私が愛した少年たち

小説。完成品である。なんとなく、ポイと投げたい気持ちだったので。

本当に誰かに読んでもらいたいのなら、それなりのサイトに投稿すべきだろうか。

まあ、いい。

創作できれば、それで満足だし、これがどこかのサイトに投稿するほどのものでないのも知っている。

自分は気に入っている。それでいいんだと自分に言い聞かせる。

 

地上に残して来た美少年たちの遺体を取りに行くよう、業者に依頼をしに行く男の話。地下世界と美少年とジジイが書きたかった。

 

私の愛した少年たち

 

〈地上忘れ物代行人〉なる職業を耳にしたのは、地下生活を始めてちょうど五十年目の十月のことだった。

 ふだんテレビは食事時のBGMがわりにしかしておらず、その内容についてはこれっぽっちも聞いていない私だったが、耳慣れない、しかし妙に気がかりなその単語に、私はつい意識をそちらへ向けていた。

 どうやら「珍しい職業を紹介しよう」という朝の情報番組の企画の一つとして〈地上忘れ物代行人〉が紹介されていたようだった。

「ゴチョウモリ区のオフィスビルの一角にある、〈ソレイユ社〉。ここは、地上に忘れて来てしまった様々な思い出の品々を、代理で取りに行ってくれる……そんなサービスを提供している、N国唯一の会社です」

 そんな風に話を切り出し、女性アナウンサーが〈地上忘れ物代行人〉の業務や会社の歴史について説明をし始めた。

 パンを齧りつつ聞きながら、なるほど、地下へ移住した社会ならではの職業だな、と思う。もし、五十年前に地下へ移住という選択をせず、地上に生き続けていれば、こんな職業は考えられもしなかっただろう。

 人類が地下へ生活基盤を移し、はや五十年。当初はどこかぎこちなかった生活も、今ではまるで人類史がずっと地下で刻まれて来たかのように自然なものになっている。

 五十年以上前、地球という星は戦火に覆われていた。第三次世界大戦として現代に伝わる大戦争。大国は気が狂ったように化学兵器核兵器を用い、結果、地上のどこにも人類が安全に住めるような場所はなくなってしまった。

 たった一か月の出来事である。当時大学院生だった私は、ニュースでN国の敗戦と、地球上のほとんどが兵器によって汚染されたことを知った。それを観ている間も一分一秒、己の肉体が汚染物質によって犯されているかもしれないという事実に、恐れおののいたことを覚えている。

 そして、二〇四四年八月十日に終戦

〈戦争〉という名の熱病から醒めた人類、特に国のトップたちは地球の惨状に途方に暮れてしまう。このままでは人類どころか地球上から全ての生命が失われてしまう、と。

 そこで立案されたのが〈人類地下移住計画〉である。大戦中、核シェルターとして利用されていた地下空間を改造し、そこに街をつくって皆で移住してしまおうというものだった。

 当時はSFじゃあるまいし出来るわけがない、という意見も多々あったという。しかし、どんなに無謀でも実行せねば人類には滅亡の未来しかない。計画は実行され、成功した。あれから五十余年、人類は地下で何事もなかったかのように平和に暮らしている。

 そんな歴史を歩んできたからこそ〈地上忘れ物代行人〉なる職業が生まれたのだ、とアナウンサーは言った。やけにドラマチックなその説明を、要約すると次の通りである。

地下へ移住して十数年、その生活にも慣れてきたころ、新たな問題が現れた。「地上に残してきた物品を取りに戻りたい」と訴える人が出て来た。

移住を決行した当時、世の中は戦後の混乱期。とにかく地上から逃げなければの一心で、取るものも取りあえず、人々は生活の為に必要なものだけを鞄に詰め込み、安全だといわれている地下へと逃げ込んだ。そして皆が地下へ逃げ込んでしまうと、今度は地上への外出を厳しく取り締まる法律が立案、即座に可決。それをもって一般市民にとっては、地上はもはや隔絶された遠い世界のものとなった。

しばらくはそれでも良かった。皆、とにもかくにも地下の世界に慣れることに必死で、地上に残してきたもののことを思い出す余裕もなかったのだろう。地下世界にも慣れ、生活も安定してきてようやく、十数年前には気にかけている余裕のなかった〈忘れ物〉のことを思い出すようになる。私は知らなかったが、どうやらそれは、相当な人数から上がった声らしい。

しかし、だからと言って、そうやすやすと地上へ戻れるものでもない。地上は未だ、核戦争の名残に包まれ、防護マスク無しでは活動できない状態である。

そこへ登場するのがソレイユ社の社長だ。彼はカメラを搭載したロボットを地上へ送り込み、〈忘れ物〉を取りに行くことを提案した。そして、その事業を自分たちにまかせて欲しい、と。

彼らの申し出に、国は即座に飛びついた。国からの援助を受け〈ソレイユ社〉が設立され、今に至る。

これが三十五年前の出来事である。当時、社長は二十八歳だったというから、ずいぶん立派なものだ。

設立時の社員は、社長と副社長の二人のみ。しかも二人揃って外国籍の人間らしいから、起業に当たって余計に苦労したのではないか。

〈ソレイユ社〉の沿革も終わり、副社長へのインタビューが始まっていた。

 副社長は、齢は六十前後といったところだろうか。目元や口元には、年相応の皺が刻まれていたが、立ち姿は凛としており、二十代のような若々しい雰囲気をまとっていた。濡れ羽色の豊かな髪が、一層それを引き立てているのかもしれない。

「具体的には、どういったものを取って来ていただけるのでしょうか?」

「なんでも……取りに行くことが出来るものであれば、基本的には何でも承っております」

「どんな依頼が多いですか?」

「それも色々ですね。思い出の品は人それぞれですから」

 なんでも……なんでも、か。本当になんでも受けてくれるのだろうか? ……人間の死体も、構わないだろうか?

 これは運命なのかもしれない。

 私がそんなことを思案しているうちに、副社長へのインタビューは終わり、スタジオの映像に戻ったようだった。

「飛び込みの依頼も受け付けていらっしゃいますが、インターネットや電話で予約すると、よりスムーズに受けていただけるそうです」

 アナウンサーの言葉を聞き、私は「依頼してみようか」と思い立った。私は生来、慎重な方だと自分では思っている。しかし、その時は、依頼してみようと考えた途端、実行せずにはいられなかったのだ。

「あ、ヴァンさん。朝ごはん、もう良いんですか?」

 聞き慣れた男の声が頭上から降ってきた。家事代行業者のルルウである。彼には週五日、食事の準備や洗濯物など身の回りの世話をしてもらうために、家事代行派遣業専門の会社から派遣で来てもらっていた。彼の来ない週二日は、近所に住む甥夫婦の世話になっている。独り身のまま年老いてしまった私にとっては、ありがたいことだ。彼らのおかげで、孤独も感じずに済んでいる。

「ええ、結構です。どうも」

「パンばかりじゃバランス悪いでしょう。野菜はいいんですか? もし、お食べになるなら、用意しますけど」

「いいえ、朝は入らないんで、もう結構です。それよりも、ちょっと電話をお願いできますか」

 最新式の電話の使い方が、私にはイマイチ分からないのだ。だから、自分では電話をかけられない。あれは、機能が多すぎると思う。

「ソレイユ社に行きたいのです。知っていますか?」

「あー、知ってます知ってます。地上に置いてきちゃったもの、代わりに取りに行ってくれるんでしょう? うちのバアチャンがこの間、化粧台をお願いしていましたよ」

「そうだったんですか」

 意外なところに利用者はいるものだ。

「どうでしたか?」

「うん、良かったみたいですよ。僕が行ったわけじゃないですけどね、バアチャンとオフクロが事務所行って化粧台と一緒に帰って来たんですけど、まあ二人ともご機嫌で。社長が綺麗な人だった、ロマンスグレーだ、いや綺麗な白髪だったからロマンスホワイトだなんて大騒ぎしてました」

「はあ」

 社長のビジュアルはどうでも良いのだが。

「頼んだら、すぐ取りに行ってくれるんですか」

「うん、手が空いていればそうみたいですよ。ヴァンさん、頼みたいものでもあるんですか?」

「ええ、ちょっとね。だから、予約の電話をお願いしたいのですよ」

「良いですよ」

 幸い、ルルウは「何を頼むのか」は訊いてこなかった。「人の死体」なんて言ったら、ソレイユ社ではなく病院の予約を入れられてしまいそうだ。

「いつ行くんです?」

「今日、できたらこれから行きたいのですが」

 さすがにルルウは驚いたようで「そりゃ、また」と一オクターブ高い声で言った。くるんと目を見開いて、

「急すぎません?」

「さっき、テレビで紹介されていまして。熱が冷めないうちに、行こうと思ったんですよ」

「はあ」

 ルルウはそれ以上訊ねてはこず、すぐに予約の電話を入れてくれた。「今日って何時くらいなら、大丈夫ですか?」「あ、そうですか」「はい、どうも」と、数度、やり取りをした後、私に向かって、

「ヴァンさん。一時間後でどうです?」

「ええ、大丈夫です」

 安易に頷いた後、うちからソレイユ社まではどれくらいかかるんだろう、そもそもソレイユ社はどこにあるんだ? と不安になったが、マア、どうにかなるだろう。交通機関が発達したおかげで、ずいぶん移動時間も短縮された。

 私の気を知ってか知らずか、ルルウはわざわざソレイユ社の所在地を調べてくれたようだった。

「ソレイユ社、ここからタクシーでなら二十分ほどですね。歩いてはちょっと遠いでしょうから、タクシー、呼びましょうか」

「ええ、お願いします」

 タクシーで行くなら、時間には余裕がある。慌てず身支度を出来そうだ。

「あ、そうだ。依頼したいものが写っている写真なんかがあったら、それを持って来て下さいとのことだったんですけど、そういうの、ありますか?」

「写真、ですか」

 私はちょっと悩んでから、ルルウに頼んだ。

「そこの戸棚にアルバムがあると思うので、取っていただけますか。それを持って行くことにします」

 果たして、こんなものが役に立つのかどうか分からないが、持って行かないよりいくらかマシかもしれない。ルルウに手渡された物が目的の物であることを確認し、外出用の鞄に入れてもらう。

「僕、ついて行きましょうか?」

「いえ、一人で行きます」

 ルルウの申し出はありがたかったが、受け入れるわけにはいかなかった。依頼することがことなのだから。

 三十分後。ルルウに手伝ってもらいながら身支度を終え、杖を片手に家を出る。自動運転のタクシーには運転手は乗っておらず、ただ車輪のついていない車が、家の前に鎮座していた。まったく、車もずいぶん変わってしまったものだ。

「正午までには、戻るようにしますから」

 私がそう告げたのと、扉が閉じ、タクシーがふわりと浮いたのはほぼ同時だった。「うわ」と思わず悲鳴をあげてしまう。四十年前に実用化され、今では珍しくもなんともなくなってしまった空中を走る乗用車。目的地までの所要時間が短くなったのも、この乗り物が登場したおかげだ。

 運転手がいないので、雑談をする相手もいない。タクシーに搭載されているAIは「シートベルトをご着用ください。走行中にむやみに動いたり、扉を開けたりするような危険行為はおやめください。また、車内のスイッチなどを無断で触らないでください」と警告したあとは、すっかり静かになってしまった。

 しんとした車内で、私は過去のことに思いを馳せていた。私の愛した少年たち。彼らなら、この〈空中タクシー〉を見て、どんな顔をしただろう……?

 よく笑う子どもたちだった。……もう一度、あの美しい子どもたちを、この腕で抱きしめたい。頬に生暖かい感触が滑った。

 

***

 

 タクシーはオフィス街の上を抜け、そこからやや離れたところに建っているビルの前に着地した。支払いを終え、タクシーを降りる。

 どうやら、雑居ビルらしい。入口の電子案内板を見ると、二階はまるまるソレイユ社とのことだった。

『本日は、どちらの会社をご訪問ですか?』

 案内板から柔らかな女性の声が流れてきた。どうやら、センサーが私の感知し、一定時間以上、案内板を見ていたことから客だと判断したらしい。

「ええと、〈ソレイユ社〉に」

 機械との会話と言うのは、どうにも慣れない。気恥ずかしさから、どうしてもモゴモゴと口の中で喋ってしまう。

 幸い、案内板の方は私の不明瞭な声をきちんと聞き取ってくれたようだった。

『ソレイユ社、ですね。少々お待ちください』

 しばらくすると、ビルの中から見覚えのある男が姿を現した。

「ヴァン様でいらっしゃいますか?」

 先ほどテレビから聞こえてきたのと、寸分変わらぬ声。

「ソレイユ社副社長のナナカマドです」

「あ、はあ、どうも」

 まさか、副社長直々に出迎えてもらえるとは思っていなかった。

「お待たせしました。どうぞ、こちらへ」

 挨拶もそこそこに、二階へのオフィスへと案内してもらう。

 オフィスは、想像していたよりもずっと広く、整然としていた。人が誰もいないから、余計にそう見えるのかもしれない。

「数少ない社員は、皆、出払っているか休みでしてね。社長もついさっき、役所へ出かけて行きまして、今は私一人なんですよ」

 不審に思われないためだろう。私が何も言わないうちから、副社長はそう説明をしてくれた。

 私が案内されたのは、オフィスの奥の応接室だった。

「どうぞ、おかけください」

 すすめられるまま、ソファへ腰をおろす。

 と、ナナカマド氏は踵を返すと、応接室から出て行ってしまう。どうしたのかと思ったら、しばらくしてティーカップが載った盆を持って戻って来た。

「紅茶です」と言い、カップを机の上に置いてくれる。なるほど、誰もいないから、来客用の茶を淹れるのも彼がしなくちゃならないのか。

「うち、コーヒーは置かない主義なので、紅茶一択ですみませんね」

「え? あ、いや、お構いなく。ありがとうございます」

 私はコーヒーでも紅茶でも、飲めればどちらでも構わない、というのが本音だった。

「早速ですが、今日はどういったご依頼でしょうか?」

「あの、今朝、テレビで紹介されているのを観て伺ったのですが、地上に残して来たものを取りに行ってくれるそうですね。なんでも構わないのでしょうね?」

「ええ。まあ、そのものの外見や、だいたいどこにあるか、その場所くらいは分からないと、取り掛かりようがないのですが」

「……どちらも曖昧なのですが、どうしましょう……?」

「それは、どういったものなのでしょう?」

「はあ、実は、少年の遺体をお願いしたいのです」

 ふうむ、とナナカマド氏は唸った。

「遺体、ですか。具体的には、誰の?」

 ナナカマド氏の口調はあくまでも穏やかだった。私が彼だったら、目の前の老人に少なからず苛立っていたかもしれない。ははあ、このジイサン、病院にちっとも行かないクチだな、自分がシッカリしてると思っていやがる、と。

「はあ。私の……教え子です。少年の遺体を二人分、お願いしたいのです」

「ふうむ」

「……いけませんでしょうか?」

 ナナカマド氏は「いえ、いけないことはありませんよ」と言った。

「ただ、遺体というのは初めてでしてね。不躾ではありますが、やや興味が湧いてしまったのです。詳しくお話し願えませんか。その、二人の少年とやらについて……」

「少し、長くなってしまいますが、良いでしょうか? その……このことは、一度も人に話したことがないので、冗長になってしまうかもしれませんが」

「ええ、構いませんとも」

 私は一口、二口、紅茶をすすり口の中を湿らせた。

「少年、というのは先ほども申し上げた通り、私の教え子たちです。もう五十年も前のことになりますが、今でも時々、夢に見ます。本当に、美しい子たちでした」

 私はバッグから持って来ていたアルバムをナナカマド氏に渡した。

「それは、その子たちの写真ばかりを集めたものでして……ね、綺麗な子たちでしょう?」

 口調に熱がこもっているのが、自分でも分かった。

 ナナカマド氏の返答は「なるほど。そうですね」とアッサリしたものだったが、私には肯定されたことが嬉しくて堪らなかった。

 その興奮も手伝って、私の舌は、やって来た当初よりもずいぶん滑らかに動くようになっていた。

「そうでしょう、そうでしょう。私はその子たちを愛していました。その子たちもまた、私に懐いてくれていました。本当に、美しい子どもたちでしょう……? まるで、お人形みたいで……。この子たちと出会ったのは、もう随分昔のことになります……」

 

***

 

 五十年前、いわゆる〈地上時代〉ですね。私は文学研究科の大学院生でした。博士課程の前期で……大学に入るために一年浪人していましたから、当時二十三歳ということになります。

 院に進んで一か月ほど経った頃でしょうか。当時、私がお世話になっていた指導教員から「アルバイトをしないか」と声を掛けられたんです。自分の知り合いが、子どもの家庭教師を探しているのだが、週に三日ほど行ってくれないか、とのことでした。

そのころ、私はちょうどアルバイトを探していまして……それも、贅沢な話ですが生活費は両親に仕送りしてもらっていたので、遊んだり勉強用の本を買ったりするための金を稼ぐために、ちょっとだけバイトをしたいな、と思っていたのです。なので、教員の話は私にとって、まさに渡りに船でした。

 私のアルバイト先は、エラリイという名の県議会議員の家でした。エラリイは所謂地の人間で、先祖は武家だか公家だったか忘れましたが、とにかく随分、社会的地位の高い人間でした。家も純和風のお屋敷みたいなところで、ちょっと入るのを躊躇ったのを今でも覚えています。

 私の生徒……エラリイ氏の子どもは、男の子が二人でした。十三歳の兄と、十二歳の弟。写真を見ていただければ分かると思うのですけど、ずいぶん、綺麗な子どもたちでしょう? 特に兄の方は見るからに神秘的で……アルビノと言うそうです。髪も肌も真っ白いでしょう。瞳の色も普通より、ずっと色素が薄いんです。

 弟はアルビノではなく、色は普通の子でしたが、彼は彼で人とは違う、浮世離れしたところのある子でした。特に可笑しなことはないのに、クスクス、ケラケラよく笑う子でね……。悪戯っ子で、後ろからコッソリ忍び寄って背中を叩いて驚かせてくる、なんてことはしょっちゅうでした。私が「うわ」とか言って驚くたびに、きゃたきゃた声をあげて笑うんです。それがまた、愛らしくて。天使のよう、とはあの子たちのためにある言葉だと思いました。

 屋敷には、エラリイ氏と息子たち……兄がソワレ、弟がマチネという名前でした……住んでいるのは三人だけでした。母親は二人の息子を産んだ後、亡くなったそうです。それも、家出をして、その先で事故死したらしくてね……気の毒な事です。

 エラリイ氏は仕事で毎日、朝から晩まで働いていましたから、代わりに家事をするために家事代行業者が二人、雇われていました。今でこそ、男性の従業者も増えましたが、当時は、まだ、そういう仕事は女性がやるものと決まっていましてね、私も子供たちも彼女たちのことを「家政婦さん」と呼んでいました。平日はまるまると太った女性が、土日には対照的に枯れ枝のように痩せ細った女性がやってきて、エラリイ家の家事をこなしていました。

 当時、家政婦を二人も雇っているというのは、相当な金持ちにしかできないことでした。経済面では、子供たちは恵まれていたといえるでしょう。着ている服も、常に上等のものでしたし、戦時中、食糧難で騒がれていたときにすら、栄養は十分に摂れていましたから。

 でも、精神面、と言いましょうか。経済面以外では、ずいぶん、気の毒な環境に置かれていました。

 まず、母親がいませんでしたし、家政婦たちにも余り懐いていないようでした。家政婦は家政婦で、子供たちからは距離を置いていたようです。「ふつうの子供と違って、なんだか不気味」と言っているのを、聞いたことがありますから。

 でもね、それは決して、あの子らが悪い訳じゃないんです。むしろ、あの子たちは普通の子と違って、純粋で美し過ぎたんです。それを家政婦たちは分かっていなかったんでしょう。あの子たちは、普通の子どもにありがちな粗野で醜い小賢しさがなくて、どこまでも無邪気で純粋でしたから、〈普通〉に慣れ切ってしまった彼女たちには〈不気味〉に映ったのだと思います。

 それに、家政婦だけでなく、父親との関係もあまり良好ではないようでした。職業柄仕方がないことかもしれませんが、エラリイ氏は人一倍、体面や人からの評判を気にする人でした。それゆえに、彼は自分の息子がアルビノであることが気に食わなかったようです。

 第三次世界大戦って、あったでしょう。あのころ、ナナカマドさんはおいくつでした? 十二? ……ああ、じゃあ、マチネと同い年だったのですね。なら、覚えていらっしゃるかも分かりませんが、戦争が始まる数年前から世界情勢というのは悪化の一途を辿っていました。国内でも次第に愛国主義者の勢力が強まっていきまして、特に外国人に対する迫害が強くなっていたのです。

 その愛国主義者の勢力の中に、エラリイ氏もいました。彼もまた、N国内にいる外国人は、直ちに出国すべし、N国はN国人のためにある、という考え方の持ち主でした。そんな彼にとって、ソワレはハッキリ言って邪魔者だったのです。

 N国の人はふつう、髪と瞳の色は黒で、肌の色は黄色人種に部類されるでしょう? でも、ソワレはアルビノですから、それには当て嵌まりません。髪も肌も雪のように真っ白で、瞳の色は薄く、それに顔だちも割合はっきりしていましたから、外国人のような外見だったのです。

 愛国主義の自分の息子が、まるで外国人のような外見をしているというのが、エラリイ氏には気に入らなかったのですね。実際、ソワレを見て、あの子の母親は外国人ではないか、エラリイ氏は愛国主義者を名乗っておきながら、外国の女と関係を持った非国民ではないか、という噂も流れていたそうです。

 そんなわけですから、エラリイ氏はソワレには特に冷たい態度をとっていました。そして、ソワレに懐いている弟のマチネのことも、エラリイ氏は気に入らなかったみたいです。エラリイ氏は二人の息子に対して愛情を注ぐことなく、敗戦後には彼らを毒殺してしまいました。

 ……ええ、そうです。私が愛した少年たちを殺したのは、彼らの父親なんです。エラリイ氏は息子二人を殺したのちに、自身も毒を呷って自殺してしまいました。

 ……その話をする前に、もう少し、ソワレとマチネの話をしても良いですか? ……ありがとうございます。せっかくの機会、と言ってはなんですが、この際、すべてを誰かに話してしまいたいのです。心のうちに思い出として取っておくだけ、というのは私にはいささか、重たすぎて。

 家庭教師を、それも業者ではなく知り合いを通じて探していたのも、そこらへんの事情が関係しているようです。義務教育なので、子供たちを学校には通わせていました。児童虐待なんてことが発覚すれば、それこそエラリイ氏の立場は危ういものになりますから、とりあえず、親として最低限のことはこなしていました。

 子供たちを私立大学の附属校に通わせ、そのうえで富裕層の大概がそうしているようにプラスアルファの教育も受けさせようとしたみたいです。子供たちのため、というよりは、あくまで自分の評判のため……「あの人は子供を学校に通わせるだけで満足しているらしい。教育云々と選挙のときには言っていたが、自分の子供にはさほど関心がないらしい」と噂されるのを嫌ったためでしょう。でも、一方で子供の外見は気に入らず、できる限り、ソワレの存在を人に知られたくない、という思いもあったのだと思います。だから、塾に通わせず、大手の家庭教師派遣の業者を利用もせず、知り合いだった教授に紹介を頼んだのでしょう。雇われる際、エラリイ氏に「くれぐれも、子供たちのことや、そのほか知りえた家庭内の事情について他言のないように」と注意されましたから、私の憶測はあながち間違っていないと思います。……今、お話ししているのは、もう時効ということで許してもらいましょう。

 エラリイ氏はやや癖があって、決して人当たりが良いとは言えませんでしたが給料は弾んでくれたので文句はありませんでした。夕食をご一緒する時なんかは、ちょっと息苦しかったですけど。それに、仕事の中で知った情報を外に漏らすな、というのは特別変わったことでもありませんし、むしろ当然のことですからね。

子どもたちは学校から帰ってくるのが三時過ぎなので、火曜日と木曜日は午後四時から七時までの三時間、休日の日曜日は丸一日、家庭教師として子どもたちの面倒を見ることになりました。食事つきで週給八万円なのですから、ずいぶん景気の良い話でしょう? エラリイ氏はさすがに、金銭面での気前は良い方でした。本当に。

私が子どもたちに初めて会ったのは、ゴールデンウイーク明けの日曜日のことでした。約束の時刻に屋敷へ向かうと、家政婦さん……この日は、やせ細ったほうの家政婦さんが玄関口で待っていました。彼女に応接間に案内されて、そこで私はエラリイ氏と子どもたちに出会ったのです。

本当に息を飲むほどに、美しい兄弟でした。私にもう少し語彙力か、そうでなくても、気の利いた言い回しをする頭があれば、良かったのですけど……とにかく、それほどに美しかったんです。二人は色の他は背丈もほぼ同じで、瓜二つでした。二人を並べて白黒写真を撮ったら、双子に見えたことでしょう。

齢が近かったからか、この兄弟はずいぶん仲良しでしょっちゅう、額を寄せ合ってはクスクスと笑っているんです。その様子がまた、愛らしくって、いつまでだって見てられました。研究の疲れも、あの子たちに会えば、すぐに消えてしまいました。「先生、先生」と呼んで、こんな私を慕ってくれましてね。嬉しくって、たまりませんでした。

さっきも申し上げました通り、あの子らには普通とはちょっと違ったところがあって、そこがまた愛おしかった。

例えば、遊び方なんか、普通の子どもとはちょっと違っていましたね。

当時は野球が流行っていて、公園なんかへ行くと、子どもたちがしょっちゅうチームを組んで試合をしていましたけど、ソワレとマチネがそれに加わっているのを、私は見たことがありません。学校が終われば真っ直ぐ帰宅し、友達と遊んでいるのすら見たことがありませんでした。いつも、二人きりです。

ただ、いくつか条件の揃った日曜日には決まって、家の近くの公園へ出かけていました。条件というのは、まず晴れていること、それから父親が家にいないことの二つでした。

前者はまぁ、晴れている方が単純に遊びやすかったからでしょうね。後者は簡単です。父親が見ているところで、勉強をすっぽかして出かけようものなら、とんでもないことになる、と子どもなりに分かっていたのでしょう。

それに出かける場所も、やや問題でした。先ほど、公園と申し上げましたね。いえ、公園で間違いないのですが、ブランコや鉄棒があったり、野球やサッカーをしたりするような一般的な公園ではないのです。遊具の類は一切ありませんでしたし、スポーツをするようなだけのスペースもありませんでした。さらにいえば、当時、あの公園に出入りしていた人間を、私は自分たち以外に知りません。あそこは、少々、人から敬遠されていた場所だったのです。

というのも、その公園の管理人が外国人だったんです。

これは、家政婦さん――太っている方です――に教えていただいたのですけど、その公園というのは、私が生まれる二十年ほど前に作られたものらしくて、設計を担当したのがN国に移住してきた外国人夫婦でした。そのころは、まだ世界情勢も安定したもので、外国からN国へ移住する人も少なからずいたそうです。

で、しばらくは公園の管理をその外国人夫婦が担っていたのですが、彼らは私が生まれた年に亡くなりましてね。それで夫婦の一人息子が、跡を継ぐことになったのです。

この息子というのが、また不憫な方で。確かに国籍や外見は外国人でしたが、生まれも育ちもN国なんです。公園が造られた年に生まれたのだそうです。だから、当時で四十過ぎだったはずです。彼は公園の傍に小さな家を建てて、そこに結婚もせず、一人で住んでいました。

何度か、公園で彼を見かけたことがあります。言葉を交わしたことも。陰気な男でしたが、話してみると性格の良さが端々に滲み出ていました。子どもたちとも、それなりに親しくしていたようです。

自分はN国人から見れば外国人なものだから、日に日に肩身が狭くなる。けど、自分では生まれも育ちもN国で半ばN国人だと自覚している節があるから、では、と両親の祖国へ行くことも簡単には出来ない、というふうなことを彼は話していました。結局、戦後、彼がどうしているのやら……生きているか死んでいるかすら、分かりません。

……ああ、話がちょっと、逸れてしまいましたね。そう。それで、その公園です。

その公園の敷地は、真上から見ると真円になっていましてね。その中央にまず、大きな天使の銅像が立っていました。一人の天使が両手を空に掲げて、羽を広げているんです。こう、大げさなぐらいの前傾姿勢で。で、それを囲むように、ぐるりと色とりどりの花が植えられていました。公園の円の中に、一回り小さな円を描くように、花壇が造られていたんです。その一部だけ通路になっていましてね、だから正確には真円ではなくCの形、と言うべきでしょうか。そこの開いたところから、公園の中心に入れるようになっていました。

あの花壇を見て、ははあ、これは専属の管理人も必要になるというものだな、と納得しましたよ。本当に、いろいろな種類の花が植えられているんです。

春の花であるクレマチスやイエローサルタン、ハナニラ、初夏から秋にかけて咲くキンレンカ。他にもイキシアやナデシコ、出入り口の付近にはハナズオウ、他にもナナカマドの木もありました。ああ、一目でどこに何があるか、分かるように小さな札が立てられていたんですよ、植物の名前が書かれた。

色とりどりと言えば聞こえは良いですが、私にはどうにもチグハグに見えましてね。管理人曰く、小さな植物園というコンセプトだったそうです。

子どもたちは、いつも昼食後に公園にやって来ては、銅像の傍のベンチに腰かけましてね、そこでずっとお喋りをしているんです。内容は本当に他愛のないもので、しりとりや山手線ゲームをしてみたり、かと思えば、二人の家政婦さんの料理の違いについて話していたり。

時々「お父さんは13で、先生は15だから」「14だよ」「僕たちは16」などと不思議なことを言って笑ってもいましたね。先生とは私のことらしく、「どういうことだい?」と訊いたのですけど、もったいぶって教えてくれなくて……今でも、分からずじまいです。

ああ、そうだ。不思議なことといえば、もう一つありました。

子どもたちはいつも昼過ぎから午後四時まで公園に滞在していました。私が四時には公園を出よう、と言っていたためです。そうしないと、勉強する時間が無くなってしまいますから。

それでですね、不思議なこと、というのが子どもたちは時計を持ってなかったのに、時刻を正確に把握していた、ということなんです。

私の腕時計で、四時になるでしょう? あ、そろそろだな、と思ったところで、子どもたちがベンチからぴょこ、と立ち上がる。私は何も言っていないのに……子どもたちが私の腕時計を見たというのも、あり得ません。私は、彼らから少し離れたベンチで、研究用の本を読むのが常でしたから。

四時になると、あの子たちはぴょこ、と立ち上がって私の方を見るのです。そして「四時になったよ、帰ろう」と。先ほども申し上げました通り、子どもたちは時計やスマートフォンなど時刻を確認できるものはありませんでしたし、公園やその周辺にも時計はありませんでした。

ですから、私が「よく四時になったって分かったね」と驚くと、二人は可笑しそうにケラケラと笑いました。悪戯が成功して喜んでいるような……そんな笑い方でした。その後も、ほぼ四時ちょうどに立ち上がっては私が驚くのを面白がっているようでした。弟のマチネなど――あの子は笑い上戸なところがあって、ほんのちょっとしたことでも、クスクス、ケラケラ笑っていました――家に着くまでずっと笑っていたこともありましたっけ。

きっと、彼らは家では思い切り笑えない分、ああやって公園で笑っていたのだと思います。父親の前では、彼らは気の毒なほどに萎縮していましたから。

ええ。父親の前では、他愛ない悪戯どころか、笑うこともありませんでした。せいぜい、お愛想でちょっと微笑むくらいのことで、あとはお人形のように無表情なんです。

いつだったかエラリイ氏と子どもたちと、四人で夕食を食べていた時のことでした。エラリイ氏が愛国主義的なことを言って、私に同意を求めてきました。内容はあまり覚えていませんが、確かレストランの店員が外国人のようだったので、不気味で困った、とかそう言ったことだったと思います。正直、エラリイ氏の発言は聞いていて気持ちの良いものではありませんでしたが、立場上、あまり強くも言えません。適当に愛想笑いを浮かべながら、相槌を打つことしか出来ませんでした。

その時、ちら、と子どもたちの方を見たのですが、気の毒になるほど暗く沈んだ表情をしていました。お気に入りの公園の管理人のことを思っていたのかもしれません。あるいは、ソワレのN国人離れした外見のことを気にしていたのかも……。あの時、声をかけてやれなかったのが、今でも心残りです。

子どもたちがエラリイ氏のことをどんなふうに思っていたのか、私には分かりません。「お父さんのこと、どう思ってる?」なんて訊ねたことは、ありませんでしたから。普段から、あまり関わり合いは持っていないようでした。それでも父親に疎ましがられていることは、彼らも感じ取っていたと思います。

ただ、エラリイ氏が仕事から帰宅したときには、決まって子どもたちは玄関先まで出迎えていました。「おかえりなさい」と言って、父親から鞄と上着を預かるのです。そして、それをエラリイ氏の書斎まで持って行って片づけていました。

まるで、一昔前の夫を出迎える妻のようだ、と思いましたね。彼らがどうして、そんなことをしていたのか分かりません。子どもたちが父親を労おうと思ってのことかもしれないし、あるいは恐れて出来る限り機嫌を取ろうとしていたのかもしれない。父親に強制されたのかとも思いましたが、家政婦さんによれば子どもたちが自主的にやっていることだそうです。

疎ましがりつつも、体面を保つために息子二人を育てていた父親。父親の前では萎縮してしまう息子たち。中身はひどく歪ではありましたが、破綻することはないだろう、というのが彼ら親子に対する、私の印象でした。エラリイ氏が世間体を気にし続ける限り、あの家庭が崩壊することはないだろう、と思っていたんです。

なのに……。

あんな風になってしまうなんて、思ってもみなかったんです。ああ……私に、もう少し想像力があれば……あるいは勘が鋭ければ……あるいは、そう。いっそ、あの子どもたちを連れて逃げてしまうだけの行動力があれば、あの美しい子どもたちは死なずに済んだのに。

今でも、毎日のように後悔の念に駆られます。

でも、本当に、あんな事件が起こるなんて予想できなかったんです。

 

***

 

 事件が起きたのは、終戦から間もない時のことでした。第三次世界大戦でN国が負けて……あなたも覚えていらっしゃるでしょう? 核戦争だか何だかの影響で、地上には住めなくなった、これから国民全員に地下へ移住してもらうと、発表された日のこと……敗戦と、前代未聞の移住計画のせいで、国中が混乱していた時期のことを。

 私は喘息もちでしたので兵役を免れることが出来ましたが――ですから、戦時中も変わらず、子どもたちの家庭教師を続けることができました――、たった一か月でずいぶん多くの若者が亡くなりました。

私自身、戦況が悪くなれば持病なんて言ってられず、戦場にポイと放りだされる日がくるのではないか、とビクビクしていたのを覚えています。徴兵の通知がくるより前に終戦を迎えることが出来たのは、本当に幸運でした。

 反対にエラリイ氏は、よもやN国が負けるとは思ってもみなかったのでしょう。敗戦の知らせを聞いた日は、かなりガックリきた様子で。愛国主義について語ることもなくなってしまいました。

 それでも、都議会議員としての仕事はきちんとこなしていたようです。敗戦後も変わらず、日々、どこかへ出かけている様子でした。子供たちとの関係も、良くなることもなければ、悪くなることもなく……いつも通りに見えました。

 地下移住計画が発表されたのは、敗戦から四日たった日のことです。あの日は日曜日でしたから、私は朝からエラリイ氏の家にお邪魔していました。そこで、発表を聞いたのです。

 地下の住居は国が用意するので、国民は二週間以内に準備をして地下へ移ること、と聞いてこれは大変なことになった、と思いましたね。自分の下宿は引き払わないといけないし、そのために荷物もまとめなければいけない。実家に連絡すると、両親と祖父母の引っ越しを手伝ってほしいと言われました。

 そうなると、家庭教師をしている余裕もありません。エラリイ氏に相談すると、二週間の休みを頂くことができました。二週間もの間、子どもたちに会えないのは苦しかったですが、こればかりは仕方がありません。次は地下で会おうね、と約束をして、その日、私はソワレとマチネと別れました。

 子どもたちは子どもたちで、地下への移住はショックだったようです。特に、あの公園へ遊びに行けなくなることを悲しんでいました。「地下にも同じようなものが造られるかもしれないよ」と言っても「それじゃ、ダメだよ!」と拗ね気味で……少し、手を焼いてしまいました。まあ、私が悪い訳じゃないのは彼らも分かっていましたから、すぐに機嫌を直してはくれたのですけど。

別れ際、ソワレに「次に来てくれるのは、いつ?」と訊かれたのを、よく覚えています。「二週間後の日曜日、また会えるよ」と言うと、嬉しそうに「朝の九時に来てね。絶対だよ」と抱きついてきました。

そして、それが今生の別れとなってしまったんです。

 私がソワレとマチネの死を知ったのは、地下に移住して二日後のことでした。

 移住する前日にエラリイ氏からメールをもらいましてね、地下での新しい住所が書かれていました。そして、明後日の日曜日には早速、都議会議員として集会に参加する予定なので、その間、家で子どもたちの面倒を見ていて欲しい、とも書かれていたんです。

 もともと、日曜日には家に行くと子どもたちとも約束していましたから、私はその依頼を二つ返事で引き受けました。分かりました、いつも通り、日曜の午前九時に伺います、と。

 そして日曜日、私は約束通り、午前九時にエラリイ氏の家を訪ねたんです。当時はまだ、地下は公共交通機関が一切機能していませんでしたから、二時間近く自転車を漕ぐはめになりましたが、苦ではありませんでした。もうすぐ、久しぶりにソワレとマチネに会えると思っていましたから。

 ところが、です。チャイムを押した私を出迎えたのは、子どもたちではなく、エラリイ氏の秘書でした。それもチャイムを押すとほぼ同時に飛び出してきましてね、危うくぶつかるところでした。

 この秘書というのは五十過ぎの男でしてね、いつもムスッとした顔をしていて、ついでにコロコロ太っていました。エラリイ氏と同じ愛国主義者で、酷く嫌味たらしい言い方をするので好人物とはお世辞にも言えない人でした。

 そいつが真っ青な顔をして出てきたので、その時点で嫌な予感はしていたんです。

「どうしたのですか?」と訊ねますと、「エラリイさんが死んでる」と呆けたような声で言いました。それを聞いて私が一番に考えたのは、秘書の言葉の真偽でも、エラリイ氏の死因でもなく、子どもたちの安否でした。

「ソワレとマチネは?」と訊ねると、秘書はやっぱり呆けた声で「知らない」としか言いません。居ても立っても居られなくなりましてね、秘書を押しのけるようにして、家の中に入りました。自分でも知らないうちに、子どもたちの名前を連呼していました。

 片っ端から部屋を見ていきましてね。四つ目の部屋で、私はエラリイ氏の死体を発見しました。

 まだ家具がほとんどない状態でしたが、おそらくリビングだったのだと思います。そこで、エラリイ氏はうつぶせに倒れていました。そのそばには、コーヒーカップが落ちていましてね、絨毯にできたコーヒーの染みが、時間の経過した血痕のようにも見えました。

 それから、テーブルの上に砂糖壺とポットがあったのも、よく覚えています。この砂糖壺というのが、エラリイ氏お気に入りの品でね、支援者からの贈り物なのだそうです。彼はこれに上質な砂糖を入れて、コーヒーを飲む時にだけ、それを使っていました。

エラリイ氏は大のコーヒー好きで、しょっちゅう自分でコーヒーを淹れていました。私、思うのですけど、愛国主義者のくせにコーヒー好きなんて、ちょっと変じゃありませんか? だって、コーヒーの発祥って外国でしょう?

