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創作

桜のある家

 

 改札を抜けると目の前に坂がある。幅広の、勾配の急な坂をしばらく上ると、一本の桜の木が見えてくる。その木のある家こそ、私の目的地にほかならなかった。

 庭先に植えられた一本の桜の木は、まだ蕾は固く花びらを散らすまでには、まだいくらか日にちがかかりそうだった。その蕾を見上げ、私は上手くやらねば、と思う。

 枝の下をくぐり、私は玄関先に立つ。日本家屋の引き戸を二、三度叩き、「ごめんください」と声をかけると、ぱたぱたと誰かがかけてくる音が聞こえた。

「はいな」

 扉を開けてくれたのは、ひとりの少女であった。彼女はこの家の小間使いである。十四、五歳といったところであろうか。

「奥様に診察を頼まれた医者ですがね。奥様、いらっしゃるでしょうね? 今日のこの時間にご予約いただいているはずですから」

 私がいうと少女は「はあ、はい」と頷いた。

「今日はせんせがいらっしゃると、奥様、いってらしましたなあ。さあ、あがっておくんなまし。お部屋に案内するよう、いいつかってます」

 少女はくるんと踵を返すと、ぱたぱたと廊下を歩き始めた。私も靴を脱ぎ、それに続く。中庭を横目に回廊を抜け、二、三度まがったところで少女は立ち止まった。桜色の襖の前であった。

「奥様、せんせがおいでですよ。そいじゃあ、私はこれで」

 それだけいうと少女は私が礼をいう間もなく、姿を消していた。

「どうぞ」

 襖の向こうから、小さな声。儚げなその声は、しかし風鈴の音のように私の耳奥に響いた。

 では失礼と声をかけ、襖を開ける。十畳ほどの和室には家具らしい家具はなく、ただ部屋の中央に布団が一枚、敷かれていた。〈奥様〉は布団の上で半身を起こし、顔をこちらに向けていた。腰から下は掛け布団に隠れている。

 肌は青白く、目は落ちくぼんでいたが、それでも彼女が美人であることに相違なかった。黒髪を無造作に後ろでひとまとめにしている。そのせいでか首がより一層細く見えた。以前会ったときより、痩せた気がする。

 私はふっと、視線を彼女から窓の外へと移した。この部屋唯一の窓は、私が今立っているところのちょうど正面にあるものだから、ついそちらに目が吸い寄せられてしまったのだ。猫間障子の向こうには桜の木が見えていた。つい先ほど目にした、玄関先の桜である。ずいぶん奥へ来たと思ったのに、いったいこの家はどんな構造をしているのだろう?

「先生、どうもすみません……こんな恰好で……」

 囁くように彼女はいう。いいえ、お気になさらず、といいながら私は彼女のそばに腰をおろした。

「お加減はいかがです?」

「はあ……そのう、私、身体が弱いんですの。幼いころから。それで今でもいろんな先生にみていただいているのですけど、最近、心のほうまで調子が悪うございまして。はてどうしたものでしょうと思っておりましたら、先生の……貴方のことを耳にしまして、それでお願いした次第ですのよ」

 彼女は前に会ったことなど、すっかり忘れてしまっているようだった。いや、違う、彼女にとってはこれが初診なのか……私は未熟者なので、そこのところは未だによくわからない。しかし、そんなことはたいして重要なことではなかろう。

「心のほうまで調子が悪い、とおっしゃいますと、なにかよくないことでもおありなのですか? 不安なこととか……」

「はあ……そのう……」

 彼女は躊躇うように目を伏せた。長い睫毛が目元に陰鬱な影を落とす。

 十秒以上経ってから、彼女はようやく言葉を続けた。

「夢を、みるんですの」

「夢、といいますと、あの眠る間にみる、夢、ですか」

 将来の夢の話をするために、精神科医を呼ぶ人はなかなかいないだろうが、つい、確かめてしまう。いいや、これも重要なことだ。

 彼女は「ええ」と、首を少し前に曲げた。

「夢を毎日、みるのです。それも同じ夢を、どうやらみているようなのです」

「どうやら、ですか? 確信は持てない、ということでしょうか」

「ええ……いえ、同じ夢ではあるのです。けれど、はっきりとは覚えていないのです。何度もみているというのに、目が覚めるとその中身を殆ど忘れてしまっているのです」

「……はあ。なるほど。でも、同じ夢だと思われるということは、少しは覚えていらっしゃるんでしょうね?」

「はい、まあ……なんとなく、ですが」

「どのような夢だか、お教え願えませんか」

「……不気味な夢、ですの」

 彼女は朧げな記憶の断片を、ちょっとずつ拾い上げるように、ぽつりぽつりと話し始めた。

「場所はこの寝室で……私は布団の上に座っておりました。ちょうど、今のように。……それから、部屋には人がおりました。顏は……覚えておりません……知らない女の人です。どんな人だったか思い出せないのですが、女性であったことはわかるのです。……ああ、それから、そこの窓から見える、桜が満開でした……今はまだ蕾ですね」

