映画鑑賞記録2018

2018年も半分が終わったのに、まだ3本しか映画を観ていない。しかもそのラインナップが、文豪ストレイドッグス名探偵コナンピーターラビットというなかなかにアレな布陣。

まぁ、もうすぐ「万引き家族」が公開されるからそれは観に行きたいし、あと「恋は雨上がりのように」も観に行かねば。

その2つを観てからでも良かったのだが、マァ、忘れてしまいそうなので、現時点で観た3本について記録をつけておく。

※ネタバレがあります。映画のタイトルなどで引っかかったなどで、当ブログにお越しくださった方もいらっしゃるかもしれませんが、観ていない場合はご注意を。

 

文豪ストレイドッグス DEAD APPLE:2018年最初に観た映画。まず文豪ストレイドッグスファンとしては、なかなかに素晴らしい内容で2回観てしまった。

文豪の名を冠したキャラクターたちが、各々、その文豪の代表作の名をつけられた「異能力」(太宰治であれば「人間失格」という能力を使う)を駆使し、熱いバトルを繰り広げる「文豪ストレイドッグス」。今回が初の劇場版というわけだが、とても面白かった。

特に芥川が己の異能と戦うシーンが好きだったりする。すっごい中二くさくて、最高に良い。強い奴と戦いたいと思っていたが、こんなに近くにいたとはな(自分の異能のこと)みたいなことを言っていて、最高に良い。渋澤が「自分の異能に勝てる者なんていません」的なことを豪語するのだが、そのセリフが出た直後に芥川は自分の異能に勝利する。そのあと、敦、鏡花も自分の異能力に勝利、中也にいたっては自分の異能と戦うシーンもなく、あっさりと異能を取り戻している。良いのか、それで、と思わないでもないが。ま、良いでしょ。

本作で面白いのが、中島敦のスタンスの変化かもしれない。

「渋澤を殺さなくても良い。太宰さんが戻ってくれば、なんとかしてくれる」

という、10代の少年らしいといえば少年らしい。この中島敦というキャラクターは、かなり「子ども」らしく描かれている存在だと思う(作者の方々がどれくらいの意図をもってされていることなのか、分からないのだが)。彼は、少なくとも本作の途中まではかなり「子ども」らしく描かれている。

例えば、渋澤の排除を求められたあとの彼は、よーし、ぶっ殺すぞ、と意気揚々とはしておらず。どこか、及び腰なところがある。

「渋澤を殺さなくたって良い。太宰が帰ってきてくれれば、なんとかしてくれる」

というのが彼の当初の考えだった。これって、すごく子供らしい、と思う。と同時に、敦と太宰の関係が如実に現れている。10代である敦にとって、太宰は絶対的な「大人」なのだ。太宰は「絶対に自分の味方」だし「どんな窮地をも絶対に救ってくれる」存在。それは恐らく、シリーズを通して確実に変わらないものだろう。

また、芥川に対する態度もまた「子ども」らしい。芥川は「問題解決にあたって、太宰を殺すことも厭わない」という考えを持つ。それに真っ向から対立する、敦は「お前とはいっしょに行けない」と拒絶する。これもまた、「自分とちょっとでも相いれない相手とは、行動したくない」「利害ではなく好き嫌いで行動を決める」すごく、子供っぽい態度だと思う。それに対し、鏡花は利害関係を重視して、芥川と行動を共にする。対照的だ。

で、この中島敦の変化について。……書けたら良かったのだが、あまり固まっていない。ううん、これ、どう説明すればいいんだろう。いや、少年が生きるために力を振り絞ったのは分かる。分かるのだが、うう。難しい。

どちらかといえば、戦闘シーンのかっこよさを重視した作品のようにも感じる。

もうすこし、まとまったら、追記したい。

 

名探偵コナン 0の執行人:今年1番モヤモヤした作品、というと、怒られてしまうだろうか。しかし、実際モヤモヤしたのだから、仕方がない。まず第一に、あまりにも「公安」を美化しすぎているように感じる。一応、降谷が「公安がやった違法捜査は公安がツケを払う」的なことは言っていたし、それなりに動いていたとは思うが。いや、ダメだろう。特に今の日本で、国家権力を美化するのはあまりにも危険だ。