そういえば、エラリイ氏がコーヒーばかり飲んでいるのを、子どもたちはやや不満に思っているようでした。なんで父さんは食事時にもコーヒーを飲んでいるのに、僕たちがコーラを飲むのは許してもらえないの、とね。単純に健康面の問題で、家政婦さんが制限していただけなんですけど、そこを理解しろというのも意地の悪い話だったでしょうね、子どもたちには。時々、公園に行く途中でコーラを買ってやると、マチネなんて飛び跳ねながら喜んでいましたっけ……。

ああ、すみません。また、話が逸れてしまって。

で、そう。エラリイ氏の死体を見つけた私は、そのとたん、冷静になったと言いますか、というより、恐ろしくなりましてね。いったん、家の外に出ました。

そこで、秘書と一緒に警察を待ちましてね。私も一通り、取り調べを受けましたよ。幸い、私も秘書も、容疑者として扱われることはありませんでした。

というのも、エラリイ氏の死は、かなり早い段階で自殺と結論付けられたのです。

エラリイ氏が愛用していたノートパソコンから、遺書が見つかったそうです。新聞にも掲載されましたが、それを読んだとたん、私は危うく卒倒しそうになりました。いえ、実際に少しの間、気を失っていたかもしれません。

諳んじることは出来ませんが、だいたい、こんなことが書かれていました。

「誇り高きN国が敗戦国となってしまい、私はもう、この悲しみを背負って生きていこうとは思えない。敗戦国の民として卑しく生きるくらいなら、さっさと死んだほうがマシだ。自殺するにあたって、自分の息子たちも殺した。その死体は地上に放置してきた」

 ……と、だいたいこんな風だったと記憶しています。

 ねえ、信じられますか? 敗戦したからって、子どもを殺しますか? しかも、それを地上に放置してきた、なんて……一度、地下に来てしまえば、もう二度と地上へは戻れないと知っていながら、ですよ。

 秘書は秘書で、この遺書を見てその場に崩れ落ちていました。けど、それは、私のように子どもたちを喪ったことによる悲しみではなく、あくまで自分の立場が危うくなることに対する危機感からのようでした。

 その遺書を読んだとたん、秘書は狂わんばかりに喚きはじめました。自分は子殺しの議員の後始末をしなくちゃいけないのか、今日だけでなく来週には、子連れで集会に参加する予定だったのに、親子もろとも死なれたら、誰がその穴を埋めるんだ、せっかく美少年で人寄せをしようと思っていたのに、とね。まあ、もう思ったことが全部、口から溢れ出ていました。

 もう聞いていて我慢できなくなりましてね、警察の手前、できませんでしたが、一発殴ってやれば良かったかもしれません。

 ああ、すみません。どうしても、感情的になってしまって。

 そういえば、まだエラリイ氏の死因について、お話していませんでしたね。死因はヒ素で、カップの中のコーヒーと砂糖壺から検出されました。それも、エラリイ氏が自殺だと判断される材料になったそうです。

 ヒ素といいますと、当時は殺鼠剤としてごく普通に使われていました。それをエラリイ氏が持っていた理由について、少々、補足しておいたほうが良いかもしれません。ナナカマドさんは当時、マチネと同じ十二歳……子供だったそうですから、ご存じないかもしれませんから。

 今でも言われていることですが、大きな災害や事故、事件が起こったときにありがちなのが、ウソの情報が流れるということです。地下移住計画が発表された当時もそうでした。

 やれ、一週間以内に地下へ行かなかったものには住居が与えられないかもしれない、だとか、国は地価は安全というが、地下にはもっと危険な物質が漂っている、だとか。そのほとんどは、信ぴょう性がなく、騙された者も少なかったようですが。

 ただ「地下にはネズミが大量に住んでいる」というのは、なぜだか多くの人に受け入れられたようでした。他と比べて、なんとなく納得しやすく、リアリティがあったからでしょうね。かくいう私も、それに騙されてヒ素を買いに走った一人ですから。

 計画が発表されてからの二週間、薬屋やホームセンターでのヒ素の売り上げは、通常の約十倍に跳ね上がったそうです。品薄状態が続いている、とテレビのニュースでやっていましたっけ。みんな、噂を信じて、自分の新居にネズミが出た時のために、ヒ素を買い求めた、というわけです。

 その騒動を危険視したのでしょう、国が「その噂は嘘だ」と各メディアを通して発表したのですが、結局、地下に実際に移住するまでヒ素の売り上げが下がることはありませんでした。

 で、どうやら、エラリイ氏はその騒ぎに乗じる形で、ヒ素を買い求めたようなのです。

 ヒ素は危険な薬品ですからね、購入するときには店で身分を証明して、名前や住所などを所定の用紙に書かなければなりませんでした。いわば、誓約書ですね。私は、これをネズミを殺す以外には使いません、という。

 当然、エラリイ氏も〈誓約書〉を書いて提出していまして、それが、とあるホームセンターから見つかったんです。事件の報道を知って、ホームセンターのほうが警察に名乗り出てきたのだそうです。確かに、うちがエラリイ氏にヒ素を売りました、と。

 それをもって、警察はエラリイ氏は自殺である、と判断しました。死因のヒ素を自分で購入し、違和感のない遺書も見つかっているのだから、妥当な判断だったと思います。そして、当時の警察は、息子たちの遺体については、捜索を断念しました。

 まあ、それもそうでしょうね。遺書には〈どこに遺棄したのか〉までは明記されていませんでしたし、地上での捜索はあまりにも危険すぎました。まだ戦後間もない混乱期で、警察もそこまで手を回す余裕がなかったのでしょう。

 さらにいえば、エラリイ氏の親族も、子どもたちの遺体捜索に対して消極的だったようです。子殺しが親族にいるなんて世間体が悪い、一刻も早く、この事件は世間から忘れられてほしい、というのが本音だったのでしょう。

 彼らの望み通り、事件はあっという間に風化し、都議会の補欠選挙が終わった頃にはエラリイという名の男と彼らの息子たちの事件は、記憶の彼方へ消えてしまったのです。

 でも、ねえ。私は忘れることが出来ませんでした。

 院を終了した私は、当初は中学校で教鞭をとっていましたが、ものの数年で辞めてしまいました。生徒たちを見るたびに、ソワレとマチネの姿が彼らに重なって苦しかったのです。教師をやめた私は、結局、一般企業の営業として定年まで働き続けました。

 でも、それでソワレとマチネのことを忘れられるわけがありません。街中で子どもを見るたび、私は今でもあの子たちのことを思い出すんです。そして、今でも地上に放り出されっぱなしであろう二人を、不憫に思わずにはいられないのです。

 ねえ、ナナカマドさん。どうぞ、後生ですから、ソワレとマチネの遺体を探しに行ってくれませんか……?

 

***

 

 話を聞き終えたナナカマド氏は、ぴん、と人差し指をたてると、

「子どもたちが四時きっかりに立ち上がるのが不思議、と仰いましたけど、そんなに不思議ですか?」

 意外なところに話題を持っていかれ、私は「え?」と首を傾げた。

「ええ、不思議ですよ」

「いや、不思議なんかじゃありませんよ。ちょっと、考えれば分かることだと思うのですがね……。公園に行く日には、決まって晴れていたんでしょう? で、公園の形は円形で真ん中には天使の銅像、と来たら日時計だ、と考えるのが自然では?」

「はあ、あ、ああ」

「天使像は前傾姿勢だったと仰ったでしょう。だとすれば、設計者は初めから日時計を意識していたのだと

「影が何時のタイミングで、どの花の場所にかかるのか、なんて事前に管理人に聞いておけば済む話だしね。そう。事前に知っていたのさ、午後四時になった瞬間、天使の像の影がどこにあるか」

 言われてみれば、簡単なことだった。そうだ。確かにあの公園は、日時計として見ることもできる。あの子たちは、私が家庭教師になる前から、しょっちゅう公園へ遊びに行っていたようだから、午後四時のタイミングで影がどこにあるか、事前に知っていたっておかしくない。

「じゃあ、晴れている時にだけ、公園に行っていたのは、日時計として機能しないと私を驚かせられないから……?」

「うーん、それは少し違いますね。あなたを驚かせていたのは、オマケというか。そもそも、二人は元から日時計を見るのが好きで、何時に影がどの花の上にあるか、すっかり把握してしまってた。で、あなたが『午後四時には帰ろう』と提案した時に、この悪戯を思いついて実行した。じゃないと、時系列的におかしいでしょう? あんたに『午後四時には帰ろう』って提案された後に、管理人に確認なんて難しいですし」

「あ、まあ、そうですね」

 ごもっともである。

 そこで、私は、は、と気づいた。

「じゃあ、地下で同じような公園が造られるよ、と慰めても納得しなかったのは……日時計として、成り立たなくなってしまうから?」

 地下には太陽光が届かない。よって、影が時間によって移動することもなく、日時計も使えなくなる。

「ご名答」とナナカマド氏は頷いた。

「あの父親が13で私が15、とかいうあれは? あの意味も分かっていらっしゃるんですか?」

日時計とくれば、だいたい見当つきませんか? 花言葉です。時計の針ならぬ、銅像の影がかかっている花の花言葉のことを言っていたんです。例えば、16であれば十六時、すなわち午後四時の方向にあるイキシア、つまり〈団結〉といった具合に」

「はあ……」

 まったく、花言葉なんてよく知っていたものだ。それも、管理人から聞いたのだろうか。

「さて、それで肝心のご依頼のことなんですが」

 私は思わず身を乗り出した。そうだ、日時計花言葉は今はどうでも良い。そんなことより、依頼を受けてくれるかどうかが大事なのだ。

「結論から申し上げますと、無理ですね」

「どうして!」

 つい、声を荒げてしまう。

 一方、ナナカマド氏は落ち着き払った口調で続ける。

「その理由を説明するために、まず、エラリイと二人の息子の死について、その真相についてご説明したほうが良いでしょうね」

 まるで、探偵気取りだ、と私は思った。ナナカマド氏はいったい、なにがしたいのだろう。

「そもそも、あなたはエラリイが自殺したことについて、なんら疑問を抱かなかったのですか?」

「え? ええ、まあ」

 私は首肯した。遺書にヒ素の入手経路。警察の捜査の結果、「自殺」となったのだから、疑問を挟む余地はないと思っていたが……。

「自殺するような人間が、ですよ。いくつもの集会に出席する予定をたてますかね?」

「そりゃあ、あるでしょう。つい昨日まで、明日や明後日の予定を立てていた人が、ある日ふっと思いついたように飛び降り自殺、なんてニュースもあるじゃありませんか。昔だって、そういう人はいたものです。悲しいことですが」

「しかし、エラリイの場合、ヒ素をわざわざ購入しています。自殺なら、これは計画的なものと見て良いのでは? 遺書によれば、息子二人は地下に来る前に殺したのでしょう? その時点で、自殺するつもりだったのだ、と捉えるのが普通では? そして、もともと自殺するつもりだった人間が、じゃかぽこと集会に出席する予定なんて入れますか? なかには、息子たちを連れて行く予定もあったではありませんか」

 そう指摘され、私は言葉に詰まってしまう。言われてみれば、そうかもしれない。

「それに、ヒ素が砂糖壺に入っていた、というのも妙だと思われなかったのですか?」

「妙、ですか?」

「妙ですよ。あなた、試しに自分がヒ素を呷って自殺することを想像してみてください。そのとき、わざわざ一度、砂糖壺の砂糖に混ぜてから、それをコーヒーに入れて飲んだりしますか? 少なくとも私なら、直接コーヒーにヒ素を入れますね」

「確かに、そうかもしれませんね」

 確かに、ナナカマド氏の言うことは一理ある。彼は、当時私が気にしていなかった、しかし明らかに不審な点を的確に指摘していた。

 しかし。そうなると……。

「エラリイ氏は自殺ではなかった、ということですか?」

「理解が早くて結構です」

 想像もしていないことだった。

「しかし、しかしですよ。では、誰がエラリイ氏を殺したんです? ソワレとマチネを殺したのも、別にいるんですか?」

「その二つは分けて考えた方が良いでしょう。まず、エラリイ殺しについて。犯人の条件は、エラリイのヒ素をくすねることが出来た人物、砂糖壺にヒ素を入れることが出来た人物、そしてエラリイのノートパソコンを操作出来た人物、ということになります。この条件を揃えた人物。分かりますか?」

「秘書か、家政婦でしょうか?」

 エラリイ氏の身近にいて、それらが可能そうな人物は秘書か家政婦くらいのものではないか。はっきり言って、エラリイ氏の具体的な交友関係を、私は詳しくは知らなかった。

 すると、ナナカマド氏はクツクツと喉を鳴らして、

「まだ、いるじゃありませんか。もっと、適任なのが」

 見れば、可笑しそうに笑っている。ふと、ホームズに推理を勿体ぶられるワトソンの気持ちはこんなだったのだろうか、と私は思った。

「誰です? 私には、秘書か家政婦くらいしか、思いつかないんです」

「簡単です。ソワレとマチネですよ」

 思わぬ名前に、私は言葉を失った。何を言っているのだ、この男は?

「ソワレとマチネは、父親が帰宅するたび、コートと鞄を預かり、書斎へ持って行っていた。その過程を、父親は見ていません。そうだったでしょう?」

「え、ええ」

 コートと鞄を子どもたちに渡すと、エラリイ氏はいつもそのまま、リビングへ直行していた。そして、そこのソファの上でワイン片手にテレビを観るのが習慣となっていた。

「つまり、子どもたちはエラリイ氏の荷物を物色し放題だったわけです。ヒ素を買って来たことも簡単に知れた。パソコンもです。ログインするのに必要なパスワードも、毎日ちょっとずつ、エラリイが選びそうなものを順に入力していけば、いつか正解に行きつく、という寸法です」

 私の脳みそは混乱をきたしていた。話についていけない。ソワレとマチネが、私の知らないところでそんなことを……? あまりにも、突飛すぎる。

「それに、ヒ素も簡単にくすねられた。買って来たヒ素は、当然鞄の中に入っていたでしょうから、パソコン同様、荷物を運ぶ際に、それをちょっとくすねて砂糖壺に入れることも簡単です。エラリイ氏が地下の鼠を殺すために買ったヒ素を、ね。しかも、マチネとソワレは父親がコーヒー好きで、コーヒーを飲む際にだけ、その砂糖壺を使っていたことを知っていた。つまり、そのヒ素入りの砂糖を誤って自分たちが飲む可能性はゼロだと知っていたんです。子どもたちはコーヒー嫌いで、好きな飲み物はコーラ。砂糖を必要としていませんでしたから」

 確かに……確かにそうかもしれない。けど。

「だいたい、ソワレとマチネはエラリイ氏より前に亡くなっているんですよ」

「ですから、その前提がまず間違っているんです。ソワレとマチネは死んでなんかいない。そう考えればのです」

「死んでいない、ですって?」

「ええ。どちらも死体は見つかっていないのですから、そう考えることも可能です」

 確かに死体は見つかっていないが……だからこそ、私はソレイユ社に来たのだから……けど、それでどうして彼らがエラリイ氏を殺したことになるのだろう。

「それじゃあ、ソワレとマチネはどこへ行ったんです? エラリイ氏を殺害して……」

「逃げたんですよ。あなたがたから」

 そう言ってナナカマド氏は、きゅう、と目を三日月のように細めてみせた。その表情はまるで、不思議の国のアリスに出て来るチェシャ猫のようで……なんだか……とても不気味だった。

「ええ、ソワレとマチネは都合の良いように己の信条を変える卑劣な父親が嫌いでした。一番嫌いな大人が彼だった。それに追随する秘書もね。アルビノという理由で、不気味がる家政婦たちも。そして、エラリイの意見に同意したあなたも」

「そんな……エラリイ氏の意見とは、なんです?」

 すると、ナナカマド氏はおどけたように、わざとらしく目をくるんと見開いてみせた。

「おや。あなた自身が話されたじゃありませんか。エラリイ氏が外国人を揶揄したとき、あなたは適当に相槌を打った、と。あなた自身が仰っていたでしょう。あなたにとっては仕方がなく打っていた相槌でも、子どもたちは、それが心からの相槌かもしれないという不安を抱かざるを得なかった。人は人の心のうちまで読み取ることは出来ませんからね」

「そんな……」

 それだけで……? それだけで、あの子たちは私の元を去ったというのか。

「もちろん、それだけではありませんよ」

 まるで、私の心のうちを読み取ったかのようなナナカマド氏の言葉に、私はぎょっとしてしまう。

「ソワレとマチネは、あなたに不信感を抱いていました。あなたの優しさは、自分たちの美しさゆえだろう、とね。そして、エラリイ氏が死ねば、あなたはより積極的に自分たちに関わって自由を奪い取っていくだろう、と」

 ひゅう、ひゅう、と自分の喉が音をたてている。うまく言葉を紡ぐことが出来なかった。

「あ、あなた……さっきから聞いていれば、無責任なことばかり言って……まるで、ソワレとマチネを知っているような口ぶりじゃありませんか。ああ、そうだ。あ、あ、あなたが、エラリイ氏や子どもたちを殺したんじゃないんですか!?」

 そのときのナナカマド氏の表情は、二度と忘れることが出来ないだろう。

 ぐるん、と両目を精いっぱいに見開き、ぷるぷると震えていたかと思うと。

「……あは、あーっはっはは! はは、あはは! ああ、おっかしい! それ、本気で言ってるのかい? ああ、ああ、あはは! うふ、うはは!」

 身を仰け反らせ、ゲラゲラと笑い始めたではないか。目じりには涙まで浮かべている。

 ひい、ひいと肩を震わせながら呼吸を整えると、

「さっきから、ずーっと思っていたけど、鈍感だねえ、先生!」

 ……先生?

「おかしいと思わなかったのかい? 気まぐれに、ヒントなんか出してみたつもりだったけど。どうしてナナカマドの奴、午後四時に影が落ちる方向にあるのがイキシアだって分かったんだろう、とか思わなかったの? エラリイの鞄の中に、愛用のノートパソコンが入っているのを、なぜ知っているんだろう、って。それとも、話したつもりでいた?」

「なんなんです、あなた」

 そう訊ねながらも、頭のどこかでは分かっていた。目の前の男が、誰なのか。

「ああ、まだ分からない? それとも、分からないふりをしているだけ? どちらでも良いか、教えてあげようかな。僕は、マチネ。あなたがお探しの兄弟の、弟の方さ」

 ああ、やっぱり。すっかり齢をとって、声も変わってしまったが、この人を揶揄うような口調だけは変わらない。

「マチネ……いったい、どういうことだい? 説明しておくれ」

「どういうことって? 僕とソワレは生きていた。それだけだよ」

 いともあっさりと言ってくれる。

「それだけじゃ分からないよ。いったい、どうしてあんなことを……それに、逃げたといったって、君たちは当時まだ子どもだっただろう? どこで、何をしていたんだい? それに……それに、ソワレはどこへ行ったんだ?」

「あんまり、矢継ぎ早に質問して欲しくないんだけどね」

 ナナカマド氏もとい、マチネはちょっと困ったように肩を竦めて見せた。

「まあ、いいか。まず、どうして。さっきも言った通り、逃げるためさ。僕らは、僕らだけで安心して幸せになりたかったからね。

父さんを自殺に見せかけて殺して、僕たちの方は父さんに殺されたように見せて逃げてやろう、と。終戦直後の混乱に紛れて逃げようと言ったのはソワレだよ。一番、警察も体制が整っていなくて、真相がバレにくいだろうからって。

 父さんを殺したのは、ま、まず第一には逃げやすくするためだね。僕たちがいなくなれば、父さんは僕たちをいつまでも探し続ける可能性がある。息子ではなく、自分の世間体を心配してね。息子たちが突然、家から出て行ったなんて外聞が悪いだろ?

 あと、まあ、腹が立ったっていうのもある。父さん……ああ、父さんって呼ぶの、癪だな。エラリイ、でいっか。で、エラリイはさ、愛国主義者だったろ? N国こそが世界で一番優れているのであります! って街頭で喚く毎日さ。そして、僕ら……特にソワレを見るたび、お前みたいな奴がいて恥ずかしい、と聞こえよがしに言ってみせるんだ。

 それが、だぜ。敗戦した途端、やっこさん、どうなったと思う? 最初は意気消沈してたけど、まあ、悪い意味で切り替えが早かった。翌日には秘書に『おい、今度の世界平和を祈念する集会に俺も出るぞ』なんて言い出してさ。『愛国主義者はバカ。俺は一度もそんなものになったことはない。人はみな、平等なのだ』とか言っちゃって。その証拠に、私は戦時中、外国人にしか見えない息子にも愛情を注いできました、って主張しだすんだぜ。おかしいだろ。それをもっともらしく見せるために、集会にも連れて行こうとしていたんだから。

 あんなバカ、死なないと治らないね、死んでも治らないかもだけど、とりあえず死んだ方が良いね、ってソワレと話したよ。ま、あの人が愛国主義だろうがなんだろうが、殺してたけど。邪魔だから。

 秘書も秘書で、僕たちの見た目の良さを利用する気満々だったのが分かったから、まあ、邪魔だったね。殺さなかったのは、単純に手間の問題。あんまり多く殺すと、ほら、ばれる確率も高まるだろ。

先生も同じだよ。先生、ずいぶん僕らのこと可愛がってくれたけど、どうして?」

「ど、どうしてって……きみたちが、可愛くて、良い子だったから……」

「可愛いって、見た目?」

 私は、う、と言葉に詰まった。確かに、そうかもしれない。彼らの美しさに心惹かれていなかった、といえば嘘になるだろう。けど、それの何が悪い? 美しいものに心惹かれるのは、むしろ当然のことじゃないか。

「ねえ、先生」

 マチネはぐい、と顔を寄せてきた。そのしぐさは、子どもの頃そのままだ。

「僕たちが美しくなくても、先生は同じように僕らを可愛がったかい?」

「もちろんだとも」

 私の言葉は、どこか白々しく響いた。……なぜ?

 マチネはすぐに身を引き、ソファに深く座り直した。

「で、どこで何をしていたか、だっけ? ま、そこは先生の言う通り、僕ら、子どもだったからね、自分たちだけじゃ生きていけない。ということで、ドイルさんに養子にしてもらうことにした」

「ドイル?」

「公園の管理人さ。先生も何度か、会ったことがあるだろう?」

 陰気な顔が脳裏に浮かぶ。あの外国人か。

「あの人に養子に……ただしくは、あの人の実の子だと偽って申請してもらってね。戦後の混乱期だったし、簡単なことだったよ。そうして、名前と国籍を変えて生きてきた。幸い、彼、財産はそれなりに持っていたようだったから、僕らも食べるには困らなかったよ。彼、ずっと独身で家族を欲しがっていたから、僕たちが事情を話して養子にして欲しいというと、二つ返事で了承してくれた。

 あの人もだいぶ前に亡くなったけど。良い人だったよ。僕らのこと、綺麗とか、不気味とか言わずに、ただの子どもとして扱ってくれたし」

 そのとき、コツ、コツと応接室のドアが叩かれた。

 こちらが何か言う間もなく、扉が開かれ一人の男が入って来る。

 その人物を見て、私は危うく卒倒しそうになった。

 白髪にありえないほど白い肌。齢のころは六十前後。そして、マチネと瓜二つの顔だち……。

 彼は私の顔を見ると、クク、と喉を鳴らした。

「やあ、先生。ずいぶん、おじいさんになりましたね」

「ソワレ? ソワレか?」

「ええ。今は、イエロウという名で社長をしていますがね」

「ちなみに、僕らの名前、あの公園にあった花からとってるんだぜ。なあ?」

 マチネに言われ、ソワレは首肯した。

「マチネのナナカマドは、そのままナナカマドから。私のイエロウはイエローサルタンから。ナナカマドの花言葉は〈賢明〉、イエローサルタンの花言葉は〈強い意思〉。素敵でしょう」

 すると、思い出したようにマチネは両手をぱん、と合わせた。

「そうだ。そういえば、花言葉、先生に教えてあげてなかったな」

「何の話だ?」

 怪訝そうに眉間に皺を寄せるソワレ。

「先生さ、覚えてたんだよ。僕らが、先生のこと〈15〉って言ってたの」

「ああ、そうだ。なんだったんだ? 十五時の方向になにがあったか、なんて、覚えていないんだよ」

「そこまで喋ったのか」

 ソワレはふむ、と鼻を鳴らした。それから彼は、ちょうど猫が主人の膝の上に乗り込む要領で、私の隣に腰をおろした。

「ねえ、先生。まさか、僕たちが先生のことを〈15〉と言っていたこと、覚えてらっしゃったなんてね。他には、なにがあったか、覚えてらっしゃいます?」

 薄い色素の瞳に見つめられ、年甲斐もなくドキリとしてしまう。

「え、ええと。確か、お父さん……エラリイ氏が〈13〉で、きみたち二人が〈16〉だたかな」

 ぱちぱち、とマチネが拍手をする。心からの称賛でないのは明らかだった。

「ご名答。ついでに、エラリイには〈14〉のおまけつきさ」

「十六時の方向にあったのは、イキシアでした。花言葉は〈団結、誇り高い〉。ね、私たちにぴったりでしょう?」

「十三時の方向にあったのはキンレンカ花言葉は〈愛国心〉。ま、エラリイの場合、そこに十四時の方向にあったハナニラが足されるわけだけど」

花言葉は〈卑劣〉」

 二人は顔を見合わせ、く、く、くと喉を鳴らして笑った。その様子は五十年前から、なにも変わっておらず、ああ、やはり、この子たちは愛らしい。愛でるべき子どもたちだったのだ、と思う。

「そして、十五時の方向にあったのが、オダマキ花言葉は〈愚者〉」

「ぐ……?」

「愚かな人、という意味です」

 なにも、愛情とか、大切な人とか、そんなものを期待していたわけではない。しかし、愚者……愚か者とは。愛らしい飼い猫に、突然手を引っ掻かれたら、こんな気持ちになるだろうか。

「どうして……」

「そういうところですよ。あなたは結局、何も分かっていなかった。私たちのことも、結局、見た目しか気にしていなかった。それでいて、自分は私たちの味方だと正義ぶって、しかも、自分は賢いと、私やマチネより上の立場にいると思い込んでいた。そういうところです」

 

***

 

 しばらくの間、私は呆けたように黙っていた。焦点を定めるのも難しく、目が、ソワレとマチネの間を行ったり来たりしていた。

「ねえ、あと、ひとつだけ、良いかい」

 私の目は、どちらの顔も見ていなかったように思う。半ば、無意識のうちに口を動かしていた。

「きみたちは、私から逃げたんだろう?」

「ええ」

 ソワレの声。「仰る通り」

「じゃあ、どうして私の依頼を受けたんだ……? いや、予約の時点では、私だと分からなかったかもしれない。けど、マチネ。私の話を聞いて、私だと……あの家庭教師のヴァンだと、分かったんじゃないのかい?」

「分かったよ」

と、今度はマチネの声。「写真まで持参されちゃあね」

「じゃあ、こうやって正体をバラしたりせずに、適当に誤魔化して帰らせれば良かったじゃないか。それをこうして……ソワレまで、出て来て……どういうつもりだい」

「ああ、それは」

 ソワレはきゅう、と目を細め、口角を持ち上げた。その表情は、マチネとそっくりだ。チェシャ猫が、二匹。

「あなたの中のソワレとマチネを殺すため、さ」

 私を見るソワレの視線は、まるで槍のようで。ずっと見続けていると、目玉を抉られてしまいそうだった。

「美しくて、愛らしく、無条件に慕ってくる子どもたち。それが、あなたの中の、ソワレとマチネ(子どもたち)だ。でも、それはソワレとマチネ(私たち)じゃない。私は、それが気に入らなかった。良いかい。私たちは人形じゃないんだ。あなたの中で勝手に、あなたにとって都合の良い人形のようなソワレとマチネ(私たち)を生かし続けて欲しくなかった」

 ちろり、とソワレは赤い舌の先で唇を湿らせる。赤い舌と、白すぎる肌のコントラストが美しかった。

「だから、ね?」

 そう。彼は……ソワレとマチネは年老いてもなお、美しかった。背が伸び、声が変わり、顔には皺が刻まれても……底意地の悪さを前面に押し出していても、なお、彼らの美しさは、私の心を惹きつけ、放さなかった。

 二組の目が、私を見ている。黒い瞳が一組、薄い灰色の瞳が一組。その中で、光の玉が、ゆらりゆらりと怪しく揺れている。

 ああ、この子たちは美しい。

 そして。

 同時に。

「あなたの中のソワレとマチネ(幻想)を、殺してやろうと思ったのさ」

 ――不気味だ。

 

(原稿用紙換算:81枚)

太陽の少年たち

 

〈地上忘れ物代行人〉なる職業を耳にしたのは、地下生活を始めてちょうど五十年目の十月のことだった。

 ふだんテレビは食事時のBGMがわりにしかしておらず、その内容についてはこれっぽっちも聞いていない私だったが、耳慣れない、しかし妙に気がかりなその単語に、私はつい意識をそちらへ向けていた。

 どうやら「珍しい職業を紹介しよう」という朝の情報番組の企画の一つとして〈地上忘れ物代行人〉が紹介されていたようだった。

「ゴチョウモリ区のオフィスビルの一角にある、〈ソレイユ社〉。ここは、地上に忘れて来てしまった様々な思い出の品々を、代理で取りに行ってくれる……そんなサービスを提供している、N国唯一の会社です」

 そんな風に話を切り出し、女性アナウンサーが〈地上忘れ物代行人〉の業務や会社の歴史について説明をし始めた。

 パンを齧りつつ聞きながら、なるほど、地下へ移住した社会ならではの職業だな、と思う。もし、五十年前に地下へ移住という選択をせず、地上に生き続けていれば、こんな職業は考えられもしなかっただろう。

 人類が地下へ生活基盤を移し、はや五十年。当初はどこかぎこちなかった生活も、今ではまるで人類史がずっと地下で刻まれて来たかのように自然なものになっている。

 五十年以上前、地球という星は戦火に覆われていた。第三次世界大戦として現代に伝わる大戦争。大国は気が狂ったように化学兵器核兵器を用い、結果、地上のどこにも人類が安全に住めるような場所はなくなってしまった。

 たった一か月の出来事である。当時大学院生だった私は、ニュースでN国の敗戦と、地球上のほとんどが兵器によって汚染されたことを知った。それを観ている間も一分一秒、己の肉体が汚染物質によって犯されているかもしれないという事実に、恐れおののいたことを覚えている。

 そして、二〇四四年八月十日に終戦

〈戦争〉という名の熱病から醒めた人類、特に国のトップたちは地球の惨状に途方に暮れてしまう。このままでは人類どころか地球上から全ての生命が失われてしまう、と。

 そこで立案されたのが〈人類地下移住計画〉である。大戦中、核シェルターとして利用されていた地下空間を改造し、そこに街をつくって皆で移住してしまおうというものだった。

 当時はSFじゃあるまいし出来るわけがない、という意見も多々あったという。しかし、どんなに無謀でも実行せねば人類には滅亡の未来しかない。計画は実行され、成功した。あれから五十余年、人類は地下で何事もなかったかのように平和に暮らしている。

 そんな歴史を歩んできたからこそ〈地上忘れ物代行人〉なる職業が生まれたのだ、とアナウンサーは言った。やけにドラマチックなその説明を、要約すると次の通りである。

地下へ移住して十数年、その生活にも慣れてきたころ、新たな問題が現れた。「地上に残してきた物品を取りに戻りたい」と訴える人が出て来た。

移住を決行した当時、世の中は戦後の混乱期。とにかく地上から逃げなければの一心で、取るものも取りあえず、人々は生活の為に必要なものだけを鞄に詰め込み、安全だといわれている地下へと逃げ込んだ。そして皆が地下へ逃げ込んでしまうと、今度は地上への外出を厳しく取り締まる法律が立案、即座に可決。それをもって一般市民にとっては、地上はもはや隔絶された遠い世界のものとなった。

しばらくはそれでも良かった。皆、とにもかくにも地下の世界に慣れることに必死で、地上に残してきたもののことを思い出す余裕もなかったのだろう。地下世界にも慣れ、生活も安定してきてようやく、十数年前には気にかけている余裕のなかった〈忘れ物〉のことを思い出すようになる。私は知らなかったが、どうやらそれは、相当な人数から上がった声らしい。

しかし、だからと言って、そうやすやすと地上へ戻れるものでもない。地上は未だ、核戦争の名残に包まれ、防護マスク無しでは活動できない状態である。

そこへ登場するのがソレイユ社の社長だ。彼はカメラを搭載したロボットを地上へ送り込み、〈忘れ物〉を取りに行くことを提案した。そして、その事業を自分たちにまかせて欲しい、と。

彼らの申し出に、国は即座に飛びついた。国からの援助を受け〈ソレイユ社〉が設立され、今に至る。

これが三十五年前の出来事である。当時、社長は二十八歳だったというから、ずいぶん立派なものだ。

設立時の社員は、社長と副社長の二人のみ。しかも二人揃って外国籍の人間らしいから、起業に当たって余計に苦労したのではないか。

〈ソレイユ社〉の沿革も終わり、副社長へのインタビューが始まっていた。

 副社長は、齢は六十前後といったところだろうか。目元や口元には、年相応の皺が刻まれていたが、立ち姿は凛としており、二十代のような若々しい雰囲気をまとっていた。濡れ羽色の豊かな髪が、一層それを引き立てているのかもしれない。

「具体的には、どういったものを取って来ていただけるのでしょうか?」

「なんでも……取りに行くことが出来るものであれば、基本的には何でも承っております」

「どんな依頼が多いですか?」

「それも色々ですね。思い出の品は人それぞれですから」

 なんでも……なんでも、か。本当になんでも受けてくれるのだろうか? ……人間の死体も、構わないだろうか?

