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少年・少女(プロローグ・第1章)

現在進行形で書いている小説。

もっときれいにまとまると思っていたのに、なんだかダラダラ続いている。

発表するアテもないので、ここにちょっとずつ出していく。

 

少年・少女

 

「ねえ」

 お嬢さんが、

 グレーの瞳が、迫って来る。

 ああ。

 この瞳は、あのときの。

 問いかけたいのに声がでない。はあ、ふうと息が漏れるばかりである。

 この瞳は、あのときの。

 ああ。

 グレーの瞳が、すぐそこに。

 お嬢さんが、

 お嬢さんが、生き返った――

 

   1

 その事件が起こったのは、十二歳になる直前の春の日のことだった。今からもう五十年近く前の一九七十年の三月。京の底冷えとはいったものだが、三月になっても京都の街にはキンと冷えた空気が滞っていた。

 私はそのころ、京都市左京区の岩倉という地に、両親と共に三人で住んでいた。実家は父の曾祖父から続く呉服屋で、今思えばそれなりに良い暮らしをしていたように思う。

 しかし、子どもの頃の私は、実家での暮らしに息苦しさのようなものを覚えていた。将来、必要になるからと両親は学校が終わってからも私に勉強をさせようとした。珠算や書道なんかも母から仕込まれた。当時はどうしてこんなことをせねばならないのか分からなかったが、将来の跡取りとして必要な能力を身につけるためのことだったのだろう。

 当時の私は、いわば〈悪ガキ〉であった。両親の目を盗んでは、山の中を駆け巡って遊んだ。服も顔も泥だらけになって帰宅しては、こっぴどく怒られたものだ。呉服屋だけあって母はいつも、いかにも高価そうな服を私に着せたがったが、私はそれよりも動きやすさを重視した半袖シャツと半ズボンを好んで着ていた。髪も優等生ぶった髪型は気に入らず、自分の手で勝手に切っていたから、傍目から見ればずいぶん変な子に映ったに違いない。

 両親は私の〈悪ガキ〉ぶりに手を焼いていたようで、父などは「そんなことばかりしとると、いつか罰が当たるで!」と怒鳴ることも多々あった。

そのたび私が「罰なんか当たらへん。俺、なンも悪いことしとらんし」と嘯くものだから、父は余計に怒り狂って時に私をぶったりもした。それでも反省しようとしなかったのだから、私も相当図太かったとしかいいようがない。のちに母から、この子はうちの子ではないのではないか、病院でよその子を間違って持って帰ってきてしまったのではないか、と真剣に悩んだものだ、と聞かされたときは苦笑せざるをえなかったが、それほどに酷かったということだろう。

そんな〈悪ガキ〉だった私だが、中学校に入るころにはそれは立派な〈優等生〉へと変貌を遂げていた。

その契機となったのが、十一歳の春に遭遇したあの事件である。

正確な日付は覚えていないが、三月の中ごろのことだったように思う。私は家の自室で一人、そろばんの珠を弾いていた。母から出された課題で今日中に終わらなければ夕飯は抜き、と宣告されていたため、しぶしぶ勉強机に向かっていたのである。

問題数は全部で百問。すべて和算ばかりだったので、難しいわけではなかったのだが、それでも五十問もすぎると嫌気がさしてきた。

時計を見ると午後二時をまわっていた。表の方から両親の話声が聞こえる。二人で店先に立っているようだった。そっと耳を澄ましてみると、どうやら常連客と談笑しているらしい。今日はいつも以上に多く客が来ていて、両親は朝から忙しそうだった。

閉店まで両親は店先から戻ってこないだろう。よほど暇でないかぎり、昼休憩をのぞけば、開店時間中に両親が店先を離れることは殆どなかった。

ようし、ちょっと遊びに行くか。私はそう考えて、立ち上がった。午後六時の閉店時間まで、両親が私の様子を見に来ることはあるまい。なら、ちょっとくらい息抜きに出かけたって良いではないか、とこう考えたのである。

幸い、外は冷え込んでこそいるものの雲一つない晴天。こんな天気の日に籠ってそろばんの珠を弾いているなど、それこそ愚の骨頂ではないか。それに、すでに五十問は解けたのだ。残り五十問は帰って来てからやることにしよう。

私は思いたつやいなや、上着を羽織り裏口から外へ出た。裏口には履き古した運動靴が常に置いてあった。それを履いて山の方へ向かう。

山が私のお気に入りの遊び場だった。私はいつも一人で遊んでいた。学友たちの多くは山ではなく手ごろな空き地などを見つけて遊んでいたが、当時の私はその輪に入れずにいた。のちに知ったことだが、私は学友たちからも〈変わった子〉と思われていたらしい。

さて、走って五分ほどで〈遊び場〉にたどりついた私は、手始めに木登りでもしようかと、手ごろな木の幹に手をかけた。

と、その時である。私の背中に「ねえ!」と高い声が投げかけられたのは。

周囲に誰もいないと思い込んでいた私は、少なからず驚いた。びくり、と身を震わせ振り返ると、いつの間に来たのだろう、ひとりの少女が立っているではないか。

胸のあたりまで伸ばした黒髪がふわりふわりと揺れている。フリルに飾られたワンピースの裾はひざ下まであった。山の木々や土の茶色のなか、ワンピースの白は眩しく目に突き刺さるようだった。頭にはつば広の白い帽子をちょこんとのせている。

声だけでは誰だかわからなかったが、彼女の顔や、いで立ちを見て、あ、と息が詰まりそうになった。ああ、この子は。

「ねえ!」

 私が黙ったままであることが不満だったのだろう、彼女は一歩、こちらに近寄った。やっと、彼女の顔をまともに見た私は再び、息の詰まる思いだった。

 色白の顔。桜色の唇。グレーの瞳が前髪の間からこちらを見つめている。アーモンド形の形の良い目を、長い睫毛が囲っていた。ああ、間違いない、この子は清凉寺の家の娘さんだ。清凉寺家といえば地元では知らない者のいない名家中の名家である。

 同じ学校に通っていて、私より一級上。口をきいたことはないけれど、何度かその姿を目にしたことがあった。なんと美しい子だろう、と遠目に彼女の姿を見るのが、私は好きだった。

「なに?」

 どぎまぎしながら、私はやっとのことで言葉を返した。

 彼女はにい、と笑うと、歌うようにいった。

「あーそびーましょーお」

 鈴を転がしたような愛らしい声。そういえば、私は今日、初めて彼女の声を聞いた。ああ、こんな声だったのか、と私の胸の高鳴りは増すばかりであった。

「遊ぶ? 遊ぶって……?」

「遊ぶって、遊ぶんよ」

「ええと、なに、して、遊ぶん……?」

 自分でも情けなくなるくらい、声はうわずり、言葉に詰まった。今、自分は清凉寺の娘さんと話している! 遠くから眺めるだけだった、あのお嬢さんと……その事実は私にはあまりにも現実味がなさすぎた。

 お嬢さん――名前は確か紫(ゆかり)さん、といったはずだ――は、うふふと笑って首を傾げた。

「人殺しごっこ」

「なんなん、それ……?」

 人殺し、なんて物騒な言葉、紫お嬢さんには似合わないと思った。ビスクドールのような彼女に似合うのは、もっと甘い……〈お菓子〉〈桃色〉〈夢〉……そんな可愛らしい言葉。

 けれど紫お嬢さんはクツクツと喉を鳴らし「人殺しごっこ」と繰り返した。

「なにするん、それ?」と私。

「そのまんまやよ。あんたが、うちのこと殺すンよ」

「殺したらあかんやろ。殺人やん」

「せやから人殺しごっこ、いうてるやん。殺す、真似、すればええの」

 お嬢さんはぐい、と顔を私の鼻先に近寄せた。甘い香りに頭がくらり。

「うちのな、首をあんたが締めるのン。むぎゅーって。それから、そうや、池に落とすンよ。ぼちゃん、って」

「池なんか、あらへんで」

 見回しても見えるものといえば、木ばかりである。お嬢さんはちょっと肩を竦めると、

「向こうに池はあるんやけどね……遠いから、ええわ。ほうら、ねえ、ぎゅーってして」

 そういと、お嬢さんは顎をくい、とあげてみせた。黒髪を両手で後ろに流すと、細い喉があらわになった。

「ほおら」

 彼女の声に合わせて喉がひくり、と動く。

「ほおら、ねえ?」

 甘い声で囁かれ、気づけば私は彼女の首に指を添えていた。あたたかい。かすかに脈を感じることができた。

 どれくらいの間、そうしていただろう。

 ふいにお嬢さんが笑い出した。きゃたきゃたと小鳥の鳴き声のような笑い声で、私はハッと我に返った。彼女は我慢できなくなったように、愉快そうに身を仰け反らせ、笑っていた。

「意気地なし!」

 指を添えるだけで、いっこうにその手に力を込めようとしない私を、彼女は怖気ついていると思ったらしい。違うのに……私はただ、彼女の首に見惚れて……彼女の体温に夢心地になっていただけなのに。

 しかし彼女は可笑しそうに、今度は節をつけて「いーくじーなしーっ」とおいうと、ぱっと私から離れてしまった。まだ、くすくすと笑っている。

「あーおもしろ。もうええよ。うち、帰るわ。またね!」

 お嬢さんはくるんと踵を返すと、私に背を向けた。そのときにワンピースがふわりと膨らみ、それがまた、私の目をくぎ付けにした。――なにを見ているのだ。私は、かあっと顔が熱くなるのを感じた。

 きっと、顔が真っ赤になっていただろうから、お嬢さんが振り向かなかったのは幸いだったと思う。彼女はそのまま、ぱたぱたと駆けていってしまった。

 彼女の駆けて行く先には、赤い洋館が見えていた。清凉寺邸だ。

 その背中を見送りながら、私はぼうっと顔の火照りが冷めるのを待っていた。「またね」と彼女はいった。ということは、また会ってくれるのだろうか。遊んでくれるのだろうか。そのときは、もう少し上手くやりたいと思った。

 お嬢さんのことで頭がいっぱいになってしまった私は、木登りをする気も失せてしまい、結局そのまま家へ帰った。家にたどり着いたのは午後二時半すぎ。母に与えられた和算の問題の続きをしようにも、数字が頭に入って来ず、しまいには用紙に〈紫〉などと書き込む始末。

 お嬢さん、紫お嬢さん。

 ビスクドールのような風貌に、甘い声、甘い香り。思い出すだけで顔が火照ってしまう。

 目をつむれば彼女の顔がありありと浮かんでくるものだから、その夜、私は何時間もずっと布団の中で身悶えしなければならなかった。これは、ひょっとすると恋心というものだろうか、と思うたび、私は必死にそれを打ち消した。まさか、そんなことがあってはあるまい、と。

――そして、翌朝。

 寝不足で頭がぼうっとしている私に、父は衝撃的な事実を告げた。

「おい、清凉寺さんの娘さん、亡くなったらしいで」

 私は頬を思い切り平手打ちされたような、あるいは突然、冷水を浴びせられたような気持ちだった。にわかには父の言葉を信じることができなかった。いいや、信じるどころか、理解することすらできていなかった。

清凉寺の娘さんって、どの清凉寺の娘さん?」

 父も朝刊を読んで初めて知ったらしく、新聞に目を落としたまま、

清凉寺紫さん……やて。お前の一級上の」

「それ、ほんまなん?」

 そう訊ねたのは、私ではなく母だった。茶碗に白米をよそう手を止め、眉をひそめている。

「ああ、清凉寺御苑さんの娘の紫さんってあるさかい、あのお嬢さんやろう」

「左近のお坊ちゃんやのうて?」

「ちゃうって、紫さんて書いてあるんや」

「でも、どうして……」

 父は「ウン……」といい淀んだ。誰も聞き耳などたてているはずもないのに――たてていたとして、聞かれても問題なんてないだろうに、父は声をひそめて、いった。

「殺されたらしい」

「……エッ」

 私はすうっと全身の血が、足の方へと引いていくのを感じた。コロサレタラシイ?

 お嬢さんの声が、耳元に蘇る。

――「人殺しごっこ」

「なあ、見せて」

 私は父の横から新聞紙を覗き込んだ。見なければならないと思った。

 様々なニュースと並んで、お嬢さんの死は報じられていた。亡くなったのは清凉寺紫さんであること、昨夜八時過ぎ、姿のみえない紫さんを心配して探していた使用人が彼女を見つけたこと、そのときにはもう、彼女はこときれていたこと、犯人はまだ見つかっていないことなどが要領よく書かれていた。

 お嬢さんの死因についても、書かれていた。それを読んだ私は、ぎゅう、と心臓を掴まれた思いだった。

――紫さんは首を絞められた上、池に突き落とされて殺害されたとみられている。

 ああ、ああ。お嬢さんは私になんていった? あのとき、彼女は、確か、首を絞めて、池に突き落として殺せ、といった。……でも、私はできなくて彼女は「いくじなし」といい捨てて、帰ってしまった。

 彼女はあの後、殺されたのだ。彼女のいったとおりに。

 そこまできて、私はある恐ろしい可能性に思い当たった。

 私には、容疑者として疑われる可能性があるのではないか?

 あのとき、私はお嬢さんの首を絞めた。実際には、指を添えただけだったが、例えば、そう。遠目に見れば、私がお嬢さんの首を絞めているようにも見えたのではないか。

 もしも、誰かが私たちの姿を見ていたら?

 その誰かが警察に「少年がお嬢さんの首を絞めていたのを見た」などと通報したりしたら?

 私はもう一度、記事の文字を頭から終わりまで、なめるように見直したが、今のところそのようなことは書かれていなかった。どうやら犯人像に関しては、皆目見当もついていないらしい。

 でも、私は安心することができなかった。ひょっとすると、まだ新聞社が情報を得ていないだけかもしれないじゃないか。私はお嬢さんを殺していない。でも、疑われるようなことをした。ただやっていません、といったところで、警察というのは信じてくれるのだろうか……?

 どうして……どうしてこんな恐ろしい思いをしなくてはならないのだろう。

「あんた、ぼうっとしてないで、ご飯食べなさいな。片付かへんわ」

 母にいわれ、私は自分の席に戻った。白米、味噌汁……あと、なにを食べただろう。味覚がまったく働いていなかった。

 ただ両親に悟られまいと、必死に平静を装いながら食べ物を喉の奥へ流し込んだ。そんな単調作業をしながらも、私の頭の中は恐怖でいっぱいだった。今になって思えば、よくもまあ、気づかれなかったものだと我ながら感心してしまう。わあっと泣きだしてもおかしくなかったような立場だったはずなのに。まだほんの子どもだったのだし……。

 しかし、当時の私は、泣き出す余裕すらなかったのかもしれない。

 どうして、どうして、嫌だ、殺人犯扱いなんて、お嬢さんはどうして、と考え続けた私は、突然はっとした。これは、罰ではなかろうか、と。

 両親のいうことも聞かず、生意気な〈悪ガキ〉だったから、天罰がくだったのではないだろうか。父のいったとおりに……。普通にしていれば良かったものを……良い子でいればよかったものを、そのすべてに反発するようなことしたものだから、天罰がくだった。だから、こんな恐ろしい思いをしなくてはならないのだ。きっと、そうだ。

 それからだ。私が、優等生となったのは。

 休みの間はずっと、家で勉強をした。自分で髪を切るのもやめ、母と一緒に美容院に通うようになった。洋服も母が用意する仕立ての良いものを着て、当然、山へ遊びに行くのもやめてしまった。

 両親や周りの大人は私の変わりぶりに驚きつつも、特段、疑うようなことはしなかった。むしろ、喜んでいたように思う。

 あれから数十年。幸い、警察は一度も私に嫌疑の目を向けないまま、事件は迷宮入りした。

お嬢さん殺しの犯人は、未だに見つかっていない。

無題戯言

一度、自分の作品を評価してもらえるという甘い蜜を知ってしまうと、なかなか元の状態に戻ることは難しい。

昔は他者の反応など期待せず(と言うより誰にも見せず)書いてきたのに、大学に入って会誌に出せば感想がもらえるという環境に身を置いた途端、それが「普通」になってしまった。

感想をもらえるということは作品を見てもらえるということだ。作品を見てもらえるということは、自分が存在していることを認めてもらえるということだ。

なんて甘い蜜だったのだろう。

私にとっては行き過ぎた贅沢だった。

私にはもう、そんな素晴らしい場所はない。

調子に乗っていくつか小説の新人賞に出してもみたいけれど、結果は散々。実力がないことは重々承知している。

けど。

でも。

一次落ちばかりというのは、想像以上に苦しい。

お前の作品など読むに値しないのだと、暗にいわれている気持ちになる。

お前など、要らないといわれてしまっては、もう作品を書く気持ちにもなれない。

ジメジメとしている。

夢はもうない。

では、この先は?