公安が違法な手段に出ておきながら、降谷にはこれといった罰はない。それどころか、彼は後半などは完全に正義として描かれているように感じた。それはひとえに彼が本作の主要キャラクターであり、人気キャラクターだからではないか、と思う。だから、彼が違法な手段に出ても「仕方がないよね」という理由づけをして、いかにも良い話で終わらせようとする。「公安、かっこいい!」と印象付ける。

結果的に、国家権力のまずい描き方事例として終わった気がする。

 

ピーターラビット:面白かった。最高に面白かった。マグレガー翁が早々に殺されてしまい、その後、特にこれといってフォローもなかったのがしんどかったが、まぁ、ピーター側とマグレガー青年の両方、かなり厚みを持たせて描いているので、これ以上、他の人物についても膨らませろ、というのは酷か。

しかし、マグレガー翁は気の毒だ。畑はウサギに荒らされ(しかも、明らかに「スリリングだから」という理由でやられている)、奥さんには(恐らく)先立たれ、最終的には心臓の発作で逝去。相続権を持つ親戚(マグレガー青年)には「知らない」と言われる始末。最後の最後まで、嫌な奴で終わっている。もう少し、救いが欲しかった気もする。

あと、もう1つ、不満があるとすれば、アレルギーをあんな風に安直に攻撃手段には選んでほしくなかった。アレルギーは一歩間違えば死ぬもので、シャレにならない。シャレにならない割に、結構実行しやすい手段なので、描く際には気をつけるべきではないのか。

さて、しかし、ピーターには前2作にはない点がある。

主人公が大切なものを失い、反省を促されるという点だ。

ピーターたちはマグレガー青年の排除に躍起になるあまり、勢い余ってなんと自分たちの住処を爆破してしまう。そして、その勢いで大好きな女性の家をも潰してしまう。

女性は怒り狂い、ウサギが爆弾のスイッチを押せるとは思っていないので当然、(消去法で)マグレガー青年の仕業だと思う。まあ、半分はそうだが。爆弾を買って、ピーターたちの家に突っ込んだのは彼だし。そして、マグレガー青年に怒り、ピーターたちに謝罪する。私があんな男を好きになったばっかりに、と。

展開としては、ピーターが待ち望んでいたものだ。すなわち、それまで自分たちに注がれていた愛情を横取りした男を排除し、女性の愛情を取り戻す、という。

しかし、ピーターの顔色は優れない。それはそうだろう。彼女の家を潰したのは、ほかならぬ自分なのだから。自分がスイッチを押してしまったからこそ、彼女の家は潰れてしまったのだから。

彼は落ちこみ、反省する。

そして、ロンドンへと飛び出し、マグレガー青年のあとを追うのだ。マグレガー青年に謝罪し、彼らは大慌てで女性の元へ向かう。そして、真実を彼女に知らせ、最後はめでたしめでたし。

主人公であるピーターラビットに、一度すべてを失わせる、というのがこの映画のおおきなところだろう。

それまで、ピーターたちはマグレガー青年を「絶対的悪」と想定し、戦って来た。自分たちが勝てば、自動的に幸福は訪れると信じて。マグレガー翁がいなくなった直後のように、自由を謳歌し、愛情を受け続けられると信じて。

ところがどうだ。

実際にはマグレガー青年の排除は成功したが、それ以上に大きなものを喪失してしまった。家はなくなり、愛情を注いでくれていた人も去ろうとしている。

そこで彼らは自分たちの過失を認め、マグレガー青年に謝罪する。「絶対的悪」の存在だった青年が、味方となる。文章で書くとやや陳腐だが、本作ではその流れが見事に描かれているので、ぜひ、映画館で観ていただきたい。

「主人公=正義」という描き方をしなかったというだけで、本作は私の中で高評価だ。「主人公=正義」をしない、というのは案外難しいことだろうから。

 

もうちょっと書きたかったが、眠たいのでここらへんで。「主人公=正義」の危うさなどについても、気が向いたら書いていこうと思う。

「桜のある家」

小説家になる夢をあきらめきれず、最近もまだ、未練たらしく公募に出してみたりなんかしている。

のだが、まぁ、1次通過すらしたことがない。下手くそなのは分かっているが、こうも現実を突きつけられてばかりだと、なんというか、拗ねたくもなる。

拗ねるついでに、ダメだった作品を掲載する。

 