 これは運命なのかもしれない。

 私がそんなことを思案しているうちに、副社長へのインタビューは終わり、スタジオの映像に戻ったようだった。

「飛び込みの依頼も受け付けていらっしゃいますが、インターネットや電話で予約すると、よりスムーズに受けていただけるそうです」

 アナウンサーの言葉を聞き、私は「依頼してみようか」と思い立った。私は生来、慎重な方だと自分では思っている。しかし、その時は、依頼してみようと考えた途端、実行せずにはいられなかったのだ。

「あ、ヴァンさん。朝ごはん、もう良いんですか?」

 聞き慣れた男の声が頭上から降ってきた。家事代行業者のルルウである。彼には週五日、食事の準備や洗濯物など身の回りの世話をしてもらうために、家事代行派遣業専門の会社から派遣で来てもらっていた。彼の来ない週二日は、近所に住む甥夫婦の世話になっている。独り身のまま年老いてしまった私にとっては、ありがたいことだ。彼らのおかげで、孤独も感じずに済んでいる。

「ええ、結構です。どうも」

「パンばかりじゃバランス悪いでしょう。野菜はいいんですか? もし、お食べになるなら、用意しますけど」

「いいえ、朝は入らないんで、もう結構です。それよりも、ちょっと電話をお願いできますか」

 最新式の電話の使い方が、私にはイマイチ分からないのだ。だから、自分では電話をかけられない。あれは、機能が多すぎると思う。

「ソレイユ社に行きたいのです。知っていますか?」

「あー、知ってます知ってます。地上に置いてきちゃったもの、代わりに取りに行ってくれるんでしょう? うちのバアチャンがこの間、化粧台をお願いしていましたよ」

「そうだったんですか」

 意外なところに利用者はいるものだ。

「どうでしたか?」

「うん、良かったみたいですよ。僕が行ったわけじゃないですけどね、バアチャンとオフクロが事務所行って化粧台と一緒に帰って来たんですけど、まあ二人ともご機嫌で。社長が綺麗な人だった、ロマンスグレーだ、いや綺麗な白髪だったからロマンスホワイトだなんて大騒ぎしてました」

「はあ」

 社長のビジュアルはどうでも良いのだが。

「頼んだら、すぐ取りに行ってくれるんですか」

「うん、手が空いていればそうみたいですよ。ヴァンさん、頼みたいものでもあるんですか?」

「ええ、ちょっとね。だから、予約の電話をお願いしたいのですよ」

「良いですよ」

 幸い、ルルウは「何を頼むのか」は訊いてこなかった。「人の死体」なんて言ったら、ソレイユ社ではなく病院の予約を入れられてしまいそうだ。

「いつ行くんです?」

「今日、できたらこれから行きたいのですが」

 さすがにルルウは驚いたようで「そりゃ、また」と一オクターブ高い声で言った。くるんと目を見開いて、

「急すぎません?」

「さっき、テレビで紹介されていまして。熱が冷めないうちに、行こうと思ったんですよ」

「はあ」

 ルルウはそれ以上訊ねてはこず、すぐに予約の電話を入れてくれた。「今日って何時くらいなら、大丈夫ですか?」「あ、そうですか」「はい、どうも」と、数度、やり取りをした後、私に向かって、

「ヴァンさん。一時間後でどうです?」

「ええ、大丈夫です」

 安易に頷いた後、うちからソレイユ社まではどれくらいかかるんだろう、そもそもソレイユ社はどこにあるんだ? と不安になったが、マア、どうにかなるだろう。交通機関が発達したおかげで、ずいぶん移動時間も短縮された。

 私の気を知ってか知らずか、ルルウはわざわざソレイユ社の所在地を調べてくれたようだった。

「ソレイユ社、ここからタクシーでなら二十分ほどですね。歩いてはちょっと遠いでしょうから、タクシー、呼びましょうか」

「ええ、お願いします」

 タクシーで行くなら、時間には余裕がある。慌てず身支度を出来そうだ。

「あ、そうだ。依頼したいものが写っている写真なんかがあったら、それを持って来て下さいとのことだったんですけど、そういうの、ありますか?」

「写真、ですか」

 私はちょっと悩んでから、ルルウに頼んだ。

「そこの戸棚にアルバムがあると思うので、取っていただけますか。それを持って行くことにします」

 果たして、こんなものが役に立つのかどうか分からないが、持って行かないよりいくらかマシかもしれない。ルルウに手渡された物が目的の物であることを確認し、外出用の鞄に入れてもらう。

「僕、ついて行きましょうか?」

「いえ、一人で行きます」

 ルルウの申し出はありがたかったが、受け入れるわけにはいかなかった。依頼することがことなのだから。

 三十分後。ルルウに手伝ってもらいながら身支度を終え、杖を片手に家を出る。自動運転のタクシーには運転手は乗っておらず、ただ車輪のついていない車が、家の前に鎮座していた。まったく、車もずいぶん変わってしまったものだ。

「正午までには、戻るようにしますから」

 私がそう告げたのと、扉が閉じ、タクシーがふわりと浮いたのはほぼ同時だった。「うわ」と思わず悲鳴をあげてしまう。四十年前に実用化され、今では珍しくもなんともなくなってしまった空中を走る乗用車。目的地までの所要時間が短くなったのも、この乗り物が登場したおかげだ。

 運転手がいないので、雑談をする相手もいない。タクシーに搭載されているAIは「シートベルトをご着用ください。走行中にむやみに動いたり、扉を開けたりするような危険行為はおやめください。また、車内のスイッチなどを無断で触らないでください」と警告したあとは、すっかり静かになってしまった。

 しんとした車内で、私は過去のことに思いを馳せていた。私の愛した少年たち。彼らなら、この〈空中タクシー〉を見て、どんな顔をしただろう……?

 よく笑う子どもたちだった。……もう一度、あの美しい子どもたちを、この腕で抱きしめたい。頬に生暖かい感触が滑った。

 

***

 

 タクシーはオフィス街の上を抜け、そこからやや離れたところに建っているビルの前に着地した。支払いを終え、タクシーを降りる。

 どうやら、雑居ビルらしい。入口の電子案内板を見ると、二階はまるまるソレイユ社とのことだった。

『本日は、どちらの会社をご訪問ですか?』

 案内板から柔らかな女性の声が流れてきた。どうやら、センサーが私の感知し、一定時間以上、案内板を見ていたことから客だと判断したらしい。

「ええと、〈ソレイユ社〉に」

 機械との会話と言うのは、どうにも慣れない。気恥ずかしさから、どうしてもモゴモゴと口の中で喋ってしまう。

 幸い、案内板の方は私の不明瞭な声をきちんと聞き取ってくれたようだった。

『ソレイユ社、ですね。少々お待ちください』

 しばらくすると、ビルの中から見覚えのある男が姿を現した。

「ヴァン様でいらっしゃいますか?」

 先ほどテレビから聞こえてきたのと、寸分変わらぬ声。

「ソレイユ社副社長のナナカマドです」

「あ、はあ、どうも」

 まさか、副社長直々に出迎えてもらえるとは思っていなかった。

「お待たせしました。どうぞ、こちらへ」

 挨拶もそこそこに、二階へのオフィスへと案内してもらう。

 オフィスは、想像していたよりもずっと広く、整然としていた。人が誰もいないから、余計にそう見えるのかもしれない。

「数少ない社員は、皆、出払っているか休みでしてね。社長もついさっき、役所へ出かけて行きまして、今は私一人なんですよ」

 不審に思われないためだろう。私が何も言わないうちから、副社長はそう説明をしてくれた。

 私が案内されたのは、オフィスの奥の応接室だった。

「どうぞ、おかけください」

 すすめられるまま、ソファへ腰をおろす。

 と、ナナカマド氏は踵を返すと、応接室から出て行ってしまう。どうしたのかと思ったら、しばらくしてティーカップが載った盆を持って戻って来た。

「紅茶です」と言い、カップを机の上に置いてくれる。なるほど、誰もいないから、来客用の茶を淹れるのも彼がしなくちゃならないのか。

「うち、コーヒーは置かない主義なので、紅茶一択ですみませんね」

「え? あ、いや、お構いなく。ありがとうございます」

 私はコーヒーでも紅茶でも、飲めればどちらでも構わない、というのが本音だった。

「早速ですが、今日はどういったご依頼でしょうか?」

「あの、今朝、テレビで紹介されているのを観て伺ったのですが、地上に残して来たものを取りに行ってくれるそうですね。なんでも構わないのでしょうね?」

「ええ。まあ、そのものの外見や、だいたいどこにあるか、その場所くらいは分からないと、取り掛かりようがないのですが」

「……どちらも曖昧なのですが、どうしましょう……?」

「それは、どういったものなのでしょう?」

「はあ、実は、少年の遺体をお願いしたいのです」

 ふうむ、とナナカマド氏は唸った。

「遺体、ですか。具体的には、誰の?」

 ナナカマド氏の口調はあくまでも穏やかだった。私が彼だったら、目の前の老人に少なからず苛立っていたかもしれない。ははあ、このジイサン、病院にちっとも行かないクチだな、自分がシッカリしてると思っていやがる、と。

「はあ。私の……教え子です。少年の遺体を二人分、お願いしたいのです」

「ふうむ」

「……いけませんでしょうか?」

 ナナカマド氏は「いえ、いけないことはありませんよ」と言った。

「ただ、遺体というのは初めてでしてね。不躾ではありますが、やや興味が湧いてしまったのです。詳しくお話し願えませんか。その、二人の少年とやらについて……」

「少し、長くなってしまいますが、良いでしょうか? その……このことは、一度も人に話したことがないので、冗長になってしまうかもしれませんが」

「ええ、構いませんとも」

 私は一口、二口、紅茶をすすり口の中を湿らせた。

「少年、というのは先ほども申し上げた通り、私の教え子たちです。もう五十年も前のことになりますが、今でも時々、夢に見ます。本当に、美しい子たちでした」

 私はバッグから持って来ていたアルバムをナナカマド氏に渡した。

「それは、その子たちの写真ばかりを集めたものでして……ね、綺麗な子たちでしょう?」

 口調に熱がこもっているのが、自分でも分かった。

 ナナカマド氏の返答は「なるほど。そうですね」とアッサリしたものだったが、私には肯定されたことが嬉しくて堪らなかった。

 その興奮も手伝って、私の舌は、やって来た当初よりもずいぶん滑らかに動くようになっていた。

「そうでしょう、そうでしょう。私はその子たちを愛していました。その子たちもまた、私に懐いてくれていました。本当に、美しい子どもたちでしょう……? まるで、お人形みたいで……。この子たちと出会ったのは、もう随分昔のことになります……」

 

***

 

 五十年前、いわゆる〈地上時代〉ですね。私は文学研究科の大学院生でした。博士課程の前期で……大学に入るために一年浪人していましたから、当時二十三歳ということになります。

 院に進んで一か月ほど経った頃でしょうか。当時、私がお世話になっていた指導教員から「アルバイトをしないか」と声を掛けられたんです。自分の知り合いが、子どもの家庭教師を探しているのだが、週に三日ほど行ってくれないか、とのことでした。

そのころ、私はちょうどアルバイトを探していまして……それも、贅沢な話ですが生活費は両親に仕送りしてもらっていたので、遊んだり勉強用の本を買ったりするための金を稼ぐために、ちょっとだけバイトをしたいな、と思っていたのです。なので、教員の話は私にとって、まさに渡りに船でした。

 私のアルバイト先は、エラリイという名の県議会議員の家でした。エラリイは所謂地の人間で、先祖は武家だか公家だったか忘れましたが、とにかく随分、社会的地位の高い人間でした。家も純和風のお屋敷みたいなところで、ちょっと入るのを躊躇ったのを今でも覚えています。

 私の生徒……エラリイ氏の子どもは、男の子が二人でした。十三歳の兄と、十二歳の弟。写真を見ていただければ分かると思うのですけど、ずいぶん、綺麗な子どもたちでしょう? 特に兄の方は見るからに神秘的で……アルビノと言うそうです。髪も肌も真っ白いでしょう。瞳の色も普通より、ずっと色素が薄いんです。

 弟はアルビノではなく、色は普通の子でしたが、彼は彼で人とは違う、浮世離れしたところのある子でした。特に可笑しなことはないのに、クスクス、ケラケラよく笑う子でね……。悪戯っ子で、後ろからコッソリ忍び寄って背中を叩いて驚かせてくる、なんてことはしょっちゅうでした。私が「うわ」とか言って驚くたびに、きゃたきゃた声をあげて笑うんです。それがまた、愛らしくて。天使のよう、とはあの子たちのためにある言葉だと思いました。

 屋敷には、エラリイ氏と息子たち……兄がソワレ、弟がマチネという名前でした……住んでいるのは三人だけでした。母親は二人の息子を産んだ後、亡くなったそうです。それも、家出をして、その先で事故死したらしくてね……気の毒な事です。

 エラリイ氏は仕事で毎日、朝から晩まで働いていましたから、代わりに家事をするために家事代行業者が二人、雇われていました。今でこそ、男性の従業者も増えましたが、当時は、まだ、そういう仕事は女性がやるものと決まっていましてね、私も子供たちも彼女たちのことを「家政婦さん」と呼んでいました。平日はまるまると太った女性が、土日には対照的に枯れ枝のように痩せ細った女性がやってきて、エラリイ家の家事をこなしていました。

 当時、家政婦を二人も雇っているというのは、相当な金持ちにしかできないことでした。経済面では、子供たちは恵まれていたといえるでしょう。着ている服も、常に上等のものでしたし、戦時中、食糧難で騒がれていたときにすら、栄養は十分に摂れていましたから。

 でも、精神面、と言いましょうか。経済面以外では、ずいぶん、気の毒な環境に置かれていました。

 まず、母親がいませんでしたし、家政婦たちにも余り懐いていないようでした。家政婦は家政婦で、子供たちからは距離を置いていたようです。「ふつうの子供と違って、なんだか不気味」と言っているのを、聞いたことがありますから。

 でもね、それは決して、あの子らが悪い訳じゃないんです。むしろ、あの子たちは普通の子と違って、純粋で美し過ぎたんです。それを家政婦たちは分かっていなかったんでしょう。あの子たちは、普通の子どもにありがちな粗野で醜い小賢しさがなくて、どこまでも無邪気で純粋でしたから、〈普通〉に慣れ切ってしまった彼女たちには〈不気味〉に映ったのだと思います。

 それに、家政婦だけでなく、父親との関係もあまり良好ではないようでした。職業柄仕方がないことかもしれませんが、エラリイ氏は人一倍、体面や人からの評判を気にする人でした。それゆえに、彼は自分の息子がアルビノであることが気に食わなかったようです。

 第三次世界大戦って、あったでしょう。あのころ、ナナカマドさんはおいくつでした? 十二? ……ああ、じゃあ、マチネと同い年だったのですね。なら、覚えていらっしゃるかも分かりませんが、戦争が始まる数年前から世界情勢というのは悪化の一途を辿っていました。国内でも次第に愛国主義者の勢力が強まっていきまして、特に外国人に対する迫害が強くなっていたのです。

 その愛国主義者の勢力の中に、エラリイ氏もいました。彼もまた、N国内にいる外国人は、直ちに出国すべし、N国はN国人のためにある、という考え方の持ち主でした。そんな彼にとって、ソワレはハッキリ言って邪魔者だったのです。

 N国の人はふつう、髪と瞳の色は黒で、肌の色は黄色人種に部類されるでしょう? でも、ソワレはアルビノですから、それには当て嵌まりません。髪も肌も雪のように真っ白で、瞳の色は薄く、それに顔だちも割合はっきりしていましたから、外国人のような外見だったのです。

 愛国主義の自分の息子が、まるで外国人のような外見をしているというのが、エラリイ氏には気に入らなかったのですね。実際、ソワレを見て、あの子の母親は外国人ではないか、エラリイ氏は愛国主義者を名乗っておきながら、外国の女と関係を持った非国民ではないか、という噂も流れていたそうです。

 そんなわけですから、エラリイ氏はソワレには特に冷たい態度をとっていました。そして、ソワレに懐いている弟のマチネのことも、エラリイ氏は気に入らなかったみたいです。エラリイ氏は二人の息子に対して愛情を注ぐことなく、敗戦後には彼らを毒殺してしまいました。

 ……ええ、そうです。私が愛した少年たちを殺したのは、彼らの父親なんです。エラリイ氏は息子二人を殺したのちに、自身も毒を呷って自殺してしまいました。

 ……その話をする前に、もう少し、ソワレとマチネの話をしても良いですか? ……ありがとうございます。せっかくの機会、と言ってはなんですが、この際、すべてを誰かに話してしまいたいのです。心のうちに思い出として取っておくだけ、というのは私にはいささか、重たすぎて。

 家庭教師を、それも業者ではなく知り合いを通じて探していたのも、そこらへんの事情が関係しているようです。義務教育なので、子供たちを学校には通わせていました。児童虐待なんてことが発覚すれば、それこそエラリイ氏の立場は危ういものになりますから、とりあえず、親として最低限のことはこなしていました。

 子供たちを私立大学の附属校に通わせ、そのうえで富裕層の大概がそうしているようにプラスアルファの教育も受けさせようとしたみたいです。子供たちのため、というよりは、あくまで自分の評判のため……「あの人は子供を学校に通わせるだけで満足しているらしい。教育云々と選挙のときには言っていたが、自分の子供にはさほど関心がないらしい」と噂されるのを嫌ったためでしょう。でも、一方で子供の外見は気に入らず、できる限り、ソワレの存在を人に知られたくない、という思いもあったのだと思います。だから、塾に通わせず、大手の家庭教師派遣の業者を利用もせず、知り合いだった教授に紹介を頼んだのでしょう。雇われる際、エラリイ氏に「くれぐれも、子供たちのことや、そのほか知りえた家庭内の事情について他言のないように」と注意されましたから、私の憶測はあながち間違っていないと思います。……今、お話ししているのは、もう時効ということで許してもらいましょう。

 エラリイ氏はやや癖があって、決して人当たりが良いとは言えませんでしたが給料は弾んでくれたので文句はありませんでした。夕食をご一緒する時なんかは、ちょっと息苦しかったですけど。それに、仕事の中で知った情報を外に漏らすな、というのは特別変わったことでもありませんし、むしろ当然のことですからね。

子どもたちは学校から帰ってくるのが三時過ぎなので、火曜日と木曜日は午後四時から七時までの三時間、休日の日曜日は丸一日、家庭教師として子どもたちの面倒を見ることになりました。食事つきで週給八万円なのですから、ずいぶん景気の良い話でしょう? エラリイ氏はさすがに、金銭面での気前は良い方でした。本当に。

私が子どもたちに初めて会ったのは、ゴールデンウイーク明けの日曜日のことでした。約束の時刻に屋敷へ向かうと、家政婦さん……この日は、やせ細ったほうの家政婦さんが玄関口で待っていました。彼女に応接間に案内されて、そこで私はエラリイ氏と子どもたちに出会ったのです。

本当に息を飲むほどに、美しい兄弟でした。私にもう少し語彙力か、そうでなくても、気の利いた言い回しをする頭があれば、良かったのですけど……とにかく、それほどに美しかったんです。二人は色の他は背丈もほぼ同じで、瓜二つでした。二人を並べて白黒写真を撮ったら、双子に見えたことでしょう。

齢が近かったからか、この兄弟はずいぶん仲良しでしょっちゅう、額を寄せ合ってはクスクスと笑っているんです。その様子がまた、愛らしくって、いつまでだって見てられました。研究の疲れも、あの子たちに会えば、すぐに消えてしまいました。「先生、先生」と呼んで、こんな私を慕ってくれましてね。嬉しくって、たまりませんでした。

さっきも申し上げました通り、あの子らには普通とはちょっと違ったところがあって、そこがまた愛おしかった。

例えば、遊び方なんか、普通の子どもとはちょっと違っていましたね。

当時は野球が流行っていて、公園なんかへ行くと、子どもたちがしょっちゅうチームを組んで試合をしていましたけど、ソワレとマチネがそれに加わっているのを、私は見たことがありません。学校が終われば真っ直ぐ帰宅し、友達と遊んでいるのすら見たことがありませんでした。いつも、二人きりです。

ただ、いくつか条件の揃った日曜日には決まって、家の近くの公園へ出かけていました。条件というのは、まず晴れていること、それから父親が家にいないことの二つでした。

前者はまぁ、晴れている方が単純に遊びやすかったからでしょうね。後者は簡単です。父親が見ているところで、勉強をすっぽかして出かけようものなら、とんでもないことになる、と子どもなりに分かっていたのでしょう。

それに出かける場所も、やや問題でした。先ほど、公園と申し上げましたね。いえ、公園で間違いないのですが、ブランコや鉄棒があったり、野球やサッカーをしたりするような一般的な公園ではないのです。遊具の類は一切ありませんでしたし、スポーツをするようなだけのスペースもありませんでした。さらにいえば、当時、あの公園に出入りしていた人間を、私は自分たち以外に知りません。あそこは、少々、人から敬遠されていた場所だったのです。

というのも、その公園の管理人が外国人だったんです。

これは、家政婦さん――太っている方です――に教えていただいたのですけど、その公園というのは、私が生まれる二十年ほど前に作られたものらしくて、設計を担当したのがN国に移住してきた外国人夫婦でした。そのころは、まだ世界情勢も安定したもので、外国からN国へ移住する人も少なからずいたそうです。

で、しばらくは公園の管理をその外国人夫婦が担っていたのですが、彼らは私が生まれた年に亡くなりましてね。それで夫婦の一人息子が、跡を継ぐことになったのです。

この息子というのが、また不憫な方で。確かに国籍や外見は外国人でしたが、生まれも育ちもN国なんです。公園が造られた年に生まれたのだそうです。だから、当時で四十過ぎだったはずです。彼は公園の傍に小さな家を建てて、そこに結婚もせず、一人で住んでいました。

何度か、公園で彼を見かけたことがあります。言葉を交わしたことも。陰気な男でしたが、話してみると性格の良さが端々に滲み出ていました。子どもたちとも、それなりに親しくしていたようです。

自分はN国人から見れば外国人なものだから、日に日に肩身が狭くなる。けど、自分では生まれも育ちもN国で半ばN国人だと自覚している節があるから、では、と両親の祖国へ行くことも簡単には出来ない、というふうなことを彼は話していました。結局、戦後、彼がどうしているのやら……生きているか死んでいるかすら、分かりません。

……ああ、話がちょっと、逸れてしまいましたね。そう。それで、その公園です。

その公園の敷地は、真上から見ると真円になっていましてね。その中央にまず、大きな天使の銅像が立っていました。一人の天使が両手を空に掲げて、羽を広げているんです。こう、大げさなぐらいの前傾姿勢で。で、それを囲むように、ぐるりと色とりどりの花が植えられていました。公園の円の中に、一回り小さな円を描くように、花壇が造られていたんです。その一部だけ通路になっていましてね、だから正確には真円ではなくCの形、と言うべきでしょうか。そこの開いたところから、公園の中心に入れるようになっていました。

あの花壇を見て、ははあ、これは専属の管理人も必要になるというものだな、と納得しましたよ。本当に、いろいろな種類の花が植えられているんです。

春の花であるクレマチスやイエローサルタン、ハナニラ、初夏から秋にかけて咲くキンレンカ。他にもイキシアやナデシコ、出入り口の付近にはハナズオウ、他にもナナカマドの木もありました。ああ、一目でどこに何があるか、分かるように小さな札が立てられていたんですよ、植物の名前が書かれた。

色とりどりと言えば聞こえは良いですが、私にはどうにもチグハグに見えましてね。管理人曰く、小さな植物園というコンセプトだったそうです。

子どもたちは、いつも昼食後に公園にやって来ては、銅像の傍のベンチに腰かけましてね、そこでずっとお喋りをしているんです。内容は本当に他愛のないもので、しりとりや山手線ゲームをしてみたり、かと思えば、二人の家政婦さんの料理の違いについて話していたり。

時々「お父さんは13で、先生は15だから」「14だよ」「僕たちは16」などと不思議なことを言って笑ってもいましたね。先生とは私のことらしく、「どういうことだい?」と訊いたのですけど、もったいぶって教えてくれなくて……今でも、分からずじまいです。

ああ、そうだ。不思議なことといえば、もう一つありました。

子どもたちはいつも昼過ぎから午後四時まで公園に滞在していました。私が四時には公園を出よう、と言っていたためです。そうしないと、勉強する時間が無くなってしまいますから。

それでですね、不思議なこと、というのが子どもたちは時計を持ってなかったのに、時刻を正確に把握していた、ということなんです。

私の腕時計で、四時になるでしょう? あ、そろそろだな、と思ったところで、子どもたちがベンチからぴょこ、と立ち上がる。私は何も言っていないのに……子どもたちが私の腕時計を見たというのも、あり得ません。私は、彼らから少し離れたベンチで、研究用の本を読むのが常でしたから。

四時になると、あの子たちはぴょこ、と立ち上がって私の方を見るのです。そして「四時になったよ、帰ろう」と。先ほども申し上げました通り、子どもたちは時計やスマートフォンなど時刻を確認できるものはありませんでしたし、公園やその周辺にも時計はありませんでした。

ですから、私が「よく四時になったって分かったね」と驚くと、二人は可笑しそうにケラケラと笑いました。悪戯が成功して喜んでいるような……そんな笑い方でした。その後も、ほぼ四時ちょうどに立ち上がっては私が驚くのを面白がっているようでした。弟のマチネなど――あの子は笑い上戸なところがあって、ほんのちょっとしたことでも、クスクス、ケラケラ笑っていました――家に着くまでずっと笑っていたこともありましたっけ。

きっと、彼らは家では思い切り笑えない分、ああやって公園で笑っていたのだと思います。父親の前では、彼らは気の毒なほどに萎縮していましたから。

ええ。父親の前では、他愛ない悪戯どころか、笑うこともありませんでした。せいぜい、お愛想でちょっと微笑むくらいのことで、あとはお人形のように無表情なんです。

いつだったかエラリイ氏と子どもたちと、四人で夕食を食べていた時のことでした。エラリイ氏が愛国主義的なことを言って、私に同意を求めてきました。内容はあまり覚えていませんが、確かレストランの店員が外国人のようだったので、不気味で困った、とかそう言ったことだったと思います。正直、エラリイ氏の発言は聞いていて気持ちの良いものではありませんでしたが、立場上、あまり強くも言えません。適当に愛想笑いを浮かべながら、相槌を打つことしか出来ませんでした。

その時、ちら、と子どもたちの方を見たのですが、気の毒になるほど暗く沈んだ表情をしていました。お気に入りの公園の管理人のことを思っていたのかもしれません。あるいは、ソワレのN国人離れした外見のことを気にしていたのかも……。あの時、声をかけてやれなかったのが、今でも心残りです。

子どもたちがエラリイ氏のことをどんなふうに思っていたのか、私には分かりません。「お父さんのこと、どう思ってる?」なんて訊ねたことは、ありませんでしたから。普段から、あまり関わり合いは持っていないようでした。それでも父親に疎ましがられていることは、彼らも感じ取っていたと思います。

ただ、エラリイ氏が仕事から帰宅したときには、決まって子どもたちは玄関先まで出迎えていました。「おかえりなさい」と言って、父親から鞄と上着を預かるのです。そして、それをエラリイ氏の書斎まで持って行って片づけていました。

まるで、一昔前の夫を出迎える妻のようだ、と思いましたね。彼らがどうして、そんなことをしていたのか分かりません。子どもたちが父親を労おうと思ってのことかもしれないし、あるいは恐れて出来る限り機嫌を取ろうとしていたのかもしれない。父親に強制されたのかとも思いましたが、家政婦さんによれば子どもたちが自主的にやっていることだそうです。

疎ましがりつつも、体面を保つために息子二人を育てていた父親。父親の前では萎縮してしまう息子たち。中身はひどく歪ではありましたが、破綻することはないだろう、というのが彼ら親子に対する、私の印象でした。エラリイ氏が世間体を気にし続ける限り、あの家庭が崩壊することはないだろう、と思っていたんです。

なのに……。

あんな風になってしまうなんて、思ってもみなかったんです。ああ……私に、もう少し想像力があれば……あるいは勘が鋭ければ……あるいは、そう。いっそ、あの子どもたちを連れて逃げてしまうだけの行動力があれば、あの美しい子どもたちは死なずに済んだのに。

今でも、毎日のように後悔の念に駆られます。

でも、本当に、あんな事件が起こるなんて予想できなかったんです。

 

***

 

 事件が起きたのは、終戦から間もない時のことでした。第三次世界大戦でN国が負けて……あなたも覚えていらっしゃるでしょう? 核戦争だか何だかの影響で、地上には住めなくなった、これから国民全員に地下へ移住してもらうと、発表された日のこと……敗戦と、前代未聞の移住計画のせいで、国中が混乱していた時期のことを。

 私は喘息もちでしたので兵役を免れることが出来ましたが――ですから、戦時中も変わらず、子どもたちの家庭教師を続けることができました――、たった一か月でずいぶん多くの若者が亡くなりました。

私自身、戦況が悪くなれば持病なんて言ってられず、戦場にポイと放りだされる日がくるのではないか、とビクビクしていたのを覚えています。徴兵の通知がくるより前に終戦を迎えることが出来たのは、本当に幸運でした。

 反対にエラリイ氏は、よもやN国が負けるとは思ってもみなかったのでしょう。敗戦の知らせを聞いた日は、かなりガックリきた様子で。愛国主義について語ることもなくなってしまいました。

 それでも、都議会議員としての仕事はきちんとこなしていたようです。敗戦後も変わらず、日々、どこかへ出かけている様子でした。子供たちとの関係も、良くなることもなければ、悪くなることもなく……いつも通りに見えました。

 地下移住計画が発表されたのは、敗戦から四日たった日のことです。あの日は日曜日でしたから、私は朝からエラリイ氏の家にお邪魔していました。そこで、発表を聞いたのです。

 地下の住居は国が用意するので、国民は二週間以内に準備をして地下へ移ること、と聞いてこれは大変なことになった、と思いましたね。自分の下宿は引き払わないといけないし、そのために荷物もまとめなければいけない。実家に連絡すると、両親と祖父母の引っ越しを手伝ってほしいと言われました。

 そうなると、家庭教師をしている余裕もありません。エラリイ氏に相談すると、二週間の休みを頂くことができました。二週間もの間、子どもたちに会えないのは苦しかったですが、こればかりは仕方がありません。次は地下で会おうね、と約束をして、その日、私はソワレとマチネと別れました。

 子どもたちは子どもたちで、地下への移住はショックだったようです。特に、あの公園へ遊びに行けなくなることを悲しんでいました。「地下にも同じようなものが造られるかもしれないよ」と言っても「それじゃ、ダメだよ!」と拗ね気味で……少し、手を焼いてしまいました。まあ、私が悪い訳じゃないのは彼らも分かっていましたから、すぐに機嫌を直してはくれたのですけど。

別れ際、ソワレに「次に来てくれるのは、いつ?」と訊かれたのを、よく覚えています。「二週間後の日曜日、また会えるよ」と言うと、嬉しそうに「朝の九時に来てね。絶対だよ」と抱きついてきました。

そして、それが今生の別れとなってしまったんです。

 私がソワレとマチネの死を知ったのは、地下に移住して二日後のことでした。

 移住する前日にエラリイ氏からメールをもらいましてね、地下での新しい住所が書かれていました。そして、明後日の日曜日には早速、都議会議員として集会に参加する予定なので、その間、家で子どもたちの面倒を見ていて欲しい、とも書かれていたんです。

 もともと、日曜日には家に行くと子どもたちとも約束していましたから、私はその依頼を二つ返事で引き受けました。分かりました、いつも通り、日曜の午前九時に伺います、と。

 そして日曜日、私は約束通り、午前九時にエラリイ氏の家を訪ねたんです。当時はまだ、地下は公共交通機関が一切機能していませんでしたから、二時間近く自転車を漕ぐはめになりましたが、苦ではありませんでした。もうすぐ、久しぶりにソワレとマチネに会えると思っていましたから。

 ところが、です。チャイムを押した私を出迎えたのは、子どもたちではなく、エラリイ氏の秘書でした。それもチャイムを押すとほぼ同時に飛び出してきましてね、危うくぶつかるところでした。

 この秘書というのは五十過ぎの男でしてね、いつもムスッとした顔をしていて、ついでにコロコロ太っていました。エラリイ氏と同じ愛国主義者で、酷く嫌味たらしい言い方をするので好人物とはお世辞にも言えない人でした。

 そいつが真っ青な顔をして出てきたので、その時点で嫌な予感はしていたんです。

「どうしたのですか?」と訊ねますと、「エラリイさんが死んでる」と呆けたような声で言いました。それを聞いて私が一番に考えたのは、秘書の言葉の真偽でも、エラリイ氏の死因でもなく、子どもたちの安否でした。

「ソワレとマチネは?」と訊ねると、秘書はやっぱり呆けた声で「知らない」としか言いません。居ても立っても居られなくなりましてね、秘書を押しのけるようにして、家の中に入りました。自分でも知らないうちに、子どもたちの名前を連呼していました。

 片っ端から部屋を見ていきましてね。四つ目の部屋で、私はエラリイ氏の死体を発見しました。

 まだ家具がほとんどない状態でしたが、おそらくリビングだったのだと思います。そこで、エラリイ氏はうつぶせに倒れていました。そのそばには、コーヒーカップが落ちていましてね、絨毯にできたコーヒーの染みが、時間の経過した血痕のようにも見えました。

 それから、テーブルの上に砂糖壺とポットがあったのも、よく覚えています。この砂糖壺というのが、エラリイ氏お気に入りの品でね、支援者からの贈り物なのだそうです。彼はこれに上質な砂糖を入れて、コーヒーを飲む時にだけ、それを使っていました。

エラリイ氏は大のコーヒー好きで、しょっちゅう自分でコーヒーを淹れていました。私、思うのですけど、愛国主義者のくせにコーヒー好きなんて、ちょっと変じゃありませんか? だって、コーヒーの発祥って外国でしょう?

そういえば、エラリイ氏がコーヒーばかり飲んでいるのを、子どもたちはやや不満に思っているようでした。なんで父さんは食事時にもコーヒーを飲んでいるのに、僕たちがコーラを飲むのは許してもらえないの、とね。単純に健康面の問題で、家政婦さんが制限していただけなんですけど、そこを理解しろというのも意地の悪い話だったでしょうね、子どもたちには。時々、公園に行く途中でコーラを買ってやると、マチネなんて飛び跳ねながら喜んでいましたっけ……。

ああ、すみません。また、話が逸れてしまって。

で、そう。エラリイ氏の死体を見つけた私は、そのとたん、冷静になったと言いますか、というより、恐ろしくなりましてね。いったん、家の外に出ました。

そこで、秘書と一緒に警察を待ちましてね。私も一通り、取り調べを受けましたよ。幸い、私も秘書も、容疑者として扱われることはありませんでした。

というのも、エラリイ氏の死は、かなり早い段階で自殺と結論付けられたのです。

エラリイ氏が愛用していたノートパソコンから、遺書が見つかったそうです。新聞にも掲載されましたが、それを読んだとたん、私は危うく卒倒しそうになりました。いえ、実際に少しの間、気を失っていたかもしれません。

諳んじることは出来ませんが、だいたい、こんなことが書かれていました。

「誇り高きN国が敗戦国となってしまい、私はもう、この悲しみを背負って生きていこうとは思えない。敗戦国の民として卑しく生きるくらいなら、さっさと死んだほうがマシだ。自殺するにあたって、自分の息子たちも殺した。その死体は地上に放置してきた」

 ……と、だいたいこんな風だったと記憶しています。

 ねえ、信じられますか? 敗戦したからって、子どもを殺しますか? しかも、それを地上に放置してきた、なんて……一度、地下に来てしまえば、もう二度と地上へは戻れないと知っていながら、ですよ。

 秘書は秘書で、この遺書を見てその場に崩れ落ちていました。けど、それは、私のように子どもたちを喪ったことによる悲しみではなく、あくまで自分の立場が危うくなることに対する危機感からのようでした。

 その遺書を読んだとたん、秘書は狂わんばかりに喚きはじめました。自分は子殺しの議員の後始末をしなくちゃいけないのか、今日だけでなく来週には、子連れで集会に参加する予定だったのに、親子もろとも死なれたら、誰がその穴を埋めるんだ、せっかく美少年で人寄せをしようと思っていたのに、とね。まあ、もう思ったことが全部、口から溢れ出ていました。

 もう聞いていて我慢できなくなりましてね、警察の手前、できませんでしたが、一発殴ってやれば良かったかもしれません。

 ああ、すみません。どうしても、感情的になってしまって。

 そういえば、まだエラリイ氏の死因について、お話していませんでしたね。死因はヒ素で、カップの中のコーヒーと砂糖壺から検出されました。それも、エラリイ氏が自殺だと判断される材料になったそうです。

 ヒ素といいますと、当時は殺鼠剤としてごく普通に使われていました。それをエラリイ氏が持っていた理由について、少々、補足しておいたほうが良いかもしれません。ナナカマドさんは当時、マチネと同じ十二歳……子供だったそうですから、ご存じないかもしれませんから。

 今でも言われていることですが、大きな災害や事故、事件が起こったときにありがちなのが、ウソの情報が流れるということです。地下移住計画が発表された当時もそうでした。

 やれ、一週間以内に地下へ行かなかったものには住居が与えられないかもしれない、だとか、国は地価は安全というが、地下にはもっと危険な物質が漂っている、だとか。そのほとんどは、信ぴょう性がなく、騙された者も少なかったようですが。

 ただ「地下にはネズミが大量に住んでいる」というのは、なぜだか多くの人に受け入れられたようでした。他と比べて、なんとなく納得しやすく、リアリティがあったからでしょうね。かくいう私も、それに騙されてヒ素を買いに走った一人ですから。

 計画が発表されてからの二週間、薬屋やホームセンターでのヒ素の売り上げは、通常の約十倍に跳ね上がったそうです。品薄状態が続いている、とテレビのニュースでやっていましたっけ。みんな、噂を信じて、自分の新居にネズミが出た時のために、ヒ素を買い求めた、というわけです。

 その騒動を危険視したのでしょう、国が「その噂は嘘だ」と各メディアを通して発表したのですが、結局、地下に実際に移住するまでヒ素の売り上げが下がることはありませんでした。

 で、どうやら、エラリイ氏はその騒ぎに乗じる形で、ヒ素を買い求めたようなのです。

 ヒ素は危険な薬品ですからね、購入するときには店で身分を証明して、名前や住所などを所定の用紙に書かなければなりませんでした。いわば、誓約書ですね。私は、これをネズミを殺す以外には使いません、という。

 当然、エラリイ氏も〈誓約書〉を書いて提出していまして、それが、とあるホームセンターから見つかったんです。事件の報道を知って、ホームセンターのほうが警察に名乗り出てきたのだそうです。確かに、うちがエラリイ氏にヒ素を売りました、と。

 それをもって、警察はエラリイ氏は自殺である、と判断しました。死因のヒ素を自分で購入し、違和感のない遺書も見つかっているのだから、妥当な判断だったと思います。そして、当時の警察は、息子たちの遺体については、捜索を断念しました。

 まあ、それもそうでしょうね。遺書には〈どこに遺棄したのか〉までは明記されていませんでしたし、地上での捜索はあまりにも危険すぎました。まだ戦後間もない混乱期で、警察もそこまで手を回す余裕がなかったのでしょう。

 さらにいえば、エラリイ氏の親族も、子どもたちの遺体捜索に対して消極的だったようです。子殺しが親族にいるなんて世間体が悪い、一刻も早く、この事件は世間から忘れられてほしい、というのが本音だったのでしょう。

 彼らの望み通り、事件はあっという間に風化し、都議会の補欠選挙が終わった頃にはエラリイという名の男と彼らの息子たちの事件は、記憶の彼方へ消えてしまったのです。

 でも、ねえ。私は忘れることが出来ませんでした。

 院を終了した私は、当初は中学校で教鞭をとっていましたが、ものの数年で辞めてしまいました。生徒たちを見るたびに、ソワレとマチネの姿が彼らに重なって苦しかったのです。教師をやめた私は、結局、一般企業の営業として定年まで働き続けました。

 でも、それでソワレとマチネのことを忘れられるわけがありません。街中で子どもを見るたび、私は今でもあの子たちのことを思い出すんです。そして、今でも地上に放り出されっぱなしであろう二人を、不憫に思わずにはいられないのです。

 ねえ、ナナカマドさん。どうぞ、後生ですから、ソワレとマチネの遺体を探しに行ってくれませんか……?