創作

 

   1

 その日、僕たちは〈連れション〉ならぬ〈連れレポート提出〉のため、柊(ひいらぎ)沢(ざわ)教授の研究室へ向かっていた。

 七月もまだ始まったばかりだというのに、外の空気は既に真夏の気配を帯びている。頭上から太陽の熱線、足元にはそれを跳ね返すアスファルト。上下から身体を炙られるような、不快感。

 僕は暑さからくる苛立ちの八つ当たりも含めて、隣を歩く友人・牧野剣(まきのつるぎ)を肘で小突く。

「お前さあ、もう二回生なんだからレポートの提出期限くらい、守れよな、このバカチンめ」

「……白藤(はくどう)、暑いからってイライラしてるだろ」

 白藤、とは僕の名前だ。白藤(はくどう)椿(つばき)、というのが僕のフルネームだった。

「してるよ。よくわかったな」

「だってお前、昔から暑いとすぐにイライラして、小突くじゃん、俺のこと」

「うるせえ、バカチン」

「あと、すぐ俺のことバカチンっていう……」

「本当のことだろ。鞄ごとレポート家に忘れてくるやつがどこにいるよ。このバカチン大魔王」

「忘れたんじゃないって、カルチャースクールに持ってってる鞄と間違っちゃったんだって」

「カルチャースクール?」

 牧野に似合わぬその単語に、僕は思わず訊き返していた。

「うん。あれ、いってなかったっけ。ミステリにネタになるかもと思って、去年の秋から講座、受けに行ってんの。駅前のカルチャースクール、学割あるし面白いぜ」

「へえ」

「なんかさ、ミステリオタクの人もいてさ、すごく面白いよ。初日に友だちンなっちゃった」

「ふうん」

 相槌をうちながらも、僕はやや面白くない気持ちを味わっていた。僕と牧野は中学時代からの腐れ縁で、これまでずっと行動を共にしてきた。一緒に見知らぬ土地へとやって来て、唯一の知り合いだと無意識のうちに心の拠り所にしていたのかもしれない。僕の知らないところに、僕は顔も見たこともない牧野の友人がいる……嫉妬? ……まさか。

「にしたって、普通、鞄を間違えたりするか?」

「だって、急いでたし……」

 むう、と頬を膨らませてみせる牧野。今時、マンガでだってこんな単純な〈不満〉の著し方、しないだろう。彼の顔は頬袋に餌をつめこんだハムスターにそっくりだった。……面白い。

 笑い出したいのを必死にこらえて、僕は出来る限り不機嫌そうに「あっちいなあ」とうめいてみせた。すると牧野は頬を膨らませるのをやめて、

「暑いなら、そのむさくるしい髪の毛を切れよ。スッキリするぞ」

 去年から伸ばし続けている僕の髪は、すでに肩にあたりそうなところまで毛先が到達していた。僕の身長は一七〇センチそこそこだから、後姿だけなら、ちょっと背の高い女の子に見えるかもしれない。

 これは別に散髪屋に行く金がないからではなく、とあるミステリの探偵に対するリスペクトを表すため、こんな髪型をしているのだ。とうぶん切るつもりはない。

「いやだよ。ていうか、話を逸らすな。お前、感謝しろよ、柊沢先生ンとこに一人じゃ行きたくないっていうから、ついてきてやってンだぞ。俺はちゃーんと、昨日の授業時間内にレポートを出したから、ホントなら行く必要なんて皆無なんだ、ごちゃごちゃいうなら、一人で行けよ」

 そういって、踵を返すふりをすると、とたんに慌てたようにヤツは僕の腕に縋り付いて、

「やだぁ、白藤様たら、いけずぅ。その髪型、とっても素敵! ジョン・レノンもびっくり! 超イケメン、素敵、白藤様なら、もう今日にでもジャニーズに入れちゃうよ、素敵、結婚して欲しいくらい、だからついてきて、ねっ」

 褒めているんだかバカにしているんだか、わからない言葉を投げかけてくる。相変わらず、お世辞が下手くそだな、コイツは……。いったい〈素敵〉って何回いえば気が済むんだか。

「わかった、わかったから離れろ、暑苦しいったら」

 牧野の額に手を当て、ぐい、と押し返す。トイプードルの毛みたいな髪が顔にあたってくすぐったかった。癖ッ毛なんだ、コイツは。

「ついてきてくれるよな」

「ああ」

 そこでやっと、牧野はホッとしたように僕の腕をはなした。

「そんなに嫌なのか?」

「嫌だよ! あの人、ねちねち嫌味ばっかいうんだもん。わざわざ『明日、研究室に持ってきなさい』っていったのも、あれだぜ、研究室でたっぷり嫌味をいうためだぜ。じゃなきゃ、来週の授業の時でもいいはずじゃん」

「まあ、期限を破ったお前が悪いんだけどな」

「人間は失敗して成長するの!」

 なぜか偉そうに胸をはる牧野。華奢で小柄なので、あまり迫力はない。

「でも、僕がついていっても嫌味いわれるのは一緒じゃないか?」

「同じ嫌味をいわれるのでも、独りぼっちより、誰かいるほうがマシだろ」

 そんなものだろうか。

 

 僕たちが所属する社会学部の先生方の研究室は、〈水流館〉という建物にひとまとめにされている。柊沢先生も所属は社会学部なので、この館内に研究室がある、というわけだ。

 時刻はあと数分で午前十一時になろうか、というところ。授業時間中だからだろうか、水流館の一階には人の気配はなかった。普段、学生だらけの猿山みたいに喧しい校舎で生活しているからだろう、シンと静まり返った水流館はなんだかとても不気味だった。

 一階は小さなラウンジと集合ポスト、あとは館内の案内板しかなく、研究室は二階以上のフロアにある。

 柊沢先生の研究室があるのは四階フロア。階段を使って、二階、三階、そして四階にたどり着くまでの間、誰ともすれ違うことはなかった。それぞれの階のフロアにも、確認出来た限りでは人の気配は感じられず、ひょっとして今日は休校日だったかな、なんて心配になってしまう。

「こっちだ」

 牧野に腕を引っ張られ、廊下を突き進む。

 廊下には、黒い扉が等間隔に並んでいる。それぞれの扉には、そこの部屋を使っている先生方の個性が出ていて面白かった。亀のシールを貼ったり、海外の映画のポスターを貼ったり、ゼミ生との連絡に使うらしいホワイトボードかぶら下がっていたり。

 廊下の突き当りのところで、牧野は足を止めた。一番端の部屋、今度北海道の大学で行われるらしい学会の宣伝ポスターが貼られた扉。

そこが、柊沢先生の研究室だった。扉の横の壁に「401 柊沢道子」と書かれたプレート。

「ここか……嫌だな……」

 さすがの牧野も、声を潜めて呟いた。

 僕は彼の耳元でせいぜい優しく、

「そういうのを世間では〈身から出た錆〉というのですよ」

柊沢先生の口調のモノマネだ。

 牧野は不満そうに僕を睨みつけ、それでも、レポートを提出しないと単位がヤバイとわかっていたのだろう、手の甲で、コン、コン、と扉を叩いた。

 返事は、ない。

「いないのかな……」

「ノックが弱すぎたんだろ」

「そうか……」

 牧野は先ほどより、強めに扉を叩く。コン、コン、というよりドン、ドン、に近かった。そんな借金の回収にきたチンピラみたいなノックの仕方じゃ、ますます長ったらしい嫌味を頂戴する羽目になりそうだけど。

 しかし、今度もまた、返事はなかった。

「いないんじゃないの」

 すると、牧野は頭を横に振って、

「そんなことないよ。明日は一日中、研究室にいるって……」

「じゃあ、トイレか何か?」

「うーん……」

 僕はなんだかまだるっこしくなってきた。お腹も減ってきたし、さっさとこの静かすぎる空間からオサラバしたい。

「ラッキーじゃんかよ、先生がトイレなら。部屋ン中の机の上にでも置いておいてさ、『伺いましたが、お留守でしたので、机の上に置いておきます』って書置きして、逃げようぜ。嫌味、言われたくないんだろ? 持ってこなかったのならともかく、先生がいなかったのなら仕方ないって。悪いのは向こうじゃん」

「う、うん、そうかな……そうだな……」

 僕の提案に、牧野はあっさりと頷いた。やっぱり、先生とはできれば顔をあわせたくなかったらしい。

「んじゃ……失礼しまーすってことで……」

 そう呟くと牧野はドアノブに手をかけた。押し開けられる扉。室内の明かりが、薄暗い廊下に漏れだした。

 さっさと入ればいいのに、牧野はなぜか、扉を半分ほど開けたところでピタリと動きを止めてしまった。

 そのまま、うんともすんとも言わないので、僕は彼の背後から、

「おい、はやくしろよ。先生、戻ってくるぞ」

「……椿」

「なに」

 牧野は部屋の中を凝視したまま、いった。

「あれ、先生かな……」

「は?」

 意味が分からなかった。先生が室内にいたというのか? なら、まずは先生に挨拶するのが礼儀というものだろう。しかも面と向かって「あれ」呼ばわりは、あまりにも失礼だ。

 しかし、牧野は「あれ、先生かな……」とまるきり同じ言葉を繰り返すと、僕にも部屋の中を見るように促した。しかたがなく、牧野と場所を交代して、中の様子を確認する。

 僕の目に真っ先に飛び込んできたのは、人の脚、それに運動靴の裏の部分。誰かが、床に倒れていた。

 僕は足から視線を動かし、腰、背中、そして……。

 赤。

 頭から血が出ている。そう気づくのに、数秒かかった。

 後頭部の白髪をかきわけるようにして、赤い血があふれ出ている。

 僕たちのいるところからは、彼女の顔は確認できなかった。したいとも思わなかった。

「うう……」

 よろめくようにして、後ろに一歩さがる。

 喉が押しつぶされたように息苦しく、悲鳴も出なかった。

 

   2

「―フン。で、大慌てで通報した、というわけだな?」

「はい、そうです」

 刑事はもう一度、フン、と鼻を鳴らし、「ガクブル震えやがって。情けねえ奴らだな。大学生ッてもガキだな」と独り言とも、僕たちに向けていわれた嫌味とも取れるようなことをブツブツといった。

 あのあと。逃げ出したいのをこらえながら僕が一一〇番に通報。僕たちは今、刑事たちから取り調べを受けている。レポートのことから死体発見のときのことまで、一通り話し終えたところだった。

 警察が到着するまでの間、どれくらいの時間がかかっただろう? 待っている間、僕は死体なんてとても見れたものじゃなくて、壁のほうを向いて座っていた。牧野は忙しそうにスマートフォンをいじっていた。ゲームでもして、気を紛らわせていたのかもしれない。

 警察が到着して早々、僕たちは第一発見者として事情聴取されることになった。場所は柊沢先生の研究室の前の廊下。牧野と二人、並んで聴取を受けていると、どうも悪いことをしてお説教を食らっている気分になる。

 僕たちを取り調べたのは、若い女性の刑事だった。小柄で僕たちより、ずっと背が低い。くわえて、童顔で化粧をしている様子もなく、さらに服装は上下黒ジャージときたものだから、刑事というより部活中の中学生みたいだった。

 名前は本郷冬至、というらしい。

「とりあえず、名前くらいは訊いておこうか。まず、チビ」

 本郷さんは軽く牧野の方を顎でしゃくった。牧野の身長は百六十センチかっきりだから、たしかに〈のっぽ〉ではないだろうが、〈チビ〉は口が悪すぎる。それに、牧野のことを〈チビ〉と呼ぶのなら、それよりさらに小さい本郷さんはどうなるのだろう。

 牧野は牧野で、むっと顔をしかめたのを隠そうともせず、

「牧野剣、です」

「マキノ、ツルギ……っと……じゃあ、そっちのロン毛」

 ロン毛、ときたか。

「白藤椿、です」

「ハクドー、ツバキ……なんだ、ツルギにツバキって、似たり寄ったりな名前だな」

「似てないです。俺のは剣道の剣、で、白藤はお花の椿」

「どうでもいいよ、そんなこと。ほら、ここに連絡先書いて。名前も自分で書かせりゃ良かったな。漢字で書け、名前も」

 本郷さんに言われるまま、僕たちはそれぞれ差し出された手帳に名前と電話番号を書いた。

「あのう、僕たち、もう帰っていいですかね?」

 これ以上、死体のそばにはいたくなかった。

 しかし、本郷さんは首を縦には振ってくれなかった。

「いいや、もう少し、ここにいてもらう。第一発見者だからな。まあ、死亡推定時刻等から推測するに、お前たちは容疑者からは外れるだろうが」

「よ、容疑者って」

 声が裏返ってしまった。

「なんの容疑者ですか?」

「お前、バカか? 柊沢道子殺害容疑に決まってるだろうが」

「柊沢先生、殺害されたんですか?」

「そうだよ。お前たちも見たんだろう、死体を。まさか、自殺や病死だといい張る気じゃないだろうな」

「……事故死、とか」

 じっくり見たわけじゃないけど、先生は確か後頭部から血を流して倒れていた。転んでどこかにぶつけた可能性だってある。

 しかし、本郷さんはやはり、頷きはしなかった。

「それもない。現場……研究室には、被害者の血がべっとりとついた灰皿が残されていた。重いガラス製だから、殺傷能力はじゅうぶん。これで殴り殺されたとみて、間違いない」

「じゃあ、そのトロフィーについた指紋を調べたらいいじゃないか」

 そう提案したのは牧野だった。死体を見たショックからはすっかり立ち直ってしまったらしく、怖がるどころか目をらんらんと輝かせてさえいる。

「指紋は拭き取られていて検出することはできなかった」

「そうか。じゃあ」

「お前と推理合戦してる暇はない。大人しく、隣の研究室で待ってろ」

 本郷さんに遮られても、牧野がめげることはなかった。本職の刑事さん相手に、なんてメンタルをしているんだ。

「でもさ、今のところ、犯人が誰かわかってないんでしょ?」

「今は、な。捜査を進めていけば、わかることだよ」

「じゃあさ、じゃあさ。俺たちも捜査に協力させてよ。俺たち、ミステリ研究会に所属してるんだ。絶対役にたつよ、なあ、白藤?」

「え? あ、あ、うん」

 勢いに負けて頷いてしまった。いやいや、役にたつわけないだろ、ばかちん。

 しかし、本郷さんは別のところが気になったらしい。

「ミステリ……? UFOでも呼ぶのか?」

 ああ、ありがちな誤解。今までも何度も聴いてきた、嘆かわしいセリフ。

「違います。推理小説の愛好家たちが集まる会です」

 自分の立場も忘れて、つい訂正を入れてしまう。

「ふーん。じゃ、コナン・ドイルとか、江戸川乱歩とか読むわけだ」

「そうですね」

「な? 役にたちそうだろ?」

 まだいってる。牧野は本当に、事件捜査に首を突っ込むつもりでいるのか。そういえば、やつは日ごろから一冊ミステリを読むごとに「俺も探偵になりたい!」とか「事件に巻き込まれて探偵役をやりたい」とか、挙句の果てには「警察が俺の頭脳を頼りに来てくれないかな……」などと戯言を吐いていたっけ。

「うん、そうだな……と、いうと思ったか? 警察が?」

「言わないのか?」

 どこまでも食い下がる牧野。もうよしたほうが良いと思うけど、どうしよう。羽交い絞めして、本郷さんの指示通り、隣の研究室へ引きずりこんだほうがいいかしらん……と迷っていると。

「お待たせえ」

 廊下の向こう側から、とぼけた声。見ると、スーツを着たひとりの中年男がこちらに向かって歩いてくるところだった。

 本郷さんはくるりと振り返ると、その男の人に向かって、

「なんだ、結局来たのか、あんた」

「なんだ、はないでしょ。冷たいなあ」

 男は、年齢は五十代半ばくらい。黒い髪と黒いスーツのせいもあって、彼の姿はどこかペンギンに似ていた。身長はそんなに高くない。僕と同じくらいか、それよりやや小さいくらい。

 彼は本郷さんの肩越しに僕たちを見ると、

「この子たちは?」

「第一発見者の牧野剣と白藤椿、だってよ」

 振り返りもせずに僕たちを紹介する本郷さん。腰に手を当てどんな表情をしているのやら。少なくとも笑顔ではないだろう。

「なるほどね。僕は三条時嶺(さんじょうときみね)。警視庁捜査一課に所属してる。よろしくね」

 なにが「よろしく」なのかはわからないが、僕はとりあえず、「はあ、どうも」と軽く頭をさげておいた。牧野の方は人懐こい笑みを浮かべ、「うん、よろしく」などと言っている。いくらなんでも、軽すぎる。

 三条さんは僕を見ると、人の好い笑顔を浮かべたまま、

「椿君のその髪型は、八十年代のフォークソングシンガーでも意識してるのかな?」

「違います! ミステリの探偵を意識しているんです!」

 間髪入れずに反論してしまう。ここは譲れない。つい、語気が強くなってしまう。

「ありゃ……ごめんね」

 驚いたように目をぱちくりさせる三条さん。それから彼は、気を取り直すように本郷さんの方に向き直ると、

「それで? 話は聞けた?」

「ああ、一通りはな。だから、待機室で待機しとけっていってるのに、ゴネるんだよ、こいつら」

「へえ、なんで? なにかあった?」

 そこで我慢できなくなったように、牧野が口を挟んだ。

「俺たち、捜査に参加したいんだ。ミステリ研究会としてさ、協力したいなあって思ってるんだよ。謎解きとか、俺たち得意だし」

 いつの間にか、僕と牧野の二人ともが捜査に協力したがっていることになっている。

 そんなこと、どうせ、ダメと言われるだろうと思っていたのに。

 三条さんの反応は、意外なものだった。

「良いんじゃない? 協力してもらおうよ」

「ええ?」と僕。

「はあ?」と本郷さん。

 牧野だけが、にやにやと笑みを浮かべて「そうこなくっちゃ」と嬉しそう。

「正気か? 学生だぞ、探偵ですらないガキンチョだぞ」

「僕が毎週観てるアニメの探偵さんは、小学生だよ」

「アニメと現実を一緒にするな!」

「良いじゃない、面白そうだし。推理小説愛好家の素人探偵さんって。それに、階級的に、この現場の責任者は僕ってことになるでしょ、きっと」

「まあ、そうだろうが……だいたい、あんたのような階級の人間が現場に出しゃばってくるなんて……」

「固いこと、言いっこなし。たまには良いじゃない」

 そういうと三条さんは、へらりと気の抜ける笑みを僕たちの方に向けた。

「よろしくね、探偵さん」

 

   3

「とりあえず、現場を見ておこうか」という三条さんの提案で、僕たちは再び、死体―柊沢教授と対面することになった。

 本当は嫌だったのだけど―三条さんにも「気分が悪いんだったら、無理しなくていいよ」ともいわれたのだけど、そこで「じゃあ、僕はこれで」というのは、癪だった。だって、同い年の牧野は平気な顔して現場へ踏み込もうとしているのに、僕ばかりビクビクしているのはなんだか悔しい。負けた感じがする。

 そんな社会生活では役にたたないであろうプライドのため、僕は研究室へと足を踏み入れた。乗りかかった舟、だ。やってやろうじゃないか、似非探偵。この船がタイタニック号でないことを願う。

 それでも、すぐに死体に目をやることのできなかった僕は、とりあえず室内の全体像を捉えることから始めた。

 研究室の左側には本棚。専門書の他に賞状やよくわからない形をしたトロフィーもいくつか飾られている。恐らく、柊沢先生の研究功績を讃えたものなのだろうが、賞状はその大半が外国語で書かれていたため、読むことができなかった。

 部屋の奥には事務机が入口の方を正面にして置かれている。机の上には、デスクトップ型パソコンに、大量のファイル。

 さらに、部屋の右側半分を応接セットがじんどっていた。黒いソファがテーブルを挟んで向かい合っている。テーブルはとても低いもので、その高さは僕の膝くらいもないだろう。コーヒーカップが二つと、プラスティック製のコーヒーポットが置かれていた。

 そこで僕は一つ、あることに気が付いた。

 研究室の床にはクリーム色の絨毯が敷かれているのだけど、そのテーブルの下あたりに茶色い染みが出来ていたのだ。覗き込んでみると、二つのコーヒーカップとコーヒーポットの中身は、ほとんど空だった。こぼしたのだろうか?