桜のある家

 

 改札を抜けると目の前に坂がある。幅広の、勾配の急な坂をしばらく上ると、一本の桜の木が見えてくる。その木のある家こそ、私の目的地に他ならなかった。

 庭先に植えられた一本の桜の木は、まだ蕾は固く花びらを散らすまでには、まだいくらか日にちがかかりそうだった。その蕾を見上げ、私は今日こそ上手くやらねば、と思う。もはや、新人だからなどという言い訳は通用しないのだ。

 枝の下をくぐり、私は玄関先に立つ。日本家屋の引き戸を二、三度叩き、「ごめんください」と声をかけると、ぱたぱたと誰かがかけてくる音が聞こえた。

「はいな」

 扉を開けてくれたのは、ひとりの少女であった。彼女はこの家の小間使いである。十四、五歳といったところであろうか。

「奥様に診察を頼まれた医者ですがね。奥様、いらっしゃるでしょうね? 今日のこの時間にご予約いただいているはずですから」

 私がいうと少女は「はあ、はい」と頷いた。

「今日はせんせがいらっしゃると、奥様、いってらしましたなあ。さあ、あがっておくんなまし。お部屋に案内するよう、いいつかってます」

 少女はくるんと踵を返すと、ぱたぱたと廊下を歩き始めた。私も靴を脱ぎ、それに続く。中庭を横目に回廊を抜け、二、三度まがったところで少女は立ち止まった。桜色の襖の前であった。

「奥様、せんせがおいでですよ。そいじゃあ、私はこれで」

 それだけいうと少女は私が礼をいう間もなく、姿を消していた。

「どうぞ」

 襖の向こうから、小さな声。儚げなその声は、しかし風鈴の音のように私の耳奥に響いた。

 では失礼と声をかけ、襖を開ける。十畳ほどの和室には家具らしい家具はなく、ただ部屋の中央に布団が一枚、敷かれていた。〈奥様〉は布団の上で半身を起こし、顔をこちらに向けていた。腰から下は掛け布団に隠れている。

 肌は青白く、目は落ちくぼんでいたが、それでも彼女が美人であることに相違なかった。黒髪を無造作に後ろでひとまとめにしている。そのせいでか首がより一層細く見えた。以前会ったときより、痩せた気がする。

 私はふっと、視線を彼女から窓の外へと移した。この部屋唯一の窓は、私が今立っているところのちょうど正面にあるものだから、ついそちらに目が吸い寄せられてしまったのだ。猫間障子の向こうには桜の木が見えていた。つい先ほど目にした、玄関先の桜である。ずいぶん奥へ来たと思ったのに、いったいこの家はどんな構造をしているのだろう?

「先生、どうもすみません……こんな恰好で……」

 囁くように彼女はいう。いいえ、お気になさらず、といいながら私は彼女のそばに腰をおろした。

「お加減はいかがです?」

「はあ……そのう、私、身体が弱いんですの。幼いころから。それで今でもいろんな先生にみていただいているのですけど、最近、心のほうまで調子が悪うございまして。はてどうしたものでしょうと思っておりましたら、先生の……貴方のことを耳にしまして、それでお願いした次第ですのよ」

 彼女は前に会ったことなど、すっかり忘れてしまっているようだった。いや、違う、彼女にとってはこれが初診なのか……私は未熟者なので、そこのところは未だによくわからない。しかし、そんなことはたいして重要なことではなかろう。