 

***

 

 話を聞き終えたナナカマド氏は、ぴん、と人差し指をたてると、

「子どもたちが四時きっかりに立ち上がるのが不思議、と仰いましたけど、そんなに不思議ですか?」

 意外なところに話題を持っていかれ、私は「え?」と首を傾げた。

「ええ、不思議ですよ」

「いや、不思議なんかじゃありませんよ。ちょっと、考えれば分かることだと思うのですがね……。公園に行く日には、決まって晴れていたんでしょう? で、公園の形は円形で真ん中には天使の銅像、と来たら日時計だ、と考えるのが自然では?」

「はあ、あ、ああ」

「天使像は前傾姿勢だったと仰ったでしょう。だとすれば、設計者は初めから日時計を意識していたのだと

「影が何時のタイミングで、どの花の場所にかかるのか、なんて事前に管理人に聞いておけば済む話だしね。そう。事前に知っていたのさ、午後四時になった瞬間、天使の像の影がどこにあるか」

 言われてみれば、簡単なことだった。そうだ。確かにあの公園は、日時計として見ることもできる。あの子たちは、私が家庭教師になる前から、しょっちゅう公園へ遊びに行っていたようだから、午後四時のタイミングで影がどこにあるか、事前に知っていたっておかしくない。

「じゃあ、晴れている時にだけ、公園に行っていたのは、日時計として機能しないと私を驚かせられないから……?」

「うーん、それは少し違いますね。あなたを驚かせていたのは、オマケというか。そもそも、二人は元から日時計を見るのが好きで、何時に影がどの花の上にあるか、すっかり把握してしまってた。で、あなたが『午後四時には帰ろう』と提案した時に、この悪戯を思いついて実行した。じゃないと、時系列的におかしいでしょう? あんたに『午後四時には帰ろう』って提案された後に、管理人に確認なんて難しいですし」

「あ、まあ、そうですね」

 ごもっともである。

 そこで、私は、は、と気づいた。

「じゃあ、地下で同じような公園が造られるよ、と慰めても納得しなかったのは……日時計として、成り立たなくなってしまうから?」

 地下には太陽光が届かない。よって、影が時間によって移動することもなく、日時計も使えなくなる。

「ご名答」とナナカマド氏は頷いた。

「あの父親が13で私が15、とかいうあれは? あの意味も分かっていらっしゃるんですか?」

日時計とくれば、だいたい見当つきませんか? 花言葉です。時計の針ならぬ、銅像の影がかかっている花の花言葉のことを言っていたんです。例えば、16であれば十六時、すなわち午後四時の方向にあるイキシア、つまり〈団結〉といった具合に」

「はあ……」

 まったく、花言葉なんてよく知っていたものだ。それも、管理人から聞いたのだろうか。

「さて、それで肝心のご依頼のことなんですが」

 私は思わず身を乗り出した。そうだ、日時計花言葉は今はどうでも良い。そんなことより、依頼を受けてくれるかどうかが大事なのだ。

「結論から申し上げますと、無理ですね」

「どうして!」

 つい、声を荒げてしまう。

 一方、ナナカマド氏は落ち着き払った口調で続ける。

「その理由を説明するために、まず、エラリイと二人の息子の死について、その真相についてご説明したほうが良いでしょうね」

 まるで、探偵気取りだ、と私は思った。ナナカマド氏はいったい、なにがしたいのだろう。

「そもそも、あなたはエラリイが自殺したことについて、なんら疑問を抱かなかったのですか?」

「え? ええ、まあ」

 私は首肯した。遺書にヒ素の入手経路。警察の捜査の結果、「自殺」となったのだから、疑問を挟む余地はないと思っていたが……。

「自殺するような人間が、ですよ。いくつもの集会に出席する予定をたてますかね?」

「そりゃあ、あるでしょう。つい昨日まで、明日や明後日の予定を立てていた人が、ある日ふっと思いついたように飛び降り自殺、なんてニュースもあるじゃありませんか。昔だって、そういう人はいたものです。悲しいことですが」

「しかし、エラリイの場合、ヒ素をわざわざ購入しています。自殺なら、これは計画的なものと見て良いのでは? 遺書によれば、息子二人は地下に来る前に殺したのでしょう? その時点で、自殺するつもりだったのだ、と捉えるのが普通では? そして、もともと自殺するつもりだった人間が、じゃかぽこと集会に出席する予定なんて入れますか? なかには、息子たちを連れて行く予定もあったではありませんか」

 そう指摘され、私は言葉に詰まってしまう。言われてみれば、そうかもしれない。

「それに、ヒ素が砂糖壺に入っていた、というのも妙だと思われなかったのですか?」

「妙、ですか?」

「妙ですよ。あなた、試しに自分がヒ素を呷って自殺することを想像してみてください。そのとき、わざわざ一度、砂糖壺の砂糖に混ぜてから、それをコーヒーに入れて飲んだりしますか? 少なくとも私なら、直接コーヒーにヒ素を入れますね」

「確かに、そうかもしれませんね」

 確かに、ナナカマド氏の言うことは一理ある。彼は、当時私が気にしていなかった、しかし明らかに不審な点を的確に指摘していた。

 しかし。そうなると……。

「エラリイ氏は自殺ではなかった、ということですか?」

「理解が早くて結構です」

 想像もしていないことだった。

「しかし、しかしですよ。では、誰がエラリイ氏を殺したんです? ソワレとマチネを殺したのも、別にいるんですか?」

「その二つは分けて考えた方が良いでしょう。まず、エラリイ殺しについて。犯人の条件は、エラリイのヒ素をくすねることが出来た人物、砂糖壺にヒ素を入れることが出来た人物、そしてエラリイのノートパソコンを操作出来た人物、ということになります。この条件を揃えた人物。分かりますか?」

「秘書か、家政婦でしょうか?」

 エラリイ氏の身近にいて、それらが可能そうな人物は秘書か家政婦くらいのものではないか。はっきり言って、エラリイ氏の具体的な交友関係を、私は詳しくは知らなかった。

 すると、ナナカマド氏はクツクツと喉を鳴らして、

「まだ、いるじゃありませんか。もっと、適任なのが」

 見れば、可笑しそうに笑っている。ふと、ホームズに推理を勿体ぶられるワトソンの気持ちはこんなだったのだろうか、と私は思った。

「誰です? 私には、秘書か家政婦くらいしか、思いつかないんです」

「簡単です。ソワレとマチネですよ」

 思わぬ名前に、私は言葉を失った。何を言っているのだ、この男は?

「ソワレとマチネは、父親が帰宅するたび、コートと鞄を預かり、書斎へ持って行っていた。その過程を、父親は見ていません。そうだったでしょう?」

「え、ええ」

 コートと鞄を子どもたちに渡すと、エラリイ氏はいつもそのまま、リビングへ直行していた。そして、そこのソファの上でワイン片手にテレビを観るのが習慣となっていた。

「つまり、子どもたちはエラリイ氏の荷物を物色し放題だったわけです。ヒ素を買って来たことも簡単に知れた。パソコンもです。ログインするのに必要なパスワードも、毎日ちょっとずつ、エラリイが選びそうなものを順に入力していけば、いつか正解に行きつく、という寸法です」

 私の脳みそは混乱をきたしていた。話についていけない。ソワレとマチネが、私の知らないところでそんなことを……? あまりにも、突飛すぎる。

「それに、ヒ素も簡単にくすねられた。買って来たヒ素は、当然鞄の中に入っていたでしょうから、パソコン同様、荷物を運ぶ際に、それをちょっとくすねて砂糖壺に入れることも簡単です。エラリイ氏が地下の鼠を殺すために買ったヒ素を、ね。しかも、マチネとソワレは父親がコーヒー好きで、コーヒーを飲む際にだけ、その砂糖壺を使っていたことを知っていた。つまり、そのヒ素入りの砂糖を誤って自分たちが飲む可能性はゼロだと知っていたんです。子どもたちはコーヒー嫌いで、好きな飲み物はコーラ。砂糖を必要としていませんでしたから」

 確かに……確かにそうかもしれない。けど。

「だいたい、ソワレとマチネはエラリイ氏より前に亡くなっているんですよ」

「ですから、その前提がまず間違っているんです。ソワレとマチネは死んでなんかいない。そう考えればのです」

「死んでいない、ですって?」

「ええ。どちらも死体は見つかっていないのですから、そう考えることも可能です」

 確かに死体は見つかっていないが……だからこそ、私はソレイユ社に来たのだから……けど、それでどうして彼らがエラリイ氏を殺したことになるのだろう。

「それじゃあ、ソワレとマチネはどこへ行ったんです? エラリイ氏を殺害して……」

「逃げたんですよ。あなたがたから」

 そう言ってナナカマド氏は、きゅう、と目を三日月のように細めてみせた。その表情はまるで、不思議の国のアリスに出て来るチェシャ猫のようで……なんだか……とても不気味だった。

「ええ、ソワレとマチネは都合の良いように己の信条を変える卑劣な父親が嫌いでした。一番嫌いな大人が彼だった。それに追随する秘書もね。アルビノという理由で、不気味がる家政婦たちも。そして、エラリイの意見に同意したあなたも」

「そんな……エラリイ氏の意見とは、なんです?」

 すると、ナナカマド氏はおどけたように、わざとらしく目をくるんと見開いてみせた。

「おや。あなた自身が話されたじゃありませんか。エラリイ氏が外国人を揶揄したとき、あなたは適当に相槌を打った、と。あなた自身が仰っていたでしょう。あなたにとっては仕方がなく打っていた相槌でも、子どもたちは、それが心からの相槌かもしれないという不安を抱かざるを得なかった。人は人の心のうちまで読み取ることは出来ませんからね」

「そんな……」

 それだけで……? それだけで、あの子たちは私の元を去ったというのか。

「もちろん、それだけではありませんよ」

 まるで、私の心のうちを読み取ったかのようなナナカマド氏の言葉に、私はぎょっとしてしまう。

「ソワレとマチネは、あなたに不信感を抱いていました。あなたの優しさは、自分たちの美しさゆえだろう、とね。そして、エラリイ氏が死ねば、あなたはより積極的に自分たちに関わって自由を奪い取っていくだろう、と」

 ひゅう、ひゅう、と自分の喉が音をたてている。うまく言葉を紡ぐことが出来なかった。

「あ、あなた……さっきから聞いていれば、無責任なことばかり言って……まるで、ソワレとマチネを知っているような口ぶりじゃありませんか。ああ、そうだ。あ、あ、あなたが、エラリイ氏や子どもたちを殺したんじゃないんですか!?」

 そのときのナナカマド氏の表情は、二度と忘れることが出来ないだろう。

 ぐるん、と両目を精いっぱいに見開き、ぷるぷると震えていたかと思うと。

「……あは、あーっはっはは! はは、あはは! ああ、おっかしい! それ、本気で言ってるのかい? ああ、ああ、あはは! うふ、うはは!」

 身を仰け反らせ、ゲラゲラと笑い始めたではないか。目じりには涙まで浮かべている。

 ひい、ひいと肩を震わせながら呼吸を整えると、

「さっきから、ずーっと思っていたけど、鈍感だねえ、先生!」

 ……先生?

「おかしいと思わなかったのかい? 気まぐれに、ヒントなんか出してみたつもりだったけど。どうしてナナカマドの奴、午後四時に影が落ちる方向にあるのがイキシアだって分かったんだろう、とか思わなかったの? エラリイの鞄の中に、愛用のノートパソコンが入っているのを、なぜ知っているんだろう、って。それとも、話したつもりでいた?」

「なんなんです、あなた」

 そう訊ねながらも、頭のどこかでは分かっていた。目の前の男が、誰なのか。

「ああ、まだ分からない? それとも、分からないふりをしているだけ? どちらでも良いか、教えてあげようかな。僕は、マチネ。あなたがお探しの兄弟の、弟の方さ」

 ああ、やっぱり。すっかり齢をとって、声も変わってしまったが、この人を揶揄うような口調だけは変わらない。

「マチネ……いったい、どういうことだい? 説明しておくれ」

「どういうことって? 僕とソワレは生きていた。それだけだよ」

 いともあっさりと言ってくれる。

「それだけじゃ分からないよ。いったい、どうしてあんなことを……それに、逃げたといったって、君たちは当時まだ子どもだっただろう? どこで、何をしていたんだい? それに……それに、ソワレはどこへ行ったんだ?」

「あんまり、矢継ぎ早に質問して欲しくないんだけどね」

 ナナカマド氏もとい、マチネはちょっと困ったように肩を竦めて見せた。

「まあ、いいか。まず、どうして。さっきも言った通り、逃げるためさ。僕らは、僕らだけで安心して幸せになりたかったからね。

父さんを自殺に見せかけて殺して、僕たちの方は父さんに殺されたように見せて逃げてやろう、と。終戦直後の混乱に紛れて逃げようと言ったのはソワレだよ。一番、警察も体制が整っていなくて、真相がバレにくいだろうからって。

 父さんを殺したのは、ま、まず第一には逃げやすくするためだね。僕たちがいなくなれば、父さんは僕たちをいつまでも探し続ける可能性がある。息子ではなく、自分の世間体を心配してね。息子たちが突然、家から出て行ったなんて外聞が悪いだろ?

 あと、まあ、腹が立ったっていうのもある。父さん……ああ、父さんって呼ぶの、癪だな。エラリイ、でいっか。で、エラリイはさ、愛国主義者だったろ? N国こそが世界で一番優れているのであります! って街頭で喚く毎日さ。そして、僕ら……特にソワレを見るたび、お前みたいな奴がいて恥ずかしい、と聞こえよがしに言ってみせるんだ。

 それが、だぜ。敗戦した途端、やっこさん、どうなったと思う? 最初は意気消沈してたけど、まあ、悪い意味で切り替えが早かった。翌日には秘書に『おい、今度の世界平和を祈念する集会に俺も出るぞ』なんて言い出してさ。『愛国主義者はバカ。俺は一度もそんなものになったことはない。人はみな、平等なのだ』とか言っちゃって。その証拠に、私は戦時中、外国人にしか見えない息子にも愛情を注いできました、って主張しだすんだぜ。おかしいだろ。それをもっともらしく見せるために、集会にも連れて行こうとしていたんだから。

 あんなバカ、死なないと治らないね、死んでも治らないかもだけど、とりあえず死んだ方が良いね、ってソワレと話したよ。ま、あの人が愛国主義だろうがなんだろうが、殺してたけど。邪魔だから。

 秘書も秘書で、僕たちの見た目の良さを利用する気満々だったのが分かったから、まあ、邪魔だったね。殺さなかったのは、単純に手間の問題。あんまり多く殺すと、ほら、ばれる確率も高まるだろ。

先生も同じだよ。先生、ずいぶん僕らのこと可愛がってくれたけど、どうして?」

「ど、どうしてって……きみたちが、可愛くて、良い子だったから……」

「可愛いって、見た目?」

 私は、う、と言葉に詰まった。確かに、そうかもしれない。彼らの美しさに心惹かれていなかった、といえば嘘になるだろう。けど、それの何が悪い? 美しいものに心惹かれるのは、むしろ当然のことじゃないか。

「ねえ、先生」

 マチネはぐい、と顔を寄せてきた。そのしぐさは、子どもの頃そのままだ。

「僕たちが美しくなくても、先生は同じように僕らを可愛がったかい?」

「もちろんだとも」

 私の言葉は、どこか白々しく響いた。……なぜ?

 マチネはすぐに身を引き、ソファに深く座り直した。

「で、どこで何をしていたか、だっけ? ま、そこは先生の言う通り、僕ら、子どもだったからね、自分たちだけじゃ生きていけない。ということで、ドイルさんに養子にしてもらうことにした」

「ドイル?」

「公園の管理人さ。先生も何度か、会ったことがあるだろう?」

 陰気な顔が脳裏に浮かぶ。あの外国人か。

「あの人に養子に……ただしくは、あの人の実の子だと偽って申請してもらってね。戦後の混乱期だったし、簡単なことだったよ。そうして、名前と国籍を変えて生きてきた。幸い、彼、財産はそれなりに持っていたようだったから、僕らも食べるには困らなかったよ。彼、ずっと独身で家族を欲しがっていたから、僕たちが事情を話して養子にして欲しいというと、二つ返事で了承してくれた。

 あの人もだいぶ前に亡くなったけど。良い人だったよ。僕らのこと、綺麗とか、不気味とか言わずに、ただの子どもとして扱ってくれたし」

 そのとき、コツ、コツと応接室のドアが叩かれた。

 こちらが何か言う間もなく、扉が開かれ一人の男が入って来る。

 その人物を見て、私は危うく卒倒しそうになった。

 白髪にありえないほど白い肌。齢のころは六十前後。そして、マチネと瓜二つの顔だち……。

 彼は私の顔を見ると、クク、と喉を鳴らした。

「やあ、先生。ずいぶん、おじいさんになりましたね」

「ソワレ? ソワレか?」

「ええ。今は、イエロウという名で社長をしていますがね」

「ちなみに、僕らの名前、あの公園にあった花からとってるんだぜ。なあ?」

 マチネに言われ、ソワレは首肯した。

「マチネのナナカマドは、そのままナナカマドから。私のイエロウはイエローサルタンから。ナナカマドの花言葉は〈賢明〉、イエローサルタンの花言葉は〈強い意思〉。素敵でしょう」

 すると、思い出したようにマチネは両手をぱん、と合わせた。

「そうだ。そういえば、花言葉、先生に教えてあげてなかったな」

「何の話だ?」

 怪訝そうに眉間に皺を寄せるソワレ。

「先生さ、覚えてたんだよ。僕らが、先生のこと〈15〉って言ってたの」

「ああ、そうだ。なんだったんだ? 十五時の方向になにがあったか、なんて、覚えていないんだよ」

「そこまで喋ったのか」

 ソワレはふむ、と鼻を鳴らした。それから彼は、ちょうど猫が主人の膝の上に乗り込む要領で、私の隣に腰をおろした。

「ねえ、先生。まさか、僕たちが先生のことを〈15〉と言っていたこと、覚えてらっしゃったなんてね。他には、なにがあったか、覚えてらっしゃいます?」

 薄い色素の瞳に見つめられ、年甲斐もなくドキリとしてしまう。

「え、ええと。確か、お父さん……エラリイ氏が〈13〉で、きみたち二人が〈16〉だたかな」

 ぱちぱち、とマチネが拍手をする。心からの称賛でないのは明らかだった。

「ご名答。ついでに、エラリイには〈14〉のおまけつきさ」

「十六時の方向にあったのは、イキシアでした。花言葉は〈団結、誇り高い〉。ね、私たちにぴったりでしょう?」

「十三時の方向にあったのはキンレンカ花言葉は〈愛国心〉。ま、エラリイの場合、そこに十四時の方向にあったハナニラが足されるわけだけど」

花言葉は〈卑劣〉」

 二人は顔を見合わせ、く、く、くと喉を鳴らして笑った。その様子は五十年前から、なにも変わっておらず、ああ、やはり、この子たちは愛らしい。愛でるべき子どもたちだったのだ、と思う。

「そして、十五時の方向にあったのが、オダマキ花言葉は〈愚者〉」

「ぐ……?」

「愚かな人、という意味です」

 なにも、愛情とか、大切な人とか、そんなものを期待していたわけではない。しかし、愚者……愚か者とは。愛らしい飼い猫に、突然手を引っ掻かれたら、こんな気持ちになるだろうか。

「どうして……」

「そういうところですよ。あなたは結局、何も分かっていなかった。私たちのことも、結局、見た目しか気にしていなかった。それでいて、自分は私たちの味方だと正義ぶって、しかも、自分は賢いと、私やマチネより上の立場にいると思い込んでいた。そういうところです」

 

***

 

 しばらくの間、私は呆けたように黙っていた。焦点を定めるのも難しく、目が、ソワレとマチネの間を行ったり来たりしていた。

「ねえ、あと、ひとつだけ、良いかい」

 私の目は、どちらの顔も見ていなかったように思う。半ば、無意識のうちに口を動かしていた。

「きみたちは、私から逃げたんだろう?」

「ええ」

 ソワレの声。「仰る通り」

「じゃあ、どうして私の依頼を受けたんだ……? いや、予約の時点では、私だと分からなかったかもしれない。けど、マチネ。私の話を聞いて、私だと……あの家庭教師のヴァンだと、分かったんじゃないのかい?」

「分かったよ」

と、今度はマチネの声。「写真まで持参されちゃあね」

「じゃあ、こうやって正体をバラしたりせずに、適当に誤魔化して帰らせれば良かったじゃないか。それをこうして……ソワレまで、出て来て……どういうつもりだい」

「ああ、それは」

 ソワレはきゅう、と目を細め、口角を持ち上げた。その表情は、マチネとそっくりだ。チェシャ猫が、二匹。

「あなたの中のソワレとマチネを殺すため、さ」

 私を見るソワレの視線は、まるで槍のようで。ずっと見続けていると、目玉を抉られてしまいそうだった。

「美しくて、愛らしく、無条件に慕ってくる子どもたち。それが、あなたの中の、ソワレとマチネ(子どもたち)だ。でも、それはソワレとマチネ(私たち)じゃない。私は、それが気に入らなかった。良いかい。私たちは人形じゃないんだ。あなたの中で勝手に、あなたにとって都合の良い人形のようなソワレとマチネ(私たち)を生かし続けて欲しくなかった」

 ちろり、とソワレは赤い舌の先で唇を湿らせる。赤い舌と、白すぎる肌のコントラストが美しかった。

「だから、ね?」

 そう。彼は……ソワレとマチネは年老いてもなお、美しかった。背が伸び、声が変わり、顔には皺が刻まれても……底意地の悪さを前面に押し出していても、なお、彼らの美しさは、私の心を惹きつけ、放さなかった。

 二組の目が、私を見ている。黒い瞳が一組、薄い灰色の瞳が一組。その中で、光の玉が、ゆらりゆらりと怪しく揺れている。

 ああ、この子たちは美しい。

 そして。

 同時に。

「あなたの中のソワレとマチネ(幻想)を、殺してやろうと思ったのさ」

 ――不気味だ。

 

 

私の愛した少年たち

 

〈地上忘れ物代行人〉なる職業を耳にしたのは、地下生活を始めてちょうど五十年目の十月のことだった。

 ふだんテレビは食事時のBGMがわりにしかしておらず、その内容についてはこれっぽっちも聞いていない私だったが、耳慣れない、しかし妙に気がかりなその単語に、私はつい意識をそちらへ向けていた。

 どうやら「珍しい職業を紹介しよう」という朝の情報番組の企画の一つとして〈地上忘れ物代行人〉が紹介されていたようだった。

「ゴチョウモリ区のオフィスビルの一角にある、〈ソレイユ社〉。ここは、地上に忘れて来てしまった様々な思い出の品々を、代理で取りに行ってくれる……そんなサービスを提供している、N国唯一の会社です」

 そんな風に話を切り出し、女性アナウンサーが〈地上忘れ物代行人〉の業務や会社の歴史について説明をし始めた。

 パンを齧りつつ聞きながら、なるほど、地下へ移住した社会ならではの職業だな、と思う。もし、五十年前に地下へ移住という選択をせず、地上に生き続けていれば、こんな職業は考えられもしなかっただろう。

 人類が地下へ生活基盤を移し、はや五十年。当初はどこかぎこちなかった生活も、今ではまるで人類史がずっと地下で刻まれて来たかのように自然なものになっている。

 五十年以上前、地球という星は戦火に覆われていた。第三次世界大戦として現代に伝わる大戦争。大国は気が狂ったように化学兵器核兵器を用い、結果、地上のどこにも人類が安全に住めるような場所はなくなってしまった。

 たった一か月の出来事である。当時大学院生だった私は、ニュースでN国の敗戦と、地球上のほとんどが兵器によって汚染されたことを知った。それを観ている間も一分一秒、己の肉体が汚染物質によって犯されているかもしれないという事実に、恐れおののいたことを覚えている。

 そして、二〇四四年八月十日に終戦

〈戦争〉という名の熱病から醒めた人類、特に国のトップたちは地球の惨状に途方に暮れてしまう。このままでは人類どころか地球上から全ての生命が失われてしまう、と。

 そこで立案されたのが〈人類地下移住計画〉である。大戦中、核シェルターとして利用されていた地下空間を改造し、そこに街をつくって皆で移住してしまおうというものだった。

 当時はSFじゃあるまいし出来るわけがない、という意見も多々あったという。しかし、どんなに無謀でも実行せねば人類には滅亡の未来しかない。計画は実行され、成功した。あれから五十余年、人類は地下で何事もなかったかのように平和に暮らしている。

 そんな歴史を歩んできたからこそ〈地上忘れ物代行人〉なる職業が生まれたのだ、とアナウンサーは言った。やけにドラマチックなその説明を、要約すると次の通りである。

地下へ移住して十数年、その生活にも慣れてきたころ、新たな問題が現れた。「地上に残してきた物品を取りに戻りたい」と訴える人が出て来た。

移住を決行した当時、世の中は戦後の混乱期。とにかく地上から逃げなければの一心で、取るものも取りあえず、人々は生活の為に必要なものだけを鞄に詰め込み、安全だといわれている地下へと逃げ込んだ。そして皆が地下へ逃げ込んでしまうと、今度は地上への外出を厳しく取り締まる法律が立案、即座に可決。それをもって一般市民にとっては、地上はもはや隔絶された遠い世界のものとなった。

しばらくはそれでも良かった。皆、とにもかくにも地下の世界に慣れることに必死で、地上に残してきたもののことを思い出す余裕もなかったのだろう。地下世界にも慣れ、生活も安定してきてようやく、十数年前には気にかけている余裕のなかった〈忘れ物〉のことを思い出すようになる。私は知らなかったが、どうやらそれは、相当な人数から上がった声らしい。

しかし、だからと言って、そうやすやすと地上へ戻れるものでもない。地上は未だ、核戦争の名残に包まれ、防護マスク無しでは活動できない状態である。

そこへ登場するのがソレイユ社の社長だ。彼はカメラを搭載したロボットを地上へ送り込み、〈忘れ物〉を取りに行くことを提案した。そして、その事業を自分たちにまかせて欲しい、と。

彼らの申し出に、国は即座に飛びついた。国からの援助を受け〈ソレイユ社〉が設立され、今に至る。

これが三十五年前の出来事である。当時、社長は二十八歳だったというから、ずいぶん立派なものだ。

設立時の社員は、社長と副社長の二人のみ。しかも二人揃って外国籍の人間らしいから、起業に当たって余計に苦労したのではないか。

〈ソレイユ社〉の沿革も終わり、副社長へのインタビューが始まっていた。

 副社長は、齢は六十前後といったところだろうか。目元や口元には、年相応の皺が刻まれていたが、立ち姿は凛としており、二十代のような若々しい雰囲気をまとっていた。濡れ羽色の豊かな髪が、一層それを引き立てているのかもしれない。

「具体的には、どういったものを取って来ていただけるのでしょうか?」

「なんでも……取りに行くことが出来るものであれば、基本的には何でも承っております」

「どんな依頼が多いですか?」

「それも色々ですね。思い出の品は人それぞれですから」

 なんでも……なんでも、か。本当になんでも受けてくれるのだろうか? ……人間の死体も、構わないだろうか?

 これは運命なのかもしれない。

 私がそんなことを思案しているうちに、副社長へのインタビューは終わり、スタジオの映像に戻ったようだった。

「飛び込みの依頼も受け付けていらっしゃいますが、インターネットや電話で予約すると、よりスムーズに受けていただけるそうです」

 アナウンサーの言葉を聞き、私は「依頼してみようか」と思い立った。私は生来、慎重な方だと自分では思っている。しかし、その時は、依頼してみようと考えた途端、実行せずにはいられなかったのだ。

「あ、ヴァンさん。朝ごはん、もう良いんですか?」

 聞き慣れた男の声が頭上から降ってきた。家事代行業者のルルウである。彼には週五日、食事の準備や洗濯物など身の回りの世話をしてもらうために、家事代行派遣業専門の会社から派遣で来てもらっていた。彼の来ない週二日は、近所に住む甥夫婦の世話になっている。独り身のまま年老いてしまった私にとっては、ありがたいことだ。彼らのおかげで、孤独も感じずに済んでいる。

「ええ、結構です。どうも」

「パンばかりじゃバランス悪いでしょう。野菜はいいんですか? もし、お食べになるなら、用意しますけど」

「いいえ、朝は入らないんで、もう結構です。それよりも、ちょっと電話をお願いできますか」

 最新式の電話の使い方が、私にはイマイチ分からないのだ。だから、自分では電話をかけられない。あれは、機能が多すぎると思う。

「ソレイユ社に行きたいのです。知っていますか?」

「あー、知ってます知ってます。地上に置いてきちゃったもの、代わりに取りに行ってくれるんでしょう? うちのバアチャンがこの間、化粧台をお願いしていましたよ」

「そうだったんですか」

 意外なところに利用者はいるものだ。

「どうでしたか?」

「うん、良かったみたいですよ。僕が行ったわけじゃないですけどね、バアチャンとオフクロが事務所行って化粧台と一緒に帰って来たんですけど、まあ二人ともご機嫌で。社長が綺麗な人だった、ロマンスグレーだ、いや綺麗な白髪だったからロマンスホワイトだなんて大騒ぎしてました」

「はあ」

 社長のビジュアルはどうでも良いのだが。

「頼んだら、すぐ取りに行ってくれるんですか」

「うん、手が空いていればそうみたいですよ。ヴァンさん、頼みたいものでもあるんですか?」

「ええ、ちょっとね。だから、予約の電話をお願いしたいのですよ」

「良いですよ」

 幸い、ルルウは「何を頼むのか」は訊いてこなかった。「人の死体」なんて言ったら、ソレイユ社ではなく病院の予約を入れられてしまいそうだ。

「いつ行くんです?」

「今日、できたらこれから行きたいのですが」

 さすがにルルウは驚いたようで「そりゃ、また」と一オクターブ高い声で言った。くるんと目を見開いて、

「急すぎません?」

「さっき、テレビで紹介されていまして。熱が冷めないうちに、行こうと思ったんですよ」

「はあ」

 ルルウはそれ以上訊ねてはこず、すぐに予約の電話を入れてくれた。「今日って何時くらいなら、大丈夫ですか?」「あ、そうですか」「はい、どうも」と、数度、やり取りをした後、私に向かって、

「ヴァンさん。一時間後でどうです?」

「ええ、大丈夫です」

 安易に頷いた後、うちからソレイユ社まではどれくらいかかるんだろう、そもそもソレイユ社はどこにあるんだ? と不安になったが、マア、どうにかなるだろう。交通機関が発達したおかげで、ずいぶん移動時間も短縮された。

 私の気を知ってか知らずか、ルルウはわざわざソレイユ社の所在地を調べてくれたようだった。

「ソレイユ社、ここからタクシーでなら二十分ほどですね。歩いてはちょっと遠いでしょうから、タクシー、呼びましょうか」

「ええ、お願いします」

 タクシーで行くなら、時間には余裕がある。慌てず身支度を出来そうだ。

「あ、そうだ。依頼したいものが写っている写真なんかがあったら、それを持って来て下さいとのことだったんですけど、そういうの、ありますか?」

「写真、ですか」

 私はちょっと悩んでから、ルルウに頼んだ。

「そこの戸棚にアルバムがあると思うので、取っていただけますか。それを持って行くことにします」

 果たして、こんなものが役に立つのかどうか分からないが、持って行かないよりいくらかマシかもしれない。ルルウに手渡された物が目的の物であることを確認し、外出用の鞄に入れてもらう。

「僕、ついて行きましょうか?」

「いえ、一人で行きます」

 ルルウの申し出はありがたかったが、受け入れるわけにはいかなかった。依頼することがことなのだから。

 三十分後。ルルウに手伝ってもらいながら身支度を終え、杖を片手に家を出る。自動運転のタクシーには運転手は乗っておらず、ただ車輪のついていない車が、家の前に鎮座していた。まったく、車もずいぶん変わってしまったものだ。

「正午までには、戻るようにしますから」

 私がそう告げたのと、扉が閉じ、タクシーがふわりと浮いたのはほぼ同時だった。「うわ」と思わず悲鳴をあげてしまう。四十年前に実用化され、今では珍しくもなんともなくなってしまった空中を走る乗用車。目的地までの所要時間が短くなったのも、この乗り物が登場したおかげだ。

 運転手がいないので、雑談をする相手もいない。タクシーに搭載されているAIは「シートベルトをご着用ください。走行中にむやみに動いたり、扉を開けたりするような危険行為はおやめください。また、車内のスイッチなどを無断で触らないでください」と警告したあとは、すっかり静かになってしまった。

 しんとした車内で、私は過去のことに思いを馳せていた。私の愛した少年たち。彼らなら、この〈空中タクシー〉を見て、どんな顔をしただろう……?