「それだけ、ですか?」

「いいえ」

 彼女はゆるゆると頭を左右に振った。やや躊躇った後、彼女はこう言葉を続けた。

「私は、その女性を殺すのです」

 無意識のうちに、私は生唾を飲み込んだ。ああ。いよいよ、話の核心だ。

「なぜ……?」

「覚えていません……だって、その人のことも覚えていないのです……ただ、この部屋で知らない女性を殺す夢を、繰り返しみるのです。何度も、何度も……私、もう、疲れてしまって……」

 彼女は苦しそうに両手で顔を覆った。

「それはお辛いでしょうね」

 そして、私の視線はつい、と猫間障子のほうへ吸い寄せられた。それは、自分の意識とは無関係の、見えざる力によるもののように思われた。気づけば私はそちらを見ていたのだ。

 そして。

 障子の向こうに見える桜の木は。

 いつの間にか、満開になっていた。

 白い花びらがひらりひらりと、ガラスを通り抜けて部屋の中へ舞い込んでくる。

「あ」

 また、やってしまった―

 後悔するだけの余裕もなかった。

 それまで苦しそうに身体を丸めていた奥様が、急にむくりと立ち上がる。その右手には、この空間にはまるで似つかわしくない大振りの包丁が握られていた。

 振り上げられる右手。刃の先端が私を狙い定めている。

 私は、無抵抗であった。

 刃は、私の胸元に振り下ろされ、深々と突き刺さった―

 声が出ない。

 視界が真っ暗になる。意識が急速に薄れていく。

 まだ、まだなのに……。

 また、失敗してしまった……。

 私はようやく湧いてきた後悔の念を噛み締めながら、意識を、失って、……いった……―

 

🌸🌸🌸

 

 は、と目が覚めると、私は自分の寝室にいた。

 窓から朝日が差し込んでいる。人はこれを爽やかな朝、と表現するのだろう。

 しかし私の目覚め心地は最悪だった。これでもう何度目だろうか。

 上半身を起こす。身体には、なんの異状も見当たらなかった。寝巻を脱いで確かめても、姿見に裸をうつしてみても、一ミリの傷も見当たらない。しかし、私の気持ちが晴れることはなかった。

 私は精神科医である。

 国から医者と認められて五年。女というだけで不利益を被る、ということもないわけではなかったが、ひとりの精神科医としてそれなりに実績を積んできたつもりだった。

 私は特に患者の〈夢〉からその人の精神状態を推しはかり、治療につなげることを得意としていた。学生時代にフロイトユングを好んで学び、夢分析をテーマに論文も書いたのだから、当然のことかもしれない。私は兎角、夢というものを重視してきた。すべての〈夢〉には原因があり、理由がある。そして、それは必ず現実に繋がっている、というのが私の持論だ。

 それは、私自身についてもいえることだ。

 私はもう、十数回は夢の中で寝起きしている。夢が終わり、目が覚めれば、本来、そこは現実であるはずなのだが、どういうことだか私の場合、もう十数回も目覚めているのに、夢の中のままなのである。

 目を覚ます。名も分からぬ〈奥様〉のもとへ診察に赴く。名も知らなければ、そこへの行き方だって知らないはずなのに、私の足は確実にあの日本家屋にたどりつくことができる。

〈奥様〉の診察をする。話を聞く。聞いているうちに、蕾だったはずの桜が満開になっている。その花を見たが最後、私は〈奥様〉に殺される。殺された私は三途の川を渡ることなく、自室で目を覚まし―余談だが、どうしてだか現実の私の寝室と〈夢〉の中の私の寝室は、ずいぶん違ったものだった。だから、目が覚めた瞬間、現実か夢か判断できるのだが―……〈奥様〉のもとへ行く。

 これの繰り返しである。もう何度、殺されたことか。もうすっかり殺され慣れてしまった。ついでに〈奥様〉の話を初めてのふりをして聞くのも。というよりも、そろそろ飽きてきてしまった。殺されるのに飽きたというのも、おかしな話だ。