「心のほうまで調子が悪い、とおっしゃいますと、なにかよくないことでもおありなのですか? 不安なこととか……」

「はあ……そのう……」

 彼女は躊躇うように目を伏せた。長い睫毛が目元に陰鬱な影を落とす。

 十秒以上経ってから、彼女はようやく言葉を続けた。

「夢を、みるんですの」

「夢、といいますと、あの眠る間にみる、夢、ですか」

 将来の夢の話をするために、精神科医を呼ぶ人はなかなかいないだろうが、つい、確かめてしまう。いいや、これも重要なことだ。

 彼女は「ええ」と、首を少し前に曲げた。

「夢を毎日、みるのです。それも同じ夢を、どうやらみているようなのです」

「どうやら、ですか? 確信は持てない、ということでしょうか」

「ええ……いえ、同じ夢ではあるのです。けれど、はっきりとは覚えていないのです。何度もみているというのに、目が覚めるとその中身を殆ど忘れてしまっているのです」

「……はあ。なるほど。でも、同じ夢だと思われるということは、少しは覚えていらっしゃるんでしょうね?」

「はい、まあ……なんとなく、ですが」

「どのような夢だか、お教え願えませんか」

「……不気味な夢、ですの」

 彼女は朧げな記憶の断片を、少しずつ壊さないよう拾い上げるように、ぽつりぽつりと話し始めた。

「場所はこの寝室で……私は布団の上に座っておりました。ちょうど、今のように。……それから、部屋には人がおりました。顏は……覚えておりません……知らない女の人です。どんな人だったか思い出せないのですが、女性であったことはわかるのです。……ああ、それから、そこの窓から見える、桜が満開でした……今はまだ蕾ですね」

「それだけ、ですか?」

「いいえ」

 彼女はゆるゆると頭を左右に振った。やや躊躇った後、彼女はこう言葉を続けた。

「私は、その女性を殺すのです」

 無意識のうちに、私は生唾を飲み込んだ。ああ。いよいよ、話の核心だ。

「なぜ……?」

「覚えていません……だって、その人のことも覚えていないのです……ただ、この部屋で知らない女性を殺す夢を、繰り返しみるのです。何度も、何度も……私、もう、疲れてしまって……」

 彼女は苦しそうに両手で顔を覆った。

「それはお辛いでしょうね」

 そして、私の視線はつい、と猫間障子のほうへ吸い寄せられた。それは、自分の意識とは無関係の、見えざる力によるもののように思われた。気づけば私はそちらを見ていたのだ。

 そして。

 障子の向こうに見える桜の木は。

 いつの間にか、満開になっていた。

 白い花びらがひらりひらりと、ガラスを通り抜けて部屋の中へ舞い込んでくる。

「あ」

 また、やってしまった――。

 後悔するだけの余裕もなかった。

 それまで苦しそうに身体を丸めていた奥様が、急にむくりと立ち上がる。その右手には、この空間にはまるで似つかわしくない大振りの包丁が握られていた。

 振り上げられる右手。刃の先端が私を狙い定めている。

 私は、無抵抗であった。

 刃は、私の胸元に振り下ろされ、深々と突き刺さった――。

 声が出ない。

 視界が真っ暗になる。意識が急速に薄れていく。

 まだ、まだなのに……。

 また、失敗してしまった……。

 私はようやく湧いてきた後悔の念を噛み締めながら、意識を、失って、……いった……――

 

***

 

 は、と目が覚めると、私は自分の寝室にいた。

 窓から朝日が差し込んでいる。人はこれを爽やかな朝、と表現するのだろう。

 しかし私の目覚め心地は最悪だった。これでもう何度目だろうか。

 上半身を起こす。身体には、なんの異状も見当たらなかった。寝巻を脱いで確かめても、姿見に裸をうつしてみても、一ミリの傷も見当たらない。しかし、私の気持ちが晴れることはなかった。

 私は精神科医である。人からは「女医センセイ」などと呼ばれたりもする。女の医者は珍しいからこそ、だろう。

 国から医者と認められて五年。女というだけで不利益を被る、ということもないわけではなかったが、ひとりの精神科医としてそれなりに実績を積んできたつもりだった。

 私は特に患者の〈夢〉からその人の精神状態を推しはかり、治療につなげることを得意としていた。学生時代にフロイトユングを好んで学び、夢分析をテーマに論文も書いたのだから、当然のことかもしれない。私は兎角、夢というものを重視してきた。すべての〈夢〉には原因があり、理由がある。そして、それは必ず現実に繋がっている、というのが私の持論だ。

 それは、私自身についてもいえることだ。

 私はもう、十数回は夢の中で寝起きしている。夢が終わり、目が覚めれば、本来、そこは現実であるはずなのだが、どういうことだか私の場合、もう十数回も目覚めているのに、夢の中のままなのである。

 目を覚ます。名も分からぬ〈奥様〉のもとへ診察に赴く。名も知らなければ、そこへの行き方だって知らないはずなのに、私の足は確実にあの日本家屋にたどりつくことができる。