 よく笑う子どもたちだった。……もう一度、あの美しい子どもたちを、この腕で抱きしめたい。頬に生暖かい感触が滑った。

 

***

 

 タクシーはオフィス街の上を抜け、そこからやや離れたところに建っているビルの前に着地した。支払いを終え、タクシーを降りる。

 どうやら、雑居ビルらしい。入口の電子案内板を見ると、二階はまるまるソレイユ社とのことだった。

『本日は、どちらの会社をご訪問ですか?』

 案内板から柔らかな女性の声が流れてきた。どうやら、センサーが私の感知し、一定時間以上、案内板を見ていたことから客だと判断したらしい。

「ええと、〈ソレイユ社〉に」

 機械との会話と言うのは、どうにも慣れない。気恥ずかしさから、どうしてもモゴモゴと口の中で喋ってしまう。

 幸い、案内板の方は私の不明瞭な声をきちんと聞き取ってくれたようだった。

『ソレイユ社、ですね。少々お待ちください』

 しばらくすると、ビルの中から見覚えのある男が姿を現した。

「ヴァン様でいらっしゃいますか?」

 先ほどテレビから聞こえてきたのと、寸分変わらぬ声。

「ソレイユ社副社長のナナカマドです」

「あ、はあ、どうも」

 まさか、副社長直々に出迎えてもらえるとは思っていなかった。

「お待たせしました。どうぞ、こちらへ」

 挨拶もそこそこに、二階へのオフィスへと案内してもらう。

 オフィスは、想像していたよりもずっと広く、整然としていた。人が誰もいないから、余計にそう見えるのかもしれない。

「数少ない社員は、皆、出払っているか休みでしてね。社長もついさっき、役所へ出かけて行きまして、今は私一人なんですよ」

 不審に思われないためだろう。私が何も言わないうちから、副社長はそう説明をしてくれた。

 私が案内されたのは、オフィスの奥の応接室だった。

「どうぞ、おかけください」

 すすめられるまま、ソファへ腰をおろす。

 と、ナナカマド氏は踵を返すと、応接室から出て行ってしまう。どうしたのかと思ったら、しばらくしてティーカップが載った盆を持って戻って来た。

「紅茶です」と言い、カップを机の上に置いてくれる。なるほど、誰もいないから、来客用の茶を淹れるのも彼がしなくちゃならないのか。

「うち、コーヒーは置かない主義なので、紅茶一択ですみませんね」

「え? あ、いや、お構いなく。ありがとうございます」

 私はコーヒーでも紅茶でも、飲めればどちらでも構わない、というのが本音だった。

「早速ですが、今日はどういったご依頼でしょうか?」

「あの、今朝、テレビで紹介されているのを観て伺ったのですが、地上に残して来たものを取りに行ってくれるそうですね。なんでも構わないのでしょうね?」

「ええ。まあ、そのものの外見や、だいたいどこにあるか、その場所くらいは分からないと、取り掛かりようがないのですが」

「……どちらも曖昧なのですが、どうしましょう……?」

「それは、どういったものなのでしょう?」

「はあ、実は、少年の遺体をお願いしたいのです」

 ふうむ、とナナカマド氏は唸った。

「遺体、ですか。具体的には、誰の?」

 ナナカマド氏の口調はあくまでも穏やかだった。私が彼だったら、目の前の老人に少なからず苛立っていたかもしれない。ははあ、このジイサン、病院にちっとも行かないクチだな、自分がシッカリしてると思っていやがる、と。

「はあ。私の……教え子です。少年の遺体を二人分、お願いしたいのです」

「ふうむ」

「……いけませんでしょうか?」

 ナナカマド氏は「いえ、いけないことはありませんよ」と言った。

「ただ、遺体というのは初めてでしてね。不躾ではありますが、やや興味が湧いてしまったのです。詳しくお話し願えませんか。その、二人の少年とやらについて……」

「少し、長くなってしまいますが、良いでしょうか? その……このことは、一度も人に話したことがないので、冗長になってしまうかもしれませんが」

「ええ、構いませんとも」

 私は一口、二口、紅茶をすすり口の中を湿らせた。

「少年、というのは先ほども申し上げた通り、私の教え子たちです。もう五十年も前のことになりますが、今でも時々、夢に見ます。本当に、美しい子たちでした」

 私はバッグから持って来ていたアルバムをナナカマド氏に渡した。

「それは、その子たちの写真ばかりを集めたものでして……ね、綺麗な子たちでしょう?」

 口調に熱がこもっているのが、自分でも分かった。

 ナナカマド氏の返答は「なるほど。そうですね」とアッサリしたものだったが、私には肯定されたことが嬉しくて堪らなかった。

 その興奮も手伝って、私の舌は、やって来た当初よりもずいぶん滑らかに動くようになっていた。

「そうでしょう、そうでしょう。私はその子たちを愛していました。その子たちもまた、私に懐いてくれていました。本当に、美しい子どもたちでしょう……? まるで、お人形みたいで……。この子たちと出会ったのは、もう随分昔のことになります……」

 

***

 

 五十年前、いわゆる〈地上時代〉ですね。私は文学研究科の大学院生でした。博士課程の前期で……大学に入るために一年浪人していましたから、当時二十三歳ということになります。

 院に進んで一か月ほど経った頃でしょうか。当時、私がお世話になっていた指導教員から「アルバイトをしないか」と声を掛けられたんです。自分の知り合いが、子どもの家庭教師を探しているのだが、週に三日ほど行ってくれないか、とのことでした。

そのころ、私はちょうどアルバイトを探していまして……それも、贅沢な話ですが生活費は両親に仕送りしてもらっていたので、遊んだり勉強用の本を買ったりするための金を稼ぐために、ちょっとだけバイトをしたいな、と思っていたのです。なので、教員の話は私にとって、まさに渡りに船でした。

 私のアルバイト先は、エラリイという名の県議会議員の家でした。エラリイは所謂地の人間で、先祖は武家だか公家だったか忘れましたが、とにかく随分、社会的地位の高い人間でした。家も純和風のお屋敷みたいなところで、ちょっと入るのを躊躇ったのを今でも覚えています。

 私の生徒……エラリイ氏の子どもは、男の子が二人でした。十三歳の兄と、十二歳の弟。写真を見ていただければ分かると思うのですけど、ずいぶん、綺麗な子どもたちでしょう? 特に兄の方は見るからに神秘的で……アルビノと言うそうです。髪も肌も真っ白いでしょう。瞳の色も普通より、ずっと色素が薄いんです。

 弟はアルビノではなく、色は普通の子でしたが、彼は彼で人とは違う、浮世離れしたところのある子でした。特に可笑しなことはないのに、クスクス、ケラケラよく笑う子でね……。悪戯っ子で、後ろからコッソリ忍び寄って背中を叩いて驚かせてくる、なんてことはしょっちゅうでした。私が「うわ」とか言って驚くたびに、きゃたきゃた声をあげて笑うんです。それがまた、愛らしくて。天使のよう、とはあの子たちのためにある言葉だと思いました。

 屋敷には、エラリイ氏と息子たち……兄がソワレ、弟がマチネという名前でした……住んでいるのは三人だけでした。母親は二人の息子を産んだ後、亡くなったそうです。それも、家出をして、その先で事故死したらしくてね……気の毒な事です。

 エラリイ氏は仕事で毎日、朝から晩まで働いていましたから、代わりに家事をするために家事代行業者が二人、雇われていました。今でこそ、男性の従業者も増えましたが、当時は、まだ、そういう仕事は女性がやるものと決まっていましてね、私も子供たちも彼女たちのことを「家政婦さん」と呼んでいました。平日はまるまると太った女性が、土日には対照的に枯れ枝のように痩せ細った女性がやってきて、エラリイ家の家事をこなしていました。

 当時、家政婦を二人も雇っているというのは、相当な金持ちにしかできないことでした。経済面では、子供たちは恵まれていたといえるでしょう。着ている服も、常に上等のものでしたし、戦時中、食糧難で騒がれていたときにすら、栄養は十分に摂れていましたから。

 でも、精神面、と言いましょうか。経済面以外では、ずいぶん、気の毒な環境に置かれていました。

 まず、母親がいませんでしたし、家政婦たちにも余り懐いていないようでした。家政婦は家政婦で、子供たちからは距離を置いていたようです。「ふつうの子供と違って、なんだか不気味」と言っているのを、聞いたことがありますから。

 でもね、それは決して、あの子らが悪い訳じゃないんです。むしろ、あの子たちは普通の子と違って、純粋で美し過ぎたんです。それを家政婦たちは分かっていなかったんでしょう。あの子たちは、普通の子どもにありがちな粗野で醜い小賢しさがなくて、どこまでも無邪気で純粋でしたから、〈普通〉に慣れ切ってしまった彼女たちには〈不気味〉に映ったのだと思います。

 それに、家政婦だけでなく、父親との関係もあまり良好ではないようでした。職業柄仕方がないことかもしれませんが、エラリイ氏は人一倍、体面や人からの評判を気にする人でした。それゆえに、彼は自分の息子がアルビノであることが気に食わなかったようです。

 第三次世界大戦って、あったでしょう。あのころ、ナナカマドさんはおいくつでした? 十二? ……ああ、じゃあ、マチネと同い年だったのですね。なら、覚えていらっしゃるかも分かりませんが、戦争が始まる数年前から世界情勢というのは悪化の一途を辿っていました。国内でも次第に愛国主義者の勢力が強まっていきまして、特に外国人に対する迫害が強くなっていたのです。

 その愛国主義者の勢力の中に、エラリイ氏もいました。彼もまた、N国内にいる外国人は、直ちに出国すべし、N国はN国人のためにある、という考え方の持ち主でした。そんな彼にとって、ソワレはハッキリ言って邪魔者だったのです。

 N国の人はふつう、髪と瞳の色は黒で、肌の色は黄色人種に部類されるでしょう? でも、ソワレはアルビノですから、それには当て嵌まりません。髪も肌も雪のように真っ白で、瞳の色は薄く、それに顔だちも割合はっきりしていましたから、外国人のような外見だったのです。

 愛国主義の自分の息子が、まるで外国人のような外見をしているというのが、エラリイ氏には気に入らなかったのですね。実際、ソワレを見て、あの子の母親は外国人ではないか、エラリイ氏は愛国主義者を名乗っておきながら、外国の女と関係を持った非国民ではないか、という噂も流れていたそうです。

 そんなわけですから、エラリイ氏はソワレには特に冷たい態度をとっていました。そして、ソワレに懐いている弟のマチネのことも、エラリイ氏は気に入らなかったみたいです。エラリイ氏は二人の息子に対して愛情を注ぐことなく、敗戦後には彼らを毒殺してしまいました。

 ……ええ、そうです。私が愛した少年たちを殺したのは、彼らの父親なんです。エラリイ氏は息子二人を殺したのちに、自身も毒を呷って自殺してしまいました。

 ……その話をする前に、もう少し、ソワレとマチネの話をしても良いですか? ……ありがとうございます。せっかくの機会、と言ってはなんですが、この際、すべてを誰かに話してしまいたいのです。心のうちに思い出として取っておくだけ、というのは私にはいささか、重たすぎて。

 家庭教師を、それも業者ではなく知り合いを通じて探していたのも、そこらへんの事情が関係しているようです。義務教育なので、子供たちを学校には通わせていました。児童虐待なんてことが発覚すれば、それこそエラリイ氏の立場は危ういものになりますから、とりあえず、親として最低限のことはこなしていました。

 子供たちを私立大学の附属校に通わせ、そのうえで富裕層の大概がそうしているようにプラスアルファの教育も受けさせようとしたみたいです。子供たちのため、というよりは、あくまで自分の評判のため……「あの人は子供を学校に通わせるだけで満足しているらしい。教育云々と選挙のときには言っていたが、自分の子供にはさほど関心がないらしい」と噂されるのを嫌ったためでしょう。でも、一方で子供の外見は気に入らず、できる限り、ソワレの存在を人に知られたくない、という思いもあったのだと思います。だから、塾に通わせず、大手の家庭教師派遣の業者を利用もせず、知り合いだった教授に紹介を頼んだのでしょう。雇われる際、エラリイ氏に「くれぐれも、子供たちのことや、そのほか知りえた家庭内の事情について他言のないように」と注意されましたから、私の憶測はあながち間違っていないと思います。……今、お話ししているのは、もう時効ということで許してもらいましょう。

 エラリイ氏はやや癖があって、決して人当たりが良いとは言えませんでしたが給料は弾んでくれたので文句はありませんでした。夕食をご一緒する時なんかは、ちょっと息苦しかったですけど。それに、仕事の中で知った情報を外に漏らすな、というのは特別変わったことでもありませんし、むしろ当然のことですからね。

子どもたちは学校から帰ってくるのが三時過ぎなので、火曜日と木曜日は午後四時から七時までの三時間、休日の日曜日は丸一日、家庭教師として子どもたちの面倒を見ることになりました。食事つきで週給八万円なのですから、ずいぶん景気の良い話でしょう? エラリイ氏はさすがに、金銭面での気前は良い方でした。本当に。

私が子どもたちに初めて会ったのは、ゴールデンウイーク明けの日曜日のことでした。約束の時刻に屋敷へ向かうと、家政婦さん……この日は、やせ細ったほうの家政婦さんが玄関口で待っていました。彼女に応接間に案内されて、そこで私はエラリイ氏と子どもたちに出会ったのです。

本当に息を飲むほどに、美しい兄弟でした。私にもう少し語彙力か、そうでなくても、気の利いた言い回しをする頭があれば、良かったのですけど……とにかく、それほどに美しかったんです。二人は色の他は背丈もほぼ同じで、瓜二つでした。二人を並べて白黒写真を撮ったら、双子に見えたことでしょう。

齢が近かったからか、この兄弟はずいぶん仲良しでしょっちゅう、額を寄せ合ってはクスクスと笑っているんです。その様子がまた、愛らしくって、いつまでだって見てられました。研究の疲れも、あの子たちに会えば、すぐに消えてしまいました。「先生、先生」と呼んで、こんな私を慕ってくれましてね。嬉しくって、たまりませんでした。

さっきも申し上げました通り、あの子らには普通とはちょっと違ったところがあって、そこがまた愛おしかった。

例えば、遊び方なんか、普通の子どもとはちょっと違っていましたね。

当時は野球が流行っていて、公園なんかへ行くと、子どもたちがしょっちゅうチームを組んで試合をしていましたけど、ソワレとマチネがそれに加わっているのを、私は見たことがありません。学校が終われば真っ直ぐ帰宅し、友達と遊んでいるのすら見たことがありませんでした。いつも、二人きりです。

ただ、いくつか条件の揃った日曜日には決まって、家の近くの公園へ出かけていました。条件というのは、まず晴れていること、それから父親が家にいないことの二つでした。

前者はまぁ、晴れている方が単純に遊びやすかったからでしょうね。後者は簡単です。父親が見ているところで、勉強をすっぽかして出かけようものなら、とんでもないことになる、と子どもなりに分かっていたのでしょう。

それに出かける場所も、やや問題でした。先ほど、公園と申し上げましたね。いえ、公園で間違いないのですが、ブランコや鉄棒があったり、野球やサッカーをしたりするような一般的な公園ではないのです。遊具の類は一切ありませんでしたし、スポーツをするようなだけのスペースもありませんでした。さらにいえば、当時、あの公園に出入りしていた人間を、私は自分たち以外に知りません。あそこは、少々、人から敬遠されていた場所だったのです。

というのも、その公園の管理人が外国人だったんです。

これは、家政婦さん――太っている方です――に教えていただいたのですけど、その公園というのは、私が生まれる二十年ほど前に作られたものらしくて、設計を担当したのがN国に移住してきた外国人夫婦でした。そのころは、まだ世界情勢も安定したもので、外国からN国へ移住する人も少なからずいたそうです。

で、しばらくは公園の管理をその外国人夫婦が担っていたのですが、彼らは私が生まれた年に亡くなりましてね。それで夫婦の一人息子が、跡を継ぐことになったのです。

この息子というのが、また不憫な方で。確かに国籍や外見は外国人でしたが、生まれも育ちもN国なんです。公園が造られた年に生まれたのだそうです。だから、当時で四十過ぎだったはずです。彼は公園の傍に小さな家を建てて、そこに結婚もせず、一人で住んでいました。

何度か、公園で彼を見かけたことがあります。言葉を交わしたことも。陰気な男でしたが、話してみると性格の良さが端々に滲み出ていました。子どもたちとも、それなりに親しくしていたようです。

自分はN国人から見れば外国人なものだから、日に日に肩身が狭くなる。けど、自分では生まれも育ちもN国で半ばN国人だと自覚している節があるから、では、と両親の祖国へ行くことも簡単には出来ない、というふうなことを彼は話していました。結局、戦後、彼がどうしているのやら……生きているか死んでいるかすら、分かりません。

……ああ、話がちょっと、逸れてしまいましたね。そう。それで、その公園です。

その公園の敷地は、真上から見ると真円になっていましてね。その中央にまず、大きな天使の銅像が立っていました。一人の天使が両手を空に掲げて、羽を広げているんです。こう、大げさなぐらいの前傾姿勢で。で、それを囲むように、ぐるりと色とりどりの花が植えられていました。公園の円の中に、一回り小さな円を描くように、花壇が造られていたんです。その一部だけ通路になっていましてね、だから正確には真円ではなくCの形、と言うべきでしょうか。そこの開いたところから、公園の中心に入れるようになっていました。

あの花壇を見て、ははあ、これは専属の管理人も必要になるというものだな、と納得しましたよ。本当に、いろいろな種類の花が植えられているんです。

春の花であるクレマチスやイエローサルタン、ハナニラ、初夏から秋にかけて咲くキンレンカ。他にもイキシアやナデシコ、出入り口の付近にはハナズオウ、他にもナナカマドの木もありました。ああ、一目でどこに何があるか、分かるように小さな札が立てられていたんですよ、植物の名前が書かれた。

色とりどりと言えば聞こえは良いですが、私にはどうにもチグハグに見えましてね。管理人曰く、小さな植物園というコンセプトだったそうです。

子どもたちは、いつも昼食後に公園にやって来ては、銅像の傍のベンチに腰かけましてね、そこでずっとお喋りをしているんです。内容は本当に他愛のないもので、しりとりや山手線ゲームをしてみたり、かと思えば、二人の家政婦さんの料理の違いについて話していたり。

時々「お父さんは13で、先生は15だから」「14だよ」「僕たちは16」などと不思議なことを言って笑ってもいましたね。先生とは私のことらしく、「どういうことだい?」と訊いたのですけど、もったいぶって教えてくれなくて……今でも、分からずじまいです。

ああ、そうだ。不思議なことといえば、もう一つありました。

子どもたちはいつも昼過ぎから午後四時まで公園に滞在していました。私が四時には公園を出よう、と言っていたためです。そうしないと、勉強する時間が無くなってしまいますから。

それでですね、不思議なこと、というのが子どもたちは時計を持ってなかったのに、時刻を正確に把握していた、ということなんです。

私の腕時計で、四時になるでしょう? あ、そろそろだな、と思ったところで、子どもたちがベンチからぴょこ、と立ち上がる。私は何も言っていないのに……子どもたちが私の腕時計を見たというのも、あり得ません。私は、彼らから少し離れたベンチで、研究用の本を読むのが常でしたから。

四時になると、あの子たちはぴょこ、と立ち上がって私の方を見るのです。そして「四時になったよ、帰ろう」と。先ほども申し上げました通り、子どもたちは時計やスマートフォンなど時刻を確認できるものはありませんでしたし、公園やその周辺にも時計はありませんでした。

ですから、私が「よく四時になったって分かったね」と驚くと、二人は可笑しそうにケラケラと笑いました。悪戯が成功して喜んでいるような……そんな笑い方でした。その後も、ほぼ四時ちょうどに立ち上がっては私が驚くのを面白がっているようでした。弟のマチネなど――あの子は笑い上戸なところがあって、ほんのちょっとしたことでも、クスクス、ケラケラ笑っていました――家に着くまでずっと笑っていたこともありましたっけ。

きっと、彼らは家では思い切り笑えない分、ああやって公園で笑っていたのだと思います。父親の前では、彼らは気の毒なほどに萎縮していましたから。

ええ。父親の前では、他愛ない悪戯どころか、笑うこともありませんでした。せいぜい、お愛想でちょっと微笑むくらいのことで、あとはお人形のように無表情なんです。

いつだったかエラリイ氏と子どもたちと、四人で夕食を食べていた時のことでした。エラリイ氏が愛国主義的なことを言って、私に同意を求めてきました。内容はあまり覚えていませんが、確かレストランの店員が外国人のようだったので、不気味で困った、とかそう言ったことだったと思います。正直、エラリイ氏の発言は聞いていて気持ちの良いものではありませんでしたが、立場上、あまり強くも言えません。適当に愛想笑いを浮かべながら、相槌を打つことしか出来ませんでした。

その時、ちら、と子どもたちの方を見たのですが、気の毒になるほど暗く沈んだ表情をしていました。お気に入りの公園の管理人のことを思っていたのかもしれません。あるいは、ソワレのN国人離れした外見のことを気にしていたのかも……。あの時、声をかけてやれなかったのが、今でも心残りです。

子どもたちがエラリイ氏のことをどんなふうに思っていたのか、私には分かりません。「お父さんのこと、どう思ってる?」なんて訊ねたことは、ありませんでしたから。普段から、あまり関わり合いは持っていないようでした。それでも父親に疎ましがられていることは、彼らも感じ取っていたと思います。

ただ、エラリイ氏が仕事から帰宅したときには、決まって子どもたちは玄関先まで出迎えていました。「おかえりなさい」と言って、父親から鞄と上着を預かるのです。そして、それをエラリイ氏の書斎まで持って行って片づけていました。

まるで、一昔前の夫を出迎える妻のようだ、と思いましたね。彼らがどうして、そんなことをしていたのか分かりません。子どもたちが父親を労おうと思ってのことかもしれないし、あるいは恐れて出来る限り機嫌を取ろうとしていたのかもしれない。父親に強制されたのかとも思いましたが、家政婦さんによれば子どもたちが自主的にやっていることだそうです。

疎ましがりつつも、体面を保つために息子二人を育てていた父親。父親の前では萎縮してしまう息子たち。中身はひどく歪ではありましたが、破綻することはないだろう、というのが彼ら親子に対する、私の印象でした。エラリイ氏が世間体を気にし続ける限り、あの家庭が崩壊することはないだろう、と思っていたんです。

なのに……。

あんな風になってしまうなんて、思ってもみなかったんです。ああ……私に、もう少し想像力があれば……あるいは勘が鋭ければ……あるいは、そう。いっそ、あの子どもたちを連れて逃げてしまうだけの行動力があれば、あの美しい子どもたちは死なずに済んだのに。

今でも、毎日のように後悔の念に駆られます。

でも、本当に、あんな事件が起こるなんて予想できなかったんです。

 

***

 

 事件が起きたのは、終戦から間もない時のことでした。第三次世界大戦でN国が負けて……あなたも覚えていらっしゃるでしょう? 核戦争だか何だかの影響で、地上には住めなくなった、これから国民全員に地下へ移住してもらうと、発表された日のこと……敗戦と、前代未聞の移住計画のせいで、国中が混乱していた時期のことを。

 私は喘息もちでしたので兵役を免れることが出来ましたが――ですから、戦時中も変わらず、子どもたちの家庭教師を続けることができました――、たった一か月でずいぶん多くの若者が亡くなりました。

私自身、戦況が悪くなれば持病なんて言ってられず、戦場にポイと放りだされる日がくるのではないか、とビクビクしていたのを覚えています。徴兵の通知がくるより前に終戦を迎えることが出来たのは、本当に幸運でした。

 反対にエラリイ氏は、よもやN国が負けるとは思ってもみなかったのでしょう。敗戦の知らせを聞いた日は、かなりガックリきた様子で。愛国主義について語ることもなくなってしまいました。

 それでも、都議会議員としての仕事はきちんとこなしていたようです。敗戦後も変わらず、日々、どこかへ出かけている様子でした。子供たちとの関係も、良くなることもなければ、悪くなることもなく……いつも通りに見えました。

 地下移住計画が発表されたのは、敗戦から四日たった日のことです。あの日は日曜日でしたから、私は朝からエラリイ氏の家にお邪魔していました。そこで、発表を聞いたのです。

 地下の住居は国が用意するので、国民は二週間以内に準備をして地下へ移ること、と聞いてこれは大変なことになった、と思いましたね。自分の下宿は引き払わないといけないし、そのために荷物もまとめなければいけない。実家に連絡すると、両親と祖父母の引っ越しを手伝ってほしいと言われました。

 そうなると、家庭教師をしている余裕もありません。エラリイ氏に相談すると、二週間の休みを頂くことができました。二週間もの間、子どもたちに会えないのは苦しかったですが、こればかりは仕方がありません。次は地下で会おうね、と約束をして、その日、私はソワレとマチネと別れました。

 子どもたちは子どもたちで、地下への移住はショックだったようです。特に、あの公園へ遊びに行けなくなることを悲しんでいました。「地下にも同じようなものが造られるかもしれないよ」と言っても「それじゃ、ダメだよ!」と拗ね気味で……少し、手を焼いてしまいました。まあ、私が悪い訳じゃないのは彼らも分かっていましたから、すぐに機嫌を直してはくれたのですけど。

別れ際、ソワレに「次に来てくれるのは、いつ?」と訊かれたのを、よく覚えています。「二週間後の日曜日、また会えるよ」と言うと、嬉しそうに「朝の九時に来てね。絶対だよ」と抱きついてきました。

そして、それが今生の別れとなってしまったんです。

 私がソワレとマチネの死を知ったのは、地下に移住して二日後のことでした。

 移住する前日にエラリイ氏からメールをもらいましてね、地下での新しい住所が書かれていました。そして、明後日の日曜日には早速、都議会議員として集会に参加する予定なので、その間、家で子どもたちの面倒を見ていて欲しい、とも書かれていたんです。

 もともと、日曜日には家に行くと子どもたちとも約束していましたから、私はその依頼を二つ返事で引き受けました。分かりました、いつも通り、日曜の午前九時に伺います、と。

 そして日曜日、私は約束通り、午前九時にエラリイ氏の家を訪ねたんです。当時はまだ、地下は公共交通機関が一切機能していませんでしたから、二時間近く自転車を漕ぐはめになりましたが、苦ではありませんでした。もうすぐ、久しぶりにソワレとマチネに会えると思っていましたから。

 ところが、です。チャイムを押した私を出迎えたのは、子どもたちではなく、エラリイ氏の秘書でした。それもチャイムを押すとほぼ同時に飛び出してきましてね、危うくぶつかるところでした。

 この秘書というのは五十過ぎの男でしてね、いつもムスッとした顔をしていて、ついでにコロコロ太っていました。エラリイ氏と同じ愛国主義者で、酷く嫌味たらしい言い方をするので好人物とはお世辞にも言えない人でした。

 そいつが真っ青な顔をして出てきたので、その時点で嫌な予感はしていたんです。

「どうしたのですか?」と訊ねますと、「エラリイさんが死んでる」と呆けたような声で言いました。それを聞いて私が一番に考えたのは、秘書の言葉の真偽でも、エラリイ氏の死因でもなく、子どもたちの安否でした。

「ソワレとマチネは?」と訊ねると、秘書はやっぱり呆けた声で「知らない」としか言いません。居ても立っても居られなくなりましてね、秘書を押しのけるようにして、家の中に入りました。自分でも知らないうちに、子どもたちの名前を連呼していました。

 片っ端から部屋を見ていきましてね。四つ目の部屋で、私はエラリイ氏の死体を発見しました。

 まだ家具がほとんどない状態でしたが、おそらくリビングだったのだと思います。そこで、エラリイ氏はうつぶせに倒れていました。そのそばには、コーヒーカップが落ちていましてね、絨毯にできたコーヒーの染みが、時間の経過した血痕のようにも見えました。

 それから、テーブルの上に砂糖壺とポットがあったのも、よく覚えています。この砂糖壺というのが、エラリイ氏お気に入りの品でね、支援者からの贈り物なのだそうです。彼はこれに上質な砂糖を入れて、コーヒーを飲む時にだけ、それを使っていました。

エラリイ氏は大のコーヒー好きで、しょっちゅう自分でコーヒーを淹れていました。私、思うのですけど、愛国主義者のくせにコーヒー好きなんて、ちょっと変じゃありませんか? だって、コーヒーの発祥って外国でしょう?

そういえば、エラリイ氏がコーヒーばかり飲んでいるのを、子どもたちはやや不満に思っているようでした。なんで父さんは食事時にもコーヒーを飲んでいるのに、僕たちがコーラを飲むのは許してもらえないの、とね。単純に健康面の問題で、家政婦さんが制限していただけなんですけど、そこを理解しろというのも意地の悪い話だったでしょうね、子どもたちには。時々、公園に行く途中でコーラを買ってやると、マチネなんて飛び跳ねながら喜んでいましたっけ……。

ああ、すみません。また、話が逸れてしまって。

で、そう。エラリイ氏の死体を見つけた私は、そのとたん、冷静になったと言いますか、というより、恐ろしくなりましてね。いったん、家の外に出ました。

そこで、秘書と一緒に警察を待ちましてね。私も一通り、取り調べを受けましたよ。幸い、私も秘書も、容疑者として扱われることはありませんでした。

というのも、エラリイ氏の死は、かなり早い段階で自殺と結論付けられたのです。

エラリイ氏が愛用していたノートパソコンから、遺書が見つかったそうです。新聞にも掲載されましたが、それを読んだとたん、私は危うく卒倒しそうになりました。いえ、実際に少しの間、気を失っていたかもしれません。

諳んじることは出来ませんが、だいたい、こんなことが書かれていました。

「誇り高きN国が敗戦国となってしまい、私はもう、この悲しみを背負って生きていこうとは思えない。敗戦国の民として卑しく生きるくらいなら、さっさと死んだほうがマシだ。自殺するにあたって、自分の息子たちも殺した。その死体は地上に放置してきた」

 ……と、だいたいこんな風だったと記憶しています。

 ねえ、信じられますか? 敗戦したからって、子どもを殺しますか? しかも、それを地上に放置してきた、なんて……一度、地下に来てしまえば、もう二度と地上へは戻れないと知っていながら、ですよ。

 秘書は秘書で、この遺書を見てその場に崩れ落ちていました。けど、それは、私のように子どもたちを喪ったことによる悲しみではなく、あくまで自分の立場が危うくなることに対する危機感からのようでした。

 その遺書を読んだとたん、秘書は狂わんばかりに喚きはじめました。自分は子殺しの議員の後始末をしなくちゃいけないのか、今日だけでなく来週には、子連れで集会に参加する予定だったのに、親子もろとも死なれたら、誰がその穴を埋めるんだ、せっかく美少年で人寄せをしようと思っていたのに、とね。まあ、もう思ったことが全部、口から溢れ出ていました。

 もう聞いていて我慢できなくなりましてね、警察の手前、できませんでしたが、一発殴ってやれば良かったかもしれません。

 ああ、すみません。どうしても、感情的になってしまって。

 そういえば、まだエラリイ氏の死因について、お話していませんでしたね。死因はヒ素で、カップの中のコーヒーと砂糖壺から検出されました。それも、エラリイ氏が自殺だと判断される材料になったそうです。

 ヒ素といいますと、当時は殺鼠剤としてごく普通に使われていました。それをエラリイ氏が持っていた理由について、少々、補足しておいたほうが良いかもしれません。ナナカマドさんは当時、マチネと同じ十二歳……子供だったそうですから、ご存じないかもしれませんから。

 今でも言われていることですが、大きな災害や事故、事件が起こったときにありがちなのが、ウソの情報が流れるということです。地下移住計画が発表された当時もそうでした。

 やれ、一週間以内に地下へ行かなかったものには住居が与えられないかもしれない、だとか、国は地価は安全というが、地下にはもっと危険な物質が漂っている、だとか。そのほとんどは、信ぴょう性がなく、騙された者も少なかったようですが。

 ただ「地下にはネズミが大量に住んでいる」というのは、なぜだか多くの人に受け入れられたようでした。他と比べて、なんとなく納得しやすく、リアリティがあったからでしょうね。かくいう私も、それに騙されてヒ素を買いに走った一人ですから。

 計画が発表されてからの二週間、薬屋やホームセンターでのヒ素の売り上げは、通常の約十倍に跳ね上がったそうです。品薄状態が続いている、とテレビのニュースでやっていましたっけ。みんな、噂を信じて、自分の新居にネズミが出た時のために、ヒ素を買い求めた、というわけです。

 その騒動を危険視したのでしょう、国が「その噂は嘘だ」と各メディアを通して発表したのですが、結局、地下に実際に移住するまでヒ素の売り上げが下がることはありませんでした。

 で、どうやら、エラリイ氏はその騒ぎに乗じる形で、ヒ素を買い求めたようなのです。

 ヒ素は危険な薬品ですからね、購入するときには店で身分を証明して、名前や住所などを所定の用紙に書かなければなりませんでした。いわば、誓約書ですね。私は、これをネズミを殺す以外には使いません、という。

 当然、エラリイ氏も〈誓約書〉を書いて提出していまして、それが、とあるホームセンターから見つかったんです。事件の報道を知って、ホームセンターのほうが警察に名乗り出てきたのだそうです。確かに、うちがエラリイ氏にヒ素を売りました、と。

 それをもって、警察はエラリイ氏は自殺である、と判断しました。死因のヒ素を自分で購入し、違和感のない遺書も見つかっているのだから、妥当な判断だったと思います。そして、当時の警察は、息子たちの遺体については、捜索を断念しました。

 まあ、それもそうでしょうね。遺書には〈どこに遺棄したのか〉までは明記されていませんでしたし、地上での捜索はあまりにも危険すぎました。まだ戦後間もない混乱期で、警察もそこまで手を回す余裕がなかったのでしょう。

 さらにいえば、エラリイ氏の親族も、子どもたちの遺体捜索に対して消極的だったようです。子殺しが親族にいるなんて世間体が悪い、一刻も早く、この事件は世間から忘れられてほしい、というのが本音だったのでしょう。

 彼らの望み通り、事件はあっという間に風化し、都議会の補欠選挙が終わった頃にはエラリイという名の男と彼らの息子たちの事件は、記憶の彼方へ消えてしまったのです。

 でも、ねえ。私は忘れることが出来ませんでした。

 院を終了した私は、当初は中学校で教鞭をとっていましたが、ものの数年で辞めてしまいました。生徒たちを見るたびに、ソワレとマチネの姿が彼らに重なって苦しかったのです。教師をやめた私は、結局、一般企業の営業として定年まで働き続けました。

 でも、それでソワレとマチネのことを忘れられるわけがありません。街中で子どもを見るたび、私は今でもあの子たちのことを思い出すんです。そして、今でも地上に放り出されっぱなしであろう二人を、不憫に思わずにはいられないのです。

 ねえ、ナナカマドさん。どうぞ、後生ですから、ソワレとマチネの遺体を探しに行ってくれませんか……?

 

***

 

 話を聞き終えたナナカマド氏は、ぴん、と人差し指をたてると、

「子どもたちが四時きっかりに立ち上がるのが不思議、と仰いましたけど、そんなに不思議ですか?」

 意外なところに話題を持っていかれ、私は「え?」と首を傾げた。

「ええ、不思議ですよ」

「いや、不思議なんかじゃありませんよ。ちょっと、考えれば分かることだと思うのですがね……。公園に行く日には、決まって晴れていたんでしょう? で、公園の形は円形で真ん中には天使の銅像、と来たら日時計だ、と考えるのが自然では?」

「はあ、あ、ああ」

「天使像は前傾姿勢だったと仰ったでしょう。だとすれば、設計者は初めから日時計を意識していたのだと

「影が何時のタイミングで、どの花の場所にかかるのか、なんて事前に管理人に聞いておけば済む話だしね。そう。事前に知っていたのさ、午後四時になった瞬間、天使の像の影がどこにあるか」

 言われてみれば、簡単なことだった。そうだ。確かにあの公園は、日時計として見ることもできる。あの子たちは、私が家庭教師になる前から、しょっちゅう公園へ遊びに行っていたようだから、午後四時のタイミングで影がどこにあるか、事前に知っていたっておかしくない。

「じゃあ、晴れている時にだけ、公園に行っていたのは、日時計として機能しないと私を驚かせられないから……?」

「うーん、それは少し違いますね。あなたを驚かせていたのは、オマケというか。そもそも、二人は元から日時計を見るのが好きで、何時に影がどの花の上にあるか、すっかり把握してしまってた。で、あなたが『午後四時には帰ろう』と提案した時に、この悪戯を思いついて実行した。じゃないと、時系列的におかしいでしょう? あんたに『午後四時には帰ろう』って提案された後に、管理人に確認なんて難しいですし」

「あ、まあ、そうですね」

 ごもっともである。

 そこで、私は、は、と気づいた。

「じゃあ、地下で同じような公園が造られるよ、と慰めても納得しなかったのは……日時計として、成り立たなくなってしまうから?」

 地下には太陽光が届かない。よって、影が時間によって移動することもなく、日時計も使えなくなる。

「ご名答」とナナカマド氏は頷いた。

「あの父親が13で私が15、とかいうあれは? あの意味も分かっていらっしゃるんですか?」

日時計とくれば、だいたい見当つきませんか? 花言葉です。時計の針ならぬ、銅像の影がかかっている花の花言葉のことを言っていたんです。例えば、16であれば十六時、すなわち午後四時の方向にあるイキシア、つまり〈団結〉といった具合に」

「はあ……」

 まったく、花言葉なんてよく知っていたものだ。それも、管理人から聞いたのだろうか。

「さて、それで肝心のご依頼のことなんですが」

 私は思わず身を乗り出した。そうだ、日時計花言葉は今はどうでも良い。そんなことより、依頼を受けてくれるかどうかが大事なのだ。

「結論から申し上げますと、無理ですね」

「どうして!」

 つい、声を荒げてしまう。

 一方、ナナカマド氏は落ち着き払った口調で続ける。

「その理由を説明するために、まず、エラリイと二人の息子の死について、その真相についてご説明したほうが良いでしょうね」

 まるで、探偵気取りだ、と私は思った。ナナカマド氏はいったい、なにがしたいのだろう。

「そもそも、あなたはエラリイが自殺したことについて、なんら疑問を抱かなかったのですか?」

「え? ええ、まあ」

 私は首肯した。遺書にヒ素の入手経路。警察の捜査の結果、「自殺」となったのだから、疑問を挟む余地はないと思っていたが……。

「自殺するような人間が、ですよ。いくつもの集会に出席する予定をたてますかね?」

「そりゃあ、あるでしょう。つい昨日まで、明日や明後日の予定を立てていた人が、ある日ふっと思いついたように飛び降り自殺、なんてニュースもあるじゃありませんか。昔だって、そういう人はいたものです。悲しいことですが」

「しかし、エラリイの場合、ヒ素をわざわざ購入しています。自殺なら、これは計画的なものと見て良いのでは? 遺書によれば、息子二人は地下に来る前に殺したのでしょう? その時点で、自殺するつもりだったのだ、と捉えるのが普通では? そして、もともと自殺するつもりだった人間が、じゃかぽこと集会に出席する予定なんて入れますか? なかには、息子たちを連れて行く予定もあったではありませんか」

 そう指摘され、私は言葉に詰まってしまう。言われてみれば、そうかもしれない。

「それに、ヒ素が砂糖壺に入っていた、というのも妙だと思われなかったのですか?」

「妙、ですか?」

「妙ですよ。あなた、試しに自分がヒ素を呷って自殺することを想像してみてください。そのとき、わざわざ一度、砂糖壺の砂糖に混ぜてから、それをコーヒーに入れて飲んだりしますか? 少なくとも私なら、直接コーヒーにヒ素を入れますね」

「確かに、そうかもしれませんね」

 確かに、ナナカマド氏の言うことは一理ある。彼は、当時私が気にしていなかった、しかし明らかに不審な点を的確に指摘していた。

 しかし。そうなると……。

「エラリイ氏は自殺ではなかった、ということですか?」

「理解が早くて結構です」

 想像もしていないことだった。

「しかし、しかしですよ。では、誰がエラリイ氏を殺したんです? ソワレとマチネを殺したのも、別にいるんですか?」

「その二つは分けて考えた方が良いでしょう。まず、エラリイ殺しについて。犯人の条件は、エラリイのヒ素をくすねることが出来た人物、砂糖壺にヒ素を入れることが出来た人物、そしてエラリイのノートパソコンを操作出来た人物、ということになります。この条件を揃えた人物。分かりますか?」

「秘書か、家政婦でしょうか?」

 エラリイ氏の身近にいて、それらが可能そうな人物は秘書か家政婦くらいのものではないか。はっきり言って、エラリイ氏の具体的な交友関係を、私は詳しくは知らなかった。

 すると、ナナカマド氏はクツクツと喉を鳴らして、

「まだ、いるじゃありませんか。もっと、適任なのが」

 見れば、可笑しそうに笑っている。ふと、ホームズに推理を勿体ぶられるワトソンの気持ちはこんなだったのだろうか、と私は思った。

「誰です? 私には、秘書か家政婦くらいしか、思いつかないんです」

「簡単です。ソワレとマチネですよ」

 思わぬ名前に、私は言葉を失った。何を言っているのだ、この男は?

