私は

幼い頃、両親が怖かった。
小学生のころは、家に帰るたび、母が怒っていないだろうか、なにか自分も忘れてしまったような怒られる要因が発覚してはいないだろうかと恐ろしかった。
家の中で名を呼ばれるのも怖かった。特に別室から呼び捨てで呼ばれると(ふざけた呼び方をするときは怒っていないので、安心して近寄れる)、何かあっただろうかとビクビクしたものだ。
眠る時も怖かった。「おやすみなさい」といい、布団に入る。すると廊下をぱたぱたと歩く音がする。なにか怒られる理由があって、叩き起こされるのではないかと恐ろしかった。実際、「狸寝入りしてんじゃねえよ」と怒鳴り散らされたこともある。あれはなかなか近所迷惑だったのではないか。理由までは覚えていないが、確か私が就寝後に母が私の筆箱の中身を確認したら、消しゴムがなくなっていた、とかだったと思う。
どうして、こんなに両親を恐れていたかといえば、単純に怒られることが多かったからだ。
普通の子とは少々違う理由で怒られ、叩かれ、階段から突き落とされていた。これ、虐待じゃないか? 幸い、後遺症のようなものは身体には残っていないが。精神的には知らない。この精神的な問題の原因を、そこに求めてよいのかわからないから。
怒られる要因を書きだしてみると、こんな感じである。

・左手でものを書いた。(右利きになって欲しかったらしい)
・ものをなくした。(昔は文房具などを高頻度でなくしていた。今もよくなくすが)
・片づけが出来ていない。(今も出来ていないが、何も言われない。たぶん、昔の対応はまずかった、虐待一歩手前くらいだったと自覚して、言いにくくなったんだと思う)
・通信教育を予定通りに進められなかった。(興味のある部分は一生懸命やるのだが、飽きるとまったくやらなくなる。通信教育は高価だったろうから、これは怒られても仕方あるまい。これが理由で私は父に階段から突き落とされた。ついでに階段から落ちたあと、玄関に突き落とされた。なぜけがをしなかったのか)
シャーロック・ホームズなど推理ものばかり読みふけっていた。(母としては、赤毛のアンのような名作を読んで欲しかったらしい。ホームズだって名作だと思うのだが)
・友達と遊ばない。(友人を作らずに、小中学生時代は読書ばかりしていた。出かけるとしても習い事ばかりで、友達と遊べと口酸っぱく言われた。情けない、病気じゃないかなど散々な言われようだった)

あ、なんか辛くなってきた。
「あんた病院に行ってみてきてもらいな。頭がおかしい。」などと小学校低学年に向かって言える母も母だが、それほど私がひどかったということか。どれだけひどくても、子どもに向かって言って良いことと悪いことがあると思うのだけど。

両親や周囲の大人の態度を思い返すに、私は大人に好かれる子どもではなかったらしい。
両親の目には可愛げのない子として映ったようだし、教師にも可愛がられた記憶がない。大人が嫌いだった。というより、人間が嫌いだった。苦手だった。
話も通じないし、なにより私のことを可愛がってくれる人がいなかった。今もいない。
だから、親と友人同然に仲が良かったり、大人に可愛がられたりしている子を見ると無性に羨ましかった。今でも可愛がられている人を見ていると、空虚感に襲われる。なんというか、胸のどこかにぽっかり穴が開いているのを強く意識してしまう。
子どもの頃、私は取り立てて良いところもない、平均のちょっと下くらい。誰にも褒められたことはなかった。運動が出来ず、面白くもなかったので疎まれはした。スポーツに関しては常に足手まといとなっていて、運動会などその最たるものだった。
褒められる経験がほとんどなかったので、中学生の時、模試を受けて「小論文」のカテゴリ内で1位を取れたときは嬉しかった。また英語の授業で、「訳し方が自然で上手」と褒められたことも覚えている。
高校のとき、小説を書く授業があった。そのときも、世辞じゃないのか、それとも夢かと疑いたくなるくらいほめてもらえた。あんなに褒められたことなんてなかった。
今思えば、そんな経験があったから、今でも小説を書いているのかもしれない。でも、今はもうだめだ。面白くもない。書けもしない。
誰にももう褒めてもらえなくなってしまった。
「他人に褒めてもらうだけがすべてじゃない」というのは簡単だ。でも、私は人一倍承認欲求が強い。子どもの頃、何もなかった分、他人よりも何かが満たされないまま大きくなってしまった。幼い頃だからこそ享受できたものを、私は一切受け取れないまま、今まできてしまった。
誰かに認められたいし、褒められたい。愛されたいし、可愛がられたい。わかってもらいたいし、ともに楽しい時間を過ごしたい。人間は自分の意識だけでは存在できず、他人に肯定的に認められることによってはじめて確立した存在となれるのではないか。だから、私は誰かに肯定的に認めてもらいたい。
でも、私は私としか話さない。だから、誰にも認めてもらえない。私のことは私しか見ていない。私は私がわからない。私は私が好きじゃない。かといって、死ぬのはきっと苦しい。苦しいのは嫌だから、死なない。手元にあるのは空虚感と、まやかしばかり。
苦痛だ。でも、どうしようもない。