 そして、さて。

 死体である。

 柊沢教授は、入口の方に足を向け、仰向けに倒れていた。後頭部からの出血はほとんど止まり、血も先ほどより黒っぽくなっている気がした。

 パンツタイプのレディーススーツに運動靴という恰好。先生のファッションなんて、これまであまり気にしたことがなかった。けど、今着ているベージュのスーツは見覚えがある。

「なあ、先生の靴、汚いな」

 牧野に言われ、靴をよく見ると、たしかに先生の靴は汚れていた。元は白かったらしい運動靴に、茶色い染み。スーツが新品同然に綺麗な分、余計に目立つ。

 僕は絨毯の床を指さすと、

「あれじゃないか?」

「なんだ、あの染み?」

「コーヒーだと思う。先生、ポットを倒すか落とすかして、コーヒーを靴にぶっかけちゃったんじゃないか」

「僕もよくやるよ、それ」

 いつの間にそこに立っていたのか、三条さんが僕の背後から顔を覗かせた。

「この間なんて抹茶フラペチーノこぼしちゃって、スーツも靴も、ついでに逮捕状もべちょべちょになっちゃった」

 さらっと言ってのけているが、最後のは汚しちゃだめなやつじゃないか。

「剣君に椿君。どう? なにか気になるもの、あった?」

「あったよ」

 牧野はテーブルの上のカップを指さすと、

「あのカップ。指紋とか、出なかった?」

「一つは出たよ。被害者の指紋が。けど、もう一つのカップはダメだった。念入りに拭いたんだろうね。きれいさっぱり、コーヒーの一滴も残ってなかったよ」

「そうか」

 牧野は特に気落ちする様子もなかった。指紋が出ないというのは、ある程度予想していたのかもしれない。凶器の指紋も拭き取られていたらしいし。

「椿君は?」

「えっと……特にありません」

 三条さんは続いて本郷さんに声をかけた。

「ねえ、被害者の死亡推定時刻ってわかる?」

 パソコンのデータを調べている最中だったらしい本郷さんは、ややめんどうくさそうに手帳を開くと、

「死亡推定時刻はかなり絞り込むことが出来てる。ここ、水流館の出入り口は一つしかなくて、そこ以外から出入りすることはほぼ不可能。で、この唯一の出入り口には監視カメラが設置されていた。水流館に出入りした人間は、全てこのカメラに映っていることになる。

 被害者がカメラの前を通ったのは、午前九時十三分。それ以降、彼女はカメラの前に姿を現していない。死体の状態や血の固まり具合から見て、警察の到着時点で死後一時間は経過しているとみられる。つまり、死亡推定時刻は午前九時十三分から午前十時前後である、と考えられる」

 僕たちが水流館に到着したのは、午前十一時頃。その姿も、恐らく監視カメラに映っていることだろう。今日は、それ以前に水流館には足を踏み入れていない。だから、僕たちは早々に容疑者から外されたのか。

「午前九時十三分……まあ、念のため、午前九時から午前十時半の間に館内にいて、かつ、アリバイのない人間を調べた結果、三人まで絞り込めている」

「相変わらず仕事がはやいね。どういう人たちかも、わかってるのかい?」

 本郷さんは「名前と所属くらいは」と前置きして手帳に目を落とす。

「容疑者一人目、東尾雄介(ひがしおゆうすけ)。社会学部教育学科の教授。五十三歳。容疑者二人目、高池恵人(たかいけけいと)。社会学部情報教育学科の准教授。三十七歳。容疑者三人目、藤見尚子(ふじみなおこ)。社会学部福祉学科の准教授。三十五歳。三人とも、被害者より先に水流館に来ていて、それ以降は警察に呼ばれるまでずっと自分の研究室にいたと証言している。とりあえず、隣の研究室を待機室にして、そこで待たせてる」

 本郷さんは手帳を閉じ、それをジャージのポケットにしまった。

「どうする? 隣に行って話を聞くか?」

「うーん、まあ、話は聞かなきゃいけないだろうけど、場所は移したいな」

「まあ、そうだな。話は一人ずつ聞いたほうがいいだろう。もう一部屋、事情聴取のために開けさせるか」

 本郷さんの提案に、三条さんは首を横に振った。

「いや、それよりも、それぞれ本人の研究室で話を聞こう。研究室の様子も、見てみたいし」

 

 事情聴取のトップバッターは東尾先生。僕たちはまだ、一度も授業を受けたことがない先生だ。

 東尾先生の研究室は三階。ドアには、不思議な模様のタペストリーが飾られていた。あとで教えてもらったのだけど、海外に出張したときに買った土産物らしい。

 東尾先生の研究室は、整理整頓が行き届いていて、どこか角ばった印象を受けた。左右には壁と同じ高さの本棚。専門書が隙間なくびっちりと詰め込まれている。デスクの上には、デスクトップ型パソコン。大学が支給しているものらしく、柊沢先生の研究室にあったのと、まったく同じタイプだった。それから、青色のマグカップと銀色のコーヒーポット。室内には、微かにコーヒーの香りが漂っていた。

 部屋の中央にはテーブルと、それを囲むように四つのパイプ椅子。

 東尾先生は、僕と牧野に怪訝そうな目を向けたが、特別なにか訊いてくるようなことはなかった。新人の刑事、とでも思われたのかもしれない。

「今日は何時ごろ、この研究室にいらっしゃったんですか?」

「午前九時……ちょっと前くらいでしょうか。性格には覚えていませんが」

 先生のバリトンの声はとても聞き取りやすかったけど、この声で授業をされたら居眠りしてしまいそうだ。穏やかで、優しくて……眠くなる声。牧野など、すでに眠たそうに目を擦っている。

「何をされていたんですか?」

「授業の準備です。今日は五限と六限に授業があったので、そこで使うパワーポイントの手直しを」

「ずっと研究室にいらっしゃったんですか?」

「ええ。一歩も外には出ていません」

「それを証明できる人はいないんですよね?」

「はい……」

 三条さんは視線を東尾先生から事務机の上に移すと、

「作業は、あのパソコンで?」

「ええ。そうです」

 僕たちは誰からともなく、その机の方へ近寄った。マグカップの中身は、やっぱりコーヒー。カップの下には、丸いコースターが敷かれていた。

「このコーヒーは、先生が淹れられたものですか?」

 振り返って訊ねると、

「ええ……眠気覚ましに、そこの電気ケトルを使って」

 指で示された方を見ると、コンセントの傍に電気ケトルが置かれていた。床に直置きは、少し危ないと思うけど。

「あのう、私はいつ頃までこうしてないといけないんでしょう……? 授業もあるので、あまり長い時間の拘束は、ご勘弁願いたいのですが」

 突然の殺人事件に、東尾先生はだいぶ弱っているようだった。鼠色のスーツにセンスのいいネクタイ、磨き立てらしい革靴、それにオールバックにして整えられたロマンスグレーの髪の毛と、〈紳士〉を体現したような東尾先生だが、今はその弱弱しい表情のせいで〈紳士〉というより、リストラ寸前のサラリーマンに見えた。

 それに対し、本郷さんはにべもなくいう。

「まだ、ダメだ。少なくとも、容疑者全員に対する聴取が終わってからにしないとな」

「……はあ……」

 東尾先生はため息を吐くと、ハンカチで額の汗を拭った。濃紺のハンカチは彼のイメージにぴったりだろう。アイロンもきちんとかけているらしく、不自然なしわの一つ、見られなかった。

 続いて三条さんが問いかける。

「被害者についてですが……柊沢先生は、どんな方でしたか?」

「そうですね……学科が違うので詳しいところはわかりませんが、口の悪い人でしたよ」

 僕の隣で牧野がウンウンと頷いた。そんなところで共感するんじゃない。

「彼女、研究熱心な人ではあるし、他の学科の論文もよく読んでいて……それ自体は悪いことじゃないんですが、感想がとんでもなく辛口なんです。特に、自分と研究分野が近しい私の論文に対しては、まあ、ボロクソで。嫌味ったらしく、延々と貶されるばっかりで」

「研究分野、似てらっしゃるんですか?」

「まあ。柊沢先生が地域福祉で、私が地域住民の生涯学習です。教育を通して、いかに地域に愛着を持つことができるか、地域を活性化できるか、みたいなことをやっているんですが」

「論文をけなされた、ということですか?」

「ええ、まあ、そうですね。自信作ほど貶されるので、イラッとはしますが、もう慣れましたよ」

 

 続いての事情聴取は、高池先生。僕たちが所属する情報教育学科の先生で去年、僕と牧野も授業を受けたことがある。「情報利用基礎論」。課題はやたらと多いが、冗談が好きでよく笑う、ひょうきんな先生だ。

 その高池先生も、今日ばかりは元気がなかった。殺人犯候補扱いされているのだから、当然と言えば当然だろう。

 高池先生は僕と牧野のことを覚えていたらしく、

「なにやってるんだ、お前ら? 警察になったのか?」

 まさか。

「ええと、お手伝いです」

 探偵の真似事です、なんていったら話がややこしくなるのは目に見えている。

 幸いなことに、それ以上追及されるようなことはなかった。先生自身に、質問を重ねるほどの元気が残ってなかったのかもしれない。なにせ殺人の容疑がかかっているのだから、それも当然のことだろう。

「えーと、散らかってて悪いんですけど」

 高池先生の言葉に嘘はなく、確かに彼の研究室は散らかっていた。先ほどの東尾先生とは雲泥の差だ。あちこちに本やプリント類などが散乱していて、床がほとんど見えない。牧野の部屋といい勝負である。

 高池先生の研究室は四階の、階段をあがってすぐのところにあった。

 部屋の左右には、壁の高さぴったりの本棚。本棚は既にいっぱいで、床にはそこから溢れてしまったらしい本がいくつもの山を形成している。高さは僕の腰くらい。ちょっとしたバリケードだ。何を買ったのかは知らないが、大手ネット通信販売会社のロゴ入りの段ボールが、いくつも転がっている。

 事務机の上も同様。パソコンの周りは、書類やお菓子の箱で溢れかえっている。

 片づけが苦手らしい、というのが一目でわかる散らかり具合だ。

 そのだらしなさは服装にも出ている。よれよれのシャツに、膝の部分に赤茶色の染みがついたスラックス。足元はサンダル。髪の毛はボサボサで、童顔ということもあり、パッと見は准教授というより浪人生みたいだ。

「あのー、何を話せばいいんですかね? 僕、朝の八時にここにきて、それから刑事さんがくるまでずっと寝てたんで、アリバイもないし、まともな証言もできないと思うんですけど」

「八時に来て、ずーっと寝てたんですか?」

「ずーっと、です」

 高池先生は力強く頷いた。

「昨日の晩は完徹で。一晩中、アニメのDVDを観ていたせいで、今朝は眠くて眠くて。今日は授業はなかったので、本当は大学に来る必要はなかったんですが、論文を書くために必要な資料を研究室に置きっぱなしにしていたので、しかたがなく徹夜明けのまま一睡もせずに、ここに来たんです。で、ここに到着し、ちょっと休憩と椅子に座ったら、そのまま寝ちゃって」

 なにやってるんだ、この人は。

「今日の夕方、荷物が届く予定があるんで、帰っちゃダメですかね? あの、楽しみにしていたフィギュアが……」

「ダメだ。少なくとも、全員の事情聴取が終わるまではな」

 本郷さんの取り付く島もない態度に、がっくりと肩を落とす高池先生。

「それで、被害者のことについてだが。あんたから見て、被害者はどんな人間だった?」

「どんなって……あまり関わり合いなかったからなあ、厳しそうな人、くらいにしか」

「では、被害者との間に、なにかトラブルは?」

「被害者とのトラブルって……僕と、柊沢先生の間にってことですか?」

「そうだ」

 高池先生はとんでもない、といわんばかりに首を左右に振った。頭が外れて飛んで行ってしまわないか、見ているこっちが心配になるくらいの勢いで。

「ありませんよ、そんなの。学科が違うから、関わり合いも少ないし」

「けど、被害者は他の学科の論文についても、あれこれと貶したりしていたそうじゃないか」

「そうでしたけど、僕と柊沢先生じゃ畑違いすぎて、議論になりませんでしたよ。他の先生よりは、関心も持たれなかったみたいですし」

 先生は視線を下に落とすと、小さな声で「帰りたい」と付け加えた。

 

 最後は藤見先生。ちなみに、柊沢先生は藤見先生と同じ福祉学科に所属している。

「そういえば、きみたち福祉学科じゃないのに、どうして柊沢先生の授業を受けていたの?」

 藤見先生の事情聴取の前に、三条さんはふと思い出したように訊ねてきた。

「学部内の選択必修だったんです。他の学科の授業も、選択しなくちゃいけないんですよ」

 僕の説明に、三条さんは納得したように頷いた。

 柊沢先生の授業は「教授の性格には難ありだが、レポートさえ出せば単位は固い」と先輩から教えてもらって受講を決めたのだ。そういえば、教授が亡くなった場合は、単位ってどうなるんだろう。一律〈D〉、つまり合格圏内の最低ランクの評価が全員に与えられる、という噂を聞いたことがあるけど、それだとなんだか損した気分になる。不謹慎だけど。

 閑話休題

藤見先生の研究室は、東尾先生や高池先生の研究室とはまた異なった雰囲気だった。

児童福祉が専門だという先生の部屋は、専門書や福祉に関する雑誌だけでなく、小さな子どもたちとの集合写真や、手づくりのぬいぐるみなんかが飾られている。

事務机の上には、パソコンの他に裁縫道具のセットと、クマとネコのパペット。直径二十センチほどの丸い頭が可愛らしい。どうやら、パペットを手造りしている最中だったようだ。

藤見先生は三条さんに「あのう、刑事さん」と声をかけた。

「今日、夕方から近所の児童福祉施設に行く予定なんです。ボランティアのカウンセラーとして……なので、なるべく早く、終わらせていただけますか?」

「カウンセラー? 大学の先生をしながら、カウンセラーもなさってるんですか?」

 三条さんは藤見先生の質問には答えず、感心したような声をあげた。

「カウンセラーって、どんなことするんです? ワインセラーみたいな響きですけど」

 真面目な顔で、間の抜けたことをいう三条さん。それはまったくの別物だろう。

「そうですね……場合によりますけど、子どもたちから話を聞いたり、その子どもの周辺の大人……施設の先生から、先生の視点から見た子どもの様子を聞いたりします。子どもたちと一緒に遊んで、そこから普段の様子を見るというようなこともしますね。今日は、施設の近くのアスレチックに行く予定もあったんです……アスレチックの好きな子のカウンセリングだったので……」

 だからだろう。藤見先生の服装はいかにも身軽そうで、カジュアルだった。

 半袖のポロシャツに、八分丈くらいの微妙な長さのジーンズ。足元は踝までの黒い靴下に同じ色のパンプス。

「ねえ、先生。これ、どうしたんですか?」

 それまで黙りこくっていた牧野が、ふいに声をあげた。「これ」とは、机の上のハンカチのことだった。もとは淡いブルーのハンカチだったのだろうが、ピンク色の液体でひどく汚れてしまっている。

「ああ、それ? マニキュアで汚しちゃったんです。こぼしちゃって。ほら、これ」

 そういうと藤見先生は、ジーンズのポケットからマニキュアの容器を取り出した。

 本郷さんがそれを受け取ると、中身を確認する。

「本当だ、ほとんどすっからかんだな……色も、それと同じみたいだ……あんた、もったいないことするなあ。高いだろ、これ」

「ええ……このマニキュアの色、子どもたちにも受けが良いんです。だから、塗っていこうと思ったら手を滑らせちゃって……」

「災難だったな。で、あんたは朝の八時半すぎに防犯カメラの前を通って、ここに来たはずだが、それから十時半まで何をしてた?」

「あのパペットを作っていました」

 藤見先生はそう言って机の上を指さした。

「今度、カウンセリングの時に使おうと思って」

 球状の頭のクマとネコ。その頭には、おそらく綿がいっぱい詰まっているのだろう。

ほかにも余ったらしい綿が机の上に散乱していた。小さくちぎられた綿は、まるで綿菓子のようにも見えておいしそう……そういえば、お昼、まだだった。死体を見たショックで、空腹感すらも忘れていた。

 ぱんぱんに膨らんだ頭とは対照的に、身体は綿が入っておらず平べったい。ここに手を突っ込んで操るのだろう。両手にクマとネコのパペットをはめ、子どもたちと遊ぶ藤見先生の姿が目に浮かぶ。彼女は大学の准教授より、幼稚園の教諭のほうが似合っている気がする。

「あんたと被害者は同じ学科だったらしいけど、被害者はどんな人だった?」

「……柊沢先生は、なんというんでしょう、地域福祉に対する熱意の凄い人で。それも、法関係に特に関心を持たれているようでした。学会なんかにも、積極的に参加されていて。研究熱心な方でした」

「ずいぶん、口の悪い人だったらしいが、そこのところはどうだ?」

「そうですね。確かに、厳しい方でした。私も色々とご指導いただきましたし。けど、それも研究熱心だったからのことだと思います。そりゃあ、言い方や言葉の使い方に問題があった部分もありましたけど……」

 最後の方は消え入るような声だった。故人を悪くいうのはしのびないと思ったのだろうか。彼女は小さく息を吐くと、それきり押し黙ってしまった。

 

 三人の先生には、再び四階の待機室―柊沢先生の研究室の隣室―に戻ってもらう。そして僕たちは廊下の外へ。

「どう? 誰が犯人か、わかった?」

 三条さんに問われ、僕と牧野は同時に頷いていた。

「あぶそるうとりい」

 牧野の言葉に首を傾げる三条さんと本郷さん。発音が悪すぎる。第二外国語にロシア語をとったやつが、無理にドイツ語を話すんじゃない。

「じゃあ、聞かせてもらおうかな、探偵さんの推理」

 三条さんの口調は、探偵に謎の解明を乞う警察、というより生徒の解答を採点する教師のようだった。きっと、彼も事件の真相はとっくに見抜いているのだろう。

 三条さんは相変わらず飄々とした笑みを浮かべている。それを見ているうちに、僕の中の「負けず嫌い」な部分が顔を出してきた。

 いいだろう。僕も素人探偵として推理してやろうじゃないか。やられっぱなしでいるもんか。解いてやろう、この事件と謎の真相を。

 

  4

 本郷さんたちが、柊沢先生殺害の犯人を連れて去って行ったあと。

 僕たちは大学の近所にある喫茶店でオムライスを頬張っていた。僕たち、とは、僕と牧野と、それから三条さんの三人である。彼も昼食をまだ食べていないというので、僕が誘ったのだ。

 昼食の時間をだいぶ過ぎているからか、店内には僕たちのほかに客の姿はなかった。

 三条さんはオムライスがお気に召したらしく上機嫌で、

「やっぱり、探偵さんに頼って良かったよ。おかげで、こんなに美味しいオムライスが食べられるんだもん」

 探偵と〈食べログ〉を混同している。

「それに、事件も無事解決したし。お見事な推理だったよ。さすが名探偵」

 三条さんは大袈裟な物言いで褒めてくれるけど、僕たちが真相に行きついた時点で彼も恐らく、誰が犯人かわかっていたはずだ。

 犯人は、藤見尚子先生だった。

 その根拠となったのは、柊沢先生の研究室に残されていたコーヒーだ。より、厳密にいうならば、カーペットに残されたコーヒーの染み。

 柊沢先生の履いていた靴は、コーヒーでひどく汚れていた。その傍には、ほとんど空になったコーヒーポット。そこから僕は「先生は何かの拍子にコーヒーポットを倒してしまった。その時にこぼれたコーヒーのせいで、靴が汚れたのだろう」と考えた。