 それでも私が殺され続けるのは―〈奥様〉のもとへ通い続けるのは、やはり私が精神科医だからだろう。

 精神科医である以上、そして夢分析を得意としている以上、私は自分の夢を分析せねばならない。

 なぜ、私は殺されなければならないのか、あの〈奥様〉はいったい何者なのか、それを分析しないかぎり、私は現実へ戻ることはできないと思う。

 さあ、あの〈奥様〉のところへ行こう。

 今度こそ、分析せねばなるまい。

 今度こそ、簡単に殺されないようにしなければ。

 今度こそ、上手くやるのだ。

 私は決意新たに、着替えをすまし部屋を出た。あの、桜の木のある家を目指して。

 

―夢を、みるんですの……―

〈ポイ〉小説その2

連投。

パソコンの中を片づけたいもので。

これもまた、書きかけ……うーん、このあと、どうするつもりだったんだろう。

こうやって昔の原稿見ていると、こんなのでよく「小説家になりたい」なんていっていたものだとびっくりする。

2017年は公務員試験、頑張らないと。

「夢はみるものじゃなくて、かなえるもの」なんて言葉があるけれど、それは結局、才能と運に愛された人の台詞だと思う。

私にとって、夢はみるもの。良い夢をみれた、と若気の至りだった、と、満足しよう、もうそろそろ。

でも、最後に。

小説家が「小説家になる奴は、現実に折り合いをつけられなかったばかしかいない」というふうに自虐をするのは、好きじゃない。

あなたは、私が立てなかったステージに立っているのだから、もっと堂々と生きて欲しい。

 

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USBメモリ

昔のUSBメモリを開いたら、いつ書いたのかも覚えていない小説が出て来た。それも、書きかけ。

恐らくロジックにエラーが見つかって、書くのをやめてしまったのだろうけど、話の本当に始まりしか書いていないので、今となってはどこが問題なのかもわからない。

データが邪魔なので消そうと思ったけれど、なんとなくもったいないので、ここに〈ポイ〉しておこう。

 

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言葉を捨てる場所

2017年1月27日(金) 天気:曇天

鬱鬱としていて、文字を書くのも億劫だ。本当のところ、こうやってWordを開いて文字を打ち込むのすら、苦痛である。では、なぜ、こんなことをしているのかといえば、これが日記だからだ。ならば、なぜ、日記なんざ打ち込んでいるかといえば、それはひとえにリハビリのためだ。なにかせねばならないと、自分でもわかっているからだ。

小説も上手に書けず、小説家になりたいという夢はもはや、挫けたも同然のように感じる。もう少しだけガンバロウと言う自分もいるにはいるが、腕がついていかない。もうだめだろうと諦観の念の自分もいる。

朝、起きる。いいようのない焦燥感と、苦しみがある。コンプレックスによるものだということは、自分自身が良く知っている。バイトへ行く。へらへらしている。親睦を深めるわけでもなく、さっさと大学へ戻る。うかうかしている間に時間は過ぎ、家へ帰る。劣等感に苛まれつつ眠る。

今日は、袴を身に着け、写真撮影を行った。なんとなく、店の人の気持ちが伝わって来る。容姿端麗でもない人間の撮影なんて、楽しくもないだろう。使う気もないのに、店の宣伝に写真を使うかもしれない、なんて言って、同意書を差し出してくるなんて、卑怯だ。私のような器量の悪い人間は、それに対して「良い」とこたえようが「悪い」とこたえようが、得るものは同じ、滑稽な自分だけである。ああいうものは容姿の美しい者にお鉢がまわると、決まっているのだ。私のような不器量の写真をわざわざ使うわけがない。なんとも気分の悪い瞬間だった。はっきりいって、悔しい。「キレイにうつっている」とそれは、着物のことだけを褒めているのではないかと思い、ますます嫌な気持ちになる。

昔から、容姿がコンプレックスだった。

コンプレックスだらけで、それでも誰かから褒められたい、認められたいと思って努力したりもしたけれど、もう限界だと自分でも思う。

眠りたい。眠ったまま、そのまま、いつまでもいたい。だれもいない空間で。コンプレックスをもう感じたくない。

 

コンプレックスは苦しい。

苦しみは言葉に出して、捨ててしまいたい。

ついでに、言葉を紡ぐのは、自分にとってリハビリになるかもしれない。

だから、私は、ここを言葉の捨て場所にして、言葉をどんどん捨てていくのだ。

自分のことを、捨てていくのだ。