「ソワレとマチネは、父親が帰宅するたび、コートと鞄を預かり、書斎へ持って行っていた。その過程を、父親は見ていません。そうだったでしょう?」

「え、ええ」

 コートと鞄を子どもたちに渡すと、エラリイ氏はいつもそのまま、リビングへ直行していた。そして、そこのソファの上でワイン片手にテレビを観るのが習慣となっていた。

「つまり、子どもたちはエラリイ氏の荷物を物色し放題だったわけです。ヒ素を買って来たことも簡単に知れた。パソコンもです。ログインするのに必要なパスワードも、毎日ちょっとずつ、エラリイが選びそうなものを順に入力していけば、いつか正解に行きつく、という寸法です」

 私の脳みそは混乱をきたしていた。話についていけない。ソワレとマチネが、私の知らないところでそんなことを……? あまりにも、突飛すぎる。

「それに、ヒ素も簡単にくすねられた。買って来たヒ素は、当然鞄の中に入っていたでしょうから、パソコン同様、荷物を運ぶ際に、それをちょっとくすねて砂糖壺に入れることも簡単です。エラリイ氏が地下の鼠を殺すために買ったヒ素を、ね。しかも、マチネとソワレは父親がコーヒー好きで、コーヒーを飲む際にだけ、その砂糖壺を使っていたことを知っていた。つまり、そのヒ素入りの砂糖を誤って自分たちが飲む可能性はゼロだと知っていたんです。子どもたちはコーヒー嫌いで、好きな飲み物はコーラ。砂糖を必要としていませんでしたから」

 確かに……確かにそうかもしれない。けど。

「だいたい、ソワレとマチネはエラリイ氏より前に亡くなっているんですよ」

「ですから、その前提がまず間違っているんです。ソワレとマチネは死んでなんかいない。そう考えればのです」

「死んでいない、ですって?」

「ええ。どちらも死体は見つかっていないのですから、そう考えることも可能です」

 確かに死体は見つかっていないが……だからこそ、私はソレイユ社に来たのだから……けど、それでどうして彼らがエラリイ氏を殺したことになるのだろう。

「それじゃあ、ソワレとマチネはどこへ行ったんです? エラリイ氏を殺害して……」

「逃げたんですよ。あなたがたから」

 そう言ってナナカマド氏は、きゅう、と目を三日月のように細めてみせた。その表情はまるで、不思議の国のアリスに出て来るチェシャ猫のようで……なんだか……とても不気味だった。

「ええ、ソワレとマチネは都合の良いように己の信条を変える卑劣な父親が嫌いでした。一番嫌いな大人が彼だった。それに追随する秘書もね。アルビノという理由で、不気味がる家政婦たちも。そして、エラリイの意見に同意したあなたも」

「そんな……エラリイ氏の意見とは、なんです?」

 すると、ナナカマド氏はおどけたように、わざとらしく目をくるんと見開いてみせた。

「おや。あなた自身が話されたじゃありませんか。エラリイ氏が外国人を揶揄したとき、あなたは適当に相槌を打った、と。あなた自身が仰っていたでしょう。あなたにとっては仕方がなく打っていた相槌でも、子どもたちは、それが心からの相槌かもしれないという不安を抱かざるを得なかった。人は人の心のうちまで読み取ることは出来ませんからね」

「そんな……」

 それだけで……? それだけで、あの子たちは私の元を去ったというのか。

「もちろん、それだけではありませんよ」

 まるで、私の心のうちを読み取ったかのようなナナカマド氏の言葉に、私はぎょっとしてしまう。

「ソワレとマチネは、あなたに不信感を抱いていました。あなたの優しさは、自分たちの美しさゆえだろう、とね。そして、エラリイ氏が死ねば、あなたはより積極的に自分たちに関わって自由を奪い取っていくだろう、と」

 ひゅう、ひゅう、と自分の喉が音をたてている。うまく言葉を紡ぐことが出来なかった。

「あ、あなた……さっきから聞いていれば、無責任なことばかり言って……まるで、ソワレとマチネを知っているような口ぶりじゃありませんか。ああ、そうだ。あ、あ、あなたが、エラリイ氏や子どもたちを殺したんじゃないんですか!?」

 そのときのナナカマド氏の表情は、二度と忘れることが出来ないだろう。

 ぐるん、と両目を精いっぱいに見開き、ぷるぷると震えていたかと思うと。

「……あは、あーっはっはは! はは、あはは! ああ、おっかしい! それ、本気で言ってるのかい? ああ、ああ、あはは! うふ、うはは!」

 身を仰け反らせ、ゲラゲラと笑い始めたではないか。目じりには涙まで浮かべている。

 ひい、ひいと肩を震わせながら呼吸を整えると、

「さっきから、ずーっと思っていたけど、鈍感だねえ、先生!」

 ……先生?

「おかしいと思わなかったのかい? 気まぐれに、ヒントなんか出してみたつもりだったけど。どうしてナナカマドの奴、午後四時に影が落ちる方向にあるのがイキシアだって分かったんだろう、とか思わなかったの? エラリイの鞄の中に、愛用のノートパソコンが入っているのを、なぜ知っているんだろう、って。それとも、話したつもりでいた?」

「なんなんです、あなた」

 そう訊ねながらも、頭のどこかでは分かっていた。目の前の男が、誰なのか。

「ああ、まだ分からない? それとも、分からないふりをしているだけ? どちらでも良いか、教えてあげようかな。僕は、マチネ。あなたがお探しの兄弟の、弟の方さ」

 ああ、やっぱり。すっかり齢をとって、声も変わってしまったが、この人を揶揄うような口調だけは変わらない。

「マチネ……いったい、どういうことだい? 説明しておくれ」

「どういうことって? 僕とソワレは生きていた。それだけだよ」

 いともあっさりと言ってくれる。

「それだけじゃ分からないよ。いったい、どうしてあんなことを……それに、逃げたといったって、君たちは当時まだ子どもだっただろう? どこで、何をしていたんだい? それに……それに、ソワレはどこへ行ったんだ?」

「あんまり、矢継ぎ早に質問して欲しくないんだけどね」

 ナナカマド氏もとい、マチネはちょっと困ったように肩を竦めて見せた。

「まあ、いいか。まず、どうして。さっきも言った通り、逃げるためさ。僕らは、僕らだけで安心して幸せになりたかったからね。

父さんを自殺に見せかけて殺して、僕たちの方は父さんに殺されたように見せて逃げてやろう、と。終戦直後の混乱に紛れて逃げようと言ったのはソワレだよ。一番、警察も体制が整っていなくて、真相がバレにくいだろうからって。

 父さんを殺したのは、ま、まず第一には逃げやすくするためだね。僕たちがいなくなれば、父さんは僕たちをいつまでも探し続ける可能性がある。息子ではなく、自分の世間体を心配してね。息子たちが突然、家から出て行ったなんて外聞が悪いだろ?

 あと、まあ、腹が立ったっていうのもある。父さん……ああ、父さんって呼ぶの、癪だな。エラリイ、でいっか。で、エラリイはさ、愛国主義者だったろ? N国こそが世界で一番優れているのであります! って街頭で喚く毎日さ。そして、僕ら……特にソワレを見るたび、お前みたいな奴がいて恥ずかしい、と聞こえよがしに言ってみせるんだ。

 それが、だぜ。敗戦した途端、やっこさん、どうなったと思う? 最初は意気消沈してたけど、まあ、悪い意味で切り替えが早かった。翌日には秘書に『おい、今度の世界平和を祈念する集会に俺も出るぞ』なんて言い出してさ。『愛国主義者はバカ。俺は一度もそんなものになったことはない。人はみな、平等なのだ』とか言っちゃって。その証拠に、私は戦時中、外国人にしか見えない息子にも愛情を注いできました、って主張しだすんだぜ。おかしいだろ。それをもっともらしく見せるために、集会にも連れて行こうとしていたんだから。

 あんなバカ、死なないと治らないね、死んでも治らないかもだけど、とりあえず死んだ方が良いね、ってソワレと話したよ。ま、あの人が愛国主義だろうがなんだろうが、殺してたけど。邪魔だから。

 秘書も秘書で、僕たちの見た目の良さを利用する気満々だったのが分かったから、まあ、邪魔だったね。殺さなかったのは、単純に手間の問題。あんまり多く殺すと、ほら、ばれる確率も高まるだろ。

先生も同じだよ。先生、ずいぶん僕らのこと可愛がってくれたけど、どうして?」

「ど、どうしてって……きみたちが、可愛くて、良い子だったから……」

「可愛いって、見た目?」

 私は、う、と言葉に詰まった。確かに、そうかもしれない。彼らの美しさに心惹かれていなかった、といえば嘘になるだろう。けど、それの何が悪い? 美しいものに心惹かれるのは、むしろ当然のことじゃないか。

「ねえ、先生」

 マチネはぐい、と顔を寄せてきた。そのしぐさは、子どもの頃そのままだ。

「僕たちが美しくなくても、先生は同じように僕らを可愛がったかい?」

「もちろんだとも」

 私の言葉は、どこか白々しく響いた。……なぜ?

 マチネはすぐに身を引き、ソファに深く座り直した。

「で、どこで何をしていたか、だっけ? ま、そこは先生の言う通り、僕ら、子どもだったからね、自分たちだけじゃ生きていけない。ということで、ドイルさんに養子にしてもらうことにした」

「ドイル?」

「公園の管理人さ。先生も何度か、会ったことがあるだろう?」

 陰気な顔が脳裏に浮かぶ。あの外国人か。

「あの人に養子に……ただしくは、あの人の実の子だと偽って申請してもらってね。戦後の混乱期だったし、簡単なことだったよ。そうして、名前と国籍を変えて生きてきた。幸い、彼、財産はそれなりに持っていたようだったから、僕らも食べるには困らなかったよ。彼、ずっと独身で家族を欲しがっていたから、僕たちが事情を話して養子にして欲しいというと、二つ返事で了承してくれた。

 あの人もだいぶ前に亡くなったけど。良い人だったよ。僕らのこと、綺麗とか、不気味とか言わずに、ただの子どもとして扱ってくれたし」

 そのとき、コツ、コツと応接室のドアが叩かれた。

 こちらが何か言う間もなく、扉が開かれ一人の男が入って来る。

 その人物を見て、私は危うく卒倒しそうになった。

 白髪にありえないほど白い肌。齢のころは六十前後。そして、マチネと瓜二つの顔だち……。

 彼は私の顔を見ると、クク、と喉を鳴らした。

「やあ、先生。ずいぶん、おじいさんになりましたね」

「ソワレ? ソワレか?」

「ええ。今は、イエロウという名で社長をしていますがね」

「ちなみに、僕らの名前、あの公園にあった花からとってるんだぜ。なあ?」

 マチネに言われ、ソワレは首肯した。

「マチネのナナカマドは、そのままナナカマドから。私のイエロウはイエローサルタンから。ナナカマドの花言葉は〈賢明〉、イエローサルタンの花言葉は〈強い意思〉。素敵でしょう」

 すると、思い出したようにマチネは両手をぱん、と合わせた。

「そうだ。そういえば、花言葉、先生に教えてあげてなかったな」

「何の話だ?」

 怪訝そうに眉間に皺を寄せるソワレ。

「先生さ、覚えてたんだよ。僕らが、先生のこと〈15〉って言ってたの」

「ああ、そうだ。なんだったんだ? 十五時の方向になにがあったか、なんて、覚えていないんだよ」

「そこまで喋ったのか」

 ソワレはふむ、と鼻を鳴らした。それから彼は、ちょうど猫が主人の膝の上に乗り込む要領で、私の隣に腰をおろした。

「ねえ、先生。まさか、僕たちが先生のことを〈15〉と言っていたこと、覚えてらっしゃったなんてね。他には、なにがあったか、覚えてらっしゃいます?」

 薄い色素の瞳に見つめられ、年甲斐もなくドキリとしてしまう。

「え、ええと。確か、お父さん……エラリイ氏が〈13〉で、きみたち二人が〈16〉だたかな」

 ぱちぱち、とマチネが拍手をする。心からの称賛でないのは明らかだった。

「ご名答。ついでに、エラリイには〈14〉のおまけつきさ」

「十六時の方向にあったのは、イキシアでした。花言葉は〈団結、誇り高い〉。ね、私たちにぴったりでしょう?」

「十三時の方向にあったのはキンレンカ花言葉は〈愛国心〉。ま、エラリイの場合、そこに十四時の方向にあったハナニラが足されるわけだけど」

花言葉は〈卑劣〉」

 二人は顔を見合わせ、く、く、くと喉を鳴らして笑った。その様子は五十年前から、なにも変わっておらず、ああ、やはり、この子たちは愛らしい。愛でるべき子どもたちだったのだ、と思う。

「そして、十五時の方向にあったのが、オダマキ花言葉は〈愚者〉」

「ぐ……?」

「愚かな人、という意味です」

 なにも、愛情とか、大切な人とか、そんなものを期待していたわけではない。しかし、愚者……愚か者とは。愛らしい飼い猫に、突然手を引っ掻かれたら、こんな気持ちになるだろうか。

「どうして……」

「そういうところですよ。あなたは結局、何も分かっていなかった。私たちのことも、結局、見た目しか気にしていなかった。それでいて、自分は私たちの味方だと正義ぶって、しかも、自分は賢いと、私やマチネより上の立場にいると思い込んでいた。そういうところです」

 

***

 

 しばらくの間、私は呆けたように黙っていた。焦点を定めるのも難しく、目が、ソワレとマチネの間を行ったり来たりしていた。

「ねえ、あと、ひとつだけ、良いかい」

 私の目は、どちらの顔も見ていなかったように思う。半ば、無意識のうちに口を動かしていた。

「きみたちは、私から逃げたんだろう?」

「ええ」

 ソワレの声。「仰る通り」

「じゃあ、どうして私の依頼を受けたんだ……? いや、予約の時点では、私だと分からなかったかもしれない。けど、マチネ。私の話を聞いて、私だと……あの家庭教師のヴァンだと、分かったんじゃないのかい?」

「分かったよ」

と、今度はマチネの声。「写真まで持参されちゃあね」

「じゃあ、こうやって正体をバラしたりせずに、適当に誤魔化して帰らせれば良かったじゃないか。それをこうして……ソワレまで、出て来て……どういうつもりだい」

「ああ、それは」

 ソワレはきゅう、と目を細め、口角を持ち上げた。その表情は、マチネとそっくりだ。チェシャ猫が、二匹。

「あなたの中のソワレとマチネを殺すため、さ」

 私を見るソワレの視線は、まるで槍のようで。ずっと見続けていると、目玉を抉られてしまいそうだった。

「美しくて、愛らしく、無条件に慕ってくる子どもたち。それが、あなたの中の、ソワレとマチネ(子どもたち)だ。でも、それはソワレとマチネ(私たち)じゃない。私は、それが気に入らなかった。良いかい。私たちは人形じゃないんだ。あなたの中で勝手に、あなたにとって都合の良い人形のようなソワレとマチネ(私たち)を生かし続けて欲しくなかった」

 ちろり、とソワレは赤い舌の先で唇を湿らせる。赤い舌と、白すぎる肌のコントラストが美しかった。

「だから、ね?」

 そう。彼は……ソワレとマチネは年老いてもなお、美しかった。背が伸び、声が変わり、顔には皺が刻まれても……底意地の悪さを前面に押し出していても、なお、彼らの美しさは、私の心を惹きつけ、放さなかった。

 二組の目が、私を見ている。黒い瞳が一組、薄い灰色の瞳が一組。その中で、光の玉が、ゆらりゆらりと怪しく揺れている。

 ああ、この子たちは美しい。

 そして。

 同時に。

「あなたの中のソワレとマチネ(幻想)を、殺してやろうと思ったのさ」

 ――不気味だ。

 

(原稿用紙換算:81枚)

太陽の少年たち

 

〈地上忘れ物代行人〉なる職業を耳にしたのは、地下生活を始めてちょうど五十年目の十月のことだった。

 ふだんテレビは食事時のBGMがわりにしかしておらず、その内容についてはこれっぽっちも聞いていない私だったが、耳慣れない、しかし妙に気がかりなその単語に、私はつい意識をそちらへ向けていた。

 どうやら「珍しい職業を紹介しよう」という朝の情報番組の企画の一つとして〈地上忘れ物代行人〉が紹介されていたようだった。

「ゴチョウモリ区のオフィスビルの一角にある、〈ソレイユ社〉。ここは、地上に忘れて来てしまった様々な思い出の品々を、代理で取りに行ってくれる……そんなサービスを提供している、N国唯一の会社です」

 そんな風に話を切り出し、女性アナウンサーが〈地上忘れ物代行人〉の業務や会社の歴史について説明をし始めた。

 パンを齧りつつ聞きながら、なるほど、地下へ移住した社会ならではの職業だな、と思う。もし、五十年前に地下へ移住という選択をせず、地上に生き続けていれば、こんな職業は考えられもしなかっただろう。

 人類が地下へ生活基盤を移し、はや五十年。当初はどこかぎこちなかった生活も、今ではまるで人類史がずっと地下で刻まれて来たかのように自然なものになっている。

 五十年以上前、地球という星は戦火に覆われていた。第三次世界大戦として現代に伝わる大戦争。大国は気が狂ったように化学兵器核兵器を用い、結果、地上のどこにも人類が安全に住めるような場所はなくなってしまった。

 たった一か月の出来事である。当時大学院生だった私は、ニュースでN国の敗戦と、地球上のほとんどが兵器によって汚染されたことを知った。それを観ている間も一分一秒、己の肉体が汚染物質によって犯されているかもしれないという事実に、恐れおののいたことを覚えている。

 そして、二〇四四年八月十日に終戦

〈戦争〉という名の熱病から醒めた人類、特に国のトップたちは地球の惨状に途方に暮れてしまう。このままでは人類どころか地球上から全ての生命が失われてしまう、と。

 そこで立案されたのが〈人類地下移住計画〉である。大戦中、核シェルターとして利用されていた地下空間を改造し、そこに街をつくって皆で移住してしまおうというものだった。

 当時はSFじゃあるまいし出来るわけがない、という意見も多々あったという。しかし、どんなに無謀でも実行せねば人類には滅亡の未来しかない。計画は実行され、成功した。あれから五十余年、人類は地下で何事もなかったかのように平和に暮らしている。

 そんな歴史を歩んできたからこそ〈地上忘れ物代行人〉なる職業が生まれたのだ、とアナウンサーは言った。やけにドラマチックなその説明を、要約すると次の通りである。

地下へ移住して十数年、その生活にも慣れてきたころ、新たな問題が現れた。「地上に残してきた物品を取りに戻りたい」と訴える人が出て来た。

移住を決行した当時、世の中は戦後の混乱期。とにかく地上から逃げなければの一心で、取るものも取りあえず、人々は生活の為に必要なものだけを鞄に詰め込み、安全だといわれている地下へと逃げ込んだ。そして皆が地下へ逃げ込んでしまうと、今度は地上への外出を厳しく取り締まる法律が立案、即座に可決。それをもって一般市民にとっては、地上はもはや隔絶された遠い世界のものとなった。

しばらくはそれでも良かった。皆、とにもかくにも地下の世界に慣れることに必死で、地上に残してきたもののことを思い出す余裕もなかったのだろう。地下世界にも慣れ、生活も安定してきてようやく、十数年前には気にかけている余裕のなかった〈忘れ物〉のことを思い出すようになる。私は知らなかったが、どうやらそれは、相当な人数から上がった声らしい。

しかし、だからと言って、そうやすやすと地上へ戻れるものでもない。地上は未だ、核戦争の名残に包まれ、防護マスク無しでは活動できない状態である。

そこへ登場するのがソレイユ社の社長だ。彼はカメラを搭載したロボットを地上へ送り込み、〈忘れ物〉を取りに行くことを提案した。そして、その事業を自分たちにまかせて欲しい、と。

彼らの申し出に、国は即座に飛びついた。国からの援助を受け〈ソレイユ社〉が設立され、今に至る。

これが三十五年前の出来事である。当時、社長は二十八歳だったというから、ずいぶん立派なものだ。

設立時の社員は、社長と副社長の二人のみ。しかも二人揃って外国籍の人間らしいから、起業に当たって余計に苦労したのではないか。

〈ソレイユ社〉の沿革も終わり、副社長へのインタビューが始まっていた。

 副社長は、齢は六十前後といったところだろうか。目元や口元には、年相応の皺が刻まれていたが、立ち姿は凛としており、二十代のような若々しい雰囲気をまとっていた。濡れ羽色の豊かな髪が、一層それを引き立てているのかもしれない。

「具体的には、どういったものを取って来ていただけるのでしょうか?」

「なんでも……取りに行くことが出来るものであれば、基本的には何でも承っております」

「どんな依頼が多いですか?」

「それも色々ですね。思い出の品は人それぞれですから」

 なんでも……なんでも、か。本当になんでも受けてくれるのだろうか? ……人間の死体も、構わないだろうか?

 これは運命なのかもしれない。

 私がそんなことを思案しているうちに、副社長へのインタビューは終わり、スタジオの映像に戻ったようだった。

「飛び込みの依頼も受け付けていらっしゃいますが、インターネットや電話で予約すると、よりスムーズに受けていただけるそうです」

 アナウンサーの言葉を聞き、私は「依頼してみようか」と思い立った。私は生来、慎重な方だと自分では思っている。しかし、その時は、依頼してみようと考えた途端、実行せずにはいられなかったのだ。

「あ、ヴァンさん。朝ごはん、もう良いんですか?」

 聞き慣れた男の声が頭上から降ってきた。家事代行業者のルルウである。彼には週五日、食事の準備や洗濯物など身の回りの世話をしてもらうために、家事代行派遣業専門の会社から派遣で来てもらっていた。彼の来ない週二日は、近所に住む甥夫婦の世話になっている。独り身のまま年老いてしまった私にとっては、ありがたいことだ。彼らのおかげで、孤独も感じずに済んでいる。

「ええ、結構です。どうも」

「パンばかりじゃバランス悪いでしょう。野菜はいいんですか? もし、お食べになるなら、用意しますけど」

「いいえ、朝は入らないんで、もう結構です。それよりも、ちょっと電話をお願いできますか」

 最新式の電話の使い方が、私にはイマイチ分からないのだ。だから、自分では電話をかけられない。あれは、機能が多すぎると思う。

「ソレイユ社に行きたいのです。知っていますか?」

「あー、知ってます知ってます。地上に置いてきちゃったもの、代わりに取りに行ってくれるんでしょう? うちのバアチャンがこの間、化粧台をお願いしていましたよ」

「そうだったんですか」

 意外なところに利用者はいるものだ。

「どうでしたか?」

「うん、良かったみたいですよ。僕が行ったわけじゃないですけどね、バアチャンとオフクロが事務所行って化粧台と一緒に帰って来たんですけど、まあ二人ともご機嫌で。社長が綺麗な人だった、ロマンスグレーだ、いや綺麗な白髪だったからロマンスホワイトだなんて大騒ぎしてました」

「はあ」

 社長のビジュアルはどうでも良いのだが。

「頼んだら、すぐ取りに行ってくれるんですか」

「うん、手が空いていればそうみたいですよ。ヴァンさん、頼みたいものでもあるんですか?」

「ええ、ちょっとね。だから、予約の電話をお願いしたいのですよ」

「良いですよ」

 幸い、ルルウは「何を頼むのか」は訊いてこなかった。「人の死体」なんて言ったら、ソレイユ社ではなく病院の予約を入れられてしまいそうだ。

「いつ行くんです?」

「今日、できたらこれから行きたいのですが」

 さすがにルルウは驚いたようで「そりゃ、また」と一オクターブ高い声で言った。くるんと目を見開いて、

「急すぎません?」

「さっき、テレビで紹介されていまして。熱が冷めないうちに、行こうと思ったんですよ」

「はあ」

 ルルウはそれ以上訊ねてはこず、すぐに予約の電話を入れてくれた。「今日って何時くらいなら、大丈夫ですか?」「あ、そうですか」「はい、どうも」と、数度、やり取りをした後、私に向かって、

「ヴァンさん。一時間後でどうです?」

「ええ、大丈夫です」

 安易に頷いた後、うちからソレイユ社まではどれくらいかかるんだろう、そもそもソレイユ社はどこにあるんだ? と不安になったが、マア、どうにかなるだろう。交通機関が発達したおかげで、ずいぶん移動時間も短縮された。

 私の気を知ってか知らずか、ルルウはわざわざソレイユ社の所在地を調べてくれたようだった。

「ソレイユ社、ここからタクシーでなら二十分ほどですね。歩いてはちょっと遠いでしょうから、タクシー、呼びましょうか」

「ええ、お願いします」

 タクシーで行くなら、時間には余裕がある。慌てず身支度を出来そうだ。

「あ、そうだ。依頼したいものが写っている写真なんかがあったら、それを持って来て下さいとのことだったんですけど、そういうの、ありますか?」

「写真、ですか」

 私はちょっと悩んでから、ルルウに頼んだ。

「そこの戸棚にアルバムがあると思うので、取っていただけますか。それを持って行くことにします」

 果たして、こんなものが役に立つのかどうか分からないが、持って行かないよりいくらかマシかもしれない。ルルウに手渡された物が目的の物であることを確認し、外出用の鞄に入れてもらう。

「僕、ついて行きましょうか?」

「いえ、一人で行きます」

 ルルウの申し出はありがたかったが、受け入れるわけにはいかなかった。依頼することがことなのだから。

 三十分後。ルルウに手伝ってもらいながら身支度を終え、杖を片手に家を出る。自動運転のタクシーには運転手は乗っておらず、ただ車輪のついていない車が、家の前に鎮座していた。まったく、車もずいぶん変わってしまったものだ。

「正午までには、戻るようにしますから」

 私がそう告げたのと、扉が閉じ、タクシーがふわりと浮いたのはほぼ同時だった。「うわ」と思わず悲鳴をあげてしまう。四十年前に実用化され、今では珍しくもなんともなくなってしまった空中を走る乗用車。目的地までの所要時間が短くなったのも、この乗り物が登場したおかげだ。

 運転手がいないので、雑談をする相手もいない。タクシーに搭載されているAIは「シートベルトをご着用ください。走行中にむやみに動いたり、扉を開けたりするような危険行為はおやめください。また、車内のスイッチなどを無断で触らないでください」と警告したあとは、すっかり静かになってしまった。

 しんとした車内で、私は過去のことに思いを馳せていた。私の愛した少年たち。彼らなら、この〈空中タクシー〉を見て、どんな顔をしただろう……?

 よく笑う子どもたちだった。……もう一度、あの美しい子どもたちを、この腕で抱きしめたい。頬に生暖かい感触が滑った。

 

***

 

 タクシーはオフィス街の上を抜け、そこからやや離れたところに建っているビルの前に着地した。支払いを終え、タクシーを降りる。

 どうやら、雑居ビルらしい。入口の電子案内板を見ると、二階はまるまるソレイユ社とのことだった。

『本日は、どちらの会社をご訪問ですか?』

 案内板から柔らかな女性の声が流れてきた。どうやら、センサーが私の感知し、一定時間以上、案内板を見ていたことから客だと判断したらしい。

「ええと、〈ソレイユ社〉に」

 機械との会話と言うのは、どうにも慣れない。気恥ずかしさから、どうしてもモゴモゴと口の中で喋ってしまう。

 幸い、案内板の方は私の不明瞭な声をきちんと聞き取ってくれたようだった。

『ソレイユ社、ですね。少々お待ちください』

 しばらくすると、ビルの中から見覚えのある男が姿を現した。

「ヴァン様でいらっしゃいますか?」

 先ほどテレビから聞こえてきたのと、寸分変わらぬ声。

「ソレイユ社副社長のナナカマドです」

「あ、はあ、どうも」

 まさか、副社長直々に出迎えてもらえるとは思っていなかった。

「お待たせしました。どうぞ、こちらへ」

 挨拶もそこそこに、二階へのオフィスへと案内してもらう。

 オフィスは、想像していたよりもずっと広く、整然としていた。人が誰もいないから、余計にそう見えるのかもしれない。

「数少ない社員は、皆、出払っているか休みでしてね。社長もついさっき、役所へ出かけて行きまして、今は私一人なんですよ」

 不審に思われないためだろう。私が何も言わないうちから、副社長はそう説明をしてくれた。

 私が案内されたのは、オフィスの奥の応接室だった。

「どうぞ、おかけください」

 すすめられるまま、ソファへ腰をおろす。

 と、ナナカマド氏は踵を返すと、応接室から出て行ってしまう。どうしたのかと思ったら、しばらくしてティーカップが載った盆を持って戻って来た。

「紅茶です」と言い、カップを机の上に置いてくれる。なるほど、誰もいないから、来客用の茶を淹れるのも彼がしなくちゃならないのか。

「うち、コーヒーは置かない主義なので、紅茶一択ですみませんね」

「え? あ、いや、お構いなく。ありがとうございます」

 私はコーヒーでも紅茶でも、飲めればどちらでも構わない、というのが本音だった。

「早速ですが、今日はどういったご依頼でしょうか?」

「あの、今朝、テレビで紹介されているのを観て伺ったのですが、地上に残して来たものを取りに行ってくれるそうですね。なんでも構わないのでしょうね?」

「ええ。まあ、そのものの外見や、だいたいどこにあるか、その場所くらいは分からないと、取り掛かりようがないのですが」

「……どちらも曖昧なのですが、どうしましょう……?」

「それは、どういったものなのでしょう?」

「はあ、実は、少年の遺体をお願いしたいのです」

 ふうむ、とナナカマド氏は唸った。

「遺体、ですか。具体的には、誰の?」

 ナナカマド氏の口調はあくまでも穏やかだった。私が彼だったら、目の前の老人に少なからず苛立っていたかもしれない。ははあ、このジイサン、病院にちっとも行かないクチだな、自分がシッカリしてると思っていやがる、と。

「はあ。私の……教え子です。少年の遺体を二人分、お願いしたいのです」

「ふうむ」

「……いけませんでしょうか?」

 ナナカマド氏は「いえ、いけないことはありませんよ」と言った。

「ただ、遺体というのは初めてでしてね。不躾ではありますが、やや興味が湧いてしまったのです。詳しくお話し願えませんか。その、二人の少年とやらについて……」

「少し、長くなってしまいますが、良いでしょうか? その……このことは、一度も人に話したことがないので、冗長になってしまうかもしれませんが」

「ええ、構いませんとも」

 私は一口、二口、紅茶をすすり口の中を湿らせた。

「少年、というのは先ほども申し上げた通り、私の教え子たちです。もう五十年も前のことになりますが、今でも時々、夢に見ます。本当に、美しい子たちでした」

 私はバッグから持って来ていたアルバムをナナカマド氏に渡した。

「それは、その子たちの写真ばかりを集めたものでして……ね、綺麗な子たちでしょう?」

 口調に熱がこもっているのが、自分でも分かった。

 ナナカマド氏の返答は「なるほど。そうですね」とアッサリしたものだったが、私には肯定されたことが嬉しくて堪らなかった。

 その興奮も手伝って、私の舌は、やって来た当初よりもずいぶん滑らかに動くようになっていた。

「そうでしょう、そうでしょう。私はその子たちを愛していました。その子たちもまた、私に懐いてくれていました。本当に、美しい子どもたちでしょう……? まるで、お人形みたいで……。この子たちと出会ったのは、もう随分昔のことになります……」

 

***

 

 五十年前、いわゆる〈地上時代〉ですね。私は文学研究科の大学院生でした。博士課程の前期で……大学に入るために一年浪人していましたから、当時二十三歳ということになります。

 院に進んで一か月ほど経った頃でしょうか。当時、私がお世話になっていた指導教員から「アルバイトをしないか」と声を掛けられたんです。自分の知り合いが、子どもの家庭教師を探しているのだが、週に三日ほど行ってくれないか、とのことでした。

そのころ、私はちょうどアルバイトを探していまして……それも、贅沢な話ですが生活費は両親に仕送りしてもらっていたので、遊んだり勉強用の本を買ったりするための金を稼ぐために、ちょっとだけバイトをしたいな、と思っていたのです。なので、教員の話は私にとって、まさに渡りに船でした。

 私のアルバイト先は、エラリイという名の県議会議員の家でした。エラリイは所謂地の人間で、先祖は武家だか公家だったか忘れましたが、とにかく随分、社会的地位の高い人間でした。家も純和風のお屋敷みたいなところで、ちょっと入るのを躊躇ったのを今でも覚えています。

 私の生徒……エラリイ氏の子どもは、男の子が二人でした。十三歳の兄と、十二歳の弟。写真を見ていただければ分かると思うのですけど、ずいぶん、綺麗な子どもたちでしょう? 特に兄の方は見るからに神秘的で……アルビノと言うそうです。髪も肌も真っ白いでしょう。瞳の色も普通より、ずっと色素が薄いんです。

 弟はアルビノではなく、色は普通の子でしたが、彼は彼で人とは違う、浮世離れしたところのある子でした。特に可笑しなことはないのに、クスクス、ケラケラよく笑う子でね……。悪戯っ子で、後ろからコッソリ忍び寄って背中を叩いて驚かせてくる、なんてことはしょっちゅうでした。私が「うわ」とか言って驚くたびに、きゃたきゃた声をあげて笑うんです。それがまた、愛らしくて。天使のよう、とはあの子たちのためにある言葉だと思いました。

 屋敷には、エラリイ氏と息子たち……兄がソワレ、弟がマチネという名前でした……住んでいるのは三人だけでした。母親は二人の息子を産んだ後、亡くなったそうです。それも、家出をして、その先で事故死したらしくてね……気の毒な事です。

 エラリイ氏は仕事で毎日、朝から晩まで働いていましたから、代わりに家事をするために家事代行業者が二人、雇われていました。今でこそ、男性の従業者も増えましたが、当時は、まだ、そういう仕事は女性がやるものと決まっていましてね、私も子供たちも彼女たちのことを「家政婦さん」と呼んでいました。平日はまるまると太った女性が、土日には対照的に枯れ枝のように痩せ細った女性がやってきて、エラリイ家の家事をこなしていました。

 当時、家政婦を二人も雇っているというのは、相当な金持ちにしかできないことでした。経済面では、子供たちは恵まれていたといえるでしょう。着ている服も、常に上等のものでしたし、戦時中、食糧難で騒がれていたときにすら、栄養は十分に摂れていましたから。

 でも、精神面、と言いましょうか。経済面以外では、ずいぶん、気の毒な環境に置かれていました。

 まず、母親がいませんでしたし、家政婦たちにも余り懐いていないようでした。家政婦は家政婦で、子供たちからは距離を置いていたようです。「ふつうの子供と違って、なんだか不気味」と言っているのを、聞いたことがありますから。