夢が

夢がかなう夢を見た。

見ている時は幸せなのだけど、目が覚めた時の絶望感といったら。悪夢の時の数十倍、疲れる。

夢が現実になったためしがない。絶対に、夢の内容とは真反対の方向へ私の人生は転がっていくのだ。ということは。やっぱり、夢は夢として諦めた方が良いのかな。ならば、早死にしたい。自殺する度胸のない自分が憎い。

昨夜は月が綺麗だった。真夜中にふっと目が覚めて、自分が月光を浴びていることに気づいた。月光って浴びれるんだ、と感動すらした。

月の光は人を狂わす、みたいな文章を昔読んだ気がする。

だからあんな夢を見たのだろうか。

月に、お願いなんてするんじゃなかった。

大学院とか、気になるニュースとか。

7月が始まった。

院生生活を始めて4か月目に突入したことになる。いや、早くないか。

7月末には、教授と修士論文の方向性について話し合わねばならない。

今、興味のあることは2つあり、カテゴリとしては同じなのだが、研究のための手法がことなってくる。ひたすら記録(全国に散らばっているであろう資料)を集めて分析するか、実際に色んな人に協力してもらって実験をして、それをまとめて統計を取るか……悩ましい。

ところで、大学院に入って3か月。一人の先輩と何度かお話をするチャンスがあったのだけど、院の世界もなかなかどうして、複雑なのだなあと実感した。

私がいるのは……いや、わりとマニアック?な分野の院なので、ここには書かない。しかし、社会人の多い院である。

何年か働いて経験を積んでから大学院に来る人も多い、ということ。

すると、その人たちは当然といえば当然なのだが、その働いたときの経験をもとに研究を進めようとするらしい。というか、働きながらその中で問題意識を抱いて、それを研究テーマにしようと決めてから、院に来るのかな。

で、全部がそうだというわけじゃないけど、その中にはただひたすら、労働環境改善を訴えるだけ、みたいな人もいるらしく。

それは研究一筋で来た人には、不評で。

労働環境改善を訴える系の発表がされると、それは研究じゃない、という注意が入るらしい。

正直、私はまだ「研究」と「それ以外」の区別が余りついておらず。

興味関心があれば、全部「研究」になるんじゃないかなあ、とか思ってしまう。

それ以外にもいろいろ聞いたけど、これ以上は個人がバレる可能性があるので、このへんで。

 

最近、将棋の藤井聡太四段が気になる。

連勝記録はストップしたものの、それにしたって29連勝は凄い。

しかも14歳なのに、まったく浮かれる様子がない。

連勝についても、連勝はいつか止まるものだから、みたいな風にコメントしていたり、他にもおぉ、と思うようなコメントがいくつもあった。(きちんとメモしておくんだった)

ただただ尊敬だなァ……

今回の対局はとても気になっていて、今日1日で何度もニュースサイトを確認してしまった。

こういうニュースが気になって他のことが手に着かない、というのは個人的にちょっと楽しい。

少なくとも好きな歌手が逮捕されて、それが気になって……というよりは数倍幸せな気持ちになれる(思い出し傷つき)。

それでなくても最近クサクサしていたところだった。

藤井四段のニュースや、あのコメントに何となく救われたところがある、と思う。

ありがとうございます。といいたいくらい。

cgi2.nhk.or.jp

次は、NHK杯森内俊之九段との対局とのことで、楽しみにしていよう。

高度な対局になるんだろうな……それまでに、もうちょっと勉強しておかないと。

昔、ちょっとはまって勉強したりはしていたのだけど、もうほとんど忘れてしまった。穴熊が好きだった。


追記 藤井四段、7/6に順位戦があるので、あきらかにそちらが先だ。

今把握しているのは、

7/6 順位戦 対・中田七段

7/13 順位戦 対・高見五段

日程不明 NHK杯 対・森内九段


くらいかf:id:Ashiroki:20170702232653p:plain

今週の予定にもきちんと載っていた。(7/6分)