 だけど、それだと少々変なのだ。

 先生はパンツタイプのレディーススーツを着用していた。当然、踝まである長ズボンだ。

 テーブルの上にあったポットが倒れて、中身が足元にかかったのなら、ズボンの裾も汚れているべきではないのか。しかし、先生のスーツは綺麗なものだった。黒ならともかく、ベージュだったから、コーヒーの染みがあったらすぐに気づく。

しかも、女性もののパンツスーツは、ヒールのある靴を履くことを考慮して裾がやや長く作られている。ヒールのない靴を履けば、そのぶんズボンの丈が余り靴を覆い隠すことになるだろう。そうなるとますます、ズボンが汚れていないのは不可解だ。

 では、なぜ先生のスーツは汚れていなかったのか。たまたま裾をまくりあげていた、という可能性も考えられなくはない。けど、研究室でそんなことをする理由はないし、スーツにはまくり上げたあとのような皺もなかった。

 次に考えられるのは、彼女が履いていた靴が、実は柊沢先生のものではなかった、というケース。

 そもそも、コーヒーポットを倒し、靴を汚したのは柊沢先生ではなく犯人だった。コーヒーで自分の靴を汚してしまった犯人は、自分の靴と柊沢先生の靴を交換した。

 なぜ、交換したのか? もちろん、コーヒーの染みがあると不都合だったからだ。では、なぜ、コーヒーの染みがあると不都合だったか。例えば、東尾先生のように自室でコーヒーを飲んでいる人は困らない。「この染みは、自室でコーヒーを飲んでいる時に、うっかり零してしまったものです」と言えばいいのだから。

 困るのは、高池先生や藤見先生のように、自分の研究室にコーヒーがない人。その染みは、どこで作ったのか、という話になる。外へコーヒーを買いに出て偽装工作する手もあるかもしれないが、唯一の出入り口には監視カメラ。外に出ようとすれば、その姿が記録されてしまう。あまり不審な動きをすることもできず、犯人は警察が来るまでの間、館内に留まっているほか、なかっただろう。

 犯人は柊沢先生を殺害する前、もしくは後にコーヒーで自分の靴を汚してしまった。そのままでは、自分が犯人だとばれてしまう恐れがある。そこで、自分の汚れた靴と、柊沢先生の履いている綺麗な靴を交換した。

 それが出来るのは、誰か。単純に考えれば、同じ女性であり靴のサイズが近いであろう、藤見先生しかいないではないか。

 それに、柊沢先生はスーツを着ていた。スーツに普通、運動靴はあわせない。それと同様に、これからアスレチックに行こうとする人間が、パンプスを履くというのも、やや不自然だ。

 スーツにパンプス。運動靴でアスレチック。これなら、しっくりくる。

 しかも、藤見先生が履いていたのは八分丈くらいのジーンズだった。

 丈が短かったから汚れなかったのかとも思ったが、そこは予想とは少々異なる真相が待っていた。

 どうやら、先生は当初、踝まで丈のあるジーンズを穿いていたらしい。そして、コーヒーポットを倒した際、靴と共にジーンズの裾も汚してしまった。そこで、彼女はその汚れた部分を裁ちばさみで切り取ると、パペットの頭にそれを隠したのんだ。机の上に綿が散乱していたのは、切り取った布を隠すため、そのぶん邪魔な綿を取り出したからだった。だから、ジーンズの丈がどっちつかずの微妙な長さになってしまっていたというわけである。

 靴が交換されていた。そこに気づけば、なんてことのない、簡単な話だった。

 藤見先生は、もともと自分が犯人だと名乗り出るかどうか、迷っていたらしい。靴を交換したんだろう、と本郷さんから指摘されると素直にそれを認めた。

 今日の九時過ぎ、藤見先生は柊沢先生の部屋を訪れた。昨日、発刊された雑誌に掲載された柊沢先生の藤見先生の論文に対する論評に、納得のいかない部分があったかららしい。

 そこで、自分の行っているカウンセリングについて「そんなことをして何か利益があるのか」というようなことを嫌味たらしくいわれ、逆上。気づいたら、殺してしまっていた―というのが、彼女の証言だった。コーヒーポットは、被害者を殴った後、よろけた際に倒してしまったらしい。

 ついでに、これは事件の証拠としては使えないだろうとのことだったけど、先生は自分の使ったコーヒーカップをハンカチで拭いた、と証言していた。底にちょっとだけ残っていたコーヒーをハンカチでぬぐい取ったところ、思った以上に目立つ染みが出来てしまったため、マニキュアを上からこぼしてごまかそうとした、とのことだった。

「ねえ、三条さん、牧野」

 オムライスも食べ終わり、一息ついたところで僕は話を切り出した。

 二人の視線が、僕に集まる。その表情が僕にはなんだか可笑しかった。彼らはきっと、僕がこれから何を話そうとしているのか、さっぱり見当もついていないのだろう。

 これから推理を始めようっていう探偵って、ひょっとしてこんな気持ちなんだろうか。

「探偵、なんて呼ばれたの、僕、今日が生まれて初めてなんですよね」

 その言葉に、二人は揃って頷いた。

「探偵ついでに、もう一つ、推理を披露してみようと思うんですけど、どうです? 聞きたくありません?」

「推理? 聞きたい!」と三条さん。

「推理って、なんの推理だよ?」と牧野。

「そうだな……強いていえば、ホワイダニット、かな」

 厳密にいうと、それにも当てはまらないのかもしれない。ミステリの分類というのは、ややこしくて難しい。

「ではまず、結論から。三条さんと牧野は共犯者だった。違いますか?」

「共犯? 何いってるんだ。今回の事件の真犯人が、俺と三条さんだったっていうのか」

「そうじゃない。その事件の真相は、どうだっていいんだ。三条さんと牧野は、共犯者だった。共謀して、僕と牧野が捜査に加われるよう一芝居うった。違いますか?」

 三条さんと牧野は顔を見合わせた。

「突然、すごいことをいい出すね。どうして、そう思うの?」

「まず、そもそも、警察関係者が一般人を事件の捜査に協力させようっていうのがおかしいんですよ、やっぱり」

 しかも、僕たちは第一発見者だ。幸い、すぐに容疑者から外されたけど、もっと疑われてもおかしくはない。

「僕がミステリ研究会という推理小説のエキスパートを信頼していた、というのは? 割と、個人の考えとか感性の違いもあるとは思うけどね」

「いいでしょう。つまりは、三条さんは〈ミステリ研究会=推理小説を読む会〉だと理解していた、ということですね?」

「そうだね」

「よくご存知でしたね。本郷さんは、ミステリのことをUFOとか、そういうオカルトチックなものと勘違いされていました。ある意味では、そちらの方が正しいんです。UFOの着地点を〈ミステリーサークル〉なんて呼んだりしますし、オカルトな意味で〈ミステリー〉という単語を使うことも多い。三条さんがお若い頃は〈推理小説研究会〉という呼称の方が、まだメジャーだったんじゃないんですか? 未だに〈推理小説研究会〉という名前のサークルも残っているというのに、よく〈ミステリ研究会〉と聞いて咄嗟に〈推理小説〉の方が出てきましたね」

「前に見たんだよ、他の大学で、〈ミステリ研究会〉を。そこで知ったんだ」

「なるほど」

 一応、理由としては成り立つ。それに、「ミステリ研究会」と聞いて絶対にオカルトを思い浮かべるわけでもない。そういう人が多い、というだけの話だ。

「では、次の質問。あなたは、どうして、僕が白藤椿だとわかったんですか? 僕は一度も、自己紹介なんてしていませんよ」

「え? 僕が到着したときに本郷君が教えてくれたんだよ。きみも、そのときいたでしょ?」

「ええ、いました。本郷さんは確かに、僕と牧野の名前を口にした。けど、それは本当にただ、名前を口にしただけなんです。僕と牧野に背を向けて。いいですか、それだと〈白藤椿〉と〈牧野剣〉という名前はわかっても、二人の男子大学生のうち、どちらが〈白藤椿〉でどちらが〈牧野剣〉か、まではわからないんですよ」

「そんな状況だったかな……」

 牧野は黙って三条さんを見ている。今の彼にぴったりなオノマトペは『ハラハラ、ドキドキ』だろう。

「ええ。なのに、あなたは僕を見て『椿君』と言いました。椿君の髪形は、八十年代のフォークソングシンガーを意識しているのか、とね。髪の毛の長い方が〈白藤椿〉だと、あらかじめ知っていたかのようだった」

「……運命を感じたんじゃないかな、僕は」

 何をいい出すのだ、この男は。

「いいえ、違いますよ。そんな迷信めいたものじゃない。あなたは、あらかじめ知っていたんです。僕が〈白藤椿〉である、とね」

「でも、僕ときみは今日初めて会ったじゃないか。まさか、警察のデータベースであらかじめ、きみのことについて調べて来たんだろう、なんていわないだろうね」

「もちろん。言い方を変えましょうか。あなたは、確かに僕のことは知らなかったかもしれない。けど、僕が〈牧野剣〉ではないことは知っていたんです。あなたは、牧野のことは知っていた。あなたと牧野は知り合いだった」

「突拍子もない話だね。そうだ、僕は考えなしに、名前の雰囲気だけできみを白藤椿君だと思ったんだ。その、可愛らしい名前だからね。それに似合った雰囲気の子が椿君なんだろうと、無意識に思っちゃったんだよ。うん、そうだ、それだ。警察にあるまじきことだね。反省しよう」

「ふうん」

 僕は質問の矛先を、牧野に変えてみることにした。

「おい、牧野。三条さんとは、知り合いじゃないのか?」

「知り合いじゃないよ、うん」

 口ではそう言いつつも、視線を合わせようとしない。嘘をついている小学生みたいだ。

「本当かよ? お前なら、知り合いになろうと思えば、簡単になれるんじゃないの?」

「ばかだな、なれるわけないだろ、相手は捜査一課課長だぜ。俺はただの大学生……」

「はい、アウト!」

 やっぱり引っかかった。いや、ここまできれいに引っかかってくれるとは思っていなかったけど、語るに落ちる、だ。牧野のバカチン、ここに極まり。

 今の受け答えのどこが悪かったのかわからなかったのだろう、牧野は「え? え?」と不思議そうに、僕と三条さんの顔を見比べた。

 僕にかわって三条さんが小声でいう。

「僕、白藤君に自分の役職、言ってない……たぶん」

「聞いた記憶がありませんね」

「なんとなく、そう思っただけだよ……」

 そう反論する牧野の声は、消え入りそうな弱弱しいものだった。

「まだありますよ」

 僕はぴんと人差し指をたててみせた。ややげんなりした二人の表情。うん、小説の中の探偵になったみたいで、なかなか面白い。

「三条さん。藤見先生から話を聞く前に、僕たちに訊きましたよね。『福祉学科の学生じゃないのに、どうして柊沢先生の授業を受けているの』……名前と同様、僕たちはまだ所属学部や学科を言っていませんでした。あなただけでなく、本郷さんにもね。学生証も見せていません。なのに、どうして福祉学科ではないとわかったんでしょう?」

「……パフェでも食べよっかな」

「俺も俺も」

 話を逸らすんじゃないと思いつつ、僕もパフェを注文。頭を使うと甘いものが欲しくなる。

「なんで、知っていたか、だっけ」

「はい」

「牧野君に教えてもらったんだ」

 三条さんは別段、悪びれる様子もなく、あっけらかんといってのけた。それまでの出し渋りが嘘のようだ。

「僕と牧野君、同じカルチャーセンターの友達なんだよね」

「三条さん、言っちゃうの?」

「だって、もうバレバレだよ。仕方がないよ」

「ちえー。バレない方が、ソレっぽくて良かったのに」

 牧野はまだ、もったいぶっていたいらしい。

「やっぱり知り合いだったんですね」

 したり顔で頷きつつも、僕は内心、ちょっとばかり動揺していた。牧野のいっていた〈友だち〉とはこの人だったのか。なんとなく同世代の人間を想像してしまっていた。僕、三周りも年上の人に嫉妬していたンだ……いやいや、そもそも嫉妬なんてしていない。絶対に。

 三条さんは僕の気など知らず、うふ、と嬉しそうに笑って、

「うん。『世界の奇妙な建築物を学ぼう』っていう講座が月に一回あるんだよ、駅前のカルチャーセンターで。そこで知り合ったんだよ」

「へえ」

 なんだ、そのへんてこりんな講座名は。受講生、集まるのかしら。牧野はそんなものを受けて、いったいどうやってミステリに活かすつもりだったんだろう……。

「それで意気投合したんだよねえ」

「うん。俺さ、建物にいっぱい仕掛けのあるミステリが書きたいなあって思って、カルチャーセンターの講座に通うことにしたんだけど、三条さんもそうだったんだよね?」

「同じ考えの人がいるなんて思わなかったからね。びっくりしちゃった」

 ミステリのネタにするために、建築物に関する講座をとる人はなかなかいないだろう。

「意気投合して、それで?」

「一緒に遊ぶようになってね、それで話してたんだよね。『探偵が事件を解決したら面白いのにね』って。『自分が私立探偵だったら』って話で、すごく盛り上がったもんね」

「そうそう。それで、今回の事件だろ? 先生には悪いけど、ラッキーって思って……三条さんにメールしたってわけ。『偶然いあわせた探偵が事件を解決する』っていうの、面白そうだと思って」

 僕は通報した直後のことを思い出す。牧野のやつ、熱心にスマホをいじっていると思ったら、三条さんと連絡を取り合っていたのか。

「それにしたって、わざわざお前と三条さんが知り合いであることを隠す必要はなかっただろ?」

「顔見知りより、初対面の方が小説の『探偵にとっての初めての事件』ぽくていいかなって」

「初めてって、お前はまだ、事件に巻き込まれるつもりなのか」

「えへへ」

 そこへパフェが運ばれてきた。ポッキーやプリン、バニラアイスがてんこもりに盛られている。カップの底のほうには、コーンフレークが詰まっているのが見えた。

「面白かったでしょ、探偵ごっこ」

 三条さんの警察官とは思えぬセリフ。こんな人が捜査一課の課長だなんて、日本警察の将来が不安になってくる。

「もうやりたくはありませんけどね」

 そう言って僕は、牧野のパフェに乗っているバニラアイスを一口。

「あーっ、あーっ!」

 バニラアイス好きの牧野が、言葉にならない悲鳴をあげた。

「レポート提出について行ってやったんだから、対価は支払ってもらわないと。迷惑料!」

「だからって、食べるなよお。あー……」

「プリンももらっていくぞ」

 残りのバニラアイスとプリンを、自分のパフェの上に移す。もともとてんこ盛りなので、乗せるのが難しい……ジェンガみたいだ。それを見て牧野はガックリと肩を落とす。

「……無慈悲だ……」

 その隣で三条さんは、もくもくと自分のパフェを頬張っている。僕たちのパフェとほぼ同じタイミングで運ばれて来たはずなのに、彼のはもう半分くらいに減っていた。

「なーにが、無慈悲だ。レポート提出は遅れるわ、事件に首を突っ込んで面白がるわ、俺に嘘は吐くわ……このバカチンめ」

「俺は、バカチンじゃないよお……」

 半ベソをかきながら、パフェの残された部分を食べ始める牧野。自業自得じゃないかと思いつつ、なんだか気の毒になってきて僕はつい、自分の手つかずのバニラアイスを彼のパフェの上に乗せてしまった。

「ありがとう!」

 牧野はバニラアイスを一口で食べきってしまった。満足気な顔。今泣いた烏がもう笑う、だ。それを見てホッとしてしまう僕も、ひょっとするとバカチンなのかもしれない。

「こんなに美味しいパフェが食べられるのなら、またきみたちに探偵して欲しいなあ」

 三条さんは三条さんで、空っぽになったパフェの容器を名残惜しそうに眺めている。僕はパフェを食べるために探偵なんてしたくはないけど。この人もこの人でズレているというか、バカチンというか。

「俺、本当に探偵になりたいなあ。不可解な暗号とか、どこかにないかなあ」

「僕も、僕も。暗号とか、解きたいねえ、名探偵になって」

 まだいっている。

 二人を見ていると、〈探偵〉という単語に〈バカチン〉と振り仮名をふりたくなってしまう。

 まったく、二人揃ってバカチンだ。ついていけない。

 けど、嫌いにもなれない。むしろ、一緒にいたいと思うのはなぜだろう。

 やっぱり、なんだかんだいっても、牧野のことが好きだからだろうか。これで良いところもいっぱいあるやつだ。

 まだ知り合ったばかりだけど、三条さんのこともきっと、好きになれる気がする。

 彼らのことはこれから、探偵(バカチン)たち、とでも呼んでやろうか。〈探偵〉と書いて〈バカチン〉と読む。うん、この二人にぴったりじゃないか。

「なあ、白藤も探偵になりたいよな?」

「え?」

 牧野の言葉に、僕は少し考えた。

 殺人はもうごめんだけど。

日常の謎〉くらいなら、一緒に解いてもいいかな。

 この愛すべき探偵(バカチン)たち、と。

紅の部屋

紅の部屋

 

   1

 彼の右側頭部から流れる血は、赤かった。赤、朱、紅。どれを使うのが良いだろう。彼の血液の上に夕陽が覆いかぶさって、世界はいよいよ赤かった。

「僕が殺したんだ」

 やっと声変わりを迎えた幼い声に振り向くと、少年が私の目を見据えていた。むろん、嘘だと私は思った。そんなこと、あるものかと。

「僕が、殺したんだ」

 少年は言葉を区切りながら、繰り返した。

 なにもいうことができず、私は死人の方を今一度、振り返った。死体ごしに見る窓の外は、夕暮れどきで赤い海の底に沈んだかのようだった――。

 

   2

 まるで、赤い海の底にいるかのようだった。

 まったく気づかなかった。まだ昼過ぎだと思っていたのに、いつの間にか午後五時を回っている。九月にもなると、日が短くなる。窓の外はもう、夕暮れどき。

 正面に座っている彼を見ると、瞼を閉じソファに身を沈めていた。膝には読みかけの本――ル=グウィンの『影との戦い』――が開いたままになっている。読んでいる最中に、眠ってしまったらしい。身体が小さく、静かに上下している。

 立ち上がって近寄ると、長い睫毛が眼もとに影を落としているのが見えた。掛け値なしにきれいだと思った。睫毛だけでなく、黒い髪も眉も首筋も。今年で五十八になるという彼の外見は、いわれてみれば確かに還暦近い男性のそれだったけれど、たとえいくつであっても、男性でも女性でも、僕はきっと彼のことを好きになっていただろう。