〈奥様〉の診察をする。話を聞く。聞いているうちに、蕾だったはずの桜が満開になっている。その花を見たが最後、私は〈奥様〉に殺される。殺された私は三途の川を渡ることなく、自室で目を覚まし――余談だが、どうしてだか現実の私の寝室と〈夢〉の中の私の寝室は、ずいぶん違ったものだった。だから、目が覚めた瞬間、現実か夢か判断できるのだが――……〈奥様〉のもとへ行く。

 これの繰り返しである。もう何度、殺されたことか。もうすっかり殺され慣れてしまった。ついでに〈奥様〉の話を初めてのふりをして聞くのも。というよりも、そろそろ飽きてきてしまった。殺されるのに飽きたというのも、おかしな話だ。

 それでも私が殺され続けるのは――〈奥様〉のもとへ通い続けるのは、やはり私が精神科医だからだろう。

 精神科医である以上、そして夢分析を得意としている以上、私は自分の夢を分析せねばならない。

 なぜ、私は殺されなければならないのか、あの〈奥様〉はいったい何者なのか、それを分析しないかぎり、私は現実へ戻ることはできないと思う。

 さあ、あの〈奥様〉のところへ行こう。

 今度こそ、分析せねばなるまい。

 今度こそ、簡単に殺されないようにしなければ。

 今度こそ、上手くやるのだ。

 私は決意新たに、着替えをすまし部屋を出た。あの、桜の木のある家を目指して。

 

――夢を、みるんですの……――

 

そろそろ、1次くらい通過してみたいものだ。

今日、おみくじをひいたら、「願望 祈る心を忘れなければやがて叶います」と出た。やがてっていつだろう。今年中じゃないといろいろ困るんだけど……まぁ、今年中に結果が出なければ小説はスッパリ辞めるのも手だろう。環境もガラッと変わるだろうし、大学を出て行かねばならないので、これまで通り小説は書けまい。

やがて、がいつなのかは知らないが、近々であることを祈りつつ、明日の発表を待とう。望み薄なのは分かっているが、神様にお願いしてきた。どうなるだろう。あぁ……。

過去も未来も

誰が言い出したのかはわからないけど、誰でも知っている、誰もが口にしていそうな、どこにでも溢れている陳腐な文言の一つに、

「自分の人生はどこで間違ってしまったのだろう」

みたいなのがある気がする。要は、自分の人生は昔は楽しかったはずなのに、いつごろからこんなにつまらないものになってしまったのか、ということだ。

私もふと、そんなことを考え、そして気づいた。

私の人生は、物心ついたころには既につまらなかった。

幼稚園の頃から、運動は苦手で遊びではいつも足手まとい。頭の回転も遅いものだから、ほかの園児のやっていること、いっていることも理解できず、余計にバカにされる。私が運動場に出て行っては、邪魔になると遠慮して室内にいると、今度は先生に外に出るよう促される。居場所がなかった。

それは、家に帰ってからも、似たようなものだ。左利きだった私は、それだけで怒られた。左手を使うな、見苦しい、右手で字をかけ、箸を持て。ひらがなの特訓もした。怒られたことだけは、よく覚えている。縄跳びの特訓も、鉄棒の特訓も、なにもかも上手くいかなかった。

そのころはまだ、明確に死にたいとか、消えたいとか、あるいは周囲に対する憎しみとか諦めのようなものはなかった、と思う。ただ、なんとなく怖いとか、しんどい、という気持ちはあった。……そうだ、あの頃はまだ「怖い」が一番大きかった。

同い年の子どもも、先生も親も、皆怖かった。

グズな私は、小学生になってもグズだった。

友だちができなくて、母に怒られた。運動が出来なくて、疎まれた。性格が暗くて、影が薄くて、いてもいなくても同じだった。バカだったから、よく忘れ物やなくしものをし、母に怒られた。机の上が汚い、ランドセルの中が汚い、と夜、布団の中に入ったあと、叩き起こされることもあった。(眠るのだから、当然のことだが)、目をつむっていると「狸寝入り、してんじゃねえ」と蹴り起こされた。この頃も、やっぱり怖かった。