ところで、このアプリ、なかなか良い。

有料分も購入しようかな。

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反省と記録と諸々

毎晩、寝る前に「今日は何をしたか」を思い出すようにしている。

というのも、なぜだか知らないけど最近、布団に潜り込むたびに「あれ、今日、何もしていない…?」という不安に襲われるので。

それで「ああ、今日はこんなに活動していた、良かった」と思う日と「え? それだけ……?」と余計に不安になる日とがある。本当に「何もしていない」日は、今までのところないけれど、そんな日が来たりしたら、私、発作起こしちゃうんじゃないかしら。

で、今日の一日の流れと反省。

6:30 起床。6:00に目は覚めているものの、床から抜け出すことが出来ない。朝は常に、意味もなく陰鬱。

7:45 出発。図書館のアルバイトへ。

9:00 図書館のアルバイト開始。

    返却された本を棚に帰す。雑誌の新刊の配架。

    終わり際には本の修復講座や本の仕組みのことを教えてもらったり。また時間があれば書きます。文庫本をハードカバーに変える方法があるなんて、私、知らなかったよ。

12:00 アルバイト、終わり。3時間という短時間なので、私のように集中力がない人間でもダレることはない(笑)

13:10 3限目。学芸員資格関係の授業。明日の1限が憂鬱で、なぜかこの時間に精神不安定に。集中できなかった。弱いなあ。

14:40 空き時間で、明日の1限目の発表準備。ほぼ終わる。

16:40 5限目。知らないうちにウトウトしていた。好きな授業なのに!  私のバカ……先生、ごめんなさい。

18:10 明日の発表の準備を終わらせ、夕飯。学食で食べたサーモンとレタスと玉ねぎがのった丼は外れでした……。

20:10 7限目。政治系の授業。ルーズリーフにちょっと落書きしたら、思っていた以上に興に乗ってしまい……反省……いや、まったく聞いてなかったわけじゃないけど、先生、気づいていたと思う……来週は真面目に受けます。まったく、院生にあるまじき態度……。

23:00 帰宅。

……授業、もうちょっと真面目に受けられないのか。いえ、毎週、こんなんじゃないですよ。先週とか、もっとまじめに受けてたから!

……来週は、もっとちゃんと受けます。ああ、反省……。

 

ファンというもの

ファンというものが苦手だ。

ファンを自称する人たちの間にある、
ファンならこれくらい知っていて当然
ファンならこうあるべき
ファンならこれは喜んで受け入れるべき
みたいな風潮が苦手だ。

高齢の歌手になってくると、その子供も歌手、なんてことも多く、これもまた面倒だ。
好きになるのは勝手だが、
◯◯さんの子供だから
という理由で応援するのは、なんだか違うように思う。
その人は、その親子関係という繋がりがそこになくとも、その子供の方の歌手を応援していたのか?
しないと思う。
親子だから、考えなしに応援して後付けで誉め称えているんじゃないか。
結局、興味があるのは◯◯さんの子供、というステータスなのだ。
ずるい、とも思う。
親のお陰で、ある程度の基盤が出来上がっているのだから。
私は否定されてばかりなのに。
平凡な家庭で両親に否定されて生きてきたのに。
この差は何。
ずるい。

最近の愚痴

愚痴ばかりである。

というか、つい昨日、某アイドルグループの某恒例行事(笑)のニュースを目にし、いろいろもやっとしたので書く。

そもそも、シングル曲のセンターを投票で決めること自体、どうかと思うが(一人一票ではなく、金さえあればいくらでも投票できるシステムのため、余計にモヤる。1枚ずつ買ってくれるファンを100人獲得するより、110枚買ってくれるファンを一人獲得した人間のほうが勝る、というのが理解しがたい)、それを国民的行事のごとく代替的に取り上げるのもどうかと思う。

今朝の朝刊には、その結果まで載っていた。そんなことを書かないと紙面が埋まらないのか? 平和で結構なことだ(アホクセ)。

結婚云々についてもアホクセーとしかいえない。議論するほどのことでもなかろう。アホクセーの一言に尽きる。

ついでに、これはホントウにただの感情論なのだが、自分の好きな歌手C&Aが、そのグループを手放しに誉めているきらいがあるのも嫌だ。

あの人たちは、あのグループのCDの売り方やらなんやらを理解したうえでほめているのか。だとしたら、アホクセーここに極めり、である。

C&Aは楽曲自体は好きなだけに、余計につまらない、と感じてしまう。

楽曲自体は聴き続けるが、そのうちコラボなんてことになったら、本当に聴くのをやめるかもしれないし、CDも処分すると思う。

まあ、それでなくても飽きたら処分するかもしれないが。

特にAさんの方に関しては、ブログで幾度か「は?」と首をかしげることもあり、なんというか、ついていけない、というのが本音である。ファンの独特の(ファンなんてのは、どこも「独特」であり、別にAさん界隈だけがそうだといいたいのではない)空気に馴染めなかったというのもあろう。