清凉寺さん」

 声をかけると、彼はゆっくりと目を開けた。

「寝てた……?」

「はい」

 僕が頷くと、清凉寺さんは恥ずかしそうに少し笑った。

 僕は手に持っていた本の表紙を彼に見せながら、

「あの、これ、借りても良いですか?」

「うん……?」

 清凉寺さんは眠たそうに目をこすりつつ、僕の手元を覗き込んだ。身体が近くなる。微かに、洗剤の香りがした。清凉寺さんは少し、洗剤を使いすぎている気がする。

 僕が持っていたのは、大きなシルクハットの絵が描かれた文庫本。帽子の下には『ローマ帽子の謎』という文字。

「いいよ。そこにまだあるだろう、似たようなのが。そこにある本は好きに持って帰って読んでくれていいから」

 清凉寺さんはそういって、僕の背後にある本棚を指さした。清凉寺さんのいうとおり、五段ある棚のうち、二段はミステリ小説で埋まっていた。エラリー・クイーンだけでなく、コナン・ドイルチェスタトンも並んでいる。ちなみに、残り三段のうち二段はファンタジーとSF小説――ル=グウィンJ・K・ローリングレイ・ブラッドベリなど――で、一番下の段には雑誌とレコード、CD数枚が並んでいた。

「ありがとうございます」

 僕は礼をいって、鞄に本をしまった。明日、学校で読もう。今日中に読み切ってしまうのはもったいない。

「帰るかい?」

「はい。また、明日、来ます」

「今日と同じくらいの時間?」

「はい。今日と明日は研究授業があるらしくて、午前中で授業は終わるんです」

 先生たちは別の学校に授業を見学に行かなくちゃならないらしい。先生がいないと授業が出来ないから、学校は午前中で終わり。学校嫌いの僕にとっては、このうえなくありがたい。どうせなら、昼食の時間もなしにしてくれたらいいのに。

 清凉寺さんは「そうか」と納得顔になって、

「今日は早いなと思ったら、そういうことだったのか。じゃあ、お昼ごはんは?」

「え?」

「授業は午前中でおしまいなんだろう? じゃあ、お昼ごはんは食べてないのかい、今日?」

「えと、昼を食べてから、それから掃除して終わり、なんです。だから、昼は弁当、食べました」

 休日には何度か、清凉寺さんの手料理をご馳走になったこともあった。先週の日曜日につくってもらったナポリタンを思い出し、嘘を吐けばよかったと後悔する。……図々しすぎるか。

「へえ。なんだか不思議だね。午後は授業ないのなら、お昼ごはんをわざわざ学校で食べる必要、あるかなあ」

 まったく、その通りだと僕は深く頷いた。

 清凉寺さんは壁にかかった時計を見やって、

「さ、そろそろ帰った方がいい。おうちの方が、心配なさるだろうから」

 僕は素直に「はい」と頷いたけど、心に少し靄がかかった。おうちの方が心配、だって。清凉寺さんは僕を必要以上に子ども扱いしている気がしてならない。

「また、来ます」

 頭を下げて、家を出る。初めのころは「お邪魔しました」といっていたのだけど、清凉寺さんが「邪魔じゃないんだから、そんなこといわなくていいよ」といったので、やめた。その言葉が嬉しくて、今でもときどき寝る前なんかに思い出すことがある。できることなら録音しておきたかった。

 玄関の外に植えられている二本の木は、夏の頃の緑を失い、根元に葉を落とし始めていた。桜と橘だと、以前、清凉寺さんに教えてもらった。玄関を挟むようにして、隣り合わせに植えられている木を見るたび、僕は仁王門を連想する。

 洋館に仁王門は不釣り合いだろう。西洋には、仁王門のようなものはないのだろうか?

 

 僕、こと梅野紫希(しき)が彼、清凉寺右近氏の家に通うようになって、もう半年近く経つ。

 半年前。僕は高校に入ってまだ一か月だというのに、すでに、学校に通うのが嫌になっていた。

 家から電車で二駅。交通の便は悪くない。毎年、数名は現役で国公立大学に合格している中堅の進学校。中学三年生のときの担任にすすめられ、受験を決めた。

 授業は難しすぎず、易しすぎず。問題児がいるわけでもなく、皆、真面目そうな顔。良い子でいつつ、力を抜くところは抜いて、楽しい学校生活をモットーに。好きなものは友達との何気ない会話と、クラスの絆。そんなやつらばかり。

 とどのつまり、僕は友達と休み時間にだべることだとか、体育祭や文化祭で発揮しなくてはならないらしいクラスの絆とやらを、好きになれなかったのだ。高校生たちの群れに潜り込むことができなかった。ただ、それだけ。

 人の輪から外れ、部活にも委員会にも所属しなかった僕は、放課後の時間を持て余していた。学校の息苦しさからは解放されても、それだけで幸せになれるわけではないのだ。

 授業が終わってすぐ家に帰れば、母に「部活に入れば良かったのに」「内申点に響いたりしないの」などと絡まれる。それはそれで苦痛だ。

 だから僕は、放課後は駅前の図書館か学校の図書室で時間を潰してから、家に帰るようにしていた。

 では、なぜ、そんな僕が清凉寺さんの家に通うようになったかといえば、それは偶然、としか説明のしようがない。

 ゴールデンウイーク明けの放課後。学校は図書室の書架整理のために、駅前の公共図書館は定休のためにそれぞれ閉まっていて、僕は行き場をなくしてしまっていた。

 直接家に帰るのは気が進まず、散歩でもして時間を潰そうかと思い彷徨った挙句、たどり着いたのが清凉寺さんの家だった。

 今どきなかなかお目にかかれないレンガ造りの洋館、そして〈清凉寺〉という珍しい名前に興味を惹かれ、僕はその清凉寺邸の前で足を止めた。そういや、学校の近くに古い洋館があるとか、そこはお化け屋敷で亡霊が出るなんていう眉唾ものの噂話をクラスメイトが話していたな、お化け屋敷にしちゃあ、小奇麗じゃないか、などと考えていたら。

「うちになにか、ご用?」

 背後から声をかけられて振り返ると、買い物袋を手に提げた中年男性が立っていた。それが家主の清凉寺右近さんだった、というわけだ。

 きっと、彼から見れば、あのときの僕は不審者に見えたことだろう。門の前に立って表札や、庭の様子をじろじろと眺めていたわけだから、制服を着ていなかったら通報されていたかもしれない。

「綺麗な家ですね」

 気が付けば、そんなことを口走っていた。「映画に出てきそう」

 あのときは、とにかく怪しまれないようにするので精いっぱいだった。頭に血がのぼってしまって、自分が何をいったのか、詳細には覚えていない。

 でも、このときの僕は実に幸運だった。ツイていた。あとでインターネットサイトを見てみたら、その日の星座占いでは一位だったから、そのおかげかもしれない。

 突然、雨が降って来たのだ。

 最初は霧吹きで吹いたような細かい雨だったのが、瞬く間に大粒の水滴の大群へ、姿を変えた。

 僕は、咄嗟に、雨宿りをさせてくれるよう頼んだ。傘を持っていないから、と。鞄の中に折り畳みの傘が入っていたにも関わらず。

 清凉寺さんは、怪しむことなく、また嫌な顔もせず、僕を館の中へ入れてくれた。濡れてしまった身体を拭くタオルと、温かい紅茶も出してくれた。

 通り雨だったらしく、一時間ほどで空は何事もなかったかのように、セルリアンブルーへと戻り、僕は清凉寺邸を出た。そして、それをきっかけに、僕は清凉寺邸に通うようになった、というわけだ。

僕にとっての放課後の楽しみ。それは〈ささやかな〉なんてものではなく、それどころか〈生きる喜び〉と表現したっていいくらいだった。平日だけでなく、ときには休日にも僕は清凉寺さんに会うために彼の洋館へ足を運んだ。

母親には「図書館で勉強している」といっている。「清凉寺右近という学校の近くに住んでいる中年男性の家に通っている」なんていったら、どんな顔をされるか。行くなと怒られるに決まっている。アルバイトだって「そんなことしている暇があったら勉強しなさい」といって、禁止するような母なのだから、勉強もせずに見知らぬ男の家に出入りしているなんて知ったら、外出禁止令を出されるかもしれない。

とにかく、清凉寺さんのことは、母親には絶対に秘密にしなくてはならなかった。

 

 ――夜。

 眠くなるのを待つ間だけ、と清凉寺さんから借りた『ローマ帽子の謎』を読んでいた僕は、三分の二ほど読んだところで手を止めた。これ以上読むと、明日の休み時間に読む分がなくなってしまう。

 しかし、待てども眠気はこず、かといって勉強をしようなんていう高尚な精神も持ち合わせていない。そこで僕は、勉強机の引き出しから一冊の大学ノートを取り出した。

 表紙は色あせ、紙も弱ってきているそのノートは、二年前に亡くなった大叔父の遺品だった。

 母の父の弟にあたる彼は、生涯独り身で子どももなく、その遺品整理は僕の両親と僕、伯母――母の姉にあたる――夫婦によって行われた。このノートはそのとき見つかったものだ。

 このノートを見つけたのは、他でもない僕だった。一応、両親や伯母夫婦にも見せたが、皆、中をきちんと読もうとはしなかった。四人とも口をそろえて、

「こんな字、読めっこない」

 というのである。確かに、大叔父の字は特徴的で、まるで古典の教科書に載っている崩し字のようだった。

 中身は日記。といっても、日常的なことはほとんどなく、仕事の上で印象に残ったことを思いつくままに綴っていた。退職したのちに、書き記したものらしい。確かに文字は読みづらかったが、その内容はなかなか読みごたえがあって、つい僕はそれを家まで持って帰ってしまった。

 大叔父のことを僕はよく知らない。母によると、六十歳で仕事をやめたあとは、東京から四国の田舎へと引っ越し、七十八歳で亡くなるまで一人暮らしを続けていたらしい。

 両親も伯母夫婦も大叔父について知っていることは少なかった。皆、数えるほどしか会っていないのだという。親戚の中で唯一、大叔父と同世代である祖母(母の母である)は、遺品整理には来なかったので、話を聞くことはできなかった。その祖母も、去年亡くなった。もう、大叔父の話を誰かから聞くことはできないだろう。

 生まれてから一度も会ったことがなく、遺影の写真と棺の中の死に顔しか知らない大叔父。僕とは関係の希薄な彼の書き残した文章は、僕の心を奇妙に惹きつけた。

 心を惹きつける、という意味で大叔父は清凉寺さんに似ている。顏は清凉寺さんのほうがずっと綺麗だけど。

 清凉寺さんが大叔父の日記を読んだら、どんな顔をするだろうか。僕には想像もできなかった。

 

   3

 翌日。

 僕は教室の掃除もそこそこに、学校をあとにした。その足で真っ直ぐ、清凉寺さんの館に向かう。彼の家へと続く坂道も、すっかり歩き慣れた。

 チャイムを押すと、清凉寺さんはすぐに扉を開けてくれた。彼は、毎日のように通ってくる僕のことを、どう思っているのだろう。口では「邪魔じゃない」といってくれたけど、内心、迷惑に感じていないか、ときおり心配になる。

 今日も、館には清凉寺さん一人しかいなかった。僕は、この洋館にほかの人がいるのを見たことがない。清凉寺さんは一人暮らしだといっていたけど、客が来ている気配もないし、僕がいないあいだ、どんなことをしているのか、さっぱり見当もつかない。訊ねれば教えてくれるかもしれないが、なんとなくタイミングを逃してしまっていた。

「あの、これ、ありがとうございました。面白かったです」

 僕が鞄から『ローマ帽子の謎』を取り出し礼をいうと、清凉寺さんは「ふうん、それはよかった」とよく理解できていない顔で頷いた。

「どうだい。今日、新しく茶葉を買って来たんだけど、よかったら飲む?」

「いいんですか?」

「もちろん」

 清凉寺さんは愉快そうにクツクツ、と喉を鳴らすと、書斎を出て行った。紅茶を淹れるためにキッチンに向かったのだろう。彼の喉から出るクツクツ、という音。最初はよくわからなかったのだけど、やり取りをしていくうちに彼が上機嫌のとき特有の笑い方らしいことがわかった。

 待っているあいだ、本棚に並んだ背表紙を眺めていることにする。

 光の当たり具合の関係だろうか、五段ある棚ごとに背表紙の保存状態はだいぶ違っていた。上から二段に収まっているミステリ小説の背表紙はかなり色あせ、なかにはパッと見ではタイトルを確認できないものもある。

 それに対し、ファンタジーやSFの方は新しい本が多かった。もちろん、上二段に収められている本のように日焼けし、カバーの擦り切れた本もあるけれど、すべてがそうだというわけではない。

 一番下の段には、雑誌とレコード。どれも八十年代に発行されたり、新盤として発売されたりしたものばかりだった。SP盤がかなりの割合を占めている。それからCDが数枚。こちらは、比較的新しいものが揃っていた。

雑誌は主に音楽雑誌。音楽に興味のない僕には、ぱらぱらとページを捲ったところでさっぱり、どこが面白いのかわからなかった。

 けど、清凉寺氏にとっては、面白いものだったのだろう。ところどころに付箋が貼られていたり、赤ペンで印がつけられていたり。内容が理解できなくとも、これを読んでいた人の様子を考えるだけでじゅうぶん楽しめる。

 特に興味深かったのは、とある新人歌手(当時の新人で、今では誰もが知るベテラン歌手だ)のインタビュー記事だった。歌手の愛車について書かれたページだったのだけど、〈とっても素敵なカレの愛車はソアラ!〉というタイトルを赤ペンで何十にも囲っていた。

「この車で走るのが、とても気持ちいいんだ」という歌手の言葉にも、赤線がひかれ、その横に小さく赤文字で「ソアラに決定」と書き込まれている。恐らく、この記事を見て「ソアラを買うぞ」と決めたらしい。その歌手のレコードとCDが何枚か棚に入っていたから、好きな歌手の愛車を真似たいという気持ちがあったのだろう。清凉寺さんが聴くのなら、僕もこの歌手の歌を今度聴いてみようかな……。

 他の雑誌にもかなりの書き込みがあった。ずいぶん、この歌手にお熱だったらしい。彼の発表した楽曲についてまとめられたページには、なんと一曲ずつ個別に感想を書き込んでいた。それも一言ではなく、縦書きで何行もつらつらと書き連ねられている。書いている最中に手がこすれてしまったらしく、字がかすれて読みにくかった。

「お待たせ」

 雑誌を棚に戻したところで、清凉寺さんが書斎に戻ってきた。丸いお盆の上には、ティーポットとカップが二つ。それに小さな砂糖壺。

「これ、なんのお茶か、わかるかなあ?」

 ふんふんと鼻歌なんか歌いながら、清凉寺さんはポットをそっと傾けた。飴色の液体がカップの中に注がれる。バニラの甘い香りが、湯気とともにあたりに漂った。

「バニラ?」

「だけじゃないんだなあ」

 清凉寺さんはまた、クツクツと喉を鳴らした。よく見ると、クツ、クツ、という音に合わせて喉元が小刻みに震えているのがわかった。

「うーん……」

 カップに鼻を近づけると、バニラに混じって甘酸っぱい香りが嗅覚をくすぐったけれど、それの正体まではわからなかった。

「飲んでごらん。美味しいよ」

 清凉寺さんに促され、砂糖を入れずに少し、口に含む。バニラの紅茶とはいっても、アイスのバニラ味のような甘ったるさはない。そのかわり、酸味のある甘さ――食べたことのある味だ。

「いちご?」

「正解!」

「いちごとバニラの紅茶?」

「そのとおり」

 なんだかアイスみたいな紅茶だ。清凉寺さんは無類の紅茶好きらしく、駅前の茶葉店には週に一回のペースで通っているらしい。これまでにもリンゴのフレーバーティーや、ブレンドティーを何度か飲ませてもらったことがある。

「おいしい……」

「でしょ? 砂糖なしでも美味しいんだ、これ」

 清凉寺さんは自分のカップを持ち上げると、一口すすり、それから笑ってみせた。笑うと、彼の大きな目は糸のように細くなり、日向ぼっこをしている猫を連想させた。

清凉寺さん、昔から紅茶、好きだったんですか? その、子どもの頃から?」

「うん、そうだね……子どもの頃は、こんなにあれこれ、いろんな茶葉を試したりはできなかったけど」

「コーヒーとかは?」

 すると、清凉寺さんは小さく頭を左右に振ってみせた。

「飲めないんだよ、どうしても。胃もたれするんだ」

「ブラックコーヒーはダメ?」

「もう、全然」

「ミルクをいっぱい入れたら飲める?」

「ミルクが九割ぐらいあれば、飲めるかな……牛乳も飲みすぎると体調崩すんだ」

 それはもうコーヒーとは呼ばないだろう。

「それに、コーヒーより紅茶の方が身体に良いよ。カモミールとかローズヒップティーもビタミンが多いっていうし」

 母が「コーヒーは身体に良いの」と食事の前後に必ず、コーヒーを欠かさず飲んでいることを思い出したけど、なにもいわなかった。結局、人それぞれなのだろう。

「ねえ、清凉寺さん」

「なに?」

「この洋館って、いつごろからあるんですか?」

 清凉寺さんは記憶を探るように、一瞬視線を泳がせた。

「そうだなあ。もう六十年は経つね。僕は生まれたときから、この家に住んでたから」

 僕の住んでいる家が、確か築十三年だったはずだ。約五倍。母はよく「もう十年以上経っちゃった。古いし、そろそろどうにかしなくっちゃねえ」なんていっているが、この洋館を目の前にしたら築十三年を「古い」なんて、とてもいえなくなってしまうだろう。

「でも、すごくきれいですね。エアコンだって、新しいのがついているし」

 書斎に取り付けられたエアコンは、センサー付きの新型モデルだった。

 清凉寺さんはケタケタと愉快そうに笑って、

「そりゃあ、定期的に手を入れてるし、何十年も前のエアコンなんて使えっこないからね。でも、外観にはほとんど手を入れていないんだよ。外から見る限りは、六十年前のそのまんま」

 そこで、清凉寺さんはクツクツと喉を鳴らした。

「きみと初めて会った日のことだけど。きみ、この家を『きれいだ』っていってくれたよね。覚えてる?」

「はい」

 僕は頷いた。咄嗟に口から出た言葉とはいえ、あれは決して嘘ではなかった。くすんだ赤色のレンガを積み上げて作られた家は、セルリアンブルーの空を背景に、まるで絵本の一ページのような佇まいだった。

「覚えている限り、面と向かって『きれい』っていってくれたのは、きみぐらいのものだよ。ほかの人は『立派』とか『荘厳』とか『迫力がある』とか、そんな感じ。一番すごいのは『お化け屋敷みたいで不気味』かな」