周囲への感情が「憎しみ」になったのは、中学生の頃からだろう。バカにされた。学校でも塾でも。自殺した方が良いんじゃないかとも思ったが、自殺をしてしまえば、私をバカにしていた人間は余計に喜ぶだろうと思ったら、死んでも死にきれず、憎しみを糧に生きているようなものだった。いや、はやみね作品を読む、などの楽しみもあったといえばあったが、対人関係に関しては、「憎しみ」がメインだった。

腹が立つ。しんどいので、細かくは書かない。

結局、自分の人生ってはいつくばって、バカにされてばかりなのだ。大切になんて、されないんだ。

幼い子供が、大人にちやほやされているのを見ると、どうにも嫌な気持ちになる。どうして、あの子は、と思ってしまう。大人げないのは判っているが、「どうして」と言っているのは大人の私じゃなくて、私の中で消えきれずにいる、幼い頃の自分なんだと思う。

幼い自分は、もっと周りに優しくしてもらいたいと願っているけど、現実の私はもう大人なので、誰も優しくしてくれない。

諦めなくちゃならない。

誰にも期待しちゃいけない。

ゲームでもしよう。ゲームは良い。「私(プレイヤー/主人公)」に、大勢のキャラが優しい言葉をかけてくれるから。

クリスマスイベで忙しい。

クリスマスもなにも関係なく寂しい私には、ありがたいことだ。

夢が

夢がかなう夢を見た。

見ている時は幸せなのだけど、目が覚めた時の絶望感といったら。悪夢の時の数十倍、疲れる。

夢が現実になったためしがない。絶対に、夢の内容とは真反対の方向へ私の人生は転がっていくのだ。ということは。やっぱり、夢は夢として諦めた方が良いのかな。ならば、早死にしたい。自殺する度胸のない自分が憎い。

昨夜は月が綺麗だった。真夜中にふっと目が覚めて、自分が月光を浴びていることに気づいた。月光って浴びれるんだ、と感動すらした。

月の光は人を狂わす、みたいな文章を昔読んだ気がする。

だからあんな夢を見たのだろうか。

月に、お願いなんてするんじゃなかった。

大学院とか、気になるニュースとか。

7月が始まった。

院生生活を始めて4か月目に突入したことになる。いや、早くないか。

7月末には、教授と修士論文の方向性について話し合わねばならない。

今、興味のあることは2つあり、カテゴリとしては同じなのだが、研究のための手法がことなってくる。ひたすら記録(全国に散らばっているであろう資料)を集めて分析するか、実際に色んな人に協力してもらって実験をして、それをまとめて統計を取るか……悩ましい。

ところで、大学院に入って3か月。一人の先輩と何度かお話をするチャンスがあったのだけど、院の世界もなかなかどうして、複雑なのだなあと実感した。

私がいるのは……いや、わりとマニアック?な分野の院なので、ここには書かない。しかし、社会人の多い院である。

何年か働いて経験を積んでから大学院に来る人も多い、ということ。

すると、その人たちは当然といえば当然なのだが、その働いたときの経験をもとに研究を進めようとするらしい。というか、働きながらその中で問題意識を抱いて、それを研究テーマにしようと決めてから、院に来るのかな。

で、全部がそうだというわけじゃないけど、その中にはただひたすら、労働環境改善を訴えるだけ、みたいな人もいるらしく。

それは研究一筋で来た人には、不評で。

労働環境改善を訴える系の発表がされると、それは研究じゃない、という注意が入るらしい。

正直、私はまだ「研究」と「それ以外」の区別が余りついておらず。

興味関心があれば、全部「研究」になるんじゃないかなあ、とか思ってしまう。

それ以外にもいろいろ聞いたけど、これ以上は個人がバレる可能性があるので、このへんで。

 

最近、将棋の藤井聡太四段が気になる。

連勝記録はストップしたものの、それにしたって29連勝は凄い。

しかも14歳なのに、まったく浮かれる様子がない。

連勝についても、連勝はいつか止まるものだから、みたいな風にコメントしていたり、他にもおぉ、と思うようなコメントがいくつもあった。(きちんとメモしておくんだった)