 でもね、それは決して、あの子らが悪い訳じゃないんです。むしろ、あの子たちは普通の子と違って、純粋で美し過ぎたんです。それを家政婦たちは分かっていなかったんでしょう。あの子たちは、普通の子どもにありがちな粗野で醜い小賢しさがなくて、どこまでも無邪気で純粋でしたから、〈普通〉に慣れ切ってしまった彼女たちには〈不気味〉に映ったのだと思います。

 それに、家政婦だけでなく、父親との関係もあまり良好ではないようでした。職業柄仕方がないことかもしれませんが、エラリイ氏は人一倍、体面や人からの評判を気にする人でした。それゆえに、彼は自分の息子がアルビノであることが気に食わなかったようです。

 第三次世界大戦って、あったでしょう。あのころ、ナナカマドさんはおいくつでした? 十二? ……ああ、じゃあ、マチネと同い年だったのですね。なら、覚えていらっしゃるかも分かりませんが、戦争が始まる数年前から世界情勢というのは悪化の一途を辿っていました。国内でも次第に愛国主義者の勢力が強まっていきまして、特に外国人に対する迫害が強くなっていたのです。

 その愛国主義者の勢力の中に、エラリイ氏もいました。彼もまた、N国内にいる外国人は、直ちに出国すべし、N国はN国人のためにある、という考え方の持ち主でした。そんな彼にとって、ソワレはハッキリ言って邪魔者だったのです。

 N国の人はふつう、髪と瞳の色は黒で、肌の色は黄色人種に部類されるでしょう? でも、ソワレはアルビノですから、それには当て嵌まりません。髪も肌も雪のように真っ白で、瞳の色は薄く、それに顔だちも割合はっきりしていましたから、外国人のような外見だったのです。

 愛国主義の自分の息子が、まるで外国人のような外見をしているというのが、エラリイ氏には気に入らなかったのですね。実際、ソワレを見て、あの子の母親は外国人ではないか、エラリイ氏は愛国主義者を名乗っておきながら、外国の女と関係を持った非国民ではないか、という噂も流れていたそうです。

 そんなわけですから、エラリイ氏はソワレには特に冷たい態度をとっていました。そして、ソワレに懐いている弟のマチネのことも、エラリイ氏は気に入らなかったみたいです。エラリイ氏は二人の息子に対して愛情を注ぐことなく、敗戦後には彼らを毒殺してしまいました。

 ……ええ、そうです。私が愛した少年たちを殺したのは、彼らの父親なんです。エラリイ氏は息子二人を殺したのちに、自身も毒を呷って自殺してしまいました。

 ……その話をする前に、もう少し、ソワレとマチネの話をしても良いですか? ……ありがとうございます。せっかくの機会、と言ってはなんですが、この際、すべてを誰かに話してしまいたいのです。心のうちに思い出として取っておくだけ、というのは私にはいささか、重たすぎて。

 家庭教師を、それも業者ではなく知り合いを通じて探していたのも、そこらへんの事情が関係しているようです。義務教育なので、子供たちを学校には通わせていました。児童虐待なんてことが発覚すれば、それこそエラリイ氏の立場は危ういものになりますから、とりあえず、親として最低限のことはこなしていました。

 子供たちを私立大学の附属校に通わせ、そのうえで富裕層の大概がそうしているようにプラスアルファの教育も受けさせようとしたみたいです。子供たちのため、というよりは、あくまで自分の評判のため……「あの人は子供を学校に通わせるだけで満足しているらしい。教育云々と選挙のときには言っていたが、自分の子供にはさほど関心がないらしい」と噂されるのを嫌ったためでしょう。でも、一方で子供の外見は気に入らず、できる限り、ソワレの存在を人に知られたくない、という思いもあったのだと思います。だから、塾に通わせず、大手の家庭教師派遣の業者を利用もせず、知り合いだった教授に紹介を頼んだのでしょう。雇われる際、エラリイ氏に「くれぐれも、子供たちのことや、そのほか知りえた家庭内の事情について他言のないように」と注意されましたから、私の憶測はあながち間違っていないと思います。……今、お話ししているのは、もう時効ということで許してもらいましょう。

 エラリイ氏はやや癖があって、決して人当たりが良いとは言えませんでしたが給料は弾んでくれたので文句はありませんでした。夕食をご一緒する時なんかは、ちょっと息苦しかったですけど。それに、仕事の中で知った情報を外に漏らすな、というのは特別変わったことでもありませんし、むしろ当然のことですからね。

子どもたちは学校から帰ってくるのが三時過ぎなので、火曜日と木曜日は午後四時から七時までの三時間、休日の日曜日は丸一日、家庭教師として子どもたちの面倒を見ることになりました。食事つきで週給八万円なのですから、ずいぶん景気の良い話でしょう? エラリイ氏はさすがに、金銭面での気前は良い方でした。本当に。

私が子どもたちに初めて会ったのは、ゴールデンウイーク明けの日曜日のことでした。約束の時刻に屋敷へ向かうと、家政婦さん……この日は、やせ細ったほうの家政婦さんが玄関口で待っていました。彼女に応接間に案内されて、そこで私はエラリイ氏と子どもたちに出会ったのです。

本当に息を飲むほどに、美しい兄弟でした。私にもう少し語彙力か、そうでなくても、気の利いた言い回しをする頭があれば、良かったのですけど……とにかく、それほどに美しかったんです。二人は色の他は背丈もほぼ同じで、瓜二つでした。二人を並べて白黒写真を撮ったら、双子に見えたことでしょう。

齢が近かったからか、この兄弟はずいぶん仲良しでしょっちゅう、額を寄せ合ってはクスクスと笑っているんです。その様子がまた、愛らしくって、いつまでだって見てられました。研究の疲れも、あの子たちに会えば、すぐに消えてしまいました。「先生、先生」と呼んで、こんな私を慕ってくれましてね。嬉しくって、たまりませんでした。

さっきも申し上げました通り、あの子らには普通とはちょっと違ったところがあって、そこがまた愛おしかった。

例えば、遊び方なんか、普通の子どもとはちょっと違っていましたね。

当時は野球が流行っていて、公園なんかへ行くと、子どもたちがしょっちゅうチームを組んで試合をしていましたけど、ソワレとマチネがそれに加わっているのを、私は見たことがありません。学校が終われば真っ直ぐ帰宅し、友達と遊んでいるのすら見たことがありませんでした。いつも、二人きりです。

ただ、いくつか条件の揃った日曜日には決まって、家の近くの公園へ出かけていました。条件というのは、まず晴れていること、それから父親が家にいないことの二つでした。

前者はまぁ、晴れている方が単純に遊びやすかったからでしょうね。後者は簡単です。父親が見ているところで、勉強をすっぽかして出かけようものなら、とんでもないことになる、と子どもなりに分かっていたのでしょう。

それに出かける場所も、やや問題でした。先ほど、公園と申し上げましたね。いえ、公園で間違いないのですが、ブランコや鉄棒があったり、野球やサッカーをしたりするような一般的な公園ではないのです。遊具の類は一切ありませんでしたし、スポーツをするようなだけのスペースもありませんでした。さらにいえば、当時、あの公園に出入りしていた人間を、私は自分たち以外に知りません。あそこは、少々、人から敬遠されていた場所だったのです。

というのも、その公園の管理人が外国人だったんです。

これは、家政婦さん――太っている方です――に教えていただいたのですけど、その公園というのは、私が生まれる二十年ほど前に作られたものらしくて、設計を担当したのがN国に移住してきた外国人夫婦でした。そのころは、まだ世界情勢も安定したもので、外国からN国へ移住する人も少なからずいたそうです。

で、しばらくは公園の管理をその外国人夫婦が担っていたのですが、彼らは私が生まれた年に亡くなりましてね。それで夫婦の一人息子が、跡を継ぐことになったのです。

この息子というのが、また不憫な方で。確かに国籍や外見は外国人でしたが、生まれも育ちもN国なんです。公園が造られた年に生まれたのだそうです。だから、当時で四十過ぎだったはずです。彼は公園の傍に小さな家を建てて、そこに結婚もせず、一人で住んでいました。

何度か、公園で彼を見かけたことがあります。言葉を交わしたことも。陰気な男でしたが、話してみると性格の良さが端々に滲み出ていました。子どもたちとも、それなりに親しくしていたようです。

自分はN国人から見れば外国人なものだから、日に日に肩身が狭くなる。けど、自分では生まれも育ちもN国で半ばN国人だと自覚している節があるから、では、と両親の祖国へ行くことも簡単には出来ない、というふうなことを彼は話していました。結局、戦後、彼がどうしているのやら……生きているか死んでいるかすら、分かりません。

……ああ、話がちょっと、逸れてしまいましたね。そう。それで、その公園です。

その公園の敷地は、真上から見ると真円になっていましてね。その中央にまず、大きな天使の銅像が立っていました。一人の天使が両手を空に掲げて、羽を広げているんです。こう、大げさなぐらいの前傾姿勢で。で、それを囲むように、ぐるりと色とりどりの花が植えられていました。公園の円の中に、一回り小さな円を描くように、花壇が造られていたんです。その一部だけ通路になっていましてね、だから正確には真円ではなくCの形、と言うべきでしょうか。そこの開いたところから、公園の中心に入れるようになっていました。

あの花壇を見て、ははあ、これは専属の管理人も必要になるというものだな、と納得しましたよ。本当に、いろいろな種類の花が植えられているんです。

春の花であるクレマチスやイエローサルタン、ハナニラ、初夏から秋にかけて咲くキンレンカ。他にもイキシアやナデシコ、出入り口の付近にはハナズオウ、他にもナナカマドの木もありました。ああ、一目でどこに何があるか、分かるように小さな札が立てられていたんですよ、植物の名前が書かれた。

色とりどりと言えば聞こえは良いですが、私にはどうにもチグハグに見えましてね。管理人曰く、小さな植物園というコンセプトだったそうです。

子どもたちは、いつも昼食後に公園にやって来ては、銅像の傍のベンチに腰かけましてね、そこでずっとお喋りをしているんです。内容は本当に他愛のないもので、しりとりや山手線ゲームをしてみたり、かと思えば、二人の家政婦さんの料理の違いについて話していたり。

時々「お父さんは13で、先生は15だから」「14だよ」「僕たちは16」などと不思議なことを言って笑ってもいましたね。先生とは私のことらしく、「どういうことだい?」と訊いたのですけど、もったいぶって教えてくれなくて……今でも、分からずじまいです。

ああ、そうだ。不思議なことといえば、もう一つありました。

子どもたちはいつも昼過ぎから午後四時まで公園に滞在していました。私が四時には公園を出よう、と言っていたためです。そうしないと、勉強する時間が無くなってしまいますから。

それでですね、不思議なこと、というのが子どもたちは時計を持ってなかったのに、時刻を正確に把握していた、ということなんです。

私の腕時計で、四時になるでしょう? あ、そろそろだな、と思ったところで、子どもたちがベンチからぴょこ、と立ち上がる。私は何も言っていないのに……子どもたちが私の腕時計を見たというのも、あり得ません。私は、彼らから少し離れたベンチで、研究用の本を読むのが常でしたから。

四時になると、あの子たちはぴょこ、と立ち上がって私の方を見るのです。そして「四時になったよ、帰ろう」と。先ほども申し上げました通り、子どもたちは時計やスマートフォンなど時刻を確認できるものはありませんでしたし、公園やその周辺にも時計はありませんでした。

ですから、私が「よく四時になったって分かったね」と驚くと、二人は可笑しそうにケラケラと笑いました。悪戯が成功して喜んでいるような……そんな笑い方でした。その後も、ほぼ四時ちょうどに立ち上がっては私が驚くのを面白がっているようでした。弟のマチネなど――あの子は笑い上戸なところがあって、ほんのちょっとしたことでも、クスクス、ケラケラ笑っていました――家に着くまでずっと笑っていたこともありましたっけ。

きっと、彼らは家では思い切り笑えない分、ああやって公園で笑っていたのだと思います。父親の前では、彼らは気の毒なほどに萎縮していましたから。

ええ。父親の前では、他愛ない悪戯どころか、笑うこともありませんでした。せいぜい、お愛想でちょっと微笑むくらいのことで、あとはお人形のように無表情なんです。

いつだったかエラリイ氏と子どもたちと、四人で夕食を食べていた時のことでした。エラリイ氏が愛国主義的なことを言って、私に同意を求めてきました。内容はあまり覚えていませんが、確かレストランの店員が外国人のようだったので、不気味で困った、とかそう言ったことだったと思います。正直、エラリイ氏の発言は聞いていて気持ちの良いものではありませんでしたが、立場上、あまり強くも言えません。適当に愛想笑いを浮かべながら、相槌を打つことしか出来ませんでした。

その時、ちら、と子どもたちの方を見たのですが、気の毒になるほど暗く沈んだ表情をしていました。お気に入りの公園の管理人のことを思っていたのかもしれません。あるいは、ソワレのN国人離れした外見のことを気にしていたのかも……。あの時、声をかけてやれなかったのが、今でも心残りです。

子どもたちがエラリイ氏のことをどんなふうに思っていたのか、私には分かりません。「お父さんのこと、どう思ってる?」なんて訊ねたことは、ありませんでしたから。普段から、あまり関わり合いは持っていないようでした。それでも父親に疎ましがられていることは、彼らも感じ取っていたと思います。

ただ、エラリイ氏が仕事から帰宅したときには、決まって子どもたちは玄関先まで出迎えていました。「おかえりなさい」と言って、父親から鞄と上着を預かるのです。そして、それをエラリイ氏の書斎まで持って行って片づけていました。

まるで、一昔前の夫を出迎える妻のようだ、と思いましたね。彼らがどうして、そんなことをしていたのか分かりません。子どもたちが父親を労おうと思ってのことかもしれないし、あるいは恐れて出来る限り機嫌を取ろうとしていたのかもしれない。父親に強制されたのかとも思いましたが、家政婦さんによれば子どもたちが自主的にやっていることだそうです。

疎ましがりつつも、体面を保つために息子二人を育てていた父親。父親の前では萎縮してしまう息子たち。中身はひどく歪ではありましたが、破綻することはないだろう、というのが彼ら親子に対する、私の印象でした。エラリイ氏が世間体を気にし続ける限り、あの家庭が崩壊することはないだろう、と思っていたんです。

なのに……。

あんな風になってしまうなんて、思ってもみなかったんです。ああ……私に、もう少し想像力があれば……あるいは勘が鋭ければ……あるいは、そう。いっそ、あの子どもたちを連れて逃げてしまうだけの行動力があれば、あの美しい子どもたちは死なずに済んだのに。

今でも、毎日のように後悔の念に駆られます。

でも、本当に、あんな事件が起こるなんて予想できなかったんです。

 

***

 

 事件が起きたのは、終戦から間もない時のことでした。第三次世界大戦でN国が負けて……あなたも覚えていらっしゃるでしょう? 核戦争だか何だかの影響で、地上には住めなくなった、これから国民全員に地下へ移住してもらうと、発表された日のこと……敗戦と、前代未聞の移住計画のせいで、国中が混乱していた時期のことを。

 私は喘息もちでしたので兵役を免れることが出来ましたが――ですから、戦時中も変わらず、子どもたちの家庭教師を続けることができました――、たった一か月でずいぶん多くの若者が亡くなりました。

私自身、戦況が悪くなれば持病なんて言ってられず、戦場にポイと放りだされる日がくるのではないか、とビクビクしていたのを覚えています。徴兵の通知がくるより前に終戦を迎えることが出来たのは、本当に幸運でした。

 反対にエラリイ氏は、よもやN国が負けるとは思ってもみなかったのでしょう。敗戦の知らせを聞いた日は、かなりガックリきた様子で。愛国主義について語ることもなくなってしまいました。

 それでも、都議会議員としての仕事はきちんとこなしていたようです。敗戦後も変わらず、日々、どこかへ出かけている様子でした。子供たちとの関係も、良くなることもなければ、悪くなることもなく……いつも通りに見えました。

 地下移住計画が発表されたのは、敗戦から四日たった日のことです。あの日は日曜日でしたから、私は朝からエラリイ氏の家にお邪魔していました。そこで、発表を聞いたのです。

 地下の住居は国が用意するので、国民は二週間以内に準備をして地下へ移ること、と聞いてこれは大変なことになった、と思いましたね。自分の下宿は引き払わないといけないし、そのために荷物もまとめなければいけない。実家に連絡すると、両親と祖父母の引っ越しを手伝ってほしいと言われました。

 そうなると、家庭教師をしている余裕もありません。エラリイ氏に相談すると、二週間の休みを頂くことができました。二週間もの間、子どもたちに会えないのは苦しかったですが、こればかりは仕方がありません。次は地下で会おうね、と約束をして、その日、私はソワレとマチネと別れました。

 子どもたちは子どもたちで、地下への移住はショックだったようです。特に、あの公園へ遊びに行けなくなることを悲しんでいました。「地下にも同じようなものが造られるかもしれないよ」と言っても「それじゃ、ダメだよ!」と拗ね気味で……少し、手を焼いてしまいました。まあ、私が悪い訳じゃないのは彼らも分かっていましたから、すぐに機嫌を直してはくれたのですけど。

別れ際、ソワレに「次に来てくれるのは、いつ?」と訊かれたのを、よく覚えています。「二週間後の日曜日、また会えるよ」と言うと、嬉しそうに「朝の九時に来てね。絶対だよ」と抱きついてきました。

そして、それが今生の別れとなってしまったんです。

 私がソワレとマチネの死を知ったのは、地下に移住して二日後のことでした。

 移住する前日にエラリイ氏からメールをもらいましてね、地下での新しい住所が書かれていました。そして、明後日の日曜日には早速、都議会議員として集会に参加する予定なので、その間、家で子どもたちの面倒を見ていて欲しい、とも書かれていたんです。

 もともと、日曜日には家に行くと子どもたちとも約束していましたから、私はその依頼を二つ返事で引き受けました。分かりました、いつも通り、日曜の午前九時に伺います、と。

 そして日曜日、私は約束通り、午前九時にエラリイ氏の家を訪ねたんです。当時はまだ、地下は公共交通機関が一切機能していませんでしたから、二時間近く自転車を漕ぐはめになりましたが、苦ではありませんでした。もうすぐ、久しぶりにソワレとマチネに会えると思っていましたから。

 ところが、です。チャイムを押した私を出迎えたのは、子どもたちではなく、エラリイ氏の秘書でした。それもチャイムを押すとほぼ同時に飛び出してきましてね、危うくぶつかるところでした。

 この秘書というのは五十過ぎの男でしてね、いつもムスッとした顔をしていて、ついでにコロコロ太っていました。エラリイ氏と同じ愛国主義者で、酷く嫌味たらしい言い方をするので好人物とはお世辞にも言えない人でした。

 そいつが真っ青な顔をして出てきたので、その時点で嫌な予感はしていたんです。

「どうしたのですか?」と訊ねますと、「エラリイさんが死んでる」と呆けたような声で言いました。それを聞いて私が一番に考えたのは、秘書の言葉の真偽でも、エラリイ氏の死因でもなく、子どもたちの安否でした。

「ソワレとマチネは?」と訊ねると、秘書はやっぱり呆けた声で「知らない」としか言いません。居ても立っても居られなくなりましてね、秘書を押しのけるようにして、家の中に入りました。自分でも知らないうちに、子どもたちの名前を連呼していました。

 片っ端から部屋を見ていきましてね。四つ目の部屋で、私はエラリイ氏の死体を発見しました。

 まだ家具がほとんどない状態でしたが、おそらくリビングだったのだと思います。そこで、エラリイ氏はうつぶせに倒れていました。そのそばには、コーヒーカップが落ちていましてね、絨毯にできたコーヒーの染みが、時間の経過した血痕のようにも見えました。

 それから、テーブルの上に砂糖壺とポットがあったのも、よく覚えています。この砂糖壺というのが、エラリイ氏お気に入りの品でね、支援者からの贈り物なのだそうです。彼はこれに上質な砂糖を入れて、コーヒーを飲む時にだけ、それを使っていました。

エラリイ氏は大のコーヒー好きで、しょっちゅう自分でコーヒーを淹れていました。私、思うのですけど、愛国主義者のくせにコーヒー好きなんて、ちょっと変じゃありませんか? だって、コーヒーの発祥って外国でしょう?

そういえば、エラリイ氏がコーヒーばかり飲んでいるのを、子どもたちはやや不満に思っているようでした。なんで父さんは食事時にもコーヒーを飲んでいるのに、僕たちがコーラを飲むのは許してもらえないの、とね。単純に健康面の問題で、家政婦さんが制限していただけなんですけど、そこを理解しろというのも意地の悪い話だったでしょうね、子どもたちには。時々、公園に行く途中でコーラを買ってやると、マチネなんて飛び跳ねながら喜んでいましたっけ……。

ああ、すみません。また、話が逸れてしまって。

で、そう。エラリイ氏の死体を見つけた私は、そのとたん、冷静になったと言いますか、というより、恐ろしくなりましてね。いったん、家の外に出ました。

そこで、秘書と一緒に警察を待ちましてね。私も一通り、取り調べを受けましたよ。幸い、私も秘書も、容疑者として扱われることはありませんでした。

というのも、エラリイ氏の死は、かなり早い段階で自殺と結論付けられたのです。

エラリイ氏が愛用していたノートパソコンから、遺書が見つかったそうです。新聞にも掲載されましたが、それを読んだとたん、私は危うく卒倒しそうになりました。いえ、実際に少しの間、気を失っていたかもしれません。

諳んじることは出来ませんが、だいたい、こんなことが書かれていました。

「誇り高きN国が敗戦国となってしまい、私はもう、この悲しみを背負って生きていこうとは思えない。敗戦国の民として卑しく生きるくらいなら、さっさと死んだほうがマシだ。自殺するにあたって、自分の息子たちも殺した。その死体は地上に放置してきた」

 ……と、だいたいこんな風だったと記憶しています。

 ねえ、信じられますか? 敗戦したからって、子どもを殺しますか? しかも、それを地上に放置してきた、なんて……一度、地下に来てしまえば、もう二度と地上へは戻れないと知っていながら、ですよ。

 秘書は秘書で、この遺書を見てその場に崩れ落ちていました。けど、それは、私のように子どもたちを喪ったことによる悲しみではなく、あくまで自分の立場が危うくなることに対する危機感からのようでした。

 その遺書を読んだとたん、秘書は狂わんばかりに喚きはじめました。自分は子殺しの議員の後始末をしなくちゃいけないのか、今日だけでなく来週には、子連れで集会に参加する予定だったのに、親子もろとも死なれたら、誰がその穴を埋めるんだ、せっかく美少年で人寄せをしようと思っていたのに、とね。まあ、もう思ったことが全部、口から溢れ出ていました。

 もう聞いていて我慢できなくなりましてね、警察の手前、できませんでしたが、一発殴ってやれば良かったかもしれません。

 ああ、すみません。どうしても、感情的になってしまって。

 そういえば、まだエラリイ氏の死因について、お話していませんでしたね。死因はヒ素で、カップの中のコーヒーと砂糖壺から検出されました。それも、エラリイ氏が自殺だと判断される材料になったそうです。

 ヒ素といいますと、当時は殺鼠剤としてごく普通に使われていました。それをエラリイ氏が持っていた理由について、少々、補足しておいたほうが良いかもしれません。ナナカマドさんは当時、マチネと同じ十二歳……子供だったそうですから、ご存じないかもしれませんから。

 今でも言われていることですが、大きな災害や事故、事件が起こったときにありがちなのが、ウソの情報が流れるということです。地下移住計画が発表された当時もそうでした。

 やれ、一週間以内に地下へ行かなかったものには住居が与えられないかもしれない、だとか、国は地価は安全というが、地下にはもっと危険な物質が漂っている、だとか。そのほとんどは、信ぴょう性がなく、騙された者も少なかったようですが。

 ただ「地下にはネズミが大量に住んでいる」というのは、なぜだか多くの人に受け入れられたようでした。他と比べて、なんとなく納得しやすく、リアリティがあったからでしょうね。かくいう私も、それに騙されてヒ素を買いに走った一人ですから。

 計画が発表されてからの二週間、薬屋やホームセンターでのヒ素の売り上げは、通常の約十倍に跳ね上がったそうです。品薄状態が続いている、とテレビのニュースでやっていましたっけ。みんな、噂を信じて、自分の新居にネズミが出た時のために、ヒ素を買い求めた、というわけです。

 その騒動を危険視したのでしょう、国が「その噂は嘘だ」と各メディアを通して発表したのですが、結局、地下に実際に移住するまでヒ素の売り上げが下がることはありませんでした。

 で、どうやら、エラリイ氏はその騒ぎに乗じる形で、ヒ素を買い求めたようなのです。

 ヒ素は危険な薬品ですからね、購入するときには店で身分を証明して、名前や住所などを所定の用紙に書かなければなりませんでした。いわば、誓約書ですね。私は、これをネズミを殺す以外には使いません、という。

 当然、エラリイ氏も〈誓約書〉を書いて提出していまして、それが、とあるホームセンターから見つかったんです。事件の報道を知って、ホームセンターのほうが警察に名乗り出てきたのだそうです。確かに、うちがエラリイ氏にヒ素を売りました、と。

 それをもって、警察はエラリイ氏は自殺である、と判断しました。死因のヒ素を自分で購入し、違和感のない遺書も見つかっているのだから、妥当な判断だったと思います。そして、当時の警察は、息子たちの遺体については、捜索を断念しました。

 まあ、それもそうでしょうね。遺書には〈どこに遺棄したのか〉までは明記されていませんでしたし、地上での捜索はあまりにも危険すぎました。まだ戦後間もない混乱期で、警察もそこまで手を回す余裕がなかったのでしょう。

 さらにいえば、エラリイ氏の親族も、子どもたちの遺体捜索に対して消極的だったようです。子殺しが親族にいるなんて世間体が悪い、一刻も早く、この事件は世間から忘れられてほしい、というのが本音だったのでしょう。

 彼らの望み通り、事件はあっという間に風化し、都議会の補欠選挙が終わった頃にはエラリイという名の男と彼らの息子たちの事件は、記憶の彼方へ消えてしまったのです。

 でも、ねえ。私は忘れることが出来ませんでした。

 院を終了した私は、当初は中学校で教鞭をとっていましたが、ものの数年で辞めてしまいました。生徒たちを見るたびに、ソワレとマチネの姿が彼らに重なって苦しかったのです。教師をやめた私は、結局、一般企業の営業として定年まで働き続けました。

 でも、それでソワレとマチネのことを忘れられるわけがありません。街中で子どもを見るたび、私は今でもあの子たちのことを思い出すんです。そして、今でも地上に放り出されっぱなしであろう二人を、不憫に思わずにはいられないのです。

 ねえ、ナナカマドさん。どうぞ、後生ですから、ソワレとマチネの遺体を探しに行ってくれませんか……?

 

***

 

 話を聞き終えたナナカマド氏は、ぴん、と人差し指をたてると、

「子どもたちが四時きっかりに立ち上がるのが不思議、と仰いましたけど、そんなに不思議ですか?」

 意外なところに話題を持っていかれ、私は「え?」と首を傾げた。

「ええ、不思議ですよ」

「いや、不思議なんかじゃありませんよ。ちょっと、考えれば分かることだと思うのですがね……。公園に行く日には、決まって晴れていたんでしょう? で、公園の形は円形で真ん中には天使の銅像、と来たら日時計だ、と考えるのが自然では?」

「はあ、あ、ああ」

「天使像は前傾姿勢だったと仰ったでしょう。だとすれば、設計者は初めから日時計を意識していたのだと

「影が何時のタイミングで、どの花の場所にかかるのか、なんて事前に管理人に聞いておけば済む話だしね。そう。事前に知っていたのさ、午後四時になった瞬間、天使の像の影がどこにあるか」

 言われてみれば、簡単なことだった。そうだ。確かにあの公園は、日時計として見ることもできる。あの子たちは、私が家庭教師になる前から、しょっちゅう公園へ遊びに行っていたようだから、午後四時のタイミングで影がどこにあるか、事前に知っていたっておかしくない。

「じゃあ、晴れている時にだけ、公園に行っていたのは、日時計として機能しないと私を驚かせられないから……?」

「うーん、それは少し違いますね。あなたを驚かせていたのは、オマケというか。そもそも、二人は元から日時計を見るのが好きで、何時に影がどの花の上にあるか、すっかり把握してしまってた。で、あなたが『午後四時には帰ろう』と提案した時に、この悪戯を思いついて実行した。じゃないと、時系列的におかしいでしょう? あんたに『午後四時には帰ろう』って提案された後に、管理人に確認なんて難しいですし」

「あ、まあ、そうですね」

 ごもっともである。

 そこで、私は、は、と気づいた。

「じゃあ、地下で同じような公園が造られるよ、と慰めても納得しなかったのは……日時計として、成り立たなくなってしまうから?」

 地下には太陽光が届かない。よって、影が時間によって移動することもなく、日時計も使えなくなる。

「ご名答」とナナカマド氏は頷いた。

「あの父親が13で私が15、とかいうあれは? あの意味も分かっていらっしゃるんですか?」

日時計とくれば、だいたい見当つきませんか? 花言葉です。時計の針ならぬ、銅像の影がかかっている花の花言葉のことを言っていたんです。例えば、16であれば十六時、すなわち午後四時の方向にあるイキシア、つまり〈団結〉といった具合に」

「はあ……」

 まったく、花言葉なんてよく知っていたものだ。それも、管理人から聞いたのだろうか。

「さて、それで肝心のご依頼のことなんですが」

 私は思わず身を乗り出した。そうだ、日時計花言葉は今はどうでも良い。そんなことより、依頼を受けてくれるかどうかが大事なのだ。

「結論から申し上げますと、無理ですね」

「どうして!」

 つい、声を荒げてしまう。

 一方、ナナカマド氏は落ち着き払った口調で続ける。

「その理由を説明するために、まず、エラリイと二人の息子の死について、その真相についてご説明したほうが良いでしょうね」

 まるで、探偵気取りだ、と私は思った。ナナカマド氏はいったい、なにがしたいのだろう。

「そもそも、あなたはエラリイが自殺したことについて、なんら疑問を抱かなかったのですか?」

「え? ええ、まあ」

 私は首肯した。遺書にヒ素の入手経路。警察の捜査の結果、「自殺」となったのだから、疑問を挟む余地はないと思っていたが……。

「自殺するような人間が、ですよ。いくつもの集会に出席する予定をたてますかね?」

「そりゃあ、あるでしょう。つい昨日まで、明日や明後日の予定を立てていた人が、ある日ふっと思いついたように飛び降り自殺、なんてニュースもあるじゃありませんか。昔だって、そういう人はいたものです。悲しいことですが」

「しかし、エラリイの場合、ヒ素をわざわざ購入しています。自殺なら、これは計画的なものと見て良いのでは? 遺書によれば、息子二人は地下に来る前に殺したのでしょう? その時点で、自殺するつもりだったのだ、と捉えるのが普通では? そして、もともと自殺するつもりだった人間が、じゃかぽこと集会に出席する予定なんて入れますか? なかには、息子たちを連れて行く予定もあったではありませんか」

 そう指摘され、私は言葉に詰まってしまう。言われてみれば、そうかもしれない。

「それに、ヒ素が砂糖壺に入っていた、というのも妙だと思われなかったのですか?」

「妙、ですか?」

「妙ですよ。あなた、試しに自分がヒ素を呷って自殺することを想像してみてください。そのとき、わざわざ一度、砂糖壺の砂糖に混ぜてから、それをコーヒーに入れて飲んだりしますか? 少なくとも私なら、直接コーヒーにヒ素を入れますね」

「確かに、そうかもしれませんね」

 確かに、ナナカマド氏の言うことは一理ある。彼は、当時私が気にしていなかった、しかし明らかに不審な点を的確に指摘していた。

 しかし。そうなると……。

「エラリイ氏は自殺ではなかった、ということですか?」

「理解が早くて結構です」

 想像もしていないことだった。

「しかし、しかしですよ。では、誰がエラリイ氏を殺したんです? ソワレとマチネを殺したのも、別にいるんですか?」

「その二つは分けて考えた方が良いでしょう。まず、エラリイ殺しについて。犯人の条件は、エラリイのヒ素をくすねることが出来た人物、砂糖壺にヒ素を入れることが出来た人物、そしてエラリイのノートパソコンを操作出来た人物、ということになります。この条件を揃えた人物。分かりますか?」

「秘書か、家政婦でしょうか?」

 エラリイ氏の身近にいて、それらが可能そうな人物は秘書か家政婦くらいのものではないか。はっきり言って、エラリイ氏の具体的な交友関係を、私は詳しくは知らなかった。

 すると、ナナカマド氏はクツクツと喉を鳴らして、

「まだ、いるじゃありませんか。もっと、適任なのが」

 見れば、可笑しそうに笑っている。ふと、ホームズに推理を勿体ぶられるワトソンの気持ちはこんなだったのだろうか、と私は思った。

「誰です? 私には、秘書か家政婦くらいしか、思いつかないんです」

「簡単です。ソワレとマチネですよ」

 思わぬ名前に、私は言葉を失った。何を言っているのだ、この男は?

「ソワレとマチネは、父親が帰宅するたび、コートと鞄を預かり、書斎へ持って行っていた。その過程を、父親は見ていません。そうだったでしょう?」

「え、ええ」

 コートと鞄を子どもたちに渡すと、エラリイ氏はいつもそのまま、リビングへ直行していた。そして、そこのソファの上でワイン片手にテレビを観るのが習慣となっていた。

「つまり、子どもたちはエラリイ氏の荷物を物色し放題だったわけです。ヒ素を買って来たことも簡単に知れた。パソコンもです。ログインするのに必要なパスワードも、毎日ちょっとずつ、エラリイが選びそうなものを順に入力していけば、いつか正解に行きつく、という寸法です」

 私の脳みそは混乱をきたしていた。話についていけない。ソワレとマチネが、私の知らないところでそんなことを……? あまりにも、突飛すぎる。

「それに、ヒ素も簡単にくすねられた。買って来たヒ素は、当然鞄の中に入っていたでしょうから、パソコン同様、荷物を運ぶ際に、それをちょっとくすねて砂糖壺に入れることも簡単です。エラリイ氏が地下の鼠を殺すために買ったヒ素を、ね。しかも、マチネとソワレは父親がコーヒー好きで、コーヒーを飲む際にだけ、その砂糖壺を使っていたことを知っていた。つまり、そのヒ素入りの砂糖を誤って自分たちが飲む可能性はゼロだと知っていたんです。子どもたちはコーヒー嫌いで、好きな飲み物はコーラ。砂糖を必要としていませんでしたから」

 確かに……確かにそうかもしれない。けど。

「だいたい、ソワレとマチネはエラリイ氏より前に亡くなっているんですよ」

「ですから、その前提がまず間違っているんです。ソワレとマチネは死んでなんかいない。そう考えればのです」

「死んでいない、ですって?」

「ええ。どちらも死体は見つかっていないのですから、そう考えることも可能です」

 確かに死体は見つかっていないが……だからこそ、私はソレイユ社に来たのだから……けど、それでどうして彼らがエラリイ氏を殺したことになるのだろう。

「それじゃあ、ソワレとマチネはどこへ行ったんです? エラリイ氏を殺害して……」

「逃げたんですよ。あなたがたから」

 そう言ってナナカマド氏は、きゅう、と目を三日月のように細めてみせた。その表情はまるで、不思議の国のアリスに出て来るチェシャ猫のようで……なんだか……とても不気味だった。

「ええ、ソワレとマチネは都合の良いように己の信条を変える卑劣な父親が嫌いでした。一番嫌いな大人が彼だった。それに追随する秘書もね。アルビノという理由で、不気味がる家政婦たちも。そして、エラリイの意見に同意したあなたも」

「そんな……エラリイ氏の意見とは、なんです?」

 すると、ナナカマド氏はおどけたように、わざとらしく目をくるんと見開いてみせた。

「おや。あなた自身が話されたじゃありませんか。エラリイ氏が外国人を揶揄したとき、あなたは適当に相槌を打った、と。あなた自身が仰っていたでしょう。あなたにとっては仕方がなく打っていた相槌でも、子どもたちは、それが心からの相槌かもしれないという不安を抱かざるを得なかった。人は人の心のうちまで読み取ることは出来ませんからね」

「そんな……」

 それだけで……? それだけで、あの子たちは私の元を去ったというのか。

「もちろん、それだけではありませんよ」

 まるで、私の心のうちを読み取ったかのようなナナカマド氏の言葉に、私はぎょっとしてしまう。

「ソワレとマチネは、あなたに不信感を抱いていました。あなたの優しさは、自分たちの美しさゆえだろう、とね。そして、エラリイ氏が死ねば、あなたはより積極的に自分たちに関わって自由を奪い取っていくだろう、と」

 ひゅう、ひゅう、と自分の喉が音をたてている。うまく言葉を紡ぐことが出来なかった。

「あ、あなた……さっきから聞いていれば、無責任なことばかり言って……まるで、ソワレとマチネを知っているような口ぶりじゃありませんか。ああ、そうだ。あ、あ、あなたが、エラリイ氏や子どもたちを殺したんじゃないんですか!?」

 そのときのナナカマド氏の表情は、二度と忘れることが出来ないだろう。

 ぐるん、と両目を精いっぱいに見開き、ぷるぷると震えていたかと思うと。

「……あは、あーっはっはは! はは、あはは! ああ、おっかしい! それ、本気で言ってるのかい? ああ、ああ、あはは! うふ、うはは!」

 身を仰け反らせ、ゲラゲラと笑い始めたではないか。目じりには涙まで浮かべている。

 ひい、ひいと肩を震わせながら呼吸を整えると、

「さっきから、ずーっと思っていたけど、鈍感だねえ、先生!」

 ……先生?