「それ、面と向かっていわれたんですか?」

「いいや。近所の人が立ち話しているのを、偶然聞いちゃったんだ。僕たち、あまり外を出歩いたり、近所の人と交流したりってしてこなかったからね。そこらへんの道を歩いていても、すぐにはこの館の人間だとは気づかれないみたいでさ。僕がそばを通っても『あの洋館は気味が悪い、どんな人間が住んでいるのやら』みたいな話を堂々と続けてるんだから、おかしいよね」

 清凉寺さんは本当に、面白がっているようだった。

「そんなに、この洋館、お化け屋敷みたいに見えるかな?」

「学校で、その、学校の近所にお化け屋敷があるっていう噂は聞いたことがあります」

 僕の言葉に、清凉寺さんはくるんと目を見開いた。

「そうなの? それって、ウチのこと?」

「たぶん。洋館がどうとか、いってましたから」

 噂の中で〈清凉寺〉という名が出たことはない。〈お化けの出る洋館の噂〉なんて、インターネットで調べれば、それこそ世界中にゴロゴロと転がっていそうな話だし、その噂を口にする人間全員が清凉寺さんの洋館のことを知っているとは考えにくい。

 しかし、清凉寺さんはこの噂に俄然、興味が湧いてきたようだった。ソファに腰をおろすと、僕にも座るよう促し、

「その噂話って、どんなの? 洋館のこと、もっと詳しく説明しないの? ただ、お化け屋敷呼ばわりされているだけ?」

「ええとですね……」

 僕、友達がいないので、詳しいところまではわからないんですよ、とはいえなかった。自覚はしているつもりでも「友達がいない」と再認識するのは、少々苦しいものがある。

「殺人事件があって、その亡霊が漂ってる、とか、そんな感じですね……曖昧ですみません」

 少し、曖昧すぎるかとも思ったが、怪談なんてそんなものだろう。

「へえ……? ちなみに、その噂話の出所はどこか、なんていうのはわかる?」

 清凉寺さんの顔は、笑っていなかった。クツクツと喉を鳴らす気配もない。その表情から彼の考えを読み取ることはできなかった。

「え……いえ。無理だと思います。噂ですから……」

 理由になっていない気がしたが、清凉寺さんはそれ以上追及してはこなかった。思い出したように笑顔に戻って、

「ごめん、ごめん。そりゃあ、そうだよね。ひょっとして、怖がらせちゃったかい」

 どうやら、怖がっていると思わせるような顔を僕はしていたらしい。僕は慌てて頭を振った。

「あ、いえ……その、無責任ですよね。殺人があったなんて、適当なこと噂にして」

 僕の言葉を、清凉寺さんは、肯定はしなかった。

「適当……ではない、かな」

 僕は思わず生唾を飲み込んだ。音が聞こえていなければいいけど……。

 声が上ずらないよう気を付けながら、僕は訊ねる。

「適当じゃないって、まさか、ここで殺人事件があったんですか?」

「……もう、何十年も前の話だよ」

清凉寺さんが子どものころのこと?」

 いってしまってから、しまったと思った。この洋館は清凉寺さんが生まれる前からある。それなら、彼が生まれる前に起きた事件であるとも考えられるではないか。「何十年も前」と聞いてすぐに「清凉寺さんが子どものころ」といってしまったら、まるで彼が事件に巻き込まれていることを望んでいるみたいだ。

 けど、清凉寺さんは僕の台詞を不愉快には思わなかったらしい。

「そのとおり」

 そこで清凉寺さんはカップに残った紅茶を、一息に飲み干した。そういえば、僕も一口飲んだだけだったことに、今さら気づく。紅茶はすっかり冷めてしまっていた。

「僕が十五歳のときのことだよ。被害者は僕の父、清凉寺御苑(ぎょえん)だ……そして……」

「そして?」

 言葉が不自然に途切れたので、僕はつい、急かすようなことをしてしまった。けど、清凉寺さんは「そして」のあとにくるべき言葉は口にせず、空になったカップに紅茶を注いだ。

「紅茶、口にあわなかったかな?」

「……いえ。話に夢中になっちゃって」

 誤魔化すように僕は紅茶をすする。

 一方、清凉寺さんは苦笑いを浮かべていた。

「殺人事件の話に夢中、ねえ。怖くないのかい」

「怖くはないです」

「自分がいる建物でおきた殺人事件だよ。僕なら、ぞっとして二度とこないかもしれない」

「二度とこないほうがいいですか、僕」

 いってしまってから、ひねくれた物言いになってしまった気がして自分に嫌気がさした。もっと、ほかにいい方があっただろう。

 清凉寺さんはふっと顔を曇らせた。その表情は、お菓子売り場で母親とはぐれた幼児のそれに似ていた。

「ごめん、ごめん。そんなつもりじゃないんだ。来てくれていいよ、もちろん。きみくらいなんだ、紅茶を出せるお客様なんて……だから、また来てよ」

 そのとたん、すっと胸の内が温まるのを感じた。それは満足感のようでもあったし、出来の良かった試験を見返すときのような――つまり、自分はこのくらいの実力があるのだ、と自己陶酔に浸るときの気持ちにも似ていた。あるいは、誕生日に親戚からもらったプレゼントが、そのとき自分の欲しいものだったときの喜びのようでもあった。

 僕は「はい」と頷いた。頬が赤くなっていないか、心配だった。

「殺人とかそういうの、別に怖くないんです、僕。この書斎が殺人現場だったって怖くないです、ちっとも。死体だって、見たことあるし……」

 殺人現場に居合わせたことがあるわけではない。お葬式で曾祖父や祖母、大叔父の遺体を見た、という意味だ。死因は、他殺は一人もおらず皆、老衰か病死だった。

「だから、怖くないです」

「……例えば、その父を殺した犯人が、僕だといっても怖くはない?」

「怖くはないです。でも、嘘だと思います」

 僕の返答は、清凉寺さんを少し驚かせたようだった。

「どうして?」

「……なんとなく」

 清凉寺さんはそんなことしません、といった方が良かっただろうか。けど、それだと逆に演劇の台本臭くて相手にしてもらえなくなりそうだった。

清凉寺さんが、清凉寺さんのお父さんを殺したんですか?」

「……そうだよ」

「嘘ですね」

「それは、なんとなくそう思うだけだろう?」

清凉寺さん、耳たぶ触ってる」

「え?」

 そこで清凉寺さんはやっと、自分が右手の親指と人差し指で、自身の右耳の耳たぶを挟んでいることに気づいたらしい。どうやら、無意識にやるクセのようだった。

清凉寺さん、嘘を吐くときとか、冗談いうときによくそうしてますよ」

「初めて知ったよ……」

 清凉寺さんは少々恨めしそうに、自分の右手を見つめた。今まで、そんな指摘は受けたことがなかったらしい。

「……だから、嘘だと思ったんだね?」

「ええ」

 僕は出来る限り力強く、はっきりと頷いてみせた。少しでも説得力が出るように。

 

   4

清凉寺さんは、双子でしょう?」

 返事はなかった。清凉寺さんの双眸は、僕の顔に向けられている。大きく見開かれた目。近づけば、その瞳に僕の顔が映るのが見えるだろうか。

「ね、そうでしょう? 右近さんと左近さんの双子。違う?」

「……すごいね。ミステリ小説が好きな人は、そうやって人の兄弟の名前まで当てられるのかい。探偵……ううん、占い師かなにかみたいだ」

「そんなすごいものじゃありませんよ」

 僕は探偵ではないし、ましてや占いなんてやったこともない。

「玄関のところに、桜と橘があるでしょう? 『左近の桜、右近の橘』って教えてくれたの、ほかでもない清凉寺さんじゃないですか。桜と橘が植えてあるのに、人間は右近さんしかいないのは不自然だと思ったのがきっかけです」

 ほお、と清凉寺さんは感心したようなため息をついた。よかった。納得してもらえたらしい。それが嬉しくて、つい饒舌になってしまう。

「ほかにもありますよ。そこの本棚です。そこに並んでいるミステリ小説は、どれも昔……一九七〇年代に出版されたものばかりです。奥付を見ればわかります。清凉寺さん自身が買ったのだといっても、年齢的には問題ない。けど、清凉寺さんはあまりミステリには興味がないでしょう?」

「興味がないわけじゃないよ。その……よくわからないだけで」

 清凉寺さんは肩をちょっと竦めてみせた。

「ミステリ小説の話を振っても、反応が良くないから変だなって思ってたんです。そのかわり、SFやファンタジーはよく読んでいるし、本棚にもこうやって並んでいるでしょう。SFやファンタジーは、よく入れかわってるのに、ミステリのラインナップは変わらないし。じゃあ、ミステリ小説を買った人と、SFやファンタジーの本を買った人は別人って考えた方が自然、でしょ?」

「なるほど。よく見てるねえ。本当に探偵みたいだ。すごいよ」

 褒められて悪い気はしなかった。

「確かに僕には双子の兄がいたよ。清凉寺左近、という兄が」

「あそこの音楽雑誌は、左近さんの?」

 本棚に入っていた音楽雑誌は、どれも古いものばかりだった。恐らく、雑誌への書き込みも左近さんがしたものなのだろう。

「うん。兄は音楽が好きだったからね。レコードも兄のだ。あ、でも、CDは僕が買ったやつだよ。CDショップで予約して買ったんだ。初回限定盤なんだよ」

 今の世の中、CDの初回限定盤なんてあってないようなものだけど――だって、発売日から一年以上経っても簡単に手に入るものが〈限定盤〉なんて変じゃないか――清凉寺さんの少し自慢げな声が愛しくて、僕は素直に頷いた。できるかぎり、羨ましそうな顔をしながら。

「あの歌手、好きなんですか?」

「うん。左近との唯一の共通点だよ。ほかは、どうしても理解できなかった。推理小説はちんぷんかんぷんだし、車だって僕は別に欲しかないし。免許証も持ってないんだよ。そこも、左近とは違うところ」

「左近さんは車、持ってたんですか?」

「うん。若い頃、僕は病弱でね。今も、あまり丈夫じゃないけど。二十歳をこえても、夜中に高熱を出してヒイヒイいったりしてた。それを見て左近が『右近が熱を出したら、すぐに病院に連れていけるように』って免許を取って、車も買ったんだよ。まあ、もともと、車の運転には興味があったみたいで、よくドライブに出かけてたけど。僕も、よく連れて行ってもらったなあ」

「左近さんは、今、どこに?」

 何気なくきいた質問だった。けれど、その瞬間に清凉寺さんの顔に、すっと翳りがさしたのを見て、自分の質問のまずさを悟った。

「亡くなったよ。もう、ずっと前にね。三十年くらい前かな」

「え……」

 これは僕にとって、想定外のことだった。驚きのあまり、どう返していいのかわからなくなる。

「交通事故だった。その日にかぎって、あいつ、一人で出かけて行ったんだ……」

 彼の言葉は、まるで目の前にいない誰かを殴りつけるように荒々しく、殺意すら感じられた。

「出かける間際、左近、僕になんていったと思う? 笑いながら『今回ばかりは連れていけないな』って。なんでって訊いたら『デート』だよ。そのまま出てっちゃった……で、死体になって帰ってきた。ふざけてるだろう、女の子を迎えに行く途中で死んじゃったんだ、きっと……その相手がだれかは、未だにわからずじまいだし……酷いよね、左近が死んだのは、近畿なんだよ。そこまで迎えにこさせておいて、死んだら肉親に挨拶もなしなんて、どうかしてる」

 そこまでいって、自分の話している相手が誰だか、思い出したらしい。気まずそうに笑みをつくると、

「ごめん、きみに話すようなことじゃなかったね……」

 口元は笑っていたけど、その眉間には深い皺が刻み込まれたままだった。

「いいえ……僕のほうこそ、変なこと聞いてしまって、ごめんなさい」

 当時のことを思い出していたのだろう、清凉寺さんの表情は暗く沈んだままだった。伏し目がちの目元に睫毛が影を落としていて、そのせいでよけいに陰鬱な印象を受けてしまうのかもしれなかった。

 この話はもう、触れないほうがいいだろう。本筋とは関係ないことだし、これで殻に閉じこもって僕の話を聞いてくれなくなっても困る。

「ねえ、それで、殺人事件のこと、なんですけど」

「……え? ああ」

 清凉寺さんはもう、その話をしていたことを半ば忘れかけていたようだった。

「そういえば、その話をしていたんだっけ」

「ええ……清凉寺さんは、犯人じゃない、という前提をたてると、あなたのほかに犯人はいるわけになるでしょう。当然だけど」

「……左近だよ」

「犯人が、ですか?」

「うん」

 これは、予想できた返答だった。

清凉寺さん、左近さんをかばうために、自分が犯人だ、なんていったんですか?」

「それもあるし……僕は、左近になりたかった……いや、なりたいと思っているから、というのもあるかな……」

 その目は、僕のことを見てはいなかった。夢想するように、どこか遠くを見つめている。

「左近は、顔は僕に瓜二つだったけど、健康で頭も良くてね。性格も明るかった。病気ばかりの僕と違って、外で遊びまわることもできたし、そのぶん、友だちも多かった。僕は左近に憧れてた。と、同時に、妬ましくもあった。僕も左近になりたいって、ずっと思っていたんだよ……。だから、彼が死んでいなくなったとき、自分がその空いた席に座れないかと思ってさ、左近みたいな生活をしてみようって考えたんだ。けど、無理だった。しょせん、右近は右近、左近は左近。左が右になることなんて、できやしないんだね」

 清凉寺さんの顔には、自虐的な笑みが浮かんでいた。

「僕は、右近さんのこと、好きですよ」

 清凉寺左近氏には会ったことがないけれど、なんとなく、右近さんのほうが好きな気がする。きらきらして、明るすぎる人は苦手だ。

「ありがとう」

 やっと清凉寺さんの表情が和らいだ気がして、僕は内心、ほっとしていた。ついでに、どさくさにまぎれて「右近さん」と呼べたことに満足もしていた。

「でも、どうして左近さんだと思うんです? ひょっとして、その現場を目撃したとか?」

「いいや。実際に見たわけじゃない。けど、いったんだよ。左近が……自分が殺したって、いったんだ」

「じゃあ、左近さんは逮捕されたんですか?」

 その答えはまたしても「いいや」だった。

「もみ消されたんだよ、この事件は。なかったことにされたんだ。してくれた、というべきかな。おかげで、僕は左近と離れ離れにならずに済んだんだから」

 それから彼はボソリと「でも、もう、今は一緒にはいないけど」と付け足した。つい、口から零れてしまったようだった。

「殺人事件を?」

「あり得ないと思うだろうね。けど、できちゃったんだよ。僕がやったんじゃないけどね。うちの、専属の、といえばいいのかな、父がしょっちゅうお世話になってた弁護士さんがさ、『このことが表沙汰になっても、誰も得をしませんから、あなたたちのお父さんは心臓麻痺で亡くなったことにしましょう』っていって、いろいろ手回ししてくれた。高遠って弁護士さんだったんだけど、僕たちのこともずいぶん親身に考えてくれてね。かかりつけ医をいいくるめたり、こっそり葬式の手配をしてくれたり……葬式も、参列者は事件のことを知っている者だけのこぢんまりしたものだった……死体を見られると、やっかいだからね」

「かかりつけ医をいいくるめる、って、簡単なことじゃないと思うんですけど……」

「うん。いくらか、お金を渡したみたいだよ」

「みたい、って右近さん、どれくらいのことを知ってるんですか?」

「うーん……あのころ、僕は子どもだったし、やっぱりそれなりにはショックを受けてたからなあ……記憶があいまいなんだよ。それに、手続きのほとんどは、高遠さんがやってくれたから、よくわかんないんだ」

 本当に、よくわかっていないようだった。

「ふつう、知っていると思うんですけど……自分の家に関わることなんだし」といってみても、きょとんとしている。そして、

「そんなこといったって、子どもだったからねえ」

 と繰り返すばかりなのだ。

「でも、そのとき子どもでも、大人になったら、その高遠って人から聞こうとは思わなかったんですか? いくらくらい渡したか、気にならないの? 医者に金を渡して黙らせたとして、それが高遠のポケットマネーだとは限らないでしょう。むしろ、右近さんの家の金を使ったと考えるほうが自然です。御苑さんが亡くなったあと、家の財産の管理をしていたのは、右近さんでも左近さんでもないでしょう?」

「うん。僕らが成人するまでの間は、高遠さんが管理してくれていたよ」

「高遠がどんなふうに財産を管理していたのかは、知ってるんですか?」

「え? 詳しくは知らないけど、僕たちがお金を使うのを、厳しく制限してきたりはしなかったよ。入用になったら、その都度、高遠さんに連絡して出してもらって、って感じだったな」

「今、財産の残りはいくら、とか、そういうのは教えてもらってました?」

「ああ、二十歳のときに教えてもらったよ。あと、残りこれだけだから、自分たちで管理なさいって。正直、びっくりしたよ。こんなにたくさんあるなら、もっと贅沢すりゃ良かったって、左近と笑ったくらいだからね。財産のおかげで、僕、一度もまともに就職したことがないけど、こうやってきちんと食べていけているし……あ、たまに友人の雑誌に簡単な文章を書いて載せてもらったりしているから、まったくの無職じゃないけど」

 きちんと就職もせずに、こんなに大きな洋館に住み続けることが出来ているのなら、かなりの額の財産が残っていたのだろう。

「でも、残りの額を定期的に教えてもらったわけじゃありませんよね?」

「うん。いちいち、知ろうとも思わなかったしね。左近も僕も、残りがやばくなったら、高遠さんがいうだろうと思って、まあ、贅沢しなけりゃいいか、ぐらいにしか考えていなかったし」

 二人そろって、いくらなんでもおおらかすぎる、と思った。それに、高遠という弁護士を信用しすぎているきらいもある。そう感じるのは、僕がひねくれているから、というわけではないだろう。

 僕が清凉寺さんたちの立場なら、少なからず高遠弁護士のことを疑うと思う。財産の残額を定期的に教えてくれなかったりしたら、着服しているのではないかと不審に思うだろう。

 けど、清凉寺さんにはそんな考え方が微塵もないようだった。高遠弁護士を、心の底から信用しているらしい。

 もちろん、僕は清凉寺さんと高遠の二人が具体的にどんな関係だったかは知らないから、清凉寺さんが彼を信用するに値する関わり合いがあったのかもしれない。

 けど、それにしたって清凉寺さんは純真すぎる気がした。あまりにも簡単に人を信用しすぎている。だからこそ、面識のない僕のことも気安く家に入れてくれたのかもしれない。

 清凉寺さんは、まるで子どもだった。それは、ワガママだとか自己中心的だというわけではなく、疑うことを知らず、あまりにも純真無垢すぎる、という意味で子どもだった。

 いっけんすると、落ち着いた大人の男性だけど、その実は危なっかしい幼子なのだ。放っておいてはいけない。きちんと見守り、コントロールしてあげないといけない。でないと、彼は蝶々を追いかけて崖から転がり落ちてしまう。