ただただ尊敬だなァ……

今回の対局はとても気になっていて、今日1日で何度もニュースサイトを確認してしまった。

こういうニュースが気になって他のことが手に着かない、というのは個人的にちょっと楽しい。

少なくとも好きな歌手が逮捕されて、それが気になって……というよりは数倍幸せな気持ちになれる(思い出し傷つき)。

それでなくても最近クサクサしていたところだった。

藤井四段のニュースや、あのコメントに何となく救われたところがある、と思う。

ありがとうございます。といいたいくらい。

cgi2.nhk.or.jp

次は、NHK杯森内俊之九段との対局とのことで、楽しみにしていよう。

高度な対局になるんだろうな……それまでに、もうちょっと勉強しておかないと。

昔、ちょっとはまって勉強したりはしていたのだけど、もうほとんど忘れてしまった。穴熊が好きだった。


追記 藤井四段、7/6に順位戦があるので、あきらかにそちらが先だ。

今把握しているのは、

7/6 順位戦 対・中田七段

7/13 順位戦 対・高見五段

日程不明 NHK杯 対・森内九段


くらいかf:id:Ashiroki:20170702232653p:plain

今週の予定にもきちんと載っていた。(7/6分)

ところで、このアプリ、なかなか良い。

有料分も購入しようかな。

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反省と記録と諸々

毎晩、寝る前に「今日は何をしたか」を思い出すようにしている。

というのも、なぜだか知らないけど最近、布団に潜り込むたびに「あれ、今日、何もしていない…?」という不安に襲われるので。

それで「ああ、今日はこんなに活動していた、良かった」と思う日と「え? それだけ……?」と余計に不安になる日とがある。本当に「何もしていない」日は、今までのところないけれど、そんな日が来たりしたら、私、発作起こしちゃうんじゃないかしら。

で、今日の一日の流れと反省。

6:30 起床。6:00に目は覚めているものの、床から抜け出すことが出来ない。朝は常に、意味もなく陰鬱。

7:45 出発。図書館のアルバイトへ。

9:00 図書館のアルバイト開始。

    返却された本を棚に帰す。雑誌の新刊の配架。

    終わり際には本の修復講座や本の仕組みのことを教えてもらったり。また時間があれば書きます。文庫本をハードカバーに変える方法があるなんて、私、知らなかったよ。

12:00 アルバイト、終わり。3時間という短時間なので、私のように集中力がない人間でもダレることはない(笑)

13:10 3限目。学芸員資格関係の授業。明日の1限が憂鬱で、なぜかこの時間に精神不安定に。集中できなかった。弱いなあ。

14:40 空き時間で、明日の1限目の発表準備。ほぼ終わる。

16:40 5限目。知らないうちにウトウトしていた。好きな授業なのに!  私のバカ……先生、ごめんなさい。

18:10 明日の発表の準備を終わらせ、夕飯。学食で食べたサーモンとレタスと玉ねぎがのった丼は外れでした……。

20:10 7限目。政治系の授業。ルーズリーフにちょっと落書きしたら、思っていた以上に興に乗ってしまい……反省……いや、まったく聞いてなかったわけじゃないけど、先生、気づいていたと思う……来週は真面目に受けます。まったく、院生にあるまじき態度……。

23:00 帰宅。

……授業、もうちょっと真面目に受けられないのか。いえ、毎週、こんなんじゃないですよ。先週とか、もっとまじめに受けてたから!

……来週は、もっとちゃんと受けます。ああ、反省……。

 

ファンというもの

ファンというものが苦手だ。

ファンを自称する人たちの間にある、
ファンならこれくらい知っていて当然
ファンならこうあるべき
ファンならこれは喜んで受け入れるべき
みたいな風潮が苦手だ。

高齢の歌手になってくると、その子供も歌手、なんてことも多く、これもまた面倒だ。
好きになるのは勝手だが、
◯◯さんの子供だから
という理由で応援するのは、なんだか違うように思う。
その人は、その親子関係という繋がりがそこになくとも、その子供の方の歌手を応援していたのか?
しないと思う。
親子だから、考えなしに応援して後付けで誉め称えているんじゃないか。
結局、興味があるのは◯◯さんの子供、というステータスなのだ。
ずるい、とも思う。
親のお陰で、ある程度の基盤が出来上がっているのだから。
私は否定されてばかりなのに。
平凡な家庭で両親に否定されて生きてきたのに。
この差は何。
ずるい。