰はけたけたと笑った。

「いやあ、それにしても、ちょうど良いときに来たね、きみ」

「なにがですか?」

「なにがって、決まってるだろ、朝ごはんだよ。ちょうど、降りようと思ってたところだったんだ。一緒に行こう」

 鳳凰はパジャマをベッドの方へぽんと投げると(おかげで、せっかく畳んだのがぐしゃぐしゃになってしまった。頑張ったのに……)、

「さあ、行こうか」

 と言って、部屋から出て来た。そのとき、彼の肩越しに、ベッドの上にクマのぬいぐるみが座っているのが見えた。

「――はい」

 鳳凰の両手が、僕の両肩にそっと添えられた。何か、意図のあってのことだろうか。鳳凰が僕の耳元で、ぽつりと呟いた。

「きみがあれを着ているところ、見たかったな」

 僕は、なんと答えればいいのかわからなかった。

 

 食堂には僕と鳳凰以外、つまり霊亀と麒麟、それに緑野の三人がいた。

 テーブルの上には、すでに朝食が並び始めている。

「グッドタイミングだったみたいだね」

「鳳凰さんと応龍さん、おそよきですね。朝ぁ、よやいんでしょう?」

 麒麟が「おはよう」の挨拶もなしに話しかけてきた。舌が回っていないせいで、すぐにはなんと言っているのか、わからなかった。頭はぼさぼさ。腕の中には、薄汚れたペンギンのぬいぐるみ、もとい、モロミツ。麒麟の方が、僕たちよりずっと「朝の弱い人」に見える。

「そんなことないよ、皆が早起きなんだ。まだ八時にもなっていないんだよ、ねぇ?」

 鳳凰に同意を求められ、僕は「はぁ」と間の抜けた声でそれに応じた。

 テーブルの上には、朝食がすでに並んでいた。

 フレンチトーストに生野菜サラダと焼いたベーコンが、ひとつの皿に盛られている。カップの中に入っているのは、香りからしてコーヒーのようだった。その隣の小さな入れ物に入っているのは、ヨーグルトらしい。はちみつがとろりとかかっていた。

「わ、美味しそうだね。ちょうどいいタイミングだったみたい」

 鳳凰は「いただきます」と手を合わせると、早速フレンチトーストを頬張りだした。それを合図にしたように、僕たちもそれぞれ食事を始める。

「いよいよだね」

 フレンチトーストを食べ終えたところで、鳳凰は待ちきれない、と言うようににっこり笑顔をみせた。それは、クリスマスパーティを心待ちにする小さな子どものそれに似ていた。

「今日の昼ご飯は、正午ちょうど。お楽しみは、そのあとだ」

「楽しみです!」

 明るい声で応じたのは麒麟。フレンチトーストの油でべとべとに汚れた手を、頭上でぶんぶん振り回している。行儀が良いとは言い難い。というか、悪い。

「お、麒麟くん、もう〈謎〉は見つかったの?」

 

BLにしたかったのか、なにか意図があってのことか、忘れた。

4万字越えてるね!いっぱい文字が打てたね!

無駄に小説まがいを書いて、得たものは1つ!文字入力が上手にできるようになっただけ!

つらい!