「ねえ、右近さん。事件の日のこと、覚えてますか?」

 すると、清凉寺さんは記憶をさぐるように一瞬視線を彷徨わせた。

「うーん……ずいぶん昔のことだからな……覚えてることは覚えてるけど、どこまで正しいかどうか……」

「とりあえず、聞かせてもらえませんか。なにか、わかるかもしれない」

「なにかって……?」

 清凉寺さんは怪訝そうに僕の顔を見た。

「それはまだわかりませんけど、とりあえず話してみてください」

 僕に促され、清凉寺さんは「わかった」と素直に頷いた。

「あれは、十五歳の冬だった。日付までは覚えていないけど、十二月のことだったと思う。ひどく冷える日だったのは、ハッキリと覚えてるよ。その日、僕は少々体調を崩していてね、でも、寝込むほどじゃなかったから、食堂でミルクティーを飲みながら読書をしていた。左近は自分の部屋で音楽を聴いていたらしい。一階にいても音が聴こえていたから、本当だと思う。それから、通いの家政婦さんはキッチンで昼ご飯の片づけと、夕飯の支度をしていた。父は高遠さんと二人でなにか相談事をしていたみたいだ。内容までは知らないけど、たいしたことじゃないと思う。父の清凉寺御苑は法律の研究家でね、論文を書くとき、高遠さんに相談したりしていたみたいだから。当時、この家にいた人間は、それだけだ。母は、僕らが幼い頃に家を出て行ってしまったから、事件には関係ないと思う。

 一時ごろ、みんなでそろって食堂でご飯を食べて……あまり良い雰囲気じゃなかったよ、その日は。左近は音楽好きでね、お小遣いでよくレコードを買いあさっていたんだけど、父はそれが気に入らなかったらしい。ついでに、左近が愛読していた推理小説の類も、父には不評だった。それは、僕の読んでいたファンタジーでも言えることだったけど。

 食事の最中に僕たちに向かって『お前たちも、もうすぐ高校に行くことになるんだから、もう少し真面目に勉強しろ』とね。『じゃないと、まともな大学に行くこともできないぞ』って。

 僕も左近も反抗期だったから『言われなくてもきちんとやっているし、自分たちがやってるのは、ただの遊びじゃない』みたいなことを反論したんだ。今思うと恥ずかしいんだけど、当時、僕は小説家志望で読書もひとつの勉強だと思ってた。左近は左近で歌手志望だったらしくて、そのための勉強として音楽をたくさん聴いてるんだって言ってたな。それで、父の機嫌が悪くなっちゃって……『勝手にしろ!』って怒鳴られちゃった。

 機嫌が悪いといえば、高遠さんも、その日はあまり調子が良いみたいだった。父と違って、イライラを表に出すようなことはしなかったけど。

あのう、僕、高遠さんには懐いていたんだよね。

 自分で言うのも恥ずかしいんだけど、十五歳になっても甘えん坊というか、幼いところがあってね、僕は。特に高遠さんにはつい、甘えたくなっちゃって、彼が家にくるたびに抱っこしてもらってたんだ。成人式の日に、高遠さんに『抱っこをせがんでくる方が右近で、こない方が左近』っていうふうに僕たちのことを見分てたって言われて……左近にも笑われて、恥ずかしかったな、あのときは……。

 あ、それで、そう。問題の日なんだけど、あの日も僕、高遠さんがうちにくると一番に抱っこをせがんだんだ。けど、断られちゃって。数日前から手首を痛めてるからって……。表情も沈んでいてね、精神面でもあまり調子が良くなさそうだった。

 いつも通りなのは、家政婦さんくらいで、この人は三十歳くらいの女の人だったんだけど、もともと、ちょっと不愛想な人でね。僕は彼女のこと、ちょっと苦手だった。

 その日は、家全体がなんというか、調子が悪かったんだ……」

 そこで清凉寺さんはいったん言葉を切った。

「ええと、それで……どういう順番で話していけばいいかな……?」

 その表情はまるで、親とはぐれて迷子センターにつれてこられた少年だった。

「時系列順で良いと思います。昼ご飯を食べて、そのあと、皆、それぞれに時間を過ごしていたんですよね?」

「うん……昼ご飯のあと、左近はさっさと自分の部屋に引きこもってしまった。僕はなぜか無性にミルクティーが飲みたくなったものだから、二階の自室から本を持ってきて、それを読みながらミルクティーを飲んでいたよ。飲み食いはリビングでしかしてはいけないって、しつけられていたからね。父と高遠さんは、食後すぐに父の書斎へ行ってしまった。一時間くらいしてから、高遠さんだけリビングに戻ってきた。たぶん、父は書斎に籠っていたんだと思う。家政婦さんはずっとリビングのとなりのキッチンに……いたんだと思うよ。僕もずっと、リビングにいたわけじゃないから、わからないけど」

「ずっとリビングにいたわけじゃないって、書斎に行ったりしたわけじゃないですよね?」

「うん。ただ、自分の部屋へ本を取りに、一度、二階へあがったけど。僕と左近の寝室と、父の書斎は二階にあるんだ。ちなみに父の寝室は、書斎と一続きになってる。この情報、要らないかな……?」

「さあ、今はまだなんとも。一度、二階へあがったとき、そのときは自室以外には足を踏み入れていないんですね?」

「うん。父とは顔を合わせたくなかったから、書斎に入るどころかサッサと逃げよう、と思っていたくらいだし。左近の部屋にも寄らなかったな……こっちは特に、理由があったわけじゃないけど。部屋からは音楽がダダ漏れで、あんな大きな音でいつも聴いて、耳が痛くならないのかなって思ったのは覚えてる」

「書斎のほうからは、なにか物音は?」

「……特に、思い出せないなあ」

「ちなみに、二階の部屋の並びはどうなっているんですか?」

「ええと……まず、一階と二階をつなぐ階段が一番東端にあって、階段をあがってすぐの廊下を挟んで向かい合っている二部屋はゲストルーム。で、その隣が左近の部屋。さらにその隣の、一番西端に僕の部屋があって、僕と左近の部屋と向かい合うようにして父の書斎と寝室がある。寝室が左近の部屋の、書斎が僕の部屋のちょうど真向いにあって、あとは廊下の突き当りにお手洗いが一つあって、これで全部……この説明でわかる?」

 僕は念のため、清凉寺さんの説明に従って部屋の配置を手帳にメモしておいた。図があった方が、のちのち便利かもしれないと思ったのだ。

 ちなみに、今僕たちがいる〈書斎〉は一階の部屋なので、事件現場ではない、ということになる。あとで清凉寺さんに訊いたところによると、昔は客間だった部屋に手を入れて書斎に改装したらしい。

「では、高遠についてはどうでしょう。高遠は御苑さんと書斎に行き、その後、一人でリビングに戻ってきた。そのあとは、リビングにずっといたんですか?」

「うん。ずっと、お喋りしていたから」

 清凉寺さんが僕の質問に素直に答えてくれるのはありがたかった。「どうしてそんなことを訊くんだ」などといちいち言われでもしたら、話が前に進まない。

「お父さんが亡くなっているのを見つけたのは、いつごろのことでしょう?」

「夕方だよ。夕方の……五時近かったかな……。家政婦さんはいつも、それくらいの時間に帰るんだ。帰る時にはいつも、父に一声かけるようにしていてね。あのときも、彼女は父に帰ることを告げるために書斎に向かった。そして、死体を発見した、というわけだ」

「そのときの状況、もう少し詳しく思い出せますか? 第一発見者は家政婦だった、ということですね?」

「うん。僕と高遠さんはリビングにいたんだけど、家政婦さんの悲鳴を聞いて二階に駆けつけたんだ。左近も悲鳴を聞いたんだろう、僕らがたどり着いたときには、彼も書斎の前に立っていた。立ち尽くしていた、って感じかな。家政婦さんは相当驚いたらしくて、腰を抜かしちゃってた。

 僕もびっくりしたよ。最初、それがなにかわからなかった。高遠さんが『清凉寺さん!』って声をあげて書斎の中へ入って行って、それで初めて、目の前にあるものが父だって気づいたくらいだ。父は頭から血を流して倒れてた。頭の、ここらへん、かな」

 そう言って清凉寺さんは、自分の右側頭部を軽くたたいて見せた。

「なにがなにやら、わけがわからなくてね。高遠さんが『死んでる』って言ったときも、その意味すらわからなかった。夢でも見てるみたいに、ふわふわと気持ち悪かったのは覚えてる。左近が『僕が殺した』って言わなけりゃ、僕、ずっとふわふわしたままだったかもしれない」

「左近さんは自分から、自分が殺した、と言ったんですね?」

「ああ。でも、それきり黙っちゃって。僕も、なんて言えばいいのかわからなくて、なにも訊けなかった。家政婦さんも、ぽかんとして……今にも気絶してしまいそうだった。ただ、高遠さんだけが『そうか、きみか』って。あとはさっき話した通り。高遠さんが事件のことを隠そうって言い出して。家政婦さんは反対したさそうだったけど、退職金もたんまり出すし、次の就職先も好条件なところを見つけるって高遠さんに説得されて、それを飲んだみたい。高遠さんのおかげで、事件はなかったことになった……というわけ」

「右近さんは、左近さんの言葉を信じたんですか?」

 返事は、とても歯切れの悪いものだった。

「左近が……そう言った、から……」

 悲し気に目を伏せる彼の姿は、儚げで、どうしてこの人は今日まで一人で生きてこれたのだろうと疑問に思ってしまった。疑うということを知らないのだろうか。……いいや、彼だって信じたくはないのだろう。

「その言葉を本当に信じているんですか?」

 返事は返ってこなかった。

「左近さんが犯人だと裏付ける物的証拠があったわけではないでしょう? なら、左近さんが犯人ではないと、証明できるかもしれません」

 清凉寺さんの目が大きく見開かれた。黒々とした瞳の中で、光の玉が揺れる。彼に近寄って、その瞳に自分の姿を映したい欲求に胸をかき乱される。

「証明できるって、紫希君が、かい……?」

「ええ。当時の様子を、もう少し詳しく聞ければ、ですけど」

「話だけで……? ……紫希君はひょっとして、本当に探偵なのかい?」

「まさか」

 思わず、苦笑いを浮かべてしまう。

「僕は、ただの高校生ですよ」

 あなたのことを愛したいだけの、とは言わなかった。少し、気持ち悪い気がしたから。

「ほかに、なにか覚えていませんか? 凶器はわかります?」

「わかるよ。灰皿だ。父の書斎にあったガラス製の重たそうなやつ……血がべっとりついていたから、間違いない」

「ふうん……御苑さんは、喫煙者だったんですね?」

「愛煙家ってやつだったよ。銘柄なんかにも、ずいぶんこだわってたみたい」

「ヘビースモーカーだった?」

「それそれ。朝の一服、昼の一服、夜にも一服……いつも煙草を口に銜えてた印象があるよ。家のあちこちに灰皿があったし」

「じゃあ、灰皿の中には、煙草の灰や吸い殻が入っていたと思うんですけど、現場は大変なことになっていたんじゃないですか?」

「え……? ……ああ、そういえば、父の服に灰がついてたっけ……でも吸い殻なんて……あったかなあ?」

 清凉寺さんは覚えていない、というふうに首を何度か傾げた。

「ヘビースモーカーだったのなら、灰皿の中に吸い殻や灰が溜まっていた可能性が高いと思います。そして、そんなものを凶器に選んだところからして、犯人は計画的に犯行を企てていたのではなく、発作的に殴ってしまったと考えられます」

「ふむ……それで?」

「今、犯行現場において妙だと指摘できる点は二点。一つ目は、傷が右側頭部にあるということ。もう一つは、現場に吸い殻や灰が残されていなかったらしい、ということ」

「そんなに妙かな……? 殴られたのが、右側頭部だと変かい?」

「ええ。その場に凶器と選んだことから、犯人は衝動的に御苑さんに殴り掛かってしまったんでしょう。一応、確認ですけど、そのガラスの灰皿って重いですよね?」

「うん……今はもうないけど、子どもの頃、手に取ったことがある。かなりの重さだったよ」

「そんな重いものを、なぜ片手で持ったのでしょう。衝動的といえども、重いものを持つときは人間、無意識のうちに両手を使うものです。両手で灰皿を持って殴り掛かろうとすると、どうなるかわかりますか? 両手で灰皿を振り上げ、相手の頭を殴りつける。具体的には、相手の頭のどんな部分に当たるでしょう? 相手の頭頂部、あるいは額、あるいは後頭部……真ん中に当たるのが普通ではないですか? 両手を使って、殴ったのなら」

「そんなのわからないよ。偶然、横から殴りつけたのかもしれないし……父が避けようとしたから、そうなったのかも」

「偶然、に頼らないでくださいよ。現場には争った跡はありましたか?」

「……いいや。特別荒れていたようなことはなかったと思う」

「もし、正面から殴り掛かられていたら、当然、抵抗するでしょう。そのような痕跡がなかった、ということは背後から殴り掛かった可能性大、です。なので、避けたという可能性はなし。それから、さっきも言いましたけど、今回の犯人は恐らく衝動的に御苑さんを殴ったのだと思います。衝動的に殴り掛かった人間が、わざわざ、右側頭部を狙うとは考えにくいんです」

「じゃ、どういうことだい? 犯人は、衝動的に片手で灰皿を持って、殴り掛かった、と?」

「はい。そうせざるをえなかったんですよ、無意識のうちに、ね。犯人は右手しか使えない状態にあったんです。犯人は左手が使えなかった。ハッキリ言いましょうか。犯人は左手を痛めていた高遠以外ありえないんです」

 正念場だと思った。自分の〈推理〉にどれだけの説得力を持たせられるか、そして、その話で清凉寺さんを納得させられるか。

「他にも、根拠となりそうな証拠はあります。右近さんと左近さんは、煙草は喫いましたか? 十五歳当時」

「まさか」

「じゃあ、家政婦と高遠は?」

「家政婦さんは、喫わなかった。肺が少し弱いんだって……高遠さんは、喫ってたよ。父と話を合わせるためだったかもしれないけど、よく、おいしいって言いながら喫ってた」

「もう一度、きちんと思い出してほしいんですけど、書斎に吸い殻や灰の類はなかったんですか?」

「……吸い殻は、なかったと思う。灰は……父の背広が灰で汚れていたのは覚えてるよ。背広は黒かったから、灰が良く目立ったんだ。それから、髪にもついていた気がする」

 どうして、そんな質問するのだろう、というふうに彼は僕の目を見つめてきた。

「普通の人は、好き好んで自分の服に煙草の灰をつけたりしませんよ。十中八九、それは灰皿で殴られたときについたものです。中に入っていた灰が零れてね。灰があるなら当然、吸い殻もあるはずだ。なのに、吸い殻はないと言う。この吸い殻は、どこへ行ってしまったのでしょう?」

「さあ……僕が見落としてた可能性もあるし」

「いえ。犯人である高遠が持ち去ったんですよ、恐らく。灰皿には、御苑さんと高遠の二人分の吸い殻と灰が残されていたのでしょう。それも、同じ銘柄の吸い殻が。御苑さんを殴り、我に返った高遠は、咄嗟に自分の唾液がついている吸い殻を持ち去ろうと考えた。当時の捜査技術なら、唾液から個人まではいかなくとも、血液型くらいはわかったことでしょう。高遠はそれを恐れた。つまり、その時点ではまだ、彼は警察が現場に来ることを予想していたわけです。吸い殻を隠さなければならない、けど、どちらが自分の喫ったものかわからなくなってしまった、だから、そこにあった吸い殻すべてを持ち去った。そんなことをしなくてはならないのは、喫煙者である高遠以外にありえないんです」

 そこで僕は言葉を区切り、紅茶で喉を潤した。温かかった紅茶は、すっかり温くなってしまった。

「新しいの、淹れようか」

「いえ、大丈夫です」

 今、新しいお茶をもらうと、気が抜けて最後まで話しきれないような気がした。ほっとするのは、全てを話し終えた後のほうが良い。

「その後、家政婦が死体を発見し事件が発覚。高遠のシナリオとしては、次に警察を呼ぶことになっていたでしょう。というより、誰かが警察を呼ぼうと言い出すに違いないと思っていた。でも、そうはならなかった。左近さんが『自分が殺した』と言い出したのです。左近さんは右近さんほどは高遠さんには懐いていませんでしたから、どうしてそんなことを言うのか、不思議に思ったでしょうね。けど、それでも高遠は、罪を被せることにした。事件を隠ぺいしようなどと言い出したのもそのためです。もし、仮に警察を呼んで、その後に左近さんの気が変わって自分はやっていない、犯人は高遠だ、などと言われては厄介ですからね。それに、煙草の灰のこともある。プロの捜査員が入れば一発だと思ったのでしょう」

 清凉寺さんは「うう……」と小さく呻き声を漏らした。彼は今、何を思っているのだろう。「信じられない」だろうか。それとも、高遠に対する怒りを感じ始めているだろうか。

「けど……じゃあ、左近は高遠さんを庇おうとして、嘘をついたのかい?」

「いえ、違うと思います」

 恐らく、それはないだろう。そもそも、その時点ではまだ、左近氏は高遠が犯人だとは気づいていなかったのではないか。

「たぶん、ですけど。左近さんは、右近さんが犯人だと思ったのではないでしょうか?」

「僕が?」

 これは証拠も何もない、僕の勝手な憶測に過ぎない。でも僕は「はい」とうなずいた。

「右近さん、本を取りに行くために二階にあがった、と言っていましたよね。その時の様子を、左近さんは見かけていたのではないでしょうか。そのことを死体を見つけたときに思い出して、咄嗟に嘘をついた……そういう可能性はなくはないと思います」

 最後に僕は「勝手な憶測ですけど」と付け足した。せめて清凉寺左近氏にこのことを確認できれば、もう少し気が楽だったろうに。

「僕、書斎にいる父に気づかれないようコソコソ歩いてたから……自分の部屋から出て来るところを見ていなかったら、そう見えていたかもしれない……」

「ええ。それに後姿を目撃したのだとしたら、本を持っているのも見えなかった可能性が高いですし」

 もしもこのとき、左近氏が右近さんに一声かけていたら。あるいは、左近氏が目撃していなければ……右近さんが本を取りに行かなければ……事態は違っていたかもしれないのに。

 過去のことを責めていても仕方がない。〈もしも〉は結局〈もしも〉でしかないのだ。

「ねえ、それからね、右近さん。左近さんが亡くなった日、左近さんはひょっとするとデートなんかじゃなかったのかもしれません。高遠に会いに行こうとしていたのかも」

「……どうして?」

「高遠が犯人だと左近さんも気づいたから、ではないでしょうか。推理をして。そして、それを確かめに行こうとして事故に遭った。行くのを右近さんに言わなかったのは、高遠さんによく懐いていたあなたを悲しませたくなかったから……」