作品が好きだからと言って、その製作者のことまで好きでいられるとは限らない、ということだな、ウン。

だんたん混沌としてきたので、これでお終い。最近の癒しがソシャゲとミステリ(あとマンガ)くらいしかないのが、悩み。あーあ、つまらない! 人生なんてつまらない!!世の中も現実も全部つまらないし、かといって今死ぬと部屋の中のあれやこれやを他人に見られる危険性があり、それを片づけてから死にたい、と思ったりしている。あと、FGOの新宿のアーチャーをひいてから死にたい。

おわり

嫌いな教授の話

嫌いな教授がいる。

なにもかも、波長が合わない。

恐らく向こうも同じように思っているであろう。

水曜日の朝っぱらから、嫌いな人間と顔を合わせねばならないのだから、たまったものじゃない。

いや、嫌いな人間と顔を合わせるのなんて、いつなんどきでも嫌なのだが。

週の真ん中の朝くらい、もう少し爽やかに迎えさせてくれ。

しかも火曜日は七限まであって、就寝は1時過ぎ。それで朝は6時には起きて、その教授に会いに行く……バカバカしすぎる。睡眠時間返せ。

私とて、何も理由なくその教授のことを嫌っているわけではない。それなりに理由はある。

まず、その授業は院の専門科目であるということもあってか、受講生は少ない。今年度は何と、私をいれて2人である。2人だぜ?

で、この2人と言うのが、この授業を私にとってより地獄絵図と化させている。

仮にそのもう一人の受講生をAさんとしておく。

例えばAさんが発表する。すると教授は手放しでほめる。「Aさん、良く気づいたね」「Aさんは頑張っていて偉い!」

で、そのあと、きちんとこう続けてくださる。私、シロキに向かって、

「シロキさんも頑張って」

ほう。私は頑張ってないと。どれだけ意見を述べて、調べ物をして、質問に答えても頑張ってないと!

しかも納得がいかないのが、私とAさんの発言の質は、正直ほとんど同じであるということ。

また、私が発表している間の教授の態度。これも嫌いだ。

話しが前後するが、この授業は、とある論文集に掲載されている論文について、受講生が順繰りにまとめて発表すると言うもの。輪読、というのだろう。

レジュメをつくって、それに沿って発表する。

のだが。

私の発表を聞いている時の教授の態度の悪いこと。

手足はもぞもぞ、まあ、つまらなさそうにしている。ガタガタと机やいすの音をたてながら動くものだから、目ざわりったらありゃしない。

私の発表がつまらないのは認める。

だけど。

もうすこし大人しく聞けよ。

せいぜい10分の発表だろうがよ。

Aさんのときは大人しくしているくせによ。

てめえ、もう50過ぎの大人だろ。

22歳相手に大人げねえと思わないのか。

しかも、発表後のダメ出しは、

「レジメの行間が狭い」

というもの。

読みづらいという意味かと思ったら、

「行間に字を書きこめない」

お前、行間に何書くんだ。

ていうか、余白なら他にもあるだろ。

そこにメモしたいなら書けよ。

……といえるはずもなく、はい、すみませんと謝り、その次の発表では行間をあけて作成。

……あの教授、発表中、レジュメに書き込むようなそぶりを見せていなかったぞ。

どういうことだ。

他にもダメ出しとしては、

「声が暗い」「抑揚つけて発表して」

これ、私だけにいわれたんだけど。抑揚がないのはAさんも同じなのに、私だけ声に表情がないとか。ぼろくそに。声って、生まれつきのもので、暗いといわれてもね。喋り方が暗い、ならまだしも。

どれだけ頑張って調べて、どれだけ頑張ってレジュメ作って発表しても、意味の分からないダメ出しで終わる、いやな時間。

しかもAさんとあからさまに比較され、けなされながらだから余計にしんどい。

一つ、救いがあるとすれば、そいつが他大の教授であるということか。

他大の教授なので、水曜日1限が終わると自分の大学へさっさと帰って行く。

キャンパスを歩いている時、ばったり出会うことがないというのは救いだ。

はやく春学期が終わって欲しい。

嫌なことばかりだけど、この時間は突出して嫌だ。

良いことはないのに、嫌なことはなんでこんなにたくさん続くんだろう。