「おかしいと思わなかったのかい? 気まぐれに、ヒントなんか出してみたつもりだったけど。どうしてナナカマドの奴、午後四時に影が落ちる方向にあるのがイキシアだって分かったんだろう、とか思わなかったの? エラリイの鞄の中に、愛用のノートパソコンが入っているのを、なぜ知っているんだろう、って。それとも、話したつもりでいた?」

「なんなんです、あなた」

 そう訊ねながらも、頭のどこかでは分かっていた。目の前の男が、誰なのか。

「ああ、まだ分からない? それとも、分からないふりをしているだけ? どちらでも良いか、教えてあげようかな。僕は、マチネ。あなたがお探しの兄弟の、弟の方さ」

 ああ、やっぱり。すっかり齢をとって、声も変わってしまったが、この人を揶揄うような口調だけは変わらない。

「マチネ……いったい、どういうことだい? 説明しておくれ」

「どういうことって? 僕とソワレは生きていた。それだけだよ」

 いともあっさりと言ってくれる。

「それだけじゃ分からないよ。いったい、どうしてあんなことを……それに、逃げたといったって、君たちは当時まだ子どもだっただろう? どこで、何をしていたんだい? それに……それに、ソワレはどこへ行ったんだ?」

「あんまり、矢継ぎ早に質問して欲しくないんだけどね」

 ナナカマド氏もとい、マチネはちょっと困ったように肩を竦めて見せた。

「まあ、いいか。まず、どうして。さっきも言った通り、逃げるためさ。僕らは、僕らだけで安心して幸せになりたかったからね。

父さんを自殺に見せかけて殺して、僕たちの方は父さんに殺されたように見せて逃げてやろう、と。終戦直後の混乱に紛れて逃げようと言ったのはソワレだよ。一番、警察も体制が整っていなくて、真相がバレにくいだろうからって。

 父さんを殺したのは、ま、まず第一には逃げやすくするためだね。僕たちがいなくなれば、父さんは僕たちをいつまでも探し続ける可能性がある。息子ではなく、自分の世間体を心配してね。息子たちが突然、家から出て行ったなんて外聞が悪いだろ?

 あと、まあ、腹が立ったっていうのもある。父さん……ああ、父さんって呼ぶの、癪だな。エラリイ、でいっか。で、エラリイはさ、愛国主義者だったろ? N国こそが世界で一番優れているのであります! って街頭で喚く毎日さ。そして、僕ら……特にソワレを見るたび、お前みたいな奴がいて恥ずかしい、と聞こえよがしに言ってみせるんだ。

 それが、だぜ。敗戦した途端、やっこさん、どうなったと思う? 最初は意気消沈してたけど、まあ、悪い意味で切り替えが早かった。翌日には秘書に『おい、今度の世界平和を祈念する集会に俺も出るぞ』なんて言い出してさ。『愛国主義者はバカ。俺は一度もそんなものになったことはない。人はみな、平等なのだ』とか言っちゃって。その証拠に、私は戦時中、外国人にしか見えない息子にも愛情を注いできました、って主張しだすんだぜ。おかしいだろ。それをもっともらしく見せるために、集会にも連れて行こうとしていたんだから。

 あんなバカ、死なないと治らないね、死んでも治らないかもだけど、とりあえず死んだ方が良いね、ってソワレと話したよ。ま、あの人が愛国主義だろうがなんだろうが、殺してたけど。邪魔だから。

 秘書も秘書で、僕たちの見た目の良さを利用する気満々だったのが分かったから、まあ、邪魔だったね。殺さなかったのは、単純に手間の問題。あんまり多く殺すと、ほら、ばれる確率も高まるだろ。

先生も同じだよ。先生、ずいぶん僕らのこと可愛がってくれたけど、どうして?」

「ど、どうしてって……きみたちが、可愛くて、良い子だったから……」

「可愛いって、見た目?」

 私は、う、と言葉に詰まった。確かに、そうかもしれない。彼らの美しさに心惹かれていなかった、といえば嘘になるだろう。けど、それの何が悪い? 美しいものに心惹かれるのは、むしろ当然のことじゃないか。

「ねえ、先生」

 マチネはぐい、と顔を寄せてきた。そのしぐさは、子どもの頃そのままだ。

「僕たちが美しくなくても、先生は同じように僕らを可愛がったかい?」

「もちろんだとも」

 私の言葉は、どこか白々しく響いた。……なぜ?

 マチネはすぐに身を引き、ソファに深く座り直した。

「で、どこで何をしていたか、だっけ? ま、そこは先生の言う通り、僕ら、子どもだったからね、自分たちだけじゃ生きていけない。ということで、ドイルさんに養子にしてもらうことにした」

「ドイル?」

「公園の管理人さ。先生も何度か、会ったことがあるだろう?」

 陰気な顔が脳裏に浮かぶ。あの外国人か。

「あの人に養子に……ただしくは、あの人の実の子だと偽って申請してもらってね。戦後の混乱期だったし、簡単なことだったよ。そうして、名前と国籍を変えて生きてきた。幸い、彼、財産はそれなりに持っていたようだったから、僕らも食べるには困らなかったよ。彼、ずっと独身で家族を欲しがっていたから、僕たちが事情を話して養子にして欲しいというと、二つ返事で了承してくれた。

 あの人もだいぶ前に亡くなったけど。良い人だったよ。僕らのこと、綺麗とか、不気味とか言わずに、ただの子どもとして扱ってくれたし」

 そのとき、コツ、コツと応接室のドアが叩かれた。

 こちらが何か言う間もなく、扉が開かれ一人の男が入って来る。

 その人物を見て、私は危うく卒倒しそうになった。

 白髪にありえないほど白い肌。齢のころは六十前後。そして、マチネと瓜二つの顔だち……。

 彼は私の顔を見ると、クク、と喉を鳴らした。

「やあ、先生。ずいぶん、おじいさんになりましたね」

「ソワレ? ソワレか?」

「ええ。今は、イエロウという名で社長をしていますがね」

「ちなみに、僕らの名前、あの公園にあった花からとってるんだぜ。なあ?」

 マチネに言われ、ソワレは首肯した。

「マチネのナナカマドは、そのままナナカマドから。私のイエロウはイエローサルタンから。ナナカマドの花言葉は〈賢明〉、イエローサルタンの花言葉は〈強い意思〉。素敵でしょう」

 すると、思い出したようにマチネは両手をぱん、と合わせた。

「そうだ。そういえば、花言葉、先生に教えてあげてなかったな」

「何の話だ?」

 怪訝そうに眉間に皺を寄せるソワレ。

「先生さ、覚えてたんだよ。僕らが、先生のこと〈15〉って言ってたの」

「ああ、そうだ。なんだったんだ? 十五時の方向になにがあったか、なんて、覚えていないんだよ」

「そこまで喋ったのか」

 ソワレはふむ、と鼻を鳴らした。それから彼は、ちょうど猫が主人の膝の上に乗り込む要領で、私の隣に腰をおろした。

「ねえ、先生。まさか、僕たちが先生のことを〈15〉と言っていたこと、覚えてらっしゃったなんてね。他には、なにがあったか、覚えてらっしゃいます?」

 薄い色素の瞳に見つめられ、年甲斐もなくドキリとしてしまう。

「え、ええと。確か、お父さん……エラリイ氏が〈13〉で、きみたち二人が〈16〉だたかな」

 ぱちぱち、とマチネが拍手をする。心からの称賛でないのは明らかだった。

「ご名答。ついでに、エラリイには〈14〉のおまけつきさ」

「十六時の方向にあったのは、イキシアでした。花言葉は〈団結、誇り高い〉。ね、私たちにぴったりでしょう?」

「十三時の方向にあったのはキンレンカ花言葉は〈愛国心〉。ま、エラリイの場合、そこに十四時の方向にあったハナニラが足されるわけだけど」

花言葉は〈卑劣〉」

 二人は顔を見合わせ、く、く、くと喉を鳴らして笑った。その様子は五十年前から、なにも変わっておらず、ああ、やはり、この子たちは愛らしい。愛でるべき子どもたちだったのだ、と思う。

「そして、十五時の方向にあったのが、オダマキ花言葉は〈愚者〉」

「ぐ……?」

「愚かな人、という意味です」

 なにも、愛情とか、大切な人とか、そんなものを期待していたわけではない。しかし、愚者……愚か者とは。愛らしい飼い猫に、突然手を引っ掻かれたら、こんな気持ちになるだろうか。

「どうして……」

「そういうところですよ。あなたは結局、何も分かっていなかった。私たちのことも、結局、見た目しか気にしていなかった。それでいて、自分は私たちの味方だと正義ぶって、しかも、自分は賢いと、私やマチネより上の立場にいると思い込んでいた。そういうところです」

 

***

 

 しばらくの間、私は呆けたように黙っていた。焦点を定めるのも難しく、目が、ソワレとマチネの間を行ったり来たりしていた。

「ねえ、あと、ひとつだけ、良いかい」

 私の目は、どちらの顔も見ていなかったように思う。半ば、無意識のうちに口を動かしていた。

「きみたちは、私から逃げたんだろう?」

「ええ」

 ソワレの声。「仰る通り」

「じゃあ、どうして私の依頼を受けたんだ……? いや、予約の時点では、私だと分からなかったかもしれない。けど、マチネ。私の話を聞いて、私だと……あの家庭教師のヴァンだと、分かったんじゃないのかい?」

「分かったよ」

と、今度はマチネの声。「写真まで持参されちゃあね」

「じゃあ、こうやって正体をバラしたりせずに、適当に誤魔化して帰らせれば良かったじゃないか。それをこうして……ソワレまで、出て来て……どういうつもりだい」

「ああ、それは」

 ソワレはきゅう、と目を細め、口角を持ち上げた。その表情は、マチネとそっくりだ。チェシャ猫が、二匹。

「あなたの中のソワレとマチネを殺すため、さ」

 私を見るソワレの視線は、まるで槍のようで。ずっと見続けていると、目玉を抉られてしまいそうだった。

「美しくて、愛らしく、無条件に慕ってくる子どもたち。それが、あなたの中の、ソワレとマチネ(子どもたち)だ。でも、それはソワレとマチネ(私たち)じゃない。私は、それが気に入らなかった。良いかい。私たちは人形じゃないんだ。あなたの中で勝手に、あなたにとって都合の良い人形のようなソワレとマチネ(私たち)を生かし続けて欲しくなかった」

 ちろり、とソワレは赤い舌の先で唇を湿らせる。赤い舌と、白すぎる肌のコントラストが美しかった。

「だから、ね?」

 そう。彼は……ソワレとマチネは年老いてもなお、美しかった。背が伸び、声が変わり、顔には皺が刻まれても……底意地の悪さを前面に押し出していても、なお、彼らの美しさは、私の心を惹きつけ、放さなかった。

 二組の目が、私を見ている。黒い瞳が一組、薄い灰色の瞳が一組。その中で、光の玉が、ゆらりゆらりと怪しく揺れている。

 ああ、この子たちは美しい。

 そして。

 同時に。

「あなたの中のソワレとマチネ(幻想)を、殺してやろうと思ったのさ」

 ――不気味だ。

 

 

死にたいと生きていたくないは一緒なのか、違うのか

朝起きたとき、ぼうっとしているとき、本を読んでいるとき、食事をしているとき、ゲームをしているとき……ふっと、胸のあたりが重くなる。心臓のあたりに穴があいたような気持になる。

「重い」のに「穴があいたよう」とは変な気もするが、実際、両方感じているのだから仕方がない。

この妙な感覚が何か、ずっと私には分からず、ただ不安で気持ちが悪くてたまらなかった。

でも、最近、その感覚が何かようやく分かった。

「死にたい」

たった一言、頭に思い浮かんだ瞬間、私はある意味すっきりした。ちっとも気持ちは晴れなかったけれど、「死にたい」という言葉は私のその妙な感覚にしっくりとくるものだった。

そうだ。私は死にたいのだ。

より正確に言うならば「生きていたくない」のだ。

もっともっと正確に言うならば「苦しみながら生きていたくない」。

身勝手だと人は思うだろうが、私だって何も無条件に「死にたい」わけでも「生きていたくないわけでもない」。あくまで、今の人生が余りにも苦しいものだから、こんな苦しみをあと何十年も感じて居なければならないのであれば、「死にたい」し「生きていたくない」のである。

私だってもし、話を否定せずに、またつまらなさそうにせずに話を聞いてくれる友人がいて、私を心底大切だと思ってくれている人がいて、就きたい職業について大成できるのであれば生きていたい。そりゃあ、大喜びして生きるさ。

もしかしたら、遠い未来、今の反吐が出るほどの苦しい日々を乗り越えれば、自分が望む人生が1秒くらいは体験できるかもしれない。けど、それじゃいやなのだ。とにもかくにも、今の苦しみから逃れたい。そして、今の苦しみはあと数日、数週間で消えてくれるようなものじゃない。下手をすればあと何十年、死ぬまで抱え続けなければならないかもしれないし、さらに、その苦しみはぐんぐんと成長し、今以上の勢いで私を攻撃してくるかもしれない。

未来が良くなる保障なんてない。未来がこれ以上悪くなるとも限らないが、とにかく今は最悪で、この「今」から抜け出す方法が私は「生きるのをやめる」以外に思いつかないのだ。

ああ、ばからしい。

リハビリの前の準備運動的な

1日に何文字打てるか試した結果、私は1日に1万1000字ほど打てるらしい。

少なくとも、今回はそんな感じ。

内容のクオリティは無視、とにかく、打って打って打ちまくれ、だったので、中身は破綻しているが。

まあ、とりあえず、文字がうてて満足した。

消えた駄菓子の謎.pdf - Google ドライブ

よし、記録に残しておこう。良いフォントを見つけて、それで楽しかったのもある。スピードをあげていこう。

いやけがさしてきた

人生に嫌気がさしてきた。

「研究」が楽しみで、ワクワクしながら入った大学院。

自分がやりたいテーマは、指導教員に片っ端から否定され、押し付けられたテーマで修士論文を書くことになった。

他の教授から褒められても、指導教員に気に入られなければ、意味がないんだ。

ばかみたいだ、と思った。

やりたくもない、興味もないテーマ。

簡単に着地で来てしまいそうな、ただ、調査は自分の肌に会っていない分、ストレスでしかないような、そんなテーマ。

教授は私を修了させることしか関心がない。

中退されたり、留年されたら迷惑だから、駄作でいいからとっとと正規のルートで出て行け、とそういうわけだ。研究なんてさせてもらえない。

お仕着せのテーマを唯々諾々と、こなすしか、私のような無能な人間には選択肢はない。

なんのために大学院に来たのか、分からなくなってしまった。見下されるために来たわけじゃないのに。

楽しくない。ただひたすら、しんどい。楽になりたい。

中退してしまいたいけど、それは親に申し訳ない。

だから、この納得いかないテーマでやるしかない。

しかも、就職先も決まらない。

きっと教授の目には、修士論文も就活もマトモにできないバカとしてうつっているんだろう。

ああ、なにもかもいやになってしまった。

つまらないつまらないつまらない!

映画鑑賞記録2018

2018年も半分が終わったのに、まだ3本しか映画を観ていない。しかもそのラインナップが、文豪ストレイドッグス名探偵コナンピーターラビットというなかなかにアレな布陣。

まぁ、もうすぐ「万引き家族」が公開されるからそれは観に行きたいし、あと「恋は雨上がりのように」も観に行かねば。

その2つを観てからでも良かったのだが、マァ、忘れてしまいそうなので、現時点で観た3本について記録をつけておく。

※ネタバレがあります。映画のタイトルなどで引っかかったなどで、当ブログにお越しくださった方もいらっしゃるかもしれませんが、観ていない場合はご注意を。

 

文豪ストレイドッグス DEAD APPLE:2018年最初に観た映画。まず文豪ストレイドッグスファンとしては、なかなかに素晴らしい内容で2回観てしまった。

文豪の名を冠したキャラクターたちが、各々、その文豪の代表作の名をつけられた「異能力」(太宰治であれば「人間失格」という能力を使う)を駆使し、熱いバトルを繰り広げる「文豪ストレイドッグス」。今回が初の劇場版というわけだが、とても面白かった。

特に芥川が己の異能と戦うシーンが好きだったりする。すっごい中二くさくて、最高に良い。強い奴と戦いたいと思っていたが、こんなに近くにいたとはな(自分の異能のこと)みたいなことを言っていて、最高に良い。渋澤が「自分の異能に勝てる者なんていません」的なことを豪語するのだが、そのセリフが出た直後に芥川は自分の異能に勝利する。そのあと、敦、鏡花も自分の異能力に勝利、中也にいたっては自分の異能と戦うシーンもなく、あっさりと異能を取り戻している。良いのか、それで、と思わないでもないが。ま、良いでしょ。

本作で面白いのが、中島敦のスタンスの変化かもしれない。

「渋澤を殺さなくても良い。太宰さんが戻ってくれば、なんとかしてくれる」

という、10代の少年らしいといえば少年らしい。この中島敦というキャラクターは、かなり「子ども」らしく描かれている存在だと思う(作者の方々がどれくらいの意図をもってされていることなのか、分からないのだが)。彼は、少なくとも本作の途中まではかなり「子ども」らしく描かれている。

例えば、渋澤の排除を求められたあとの彼は、よーし、ぶっ殺すぞ、と意気揚々とはしておらず。どこか、及び腰なところがある。

「渋澤を殺さなくたって良い。太宰が帰ってきてくれれば、なんとかしてくれる」

というのが彼の当初の考えだった。これって、すごく子供らしい、と思う。と同時に、敦と太宰の関係が如実に現れている。10代である敦にとって、太宰は絶対的な「大人」なのだ。太宰は「絶対に自分の味方」だし「どんな窮地をも絶対に救ってくれる」存在。それは恐らく、シリーズを通して確実に変わらないものだろう。

また、芥川に対する態度もまた「子ども」らしい。芥川は「問題解決にあたって、太宰を殺すことも厭わない」という考えを持つ。それに真っ向から対立する、敦は「お前とはいっしょに行けない」と拒絶する。これもまた、「自分とちょっとでも相いれない相手とは、行動したくない」「利害ではなく好き嫌いで行動を決める」すごく、子供っぽい態度だと思う。それに対し、鏡花は利害関係を重視して、芥川と行動を共にする。対照的だ。

で、この中島敦の変化について。……書けたら良かったのだが、あまり固まっていない。ううん、これ、どう説明すればいいんだろう。いや、少年が生きるために力を振り絞ったのは分かる。分かるのだが、うう。難しい。

どちらかといえば、戦闘シーンのかっこよさを重視した作品のようにも感じる。

もうすこし、まとまったら、追記したい。

 

名探偵コナン 0の執行人:今年1番モヤモヤした作品、というと、怒られてしまうだろうか。しかし、実際モヤモヤしたのだから、仕方がない。まず第一に、あまりにも「公安」を美化しすぎているように感じる。一応、降谷が「公安がやった違法捜査は公安がツケを払う」的なことは言っていたし、それなりに動いていたとは思うが。いや、ダメだろう。特に今の日本で、国家権力を美化するのはあまりにも危険だ。

公安が違法な手段に出ておきながら、降谷にはこれといった罰はない。それどころか、彼は後半などは完全に正義として描かれているように感じた。それはひとえに彼が本作の主要キャラクターであり、人気キャラクターだからではないか、と思う。だから、彼が違法な手段に出ても「仕方がないよね」という理由づけをして、いかにも良い話で終わらせようとする。「公安、かっこいい!」と印象付ける。

結果的に、国家権力のまずい描き方事例として終わった気がする。

 

ピーターラビット:面白かった。最高に面白かった。マグレガー翁が早々に殺されてしまい、その後、特にこれといってフォローもなかったのがしんどかったが、まぁ、ピーター側とマグレガー青年の両方、かなり厚みを持たせて描いているので、これ以上、他の人物についても膨らませろ、というのは酷か。

しかし、マグレガー翁は気の毒だ。畑はウサギに荒らされ(しかも、明らかに「スリリングだから」という理由でやられている)、奥さんには(恐らく)先立たれ、最終的には心臓の発作で逝去。相続権を持つ親戚(マグレガー青年)には「知らない」と言われる始末。最後の最後まで、嫌な奴で終わっている。もう少し、救いが欲しかった気もする。

あと、もう1つ、不満があるとすれば、アレルギーをあんな風に安直に攻撃手段には選んでほしくなかった。アレルギーは一歩間違えば死ぬもので、シャレにならない。シャレにならない割に、結構実行しやすい手段なので、描く際には気をつけるべきではないのか。

さて、しかし、ピーターには前2作にはない点がある。

主人公が大切なものを失い、反省を促されるという点だ。

ピーターたちはマグレガー青年の排除に躍起になるあまり、勢い余ってなんと自分たちの住処を爆破してしまう。そして、その勢いで大好きな女性の家をも潰してしまう。

女性は怒り狂い、ウサギが爆弾のスイッチを押せるとは思っていないので当然、(消去法で)マグレガー青年の仕業だと思う。まあ、半分はそうだが。爆弾を買って、ピーターたちの家に突っ込んだのは彼だし。そして、マグレガー青年に怒り、ピーターたちに謝罪する。私があんな男を好きになったばっかりに、と。

展開としては、ピーターが待ち望んでいたものだ。すなわち、それまで自分たちに注がれていた愛情を横取りした男を排除し、女性の愛情を取り戻す、という。

しかし、ピーターの顔色は優れない。それはそうだろう。彼女の家を潰したのは、ほかならぬ自分なのだから。自分がスイッチを押してしまったからこそ、彼女の家は潰れてしまったのだから。

彼は落ちこみ、反省する。

そして、ロンドンへと飛び出し、マグレガー青年のあとを追うのだ。マグレガー青年に謝罪し、彼らは大慌てで女性の元へ向かう。そして、真実を彼女に知らせ、最後はめでたしめでたし。

主人公であるピーターラビットに、一度すべてを失わせる、というのがこの映画のおおきなところだろう。

それまで、ピーターたちはマグレガー青年を「絶対的悪」と想定し、戦って来た。自分たちが勝てば、自動的に幸福は訪れると信じて。マグレガー翁がいなくなった直後のように、自由を謳歌し、愛情を受け続けられると信じて。

ところがどうだ。

実際にはマグレガー青年の排除は成功したが、それ以上に大きなものを喪失してしまった。家はなくなり、愛情を注いでくれていた人も去ろうとしている。

そこで彼らは自分たちの過失を認め、マグレガー青年に謝罪する。「絶対的悪」の存在だった青年が、味方となる。文章で書くとやや陳腐だが、本作ではその流れが見事に描かれているので、ぜひ、映画館で観ていただきたい。

「主人公=正義」という描き方をしなかったというだけで、本作は私の中で高評価だ。「主人公=正義」をしない、というのは案外難しいことだろうから。

 

もうちょっと書きたかったが、眠たいのでここらへんで。「主人公=正義」の危うさなどについても、気が向いたら書いていこうと思う。

「桜のある家」

小説家になる夢をあきらめきれず、最近もまだ、未練たらしく公募に出してみたりなんかしている。

のだが、まぁ、1次通過すらしたことがない。下手くそなのは分かっているが、こうも現実を突きつけられてばかりだと、なんというか、拗ねたくもなる。

拗ねるついでに、ダメだった作品を掲載する。

 

桜のある家

 

 改札を抜けると目の前に坂がある。幅広の、勾配の急な坂をしばらく上ると、一本の桜の木が見えてくる。その木のある家こそ、私の目的地に他ならなかった。

 庭先に植えられた一本の桜の木は、まだ蕾は固く花びらを散らすまでには、まだいくらか日にちがかかりそうだった。その蕾を見上げ、私は今日こそ上手くやらねば、と思う。もはや、新人だからなどという言い訳は通用しないのだ。

 枝の下をくぐり、私は玄関先に立つ。日本家屋の引き戸を二、三度叩き、「ごめんください」と声をかけると、ぱたぱたと誰かがかけてくる音が聞こえた。

「はいな」

 扉を開けてくれたのは、ひとりの少女であった。彼女はこの家の小間使いである。十四、五歳といったところであろうか。

「奥様に診察を頼まれた医者ですがね。奥様、いらっしゃるでしょうね? 今日のこの時間にご予約いただいているはずですから」

 私がいうと少女は「はあ、はい」と頷いた。

「今日はせんせがいらっしゃると、奥様、いってらしましたなあ。さあ、あがっておくんなまし。お部屋に案内するよう、いいつかってます」

 少女はくるんと踵を返すと、ぱたぱたと廊下を歩き始めた。私も靴を脱ぎ、それに続く。中庭を横目に回廊を抜け、二、三度まがったところで少女は立ち止まった。桜色の襖の前であった。

「奥様、せんせがおいでですよ。そいじゃあ、私はこれで」

 それだけいうと少女は私が礼をいう間もなく、姿を消していた。

「どうぞ」

 襖の向こうから、小さな声。儚げなその声は、しかし風鈴の音のように私の耳奥に響いた。

 では失礼と声をかけ、襖を開ける。十畳ほどの和室には家具らしい家具はなく、ただ部屋の中央に布団が一枚、敷かれていた。〈奥様〉は布団の上で半身を起こし、顔をこちらに向けていた。腰から下は掛け布団に隠れている。

 肌は青白く、目は落ちくぼんでいたが、それでも彼女が美人であることに相違なかった。黒髪を無造作に後ろでひとまとめにしている。そのせいでか首がより一層細く見えた。以前会ったときより、痩せた気がする。

 私はふっと、視線を彼女から窓の外へと移した。この部屋唯一の窓は、私が今立っているところのちょうど正面にあるものだから、ついそちらに目が吸い寄せられてしまったのだ。猫間障子の向こうには桜の木が見えていた。つい先ほど目にした、玄関先の桜である。ずいぶん奥へ来たと思ったのに、いったいこの家はどんな構造をしているのだろう?

「先生、どうもすみません……こんな恰好で……」

 囁くように彼女はいう。いいえ、お気になさらず、といいながら私は彼女のそばに腰をおろした。

「お加減はいかがです?」

「はあ……そのう、私、身体が弱いんですの。幼いころから。それで今でもいろんな先生にみていただいているのですけど、最近、心のほうまで調子が悪うございまして。はてどうしたものでしょうと思っておりましたら、先生の……貴方のことを耳にしまして、それでお願いした次第ですのよ」

 彼女は前に会ったことなど、すっかり忘れてしまっているようだった。いや、違う、彼女にとってはこれが初診なのか……私は未熟者なので、そこのところは未だによくわからない。しかし、そんなことはたいして重要なことではなかろう。

「心のほうまで調子が悪い、とおっしゃいますと、なにかよくないことでもおありなのですか? 不安なこととか……」

「はあ……そのう……」

 彼女は躊躇うように目を伏せた。長い睫毛が目元に陰鬱な影を落とす。

 十秒以上経ってから、彼女はようやく言葉を続けた。

「夢を、みるんですの」

「夢、といいますと、あの眠る間にみる、夢、ですか」

 将来の夢の話をするために、精神科医を呼ぶ人はなかなかいないだろうが、つい、確かめてしまう。いいや、これも重要なことだ。

 彼女は「ええ」と、首を少し前に曲げた。

「夢を毎日、みるのです。それも同じ夢を、どうやらみているようなのです」

「どうやら、ですか? 確信は持てない、ということでしょうか」

「ええ……いえ、同じ夢ではあるのです。けれど、はっきりとは覚えていないのです。何度もみているというのに、目が覚めるとその中身を殆ど忘れてしまっているのです」

「……はあ。なるほど。でも、同じ夢だと思われるということは、少しは覚えていらっしゃるんでしょうね?」

「はい、まあ……なんとなく、ですが」

「どのような夢だか、お教え願えませんか」

「……不気味な夢、ですの」

 彼女は朧げな記憶の断片を、少しずつ壊さないよう拾い上げるように、ぽつりぽつりと話し始めた。

「場所はこの寝室で……私は布団の上に座っておりました。ちょうど、今のように。……それから、部屋には人がおりました。顏は……覚えておりません……知らない女の人です。どんな人だったか思い出せないのですが、女性であったことはわかるのです。……ああ、それから、そこの窓から見える、桜が満開でした……今はまだ蕾ですね」

「それだけ、ですか?」

「いいえ」

 彼女はゆるゆると頭を左右に振った。やや躊躇った後、彼女はこう言葉を続けた。

「私は、その女性を殺すのです」

 無意識のうちに、私は生唾を飲み込んだ。ああ。いよいよ、話の核心だ。

「なぜ……?」

「覚えていません……だって、その人のことも覚えていないのです……ただ、この部屋で知らない女性を殺す夢を、繰り返しみるのです。何度も、何度も……私、もう、疲れてしまって……」

 彼女は苦しそうに両手で顔を覆った。

「それはお辛いでしょうね」

 そして、私の視線はつい、と猫間障子のほうへ吸い寄せられた。それは、自分の意識とは無関係の、見えざる力によるもののように思われた。気づけば私はそちらを見ていたのだ。

 そして。

 障子の向こうに見える桜の木は。

 いつの間にか、満開になっていた。

 白い花びらがひらりひらりと、ガラスを通り抜けて部屋の中へ舞い込んでくる。

「あ」

 また、やってしまった――。

 後悔するだけの余裕もなかった。

 それまで苦しそうに身体を丸めていた奥様が、急にむくりと立ち上がる。その右手には、この空間にはまるで似つかわしくない大振りの包丁が握られていた。

 振り上げられる右手。刃の先端が私を狙い定めている。

 私は、無抵抗であった。

 刃は、私の胸元に振り下ろされ、深々と突き刺さった――。

 声が出ない。

 視界が真っ暗になる。意識が急速に薄れていく。

 まだ、まだなのに……。

 また、失敗してしまった……。

 私はようやく湧いてきた後悔の念を噛み締めながら、意識を、失って、……いった……――

 

***

 

 は、と目が覚めると、私は自分の寝室にいた。

 窓から朝日が差し込んでいる。人はこれを爽やかな朝、と表現するのだろう。

 しかし私の目覚め心地は最悪だった。これでもう何度目だろうか。

 上半身を起こす。身体には、なんの異状も見当たらなかった。寝巻を脱いで確かめても、姿見に裸をうつしてみても、一ミリの傷も見当たらない。しかし、私の気持ちが晴れることはなかった。

 私は精神科医である。人からは「女医センセイ」などと呼ばれたりもする。女の医者は珍しいからこそ、だろう。

 国から医者と認められて五年。女というだけで不利益を被る、ということもないわけではなかったが、ひとりの精神科医としてそれなりに実績を積んできたつもりだった。

 私は特に患者の〈夢〉からその人の精神状態を推しはかり、治療につなげることを得意としていた。学生時代にフロイトユングを好んで学び、夢分析をテーマに論文も書いたのだから、当然のことかもしれない。私は兎角、夢というものを重視してきた。すべての〈夢〉には原因があり、理由がある。そして、それは必ず現実に繋がっている、というのが私の持論だ。

 それは、私自身についてもいえることだ。

 私はもう、十数回は夢の中で寝起きしている。夢が終わり、目が覚めれば、本来、そこは現実であるはずなのだが、どういうことだか私の場合、もう十数回も目覚めているのに、夢の中のままなのである。

 目を覚ます。名も分からぬ〈奥様〉のもとへ診察に赴く。名も知らなければ、そこへの行き方だって知らないはずなのに、私の足は確実にあの日本家屋にたどりつくことができる。

〈奥様〉の診察をする。話を聞く。聞いているうちに、蕾だったはずの桜が満開になっている。その花を見たが最後、私は〈奥様〉に殺される。殺された私は三途の川を渡ることなく、自室で目を覚まし――余談だが、どうしてだか現実の私の寝室と〈夢〉の中の私の寝室は、ずいぶん違ったものだった。だから、目が覚めた瞬間、現実か夢か判断できるのだが――……〈奥様〉のもとへ行く。

 これの繰り返しである。もう何度、殺されたことか。もうすっかり殺され慣れてしまった。ついでに〈奥様〉の話を初めてのふりをして聞くのも。というよりも、そろそろ飽きてきてしまった。殺されるのに飽きたというのも、おかしな話だ。

 それでも私が殺され続けるのは――〈奥様〉のもとへ通い続けるのは、やはり私が精神科医だからだろう。

 精神科医である以上、そして夢分析を得意としている以上、私は自分の夢を分析せねばならない。

 なぜ、私は殺されなければならないのか、あの〈奥様〉はいったい何者なのか、それを分析しないかぎり、私は現実へ戻ることはできないと思う。

 さあ、あの〈奥様〉のところへ行こう。

 今度こそ、分析せねばなるまい。

 今度こそ、簡単に殺されないようにしなければ。

 今度こそ、上手くやるのだ。

 私は決意新たに、着替えをすまし部屋を出た。あの、桜の木のある家を目指して。

 

――夢を、みるんですの……――

 

そろそろ、1次くらい通過してみたいものだ。

今日、おみくじをひいたら、「願望 祈る心を忘れなければやがて叶います」と出た。やがてっていつだろう。今年中じゃないといろいろ困るんだけど……まぁ、今年中に結果が出なければ小説はスッパリ辞めるのも手だろう。環境もガラッと変わるだろうし、大学を出て行かねばならないので、これまで通り小説は書けまい。

やがて、がいつなのかは知らないが、近々であることを祈りつつ、明日の発表を待とう。望み薄なのは分かっているが、神様にお願いしてきた。どうなるだろう。あぁ……。

過去も未来も

誰が言い出したのかはわからないけど、誰でも知っている、誰もが口にしていそうな、どこにでも溢れている陳腐な文言の一つに、

「自分の人生はどこで間違ってしまったのだろう」

みたいなのがある気がする。要は、自分の人生は昔は楽しかったはずなのに、いつごろからこんなにつまらないものになってしまったのか、ということだ。

私もふと、そんなことを考え、そして気づいた。

私の人生は、物心ついたころには既につまらなかった。

幼稚園の頃から、運動は苦手で遊びではいつも足手まとい。頭の回転も遅いものだから、ほかの園児のやっていること、いっていることも理解できず、余計にバカにされる。私が運動場に出て行っては、邪魔になると遠慮して室内にいると、今度は先生に外に出るよう促される。居場所がなかった。

それは、家に帰ってからも、似たようなものだ。左利きだった私は、それだけで怒られた。左手を使うな、見苦しい、右手で字をかけ、箸を持て。ひらがなの特訓もした。怒られたことだけは、よく覚えている。縄跳びの特訓も、鉄棒の特訓も、なにもかも上手くいかなかった。

そのころはまだ、明確に死にたいとか、消えたいとか、あるいは周囲に対する憎しみとか諦めのようなものはなかった、と思う。ただ、なんとなく怖いとか、しんどい、という気持ちはあった。……そうだ、あの頃はまだ「怖い」が一番大きかった。

同い年の子どもも、先生も親も、皆怖かった。

グズな私は、小学生になってもグズだった。

友だちができなくて、母に怒られた。運動が出来なくて、疎まれた。性格が暗くて、影が薄くて、いてもいなくても同じだった。バカだったから、よく忘れ物やなくしものをし、母に怒られた。机の上が汚い、ランドセルの中が汚い、と夜、布団の中に入ったあと、叩き起こされることもあった。(眠るのだから、当然のことだが)、目をつむっていると「狸寝入り、してんじゃねえ」と蹴り起こされた。この頃も、やっぱり怖かった。

周囲への感情が「憎しみ」になったのは、中学生の頃からだろう。バカにされた。学校でも塾でも。自殺した方が良いんじゃないかとも思ったが、自殺をしてしまえば、私をバカにしていた人間は余計に喜ぶだろうと思ったら、死んでも死にきれず、憎しみを糧に生きているようなものだった。いや、はやみね作品を読む、などの楽しみもあったといえばあったが、対人関係に関しては、「憎しみ」がメインだった。

腹が立つ。しんどいので、細かくは書かない。

結局、自分の人生ってはいつくばって、バカにされてばかりなのだ。大切になんて、されないんだ。

幼い子供が、大人にちやほやされているのを見ると、どうにも嫌な気持ちになる。どうして、あの子は、と思ってしまう。大人げないのは判っているが、「どうして」と言っているのは大人の私じゃなくて、私の中で消えきれずにいる、幼い頃の自分なんだと思う。

幼い自分は、もっと周りに優しくしてもらいたいと願っているけど、現実の私はもう大人なので、誰も優しくしてくれない。

諦めなくちゃならない。

誰にも期待しちゃいけない。

ゲームでもしよう。ゲームは良い。「私(プレイヤー/主人公)」に、大勢のキャラが優しい言葉をかけてくれるから。

クリスマスイベで忙しい。

クリスマスもなにも関係なく寂しい私には、ありがたいことだ。