 これは、たった今、思いついたことだった。けれど、全くあり得ないことではないと思う。

「なら……じゃあ、僕は、もうずっと左近がデートに行って死んだと勘違いして、怒り続けてたのか……左近の気も知らずに……?」

 清凉寺さんの声は枯れていた。

「はっきりそうだとは言えません。僕も左近さんに確かめたわけじゃないから……」

「そうだ……そうだね。左近に聞いてみなきゃ、そんなことわからないよね……でも、もういない……父も左近も高遠さんも皆、もうどこかへ行ってしまった。皆、もういないんだ」

「僕は、いますよ」

 清凉寺さんは中途半端に口を開けたまま、僕を見つめてきた。瞳が、小刻みに震えている。僕も見つめ返す。彼の瞳の中に、僕はいた。

清凉寺さんの言う「皆」に僕は含まれていないことは、わかっている。けれど、言わずにはいられなかった。

 やがて、清凉寺さんは静かにほほ笑んでくれた。

「そうだね」

 その笑みに、僕はほっとする。これで良かったのだ。

 外の光は、いつの間にか朱色に変っていた。

 それを受けて室内もとっぷりと赤い光に染まっている。

 朱色というより、紅色に近い風景だった。

 

   5

 帰る前に一杯だけ、と言いつつ、僕はバニラといちごの紅茶を三杯もおかわりしてしまった。

 そして、その夜。僕はベッドの上に寝転がり、大叔父の書き記したノートを読み返していた。

 といっても、僕はここ最近、日記のほんの決まった箇所ばかり読んでいた。

 大叔父が弁護士として働いていたころの記録。勤め先である事務所は、どうやら僕が通っている高校の近所にあったらしい。該当するであろう場所は、今は更地になっているので確認のしようがないが。

 大叔父はなかなか腕のいい弁護士だったらしく、その土地では有数の名家と顧問契約を結んでいた。今では衰退してしまったものの、当時はなかなか名の通った家だったらしい。

 契約の相手は、清凉寺家。厳密にいえば、清凉寺家当主、清凉寺御苑。

 僕の大叔父の名は、高遠光則、といった。

 僕は最初に清凉寺さんの家を見つけたとき、おや、と思ったものだ。確か、こんな名前が大叔父のノートの中になかったか、と。

 清凉寺なんて、そこらじゅうにある名前とも思えない。それに、目の前にあるのは年期は入っているが、立派な洋館。名家と呼ばれる人間が住むに相応しい家だ。

 この目の前にある〈清凉寺家〉はひょっとして、ノートの中の〈清凉寺家〉とイコールなのだろうか、とその時は軽い好奇心でしかなかった。

 あの人が現れるまでは。

 道の真ん中に佇み、僕を見てきた清凉寺右近という男は、どこか現実味のない人だった。蜃気楼などの類とは違う、世間の波に入り損ねた小さななにか。

 あのとき僕は、無意識のうちに彼の持つ雰囲気に、自分のことを重ね合わせていたように思う。そして、そのうえで、僕は彼の外見に見惚れてしまった。

 だから、僕は清凉寺さんの家に通うようになった。彼は、僕の気持ちに全く気付いていないようだったけど――当然のことかもしれない――それでも僕は幸せだった。

 もっと、清凉寺さんの心に近づきたい。二人だけの場所が欲しい。

 そう願う僕にとって、大叔父である高遠が残した記録と罪は、とても好都合なものだった。

 ノートには、全て記してあったのだ。高遠が清凉寺さんのお父さんを殺した真犯人であること、動機は自分の学歴を詰られカッとなって殴ってしまったこと、唾液から血液型を鑑定されるのが怖くて吸い殻を持ち去ったことなどなど。

 もちろん、ノートに残されていたのは、事件のことだけではない。清凉寺右近と清凉寺左近の双子についても、多くのことが記されていた。右近はSFやファンタジー小説が好きで、身体が弱く、紅茶を好んで飲む。対して、左近は推理小説や音楽が好きで、身体は丈夫、紅茶よりコーヒーが好き。玄関の前の橘と桜は、彼らの名前にちなんで植えられたものらしい。

 全ては簡単なことだった。目の前に書き記された〈答え〉を自分の考えとして読み上げただけなのだから。要するに、カンニングだ。

 僕が推理したのは、二つ。左近氏が嘘の自白をした動機と、亡くなった日、なにをしようとしていたか、ということ。

 前者については、大叔父も理解できなかったらしく、ただ「なぜかはわからないが、この際、好都合だと思った」という風にだけ書いていた。後者については、そもそも左近さんが亡くなったこと自体、知らなかったのだろう、ノートのどこにも記述はなかった。

 ただ、近畿地方で亡くなったと聞いて、ピンとくるものがあったのだ。当時、大叔父が住んでいたのは恐らく四国。関東から四国に行くには、近畿地方を通らなくてはならない。つまり、左近さんは何らかの方法で大叔父が四国にいることを突き止め、会いに行こうとしていたのではないか……と、これは推量なので、結局のところ、左近氏に訊ねないとわからないけれど。

 僕がこの事件のことをわざわざ清凉寺さんに問いかけたのは、ただの好奇心からではない。

 チャンスだ、と思ったからだ。

 彼の心の中に、今よりもう一歩近寄るチャンスだと。

 清凉寺さんは左近氏が犯人だと思っている可能性がある。だとすれば、それを訂正して、秘密を共有すれば僕らはより精神的に近しい存在になれるのではないか。そんな気がした。

 幸い、大叔父と苗字は異なっていたから、僕が高遠の親類だとばれる可能性は低い。高遠の親類だとは、知られたくなかった。もし知られれば、僕らの関係は大きく変わってしまう。被害者の息子と、加害者の親類。それでは、近づくどころか、逆に遠のいてしまう。下手をすると、二度と近寄れなくなってしまうかもしれない。

 だから、僕は大叔父のノートの存在を隠した。そして、怪談話を装い、その話をこっそりと振ってみた。

 結果はうまくいった、と思う。

 僕と清凉寺さんだけが知っていること。二人だけの秘密。秘密の共有は、心の繋がり。僕は清凉寺さんとこの先ずっと、繋がっていたい。繋がって、彼を守り続けるのだ。幼くて、世間知らずの清凉寺右近という名の幼子を。

 清凉寺さんがこの先、僕を疑うことは永久にないだろう。彼には〈疑う〉能力が欠如しているのだから。それどころか、彼は、僕のことを探偵と信じ、頼りすらしてくれるかもしれない。

 それからもう一つ、僕は清凉寺さんに隠しごとをしている。

 清凉寺さんの母親は、彼が若いうちに家を出て行った。その後、彼女がどうしているか、清凉寺家の人間は把握していなかったようだが、大叔父の高遠光則だけは彼女のその後を知っていた。そのことも、きちんとノートに記されていた。

 彼女は、高遠の兄と結婚したのだ。つまり、僕の祖父である。

 清凉寺さんの母である女性は、同時に僕の祖母でもあった。こんな偶然、めったにあるものか。それを知ったとき僕は、血の繋がりなんて興味がないと思いつつも、彼との新しい接点に興奮を覚えた。

 しかし、このことを清凉寺さんに伝えるつもりはない。僕はあくまで、清凉寺右近という男性と、他人でいたいから。他人であるからこそ、秘密の共有が特別なものになるし、築ける関係もある。

 僕は彼と血の繋がりのある人間としてではなく、梅野紫希個人として、清凉寺右近という個人と繋がりたい。そして、守り抜きたい。愛し続けたい。

 考えているうちに、眠くなってきた。

 僕はノートを勉強机の引き出しの奥にしまう。もう二度と、開くことはないだろう。

 明日も、僕は清凉寺さんの家に行こう。バニラといちごの紅茶に似合うお菓子を持って行ってもいいかもしれない。なにが合うかな……なにを持っていけば、彼は喜んでくれるだろう。

 まだなにを買うのかも決めていない菓子と、それを見て喜ぶ清凉寺さんの顔を思い浮かべながら、僕はゆっくりと眠りの底へと沈んでいった。

 今夜は、いい夢がみれそうだ。

日記

ここ最近、妙に鬱鬱としている。

特に朝が酷い。

特に何かあったわけでもないはずなのに、気は重く目覚めたこと自体が憂鬱で、思考すること自体が億劫になっている。

原因はないのに、結果のみがあるので気持ちが悪い。それ自体が原因といわれれば、そうかもしれないが、そんなわけではないと思う。

でも、無理やり原因を引っ張り出すことが出来ないわけじゃない。

己の才能と運のなさを嘆いているだけである。

死ねばいいのに、と思う。

今後、転落していくばかりの人生かと思うと、こんなもの、書いていることすら嫌になる。

創作

桜のある家

 

 改札を抜けると目の前に坂がある。幅広の、勾配の急な坂をしばらく上ると、一本の桜の木が見えてくる。その木のある家こそ、私の目的地にほかならなかった。

 庭先に植えられた一本の桜の木は、まだ蕾は固く花びらを散らすまでには、まだいくらか日にちがかかりそうだった。その蕾を見上げ、私は上手くやらねば、と思う。

 枝の下をくぐり、私は玄関先に立つ。日本家屋の引き戸を二、三度叩き、「ごめんください」と声をかけると、ぱたぱたと誰かがかけてくる音が聞こえた。

「はいな」

 扉を開けてくれたのは、ひとりの少女であった。彼女はこの家の小間使いである。十四、五歳といったところであろうか。

「奥様に診察を頼まれた医者ですがね。奥様、いらっしゃるでしょうね? 今日のこの時間にご予約いただいているはずですから」

 私がいうと少女は「はあ、はい」と頷いた。

「今日はせんせがいらっしゃると、奥様、いってらしましたなあ。さあ、あがっておくんなまし。お部屋に案内するよう、いいつかってます」

 少女はくるんと踵を返すと、ぱたぱたと廊下を歩き始めた。私も靴を脱ぎ、それに続く。中庭を横目に回廊を抜け、二、三度まがったところで少女は立ち止まった。桜色の襖の前であった。

「奥様、せんせがおいでですよ。そいじゃあ、私はこれで」

 それだけいうと少女は私が礼をいう間もなく、姿を消していた。

「どうぞ」

 襖の向こうから、小さな声。儚げなその声は、しかし風鈴の音のように私の耳奥に響いた。

 では失礼と声をかけ、襖を開ける。十畳ほどの和室には家具らしい家具はなく、ただ部屋の中央に布団が一枚、敷かれていた。〈奥様〉は布団の上で半身を起こし、顔をこちらに向けていた。腰から下は掛け布団に隠れている。

 肌は青白く、目は落ちくぼんでいたが、それでも彼女が美人であることに相違なかった。黒髪を無造作に後ろでひとまとめにしている。そのせいでか首がより一層細く見えた。以前会ったときより、痩せた気がする。

 私はふっと、視線を彼女から窓の外へと移した。この部屋唯一の窓は、私が今立っているところのちょうど正面にあるものだから、ついそちらに目が吸い寄せられてしまったのだ。猫間障子の向こうには桜の木が見えていた。つい先ほど目にした、玄関先の桜である。ずいぶん奥へ来たと思ったのに、いったいこの家はどんな構造をしているのだろう?

「先生、どうもすみません……こんな恰好で……」

 囁くように彼女はいう。いいえ、お気になさらず、といいながら私は彼女のそばに腰をおろした。

「お加減はいかがです?」

「はあ……そのう、私、身体が弱いんですの。幼いころから。それで今でもいろんな先生にみていただいているのですけど、最近、心のほうまで調子が悪うございまして。はてどうしたものでしょうと思っておりましたら、先生の……貴方のことを耳にしまして、それでお願いした次第ですのよ」

 彼女は前に会ったことなど、すっかり忘れてしまっているようだった。いや、違う、彼女にとってはこれが初診なのか……私は未熟者なので、そこのところは未だによくわからない。しかし、そんなことはたいして重要なことではなかろう。

「心のほうまで調子が悪い、とおっしゃいますと、なにかよくないことでもおありなのですか? 不安なこととか……」

「はあ……そのう……」

 彼女は躊躇うように目を伏せた。長い睫毛が目元に陰鬱な影を落とす。

 十秒以上経ってから、彼女はようやく言葉を続けた。

「夢を、みるんですの」

「夢、といいますと、あの眠る間にみる、夢、ですか」

 将来の夢の話をするために、精神科医を呼ぶ人はなかなかいないだろうが、つい、確かめてしまう。いいや、これも重要なことだ。

 彼女は「ええ」と、首を少し前に曲げた。

「夢を毎日、みるのです。それも同じ夢を、どうやらみているようなのです」

「どうやら、ですか? 確信は持てない、ということでしょうか」

「ええ……いえ、同じ夢ではあるのです。けれど、はっきりとは覚えていないのです。何度もみているというのに、目が覚めるとその中身を殆ど忘れてしまっているのです」

「……はあ。なるほど。でも、同じ夢だと思われるということは、少しは覚えていらっしゃるんでしょうね?」

「はい、まあ……なんとなく、ですが」

「どのような夢だか、お教え願えませんか」

「……不気味な夢、ですの」

 彼女は朧げな記憶の断片を、ちょっとずつ拾い上げるように、ぽつりぽつりと話し始めた。

「場所はこの寝室で……私は布団の上に座っておりました。ちょうど、今のように。……それから、部屋には人がおりました。顏は……覚えておりません……知らない女の人です。どんな人だったか思い出せないのですが、女性であったことはわかるのです。……ああ、それから、そこの窓から見える、桜が満開でした……今はまだ蕾ですね」

「それだけ、ですか?」

「いいえ」

 彼女はゆるゆると頭を左右に振った。やや躊躇った後、彼女はこう言葉を続けた。

「私は、その女性を殺すのです」

 無意識のうちに、私は生唾を飲み込んだ。ああ。いよいよ、話の核心だ。

「なぜ……?」

「覚えていません……だって、その人のことも覚えていないのです……ただ、この部屋で知らない女性を殺す夢を、繰り返しみるのです。何度も、何度も……私、もう、疲れてしまって……」

 彼女は苦しそうに両手で顔を覆った。

「それはお辛いでしょうね」

 そして、私の視線はつい、と猫間障子のほうへ吸い寄せられた。それは、自分の意識とは無関係の、見えざる力によるもののように思われた。気づけば私はそちらを見ていたのだ。

 そして。

 障子の向こうに見える桜の木は。

 いつの間にか、満開になっていた。

 白い花びらがひらりひらりと、ガラスを通り抜けて部屋の中へ舞い込んでくる。

「あ」

 また、やってしまった―

 後悔するだけの余裕もなかった。

 それまで苦しそうに身体を丸めていた奥様が、急にむくりと立ち上がる。その右手には、この空間にはまるで似つかわしくない大振りの包丁が握られていた。

 振り上げられる右手。刃の先端が私を狙い定めている。

 私は、無抵抗であった。

 刃は、私の胸元に振り下ろされ、深々と突き刺さった―

 声が出ない。

 視界が真っ暗になる。意識が急速に薄れていく。

 まだ、まだなのに……。

 また、失敗してしまった……。

 私はようやく湧いてきた後悔の念を噛み締めながら、意識を、失って、……いった……―

 

🌸🌸🌸

 

 は、と目が覚めると、私は自分の寝室にいた。

 窓から朝日が差し込んでいる。人はこれを爽やかな朝、と表現するのだろう。

 しかし私の目覚め心地は最悪だった。これでもう何度目だろうか。

 上半身を起こす。身体には、なんの異状も見当たらなかった。寝巻を脱いで確かめても、姿見に裸をうつしてみても、一ミリの傷も見当たらない。しかし、私の気持ちが晴れることはなかった。

 私は精神科医である。

 国から医者と認められて五年。女というだけで不利益を被る、ということもないわけではなかったが、ひとりの精神科医としてそれなりに実績を積んできたつもりだった。

 私は特に患者の〈夢〉からその人の精神状態を推しはかり、治療につなげることを得意としていた。学生時代にフロイトユングを好んで学び、夢分析をテーマに論文も書いたのだから、当然のことかもしれない。私は兎角、夢というものを重視してきた。すべての〈夢〉には原因があり、理由がある。そして、それは必ず現実に繋がっている、というのが私の持論だ。

 それは、私自身についてもいえることだ。

 私はもう、十数回は夢の中で寝起きしている。夢が終わり、目が覚めれば、本来、そこは現実であるはずなのだが、どういうことだか私の場合、もう十数回も目覚めているのに、夢の中のままなのである。

 目を覚ます。名も分からぬ〈奥様〉のもとへ診察に赴く。名も知らなければ、そこへの行き方だって知らないはずなのに、私の足は確実にあの日本家屋にたどりつくことができる。

〈奥様〉の診察をする。話を聞く。聞いているうちに、蕾だったはずの桜が満開になっている。その花を見たが最後、私は〈奥様〉に殺される。殺された私は三途の川を渡ることなく、自室で目を覚まし―余談だが、どうしてだか現実の私の寝室と〈夢〉の中の私の寝室は、ずいぶん違ったものだった。だから、目が覚めた瞬間、現実か夢か判断できるのだが―……〈奥様〉のもとへ行く。

 これの繰り返しである。もう何度、殺されたことか。もうすっかり殺され慣れてしまった。ついでに〈奥様〉の話を初めてのふりをして聞くのも。というよりも、そろそろ飽きてきてしまった。殺されるのに飽きたというのも、おかしな話だ。

 それでも私が殺され続けるのは―〈奥様〉のもとへ通い続けるのは、やはり私が精神科医だからだろう。

 精神科医である以上、そして夢分析を得意としている以上、私は自分の夢を分析せねばならない。

 なぜ、私は殺されなければならないのか、あの〈奥様〉はいったい何者なのか、それを分析しないかぎり、私は現実へ戻ることはできないと思う。

 さあ、あの〈奥様〉のところへ行こう。

 今度こそ、分析せねばなるまい。

 今度こそ、簡単に殺されないようにしなければ。

 今度こそ、上手くやるのだ。

 私は決意新たに、着替えをすまし部屋を出た。あの、桜の木のある家を目指して。

 

―夢を、みるんですの……―

〈ポイ〉小説その2

連投。

パソコンの中を片づけたいもので。

これもまた、書きかけ……うーん、このあと、どうするつもりだったんだろう。

こうやって昔の原稿見ていると、こんなのでよく「小説家になりたい」なんていっていたものだとびっくりする。

2017年は公務員試験、頑張らないと。

「夢はみるものじゃなくて、かなえるもの」なんて言葉があるけれど、それは結局、才能と運に愛された人の台詞だと思う。

私にとって、夢はみるもの。良い夢をみれた、と若気の至りだった、と、満足しよう、もうそろそろ。

でも、最後に。

小説家が「小説家になる奴は、現実に折り合いをつけられなかったばかしかいない」というふうに自虐をするのは、好きじゃない。

あなたは、私が立てなかったステージに立っているのだから、もっと堂々と生きて欲しい。